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第一部 第三章 第四節 妖狐の女帝の矜持

 時は少し遡り、立川の陰陽庁龍脈観測所―――

 探知モニターに異常を感知したのは、熟練の観測員だった。彼は霊的素質を持たないが、情報処理関係の大学を出、徴兵されてからは防空レーダーの観測員として配属された経験がある。

 今夜も彼は、兵役期間と陰陽庁に就職してからの期間で養った能力を十全に発揮していた。


「東京上野方面に霊的異常を観測。何らかの大規模魔術が発動された模様」


「情報をただちに分析室に送れ」


 観測室の室長が直ちに指示を出す。

 異常を感知した観測員は即座にコンソールを操作する。その間にも、彼はモニターに注意を払う。


「さらに霊的異常を観測。芝、清洲、品川、渋谷でも同様の現象が発生。魔術行使の影響により、龍脈に乱れが生じています」


  ◇◇◇


 賀茂憲行は、観測所からの情報を即座に受け取った。公安課課長の廣岡にただちに指示を飛ばす。


「霊的テロの可能性を十分考慮に入れ、対処しろ」


 冷静に、賀茂はその可能性を口にする。数日前から発生していた“魂食い”。そこで集めた膨大な霊的資源の使い道の一つに、テロという可能性は当然含まれていた。


「すでに、異常を感知した場所に結界を張るよう、指示を出しました」


「よろしい。周辺地域に警報を出せ。状況次第では、一般人の避難を行わねばならん。警察、消防にも連絡を入れろ。ああ、周辺地域を走る各鉄道会社にもだ」


「了解です!」


 東京本部は、にわかに慌ただしくなる。


「それと、遠野祓魔官を呼び戻せ」


 何とも間の悪い、賀茂は内心で罵声を上げた。遠野沙夜とその式神が東京を離れた瞬間を見計らって、霊的異常が起こるとは。

 犯人はこちらの動きを監視していたか、こちらの情報が漏れていたかのどちらかだ。あとで調査が必要だろう。


百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)です!」


 突然、部下の一人が飛び込んできた。


「霊的反応は、百鬼夜行だと判明しました!」


「なるほど」


 賀茂は一瞬だけ目を見開いたが、努めて冷静さを装う。このような時に上の者が無様をさらしては、その不安は部下へと伝播する。

 しかし、犯人が百鬼夜行を召喚したのならば、それはそれで厄介だ。彼らは低級霊の集まりだが、周辺に瘴気を振り撒くという性質を持つ。古来、百鬼夜行に出会った者が死に至るというのは、そういうことなのだ。

 無事に修祓(しゅうふつ)出来たとしても、周辺地域の除染も必要になる。

 不意に、部長机の電話が鳴った。


「こちら東京本部長」


『私です、賀茂本部長』


 電話口から聞こえてきたのは、老女の声であった。威厳と落ち着きが備わった、聞く者の背筋が自然と伸びる声である。


「これは、斎宮(さいぐう)殿下」


 恐懼して、賀茂は電話越しにも関わらず腰を折る。

 咄嗟のことで、発信先を確認するのを忘れてしまったが、電話機に表示された番号は輪王寺宮邸のものだった。裏鬼門を封じる役割を与えられたこの宮家と陰陽庁の間には、直通電話が敷かれている。


『状況は、有坂祓魔官から聞いています』


 相変わらず、あの祓魔官の式神の探知能力は侮れない。それに、霊的異常は輪王寺宮邸のある港区芝でも確認されているのだ。

 輪王寺宮邸の警護を担当するのが彼である。

 そうであるならば、有坂篁太郎が輪王寺宮一家に異常を知らせるのは当然のことだろう。


『彼の式神の力を開放させなさい。今の状況では、東京本部だけでの対処は難しいはずです』


「……」


 皇族に俗世の事件を対処させる申し訳なさから、賀茂が言葉に詰まる。


『輪王寺宮家当主、信久王殿下も同意されています。それに、私はあの九尾の狐の封印役。万が一、あの狐がこの機に乗じて人間に(あだ)なすようならば、私と有坂祓魔官で対処します』


「……判りました。(しん)として、慚愧に堪えぬ思いです」


 一瞬の逡巡の後、賀茂は決断した。

 百鬼夜行程度ならば人的被害はそこまで深刻にならないかもしれないが、それでも除染に数日かかるとなれば、その経済的損失は計り知れない。特に商業施設や企業の多い地域で百鬼夜行が確認されている以上、早急に対処するに越したことはない。


◆   ◆   ◆


 赤い外套が、強風に吹かれてはためいている。

 陰陽庁の屋上から見える風景は、昨夜と変わらず。だが、霊的気配は昨夜とはまるで違っていた。大気中の霊子が、東京各地で発生した百鬼夜行に反応したように、活性化している。


「さて、篁太郎よ」


 久遠が、言う。妖狐の女帝としての、周囲を畏怖させる声。


「お前もつくづく、良いように使われておるなぁ」


 それは篁太郎ではなく、陰陽庁の職員たちに向けられた嘲りの声。彼女にとってみれば、自分と式神契約を結んでいるのは篁太郎ただ一人。他の魔術師など、有象無象の雑種に過ぎないのだ。


「お前が、我の力を求めるのは良しとしよう。もとより、そのような契約であるしな。だが、この程度の些事に慌てふためいて、我に助力を求めるとは、許しがたい冒涜よ。我に対しても、お前に対しても、な」


「俺のために、怒ってくれるのですか?」


 周囲を威圧する久遠の妖力を前にしながら、篁太郎はただ不思議そうに問うた。


「たわけが」ふん、と久遠は鼻を鳴らす。「我が契約者の矜持のなさに苛立っているだけよ」


「すみません」


 本当に申し訳なさそうな顔で、篁太郎は謝罪する。


「よいか? 貴様がただの使い走りのように軽んじられるということは、この我も軽んじられるということだ。それは、我の矜持が許さぬ」


 日ノ本の人間どもは自分を化け物と断じ、封印しておきながら、いざとなれば手の平を返してその化け物に助力を請う。何という浅ましさか。

 外津国の罪人の捕縛、そして“魂食い”の捜査、それらは確かに、自身の契約者たるこの陰陽師の能力を見込んで任されたのだろう。それならばまだ、久遠としては許せる。

 だが、百鬼夜行の修祓など、大妖九尾にしてみれば低級霊を蹴散らすだけの些事に過ぎない。そのために、自身と契約者が駆り出されるのは、自分たちの存在を軽んじられているとしか思えない。あるいは、便利な道具か。

 せっかく、今回は自身の契約者が感情を乱すという滅多にない珍事を鑑賞することが出来ているのだ。その楽しみが中断させられては、余計に不機嫌になるというもの。

 いっそ、管狐による外津国の罪人の探査をあえて遅らせてみるのもいいかもしれない。焦れて苛立つ篁太郎というのも、なかなか見物だろう。

 そうした嗜虐的な思いを抱きながらも、久遠はそれをしないだろうということが自身でも判っていた。何故なら、外津国の罪人が弄んだのは、人型の傀儡(ホムンクルス)だけではない。魔族も弄んだのだ。

 (あやかし)の頂点に位置すると自任する大妖九尾にとって、それは己が臣下を弄んだも同然の罪科である。


白面金毛(はくめんきんもう)九尾」


 篁太郎は、あえて自身の式神を雅称で呼んだ。


「あなたの威光を、この帝都東京に示すのだと考えてください。陰陽庁は、妖狐の女帝の威光に縋る健気な臣下。そう考えてはくれませんか?」


「ふん、ものは言い様よな」


 不愉快そうに、久遠は鼻を鳴らした。それに篁太郎は、小さな溜息を返す。


「あなたがやりたくないのであれば、俺が代わりにやりますよ。俺でも、あの程度はどうにでもなりますから」


 誇り高いこの大妖に、無理強いは出来ない。


「それはそれで我が矜持が傷付く」


 まるで自分など必要ないとでも言われているようで、久遠は先ほどとは違った理由で不愉快になった。


「それと、我の名は『久遠』だ」断ずるように、彼女は言う。「篁太郎よ、お前がそう名付けたのだ。ならば、我のことはその名で呼ぶがよい」


「ありがとうございます」


 口元に邪気のない笑みを浮かべて、篁太郎が応じた。


「お前はそこで見ておればよい。我が威光にひれ伏すは、お前一人で十分だ。有象無象の雑種など、我が臣下となるに値せん」


 霊子が、大気が、久遠を中心に渦巻き始める。妖力と霊子が反応し、黄金色の光が彼女を包んだ。

 大妖九尾の本来の姿は、九つの尻尾を持つ金毛の狐である。

 人型への変化(へんげ)を解き、人間を一呑みに出来るほどの大きな狐の姿が篁太郎の前に現れる。

 だがそれを、彼は恐ろしいとは思わなかった。燐光をまとった黄金の毛並みを持つその姿は、美しいとすら感じる。


「で、篁太郎よ」


 篁太郎の姿を下に見ながら、久遠は言った。


「あれは本当に、百鬼夜行なのか?」


「あれは、もどき、ですよ」


 二人の目には、一番近くに存在する上野の百鬼夜行の姿が見えていた。黒い靄に包まれている妖怪の行列は、確かに百鬼夜行である。だが、決定的に色がない。まるで、墨絵に実体を与えたかのような姿をしているのだ。


「『百鬼夜行絵巻』。室町時代に土佐光信が描いたとされる絵巻物ですが、まあ、それに着想を得た霊装から生み出されたものでしょうね。あの妖怪たちはあくまで、絵に実体を与えたものに過ぎません」


「ふむ。なるほど」


 もし本物の百鬼夜行であれば、久遠はそれを支配して退かせるつもりでいた。いかに低級霊の集まりとはいえ、人間の都合で魔族・魔獣を殺戮することは、久遠が最も忌避することだ。

 それは、篁太郎も理解している。彼は一度も、久遠にそうしたことを命じたことはなかった。

 しかし、だからといって久遠は同族たる魔族に対する博愛主義者ではない。その生殺与奪権は女帝たる自分が持つべきで、人間が持つべきではないと考えているだけなのだ。

 狐姿の久遠は、もう一度、黒靄に包まれた百鬼夜行を見る。


「しかし、たかが絵ごときに大騒ぎとは。呆れ果てたものよ」


「あの百鬼夜行もどき、それでもそれなりの霊格を備えているようですよ」


 少なくとも、実体を構築している霊力はそれなりの量だ。恐らく、“魂食い”で得た霊力で動いているのだろう。平均的な能力しか持たぬ祓魔官では、確かに苦労する相手だ。


「所詮は人の作った贋作。我に敵うはずもなかろう」


 だが久遠は、篁太郎の分析に余裕のある声で応ずる。


「見ておくがいい、これが神代の妖の力だ」


 巨大な狐姿の久遠は遠吠えをするかのように首を持ち上げ、天を仰ぐ。だが、その口から放たれたのは遠吠えの響きではなかった。

 無音。

 だが、篁太郎には判っていた。妖力の波動が、周囲の霊子を震わせている。

 日本ではいくつもの王朝を傾けた凶悪な妖怪として知られる大妖九尾であるが、生まれ故郷の中国では、吉事の前触れとして現れる瑞獣(ずいじゅう)として描かれることもある。

 所詮は人間側の記録。彼らの勝手な解釈で、この大妖を定義しただけのもの。

 だが今この瞬間、彼女から放たれている妖気は、まさしく瑞獣を思わせる清冽な波動。

 あらゆる悪しきものを退け、浄化していく力の奔流。神気と呼ぶに相応しいもの。

 見れば、現れた百鬼夜行たちは久遠の妖力によって次々と砂が風に吹かれていくように霧散していく。上野も、芝も、清洲も、品川も、渋谷も、どこも等しく百鬼夜行は消滅していった。


「ふん、他愛ない」


 それを成し遂げた黄金の獣は、誇るでもなくただつまらそうに呟くのだった。


「助かりました。ありがとうございます、久遠」


「あの程度の贋作相手など、お前でも造作もなかろうよ」


 式神として、篁太郎と霊的繋がりを持つ久遠は、この男の実力を誰よりも知悉している。だから、彼女の今の言葉は真実なのだ。


「まったく、我もお前も、雑事に煩わされたものよな」


「しかし、帝都の被害は最小限度に抑えられました。あなたのお陰ですよ、久遠」


「ふん、元はと言えば、お前が警戒していたからこそだろうが」


 その言葉に、篁太郎は曖昧な笑みを浮かべる。確かに、彼の予想通りの展開となった。しかし、彼としては帝都が霊的テロの標的とされたことから、自身の予想が当たったところで素直に喜べないのだろう。

 それが少し、久遠には可笑しかった。


「やれやれ、私の出番はなしか」


 彼らの背後から、ちょっとだけがっかりしたような声が聞こえた。

 軍服と水干を合わせたような白い上着に、狐耳と尻尾を生やし、腰に太刀を佩いた少女。


「少しは暴れられると期待していたんだけどね。いいところは久遠に全部持ってかれてしまったよ」


「まあ、次の機会がありますよ」


 現れた王子の狐に、篁太郎はそう返した。


「ヴォルフラム・ミュラーの工房に殴り込みをかける時には、声をかけますから」


「ああ、頼むよ」彼女は言った。「私としても、妖たちを弄ぶあの男は腹に据えかねているんだ。それに、私たちの縄張り(シマ)を荒らしたことも」


「ええ、必ず」


 篁太郎は(とも)たる妖狐にそう約束した。






 沙夜からの連絡があったのは、それから少し経ってのことだった。

 人造人間(ホムンクルス)の少女を取り逃がしてしまったこと、その過程でミュラーの〈人形〉と出会ったこと。

 篁太郎はその結果にいささか不満足であったが、ミュラーが介入してきた以上はやむを得ないと割り切った。

 やはり、あの男は自分が対処すべきだろう。

 そして、沙夜からはもう一つ、深刻な報告が届けられていた。

負傷した眷獣に、治癒魔法が効かないらしい。自然治癒も、回復力に優れる魔族であるにも関わらず、始まる気配がないという。

 それは、一連の事件が未だ片付いていないことの証左でもあった。

 あっという間に久遠の活躍が終わってしまいましたが、彼女が全力全開を出そうものなら作中の大抵の登場人物(登場妖怪?)は瞬殺されてしまいます。その程度には、強力な妖である設定なのです。

 第二部では、久遠の本格的な戦闘シーンを描きたいと思っておりますが、とりあえずは第一部を完結させることが優先です。

 筆者自身も、久遠を暴れさせたくてウズウズしているのですが、今回は仕方がありません。

 期待して下さった読者の方々にも、申し訳なく思います。すみません。

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