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第一部 第三章 第三節 白銀の魔女と眷獣

 虎徹は、久遠など高位魔族と違って、霊体化が出来ない。

 霊体化とは、簡単にいえば己の姿を大気中の霊子に溶け込ませることだ。幽霊のように実体が曖昧になると考えればよい。

 霊体化した魔族は、高い見鬼(けんき)の才―――霊子・霊力の動きを視覚で捉えられる能力を持つ者でなければ感知することが出来ない。

 逆にいえば、虎徹という魔族の少年の隠密性は非常に低いということである。

 故に、彼の主人である魔女は、己の眷獣のために一つの霊装を用意した。


「ふん、貴様のような霊体化出来ないクソ間抜けな眷獣(サーヴァント)のために、主人(マスター)たる私が用意してやったのだ。ありがたく使うといい」


 かつて、そう言って主人は己の使い魔に一つの霊装を貸し与えた。

 見た目は何の変哲もない、ただの黒い布。姿隠しの布だというその霊装を、今、夜の都市を駆ける犬耳の少年はスカーフのように首に巻いていた。

 東京の南東部から埼玉の南部へ。

 その二ヵ所を結ぶ最も進みやすい道は、鉄道。京浜東北線などが走る東北本線の路線、そこに設けられた電柱を足場にして、源義経の八艘飛びのごとくに跳躍を繰り返す。

 時折、足下を列車が通過するが、誰も彼の姿に気付いた者はいない。魔女の霊装は完璧にその効力を発揮していた。

 赤羽を過ぎ、荒川を越えれば、そこはもう埼玉県川口市である。

 その街は東京の都心ほどではないが、やはり夜でも光の溢れる場所であった。その中で、目当ての廃工場は光の中に空いた穴のように、夜の闇へとひっそりと溶け込んでいた。

 解体を待つばかりの廃工場の敷地は、白い防音板で囲われていた。自然と人が寄り付かない、天然の結界。

 最も効果的な人払いの術とは、魔術など使わずに人が自然と近づくことを避けるようにすることだと、いつかお師匠様が言っていた。


「到着、なのだ」


 電柱の頂に立ちながら、虎徹は誰にともなく呟いた。すんすん、と鼻をうごめかすが、廃工場から漏れてくる匂いは錆びた金属のそれである。

 しかし、虎徹は疑問を抱かなかった。篁太郎や久遠が言ったことだから、絶対にここで合っていると信じていた。

 主人である沙夜は、霊力の放出による逆探知を避けるため、実際に戦闘になるまで魔導通信の封鎖を虎徹に命じていた。だからまだ、虎徹は沙夜に到着を報告しない。

 とにかく、主人の言う通りに内部に侵入してみることにした。

 虎徹は首に巻いた布の具合を確認すると、電柱から飛び降りる。爪を伸ばし、それに魔力をまとわせて空間を切断するように腕を振るった。

 爪にまとわせた魔力が、結界の霊力と反応を起こした感触が手に伝わる。そして、己の爪が結界を引き裂く感触も。

 相手の魔術を上回るためには、より強大な魔術を使うのが基本であるが、虎徹はそれを「爪に魔力をまとわせるだけ」という力業で成し遂げてしまった。

 侵入成功、なのだ。

 音もなく地面に着地した虎徹は、心の内でそう呟いた。思わず口で言いそうになってしまったが、今は隠形(おんぎょう)中。慌てて口に手をあてて、成功の喜びを胸の中だけに秘める。

 だが、虎徹がその喜びを噛みしめていられたのは一瞬だけだった。

 空気が動く。気配が動く。

 暗い工場の中で、何かが光った。伸ばしたままの爪を振るい、それを叩き落とす。キン、という音と共に弾かれたのは、すべてが金属で出来た矢であった。

 虎徹は地を蹴って建物内に飛び込む。

 薄暗い建物の中、虎徹の嗅覚と聴覚は正確にそれを捉えていた。かすかな息遣い、矢を弓につがえる音、弓の弦がその矢を解き放つ振動。

 キン、と再び虎徹は飛来した矢を弾く。

 主人の霊装は、所詮は姿を隠すだけのもの。侵入する際に放出した魔力反応まで打ち消すことは出来ない。だから虎徹の姿が見えなくとも、魔力反応を目標に攻撃を仕掛けることは出来る。

 ひたひたと、裸足でコンクリートの床を踏みしめる音がした。

 虎徹は、首に巻いた布を取り払った。自分の存在がバレている以上、この布に意味はない。それに、戦闘で主人の霊装を破損させるわけにはいかない。素早くズボンのポケットに仕舞う。


「お前は……」


 彼の前に現れたのは、昨日の白い少女。

 昨夜よりも、濃い薬品の匂いを放っていた。夜目の利く虎徹がよく見れば、その体は濡れそぼっており、長い髪からはポタポタと液体が滴っている。

 相変わらず、素肌の上にぶかぶかのコートを羽織っているようだった。

 手には、金属製の西洋弓と、同じく金属製の矢を持っている。

 昨夜と同じ無表情な顔のまま、彼女は虎徹を見つめていた。その瞳の奥に少しだけすまなそうな感情の色を見たのは、果たして虎徹の気の所為か。

 再び少女が虎徹に向かって弓を構え、虎徹が爪を伸ばしたまま重心を低くする。

 自分にこの少女を倒せるのだろうか、という疑問が彼の中に沸く。きっと、自分が殺す気で挑めば倒せるだろう。だが、それはやりたくないのだ。

 それが愚かな判断だということは、頭の悪い自分でも判る。中途半端な力で倒せるほど、目の前の少女は甘くない。

 それでも、やりたくないものはやりたくないのだ。

 だって自分は、そういう魔族なのだから。


「警告。退()いて下さい」


 唐突に、少女が口を開いた。表情と同じく、抑揚に欠けた感情の希薄な声。だけれども、どこか切実な響きがあった。


「私はすでにあなたの情報を主人(マスター)より得ています。あなたの勝算は低いと、判断します」


「だったら、オマエが投降しろ」噛み付くような口調で、虎徹が反駁する。「オマエは誰かに命令されているだけだって、お師匠様が言っていたぞ。何で、やりたくもない命令に従っているのだ?」


「……」


 少女は答えない。答えられない。彼女の存在意義とは、彼女の作り主が与えてくれるものだのだから。


「……私は、主人(マスター)のモノです」


 やっと少女は、それだけを口にした。


「オレだって、ご主人の所有物(モノ)だ。でも、やりたくないことはやりたくないって、ご主人に言うのだ」


「……」



 少女の瞳が、わずかに揺れる。だが、それだけだった。


展開(アウスブレーテン)

 

 その言葉を苦悶と共に吐き出した少女は、昨夜と同じく神話の装いを纏い直す。

 同時に、少女が弓に番えた矢が魔力を帯びて、大気中の霊子を渦巻かせる。


「む」


 その矢に直感的な危険を覚えて、虎徹は弓を引き絞る少女の懐へ飛び込むべく地を蹴った。


◆   ◆   ◆


「始まりましたね」


 水晶球に映し出された映像を見て、丹羽教光は呟いた。


「ええ」ミュラーは頷いた。「しかし、いささか不可解です。あの犬の性能を考えれば、短時間であの場所を嗅ぎ付けるのは不可能なはず。それを、わずか一日程度で特定されるとは……」


 ミュラーの計算では、沙夜の下で多少あの魔犬の性能が向上したとしても発見は困難な程度に結界を強化していたのである。

 その不可解さに、彼は眉を寄せる。日本人の魔力観測装置は、こちらが思っていた以上に高性能だというのだろうか。


「ええ、情報がなければ、我々の脱出は間に合いませんでした」丹羽が言った。「協力者様々といったところですな」


 彼らは転移魔法を使い、今は廃工場から離れた地点へと逃走することに成功していた。その廃工場では、ラーズグリーズと名付けられた人造人間(ホムンクルス)の少女が足止め役として遠野沙夜の式神との戦闘に突入している。

 ラーズグリーズは急いで調整槽から出して迎撃準備を整えさせただけに不安があるが、それでも足止め役としては十分だろう。


「それにしても、ラーズグリーズにあの犬の情報を入力したのは、もしかしたら失敗だったかもしれませんね」


 先ほどラーズグリーズが黒妖犬に語りかけた内容を傍受していたミュラーは、実験動物を観察するような口調で、そう言った。


「あの犬を自分の同族だと思い、妙な仲間意識を抱いているのかもしれません」


 自分と同じくミュラーの実験品の一つ、そう思っているのかもしれない。何とも厄介なことだった。


「なるほど」丹羽は頷いた。「そうした感情の再調整は可能なのですか?」


「可能と言えば可能ですが」ミュラーは淡々とした声で説明した。「その場合、今の人格をすべて消去して、改めて人格の調整から始めなければいけません。その調整には、数日かかりますよ」


 もともとラーズグリーズという人造人間は、人間の命令を聞くように出来るだけ感情を薄めて作成されてある。また、本来であれば眷獣などに刻む使役紋(あるいは、奴隷紋ともいう)も刻印し、万が一の反抗を抑えるような仕様になっていた。

 感情を完全に消して作成しなかったのは、感情と思考が切り離せないものであるからだ。思考も出来ない戦闘用人造人間など、臨機応変な対応が求められる戦場では使い物にならない。

 実際、ミュラーは機械同然の人造人間(ホムンクルス)を何体か作成したが、戦闘用としては単調過ぎる動きで恐ろしく汎用性の低い仕上がりとなってしまい、依頼主を失望させてしまった経験がある。

 だからこそミュラーは逃亡を続ける中、同じドイツ出身で戦闘用人造人間(ホムンクルス)の製造に関しては第一人者ともいえるエドゥアルト・フォン・ローゼンブルクに接触し、戦闘用人造人間(ホムンクルス)の製造法について教えを乞うたのだ。

 ラーズグリーズはその成果といえるが、まだまだ改良の余地は残されているとミュラーは感じていた。


「まあ、別に足止めが出来ていないわけではありませんからな」丹羽は言った。「これはこれで満足すべきでしょう」


 彼はどこか納得するように頷くと、この場所へ転移する際に使用した転移魔法陣とは別の転移魔法陣へと向かおうとする。


「おや、もう行くのですか?」


「ええ、あのホムンクルスは犬を引き付けるのに成功しました。恐らく、遠野祓魔官は後方で待機しているでしょうが、都心部での魔導犯罪に対応出来る存在が減ったことは、好機です。あの犬が動き出した以上、多少性急であろうとも我々の計画を実行に移します」


「そうあなたが判断したのであれば、どうぞ、ご自由に。ラーズグリーズはこのまま、あの魔犬の相手をさせましょう。その方が、あなた方としても助かるでしょう?」


 ミュラーのその言葉は、決して善意から出たものではない。彼は契約内容に忠実であるだけだ。契約相手の援護が必要であれば、掩護する。

 それは結局、自身の身の安全を確保することに繋がるのだ。

 今回のミュラーの取引相手のような魔術至上主義者が国家権力の一端を担っている状況が続く限り、彼にとっての利用相手は事欠かないからである。


「ええ、構いません。博士の、我々への協力に感謝します」


 丹羽もまたミュラーの意図が判っているからか、その謝辞はひどく事務的であった。


◆   ◆   ◆


 攻撃は一手、ラーズグリーズの方が早かった。魔力をまとった鉄の矢が、虎徹を貫かんと放たれる。

 だが、驚異的な反射能力で虎徹はその矢を上へ弾き飛ばす。軌道を逸らされた矢が天井を貫き、魔力をまとった一撃が夜空を走った。


「オマエ、それは使っちゃダメなのだ!」


 虎徹はその矢のあまりの威力に慄いた。それは、自分の身に危険を感じてのことではない。もし自分が矢を弾くのではなく、避けることを選択していたら、防音板を破壊してその先の市街地にまで被害を及ぼしていただろう。

 発生するであろう人的被害を恐れて、彼は叫んでいた。

 だが、少女は虎徹にひどく済まなそうな表情を見せながらも、再び矢を番えることを止めなかった。

 再び、矢に集まっていく魔力。

 虎徹は跳んだ。大気を突き破るかのような突進。あの矢を放たせないために。

 大気と魔力が逆巻き、魔弓と魔爪(まそう)が交錯する。

 紅い華が散った。眩い閃光が走った。

 少女が弓に込めた魔力はそのまま暴発して建物内を吹き荒れる。虎徹は爆風に身を躍らせながらも、危なげなく着地した。

 その爪が、赤く染まっている。


「ごめん、なのだ」


 昨夜と同じ台詞を、虎徹は口にした。

 爆風と爆炎が収まった廃工場の中で、二人は再び対峙する。崩落した天井が、街や空の明かりを建物内へ降り注がせる。

 薄暗闇の中で佇むラーズグリーズと名付けられた人造人間(ホムンクルス)の少女の左腕は血に染まり、だらりと垂れ下がっていた。

 弓は床に落ち、その上にポタポタと血が垂れていく。

 だが、いつの間にか少女の右手には一振りの剣が握られていた。それでも、放たれれば市街地を破壊しかねない魔弓に比べれば、まだ対応はしやすい

 安堵した虎徹は、同時に自身の体の異常にも気付く。

 右手に、力が入らない。

 見れば、右腕に浅い裂傷が存在していた。腱を切られたらしい。親指と人差し指が、上手く動かない。

 そして、少女の持つ剣にはわずかに血がついている。

 あの少女は一瞬で武器を持ち替え、虎徹に対応したのだ。

 でも、左腕は健在。右手は使いにくいが、無理をすれば残った指で何とか出来る。

 ラーズグリーズと呼ばれる白い少女の顔には、明確に疲労の色が浮かんでいた。

 血を流しながら垂れ下がった左手の内に、血で汚れた魔法陣が描かれていた。恐らく、右手の内にもあるのだろう。手に刺青か何かを施し、武器を一瞬で召喚、持ち替えることが出来るようにした召喚陣なのかもしれない。

 だが、その召喚は当然、少女の魔力を消費する。だからこそ、彼女には濃い疲労が見られるのだ。


「もう一度言うぞ。降伏するのだ」


 強めの口調で、虎徹は勧告する。

 少女は、残った右腕で剣を構えた。しかし、魔弓が放っていた霊子を渦巻かせるほど威圧感はない。ただ、痛々しいまでの悲壮さを虎徹は感じた。


「くっ……」


 どうしてなのだ、と虎徹は自問する。どうして、この少女はこんなに苦しそうなのに戦いを止めようとしないのか、と。


『お前は、主人の言いつけも守れぬ馬鹿犬なのか?』


 その時、新たな声が工場内に響いた。虎徹の主人、遠野沙夜の罵声だ。


「ご主人!」


 ぱっと、虎徹の顔が輝く。きっとご主人なら、何とかしてくれる。そんな期待があった。


『結界を破ったのなら私を呼べと言ったはずだぞ? さっさとしろ、馬鹿犬』


「了解なのだ」


 虎徹は返事と同時に、足に魔力を込めた。それで、トンと床を叩く。出現したのは、輝く転移陣。

 彼の靴に、沙夜が仕込んだものだ。

 虎徹という破城槌で魔術師の陣地に構築された結界を強行突破、しかる後に転移陣によって主人を陣地内部に引き入れる。彼の能力を活かした、この主従ならではの連携といえた。


「まったく、貴様は一つのことに夢中になると、他のことなど忘れてしまうようだな」


 そして、召喚用転移陣から扉を潜るような何気なさで、子供と変わらない背格好の主人が現れる。

 その手には、オーク材で作られた杖。〈白銀の魔女〉の霊装。


「ご主人! あいつを止めてくれ! あいつは嫌なことをさせられているだけなのだ! だから……」


 その瞬間、虎徹は蹴り飛ばされた。まったくの不意打ちで、無様にコンクリートの床に背中を打ち付ける。


眷獣(サーヴァント)の分際で、主に指図するな、馬鹿犬」


 肺を抉るような勢いで、沙夜の杖の石突が虎徹の腹部を打ち据える。

 乱暴ではあるが、杖から治癒と回復の魔術が流れ込んでくるのが判った。ここまでの移動や戦闘で少なからず溜まっていた疲労が、体から抜けていく。

 だが……


「さて、我が愚鈍な従者はご覧の有様だ」沙夜が杖の先端をラーズグリーズに向ける。「ここから先は、私が相手になってやろう。残念だが、私にそこの馬鹿犬のような慈悲は期待するなよ?」


 沙夜は冷たく笑うと、空中に幾つもの氷の武器が現れた。それらが、一斉にラーズグリーズに向けて発射される。

 彼女はそれを、片手に持った大剣を振るって必死に防御した。だが、それでも防ぎきれなかった武器が白い少女の体に細かな裂傷を作っていく。

 急所を的確に外しながらも、相手の体力・魔力を奪っていく戦術。


「ほう、なかなかやるな」


 素直に感嘆の声を上げる沙夜。


「では、これはどうかな?」


 コン、と沙夜が杖で床を打った。瞬間、ラーズグリーズの周囲の気温が耐えがたいほどに下がる。ましてや、彼女の格好はぶかぶかのロングコート一枚を羽織っただけの姿。兜や胸当てなどをその上から装備しているとはいえ、余計に寒さには弱い。

 コンクリートが凍てつき、裸足のままの足が凍傷にかかりかねないほどの痛みを伴った寒さが彼女を襲う。


「う、くっ……ぁ」


 苦痛の声が、ラーズグリーズの喉から洩れた。瞬間、彼女の手の中で剣が巨大な鎚に持ち替えられる。


「ふん、手に召喚陣でも仕込んでいるのか?」


 沙夜は小さく眉を寄せた。確かに、手の内に召喚陣を書き込むのは一瞬で得物を持ち替えられるので便利ではある。しかし、小規模とはいえ転移魔法は術者の魔力の消費を早めるだけで、一般的な魔術師であれば現実的な方法ではない。


「くぅ……」


 少女は苦痛に顔を歪めながら、鎚を構えた。途端、彼女の周囲の空気が帯電して音を立てる。


「む、いかん」


 冷静に、だが幾分の苛立ちを含んだ声と共に、沙夜は展開する術式を変更した。


「氷華」


 短くそう唱えた瞬間、電撃が弾けた。それは廃工場を内部から破壊し、さらには周辺の住宅街までもを焼き尽くそうと(いかづち)が伸びる。


「させんよ」


 だが、それは沙夜の展開した氷の防御壁によってすべて防がれた。激しい稲妻と、華を模した防御壁がぶつかり合い、大気を焦がしていく。


「ちっ、どれだけ魔力を蓄えていたんだ。流石の私でも、これは堪えるぞ」


 杖を両手で支えながら、沙夜は己が魔力を注ぎ込んでいく。その顔が、かすかに歪む。


「虎徹!」

 

 彼女は己の眷獣を呼んだ。それだけで、虎徹は主人の意図を悟る。


「任せろ、ご主人!」


 主人の支える霊装を、虎徹も握る。眷獣(サーヴァント)の魔力が、魔女の杖に注ぎ込まれる。

 ひびの入りかけていた氷の盾が、即座に修復・強化されていく。

 氷は水が固体化したもの。そして電撃の熱によって溶かされた氷は水となり、電気分解によって水素と酸素に分かれる。そこに、氷の防御壁と電撃が相克して散った火花が加われば……

 ひと際巨大な爆発が、廃工場を襲う。壁が弾け、コンクリートがめくれ上がり、鉄骨が崩落していく。

 だが、白い防音板は無事だ。敷地の外にも、被害らしい被害は出ていない。

 電撃と水素爆発によって、崩壊した廃工場には焦げた臭いが充満していた。

 ぜえ、はあ、と沙夜の荒い息遣いが響く。だが、その姿勢はしっかりとして、余力を感じさせる。

 一方の少女は喘鳴のような息をして、肌は血を失ったかのように真っ青だ。そして、全身に脂汗をかいている。


「厄介な」


 沙夜は毒づいた。自滅も辞さないような攻撃。これでは、この少女を捕縛するのは難しい。だが、殺してしまうことも、沙夜には出来なかった。

 それは別に、良心や祓魔官としての職務の遵守というものから出た感情ではない。ただ、沙夜自身が、この少女を殺してしまうことに躊躇いを覚えているだけなのだ。

 その意味では自分はこの馬鹿犬を嗤えないな、と彼女は内心で自嘲した。どこか、少女と自分の子供時代を重ねてしまっているのかもしれない。

 だが、今は感傷に浸っている時ではない。

 さてどうするか、と沙夜はラーズグリーズを見据えながら思った。


「ご主人!」


 不意に、警告するように虎徹が叫ぶ。直後、彼は沙夜の背後に唐突に表れた異形の魔獣をその鋭い爪で引き裂いた。


「ふむ、ラーズグリーズの鹵獲は困るな」


 男の声が、倒壊した工場の奥から響く。びくり、と白い少女は怯えたような顔を背後に現れた男に向ける。


「これは私の魔導技術で生み出したものだ。そう簡単に、製造法を暴かれては困るのでな」


 くすんだ金髪をオールバックでまとめた、神経質そうな顔立ちの男。どことなく、厳しい大学教授を連想させる風貌の人物であった。

 その周囲には、彼を守るように異形の魔物たちが取り巻いている。


「ご主人。あいつら、生きた匂いがしないのだ」


 魔物たちを見て、虎徹が愕然としたように言う。


「なるほど、死霊術(ネクロマンシー)といったところか」


 得心がいったように、沙夜は頷いた。


「オマエが、こいつの主人なのか?」


 憤りを隠しきれない険しい口調で、虎徹が問うた。そんな犬耳の少年を、現れた男は不思議そうに見遣る。


「ああ、お前は私を覚えていないのか。まあ、狂化の呪いを掛けた以上、当然ではあるか」


 そして、特に失望した様子も見せず、独りごちる。その言葉を聞いた沙夜は、この男の正体を悟った。


「貴様が、ヴォルフラム・ミュラーか?」


「ふむ、人のお下がりを眷獣(サーヴァント)にして悦に入る気分はどうだね、サヤ・トオノ?」


 だが、ミュラーは特に慌てた様子も見せず、自らの正体を肯定するような言葉を述べる。


「ああ、別にそこの魔犬を取り戻しに来たわけではないので安心したまえ。それは私にとっての失敗作でね。君に引き取られて何か変わったかと思って、少し観察させてもらったのだが、今更私の興味を引くような変化はなかったようだ」


 余裕すら感じさせる口調。それが、沙夜の不快感を煽る。


「のこのこと私と馬鹿犬の前に現れて、随分と余裕ではないか」


「ご主人、あいつ、何か匂いが変なのだ。人間だけど、そっちのソイツと同じような匂いも混じっているのだ」


 虎徹が「ソイツ」と指差したのは、ラーズグリーズ。


「なるほど」忌々し気に、沙夜は舌打ちした。「今ここにいる貴様は、本人のコピー品、本人そっくりの人造人間(ホムンクルス)というわけか」


「だとしても、君に劣るとは限らんよ」


 ミュラーは指を鳴らし、屍鬼と化した魔物たちをさらに召喚する。


「ふん、有象無象をいくら集めたとこで、馬鹿犬の相手にはなるまい」


 沙夜は異形とミュラーに対して、杖を構える。虎徹もまた、一瞬だけ少女を案じるような視線を向けた後、敵意と共にミュラーを睨みつけた。


「私は、君たちの相手が私とラーズグリーズ、そして我が使い魔たちだけだとは言っておらんよ」


 皮肉げに、ミュラーは唇を歪めた。その口調には、自身の優位を確信している響きがあった。

 一瞬、怪訝そうな顔になる沙夜。だが、すぐにその身を彼女は悟った。

 大気中の霊子の流れが、揺らいだ。まるで、静かな水面(みなも)に石を投げ込んだかのような、唐突な揺らぎ。


「ご主人!」


 虎徹が焦ったように叫ぶ。彼は、南の方角を向いていた。その鋭敏な知覚は、霊子の突然の揺らぎの原因を把握しているのだろう。


「東京、か……」


 唸るように、沙夜は呟く。

 魔術師たる彼女もまた、東京で何か変事が起こったことを悟らざるを得なかった。

 戦闘シーンの難しさを痛感する回です。

 緊迫感と臨場感、そして疾走感のある戦闘シーンを描くには、どうしたらいいのか? 毎回模索しております。

 それにしても、戦っているのは虎徹とラーズグリーズばかりで、筆者の中で拙作最強の妖の一柱と位置付けている九尾の狐こと久遠が全然、戦闘に参加しないことに筆者自身歯がゆく思っています。

 一応、次話において久遠の式神としての能力の一端を示すシーンを入れてあります。

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