#3 それぞれの日常
ティレアはトボトボと帰っている。やっぱり魔法が使えない。学校に通っていながら魔法を使えないのはもはや自分だけだ。みんなはどうやって魔法を使っているのだろう?いつもそう思っているが、そんなことを考えも、答えが浮かぶはずがない。なんとか授業についていけるようにならなければ、最悪の場合退学になる。そんなことになったら、ただでさえ無理を言って負担をかけている両親がどんな顔をするか。考えただけで気が遠くなる。
(ああー。魔法が使えるようになりたいなー。)
ティレアの願いは切実だった。
ティレアの通う学校は、村にあるただ一つの教育の場だ。この学校に通うかどうかは家庭の事情や本人の希望に任されている。通っているからといって特別扱いされることは無く、一般に親が子供に魔法を教えられるほどの知識を持っていない場合や、子供が自主的に魔法を学びたい場合に利用される。この学校は十歳に入学し、二年の基礎学習と四年の発展学習を終えた後、十六歳で卒業することになっている。成績によっては、学校に留まって研究することを許される場合があるが、基本的には全員が何事もないように普段の生活に戻っていく。
特に資金もかからないため、家族に負担をかける、という言い方は正しくないかもしれないが、親はできない魔法をどれだけ勉強したところで無駄なのではないかと思い始めている。そしてその分妹に期待している。さらに妹はその期待をはるかに上回っているのだ。このままでは自分の立場が危ない。何とかして魔法を使えるようになりたい。そうしないと、自分はただの役立たずになってしまう。そんなのは嫌だ。だが、魔法の知識ばかりが身について、肝心の魔法そのものをどうしても使えない。
(あれ、もうこんな所に来てたんだ…。)
考え事をしていると時間が過ぎるのが速い。いつの間にか家のすぐそばにある小さな空き地に着いていた。空き地と言っても、特に所有者がいるわけではないので、明るいうちは子供達が走り回って遊んでいる。だが、学校が終わる頃になると、子供達は家に帰ってしまい、空き地はガランとしていて物悲しい。学校の帰りにここに寄って考え事をしてから家に帰るのがティレアの日課だった。
地面に腰を下ろす。薄く雪の積もった地面はひんやりとしていて心地いい。カバンから今日行われた試験の用紙を出す。呪文の知識、魔力の知識、基礎的な魔法の知識、どの試験もほぼ満点。先生たちは、筆記試験においてはティレアが一番だと言っている。それは嬉しいことだ。だが、実技試験において、ティレアほどできの悪い生徒はいない。ティレアは教科書に書かれている魔法がまったく使えず、製作の才能も無いのだ。ここまでくると、どんな慰めの言葉も意味を持たない。ティレアは先生、同級生、両親からほとんど期待されていないのだ。妹の励ましだけを頼りに生活しているようなものだった。
(学校をやめさせられたら、何をしていけばいいんだろう。何か仕事をしないと、生活していけない…。)
両親はそれぞれ得意分野を活かした仕事についている。父は探知の魔法を使って狩りをしているし、母は、豊富な知識を活かし、魔法研究者の助手をしている。この前も遠く離れた人と会話をするための魔法を開発すると言って意気込んでいた。自分もいつかそんな生活をする日が来る。その時、自分が何をしているのか、まったく想像できなかった。
(なんで私にはこんなに才能がないんだろう…。簡単な魔法ならみんな使えるのに、私はどれも使えない。いつまでたっても落ちこぼれ。知識なんかあっても、魔法が使えないなら何の意味もない。)
本当は分かっている。きっと自分は、これから先も魔法を使えるようになることは無い。ここまで勉強して無理なら、おそらくは無理なのだ。
「ねえ、聞いてよポポ。今日はね、試験があったんだ。」
ティレアはおもむろに話しだす。しかし空き地には誰もいない。話す相手も、その様子を見る者も、誰も。それでも彼女は話す。きっと誰かが聞いていてくれると分かっているからだ。
「聞いてる?フィラ、ミルルも。私ね、今日も学校で一番だったんだよ。でも…」
ティレアはうつむく。
「やっぱりできないんだ。魔法がさ。みんなできてて、できないのは私だけ。いつまで続くのかなぁ。こんな状況…。」
悔しくなって涙が溢れてくる。もう耐えられない。やめてしまいたい。そう思う。すると、そっと肩に何かが乗ったのが分かった。
(ああ、今日も来てくれたんだ。私の、トモダチ…。)
その気配を感じるといつも安心する。いつの間にか涙も乾いていた。そっと振り返ってその姿を確認する。そこには三匹、何かよく分からない生き物がいた。外見は人間のようだ。とんがり帽子をかぶっていて、フワフワと宙に浮いている。それを人間だと言い切れないのは、その姿があまりにも小さく、よくできた人形のようだったからだ。肩に乗っていたのは、そのうちの一匹だった。
「ありがとう。今日も来てくれたんだね。」
ティレアは声をかける。緑の帽子がポポ。赤い帽子がフィラ。青の帽子がミルルだ。彼らはいつもティレアのそばにいてくれる。両親よりも妹よりも長い間、ティレアを見守ってくれているのだ。普段は目に見えないが、今のように話しかけるとその姿を見せてくれる。他に友達のいないティレアは、いつもそばにいてくれる安心感から、彼らを総称してトモダチと呼んでいた。
ティレアは、この存在は自分にしか分からないのだということをよく分かっていた。トモダチはティレアが物心ついた頃から存在した。だが、家族には彼らは見えないようで、トモダチがうっかり物を落としたり壊したりするといつもティレアがやったと思われて叱られたのだ。家族にそのことを話しても、想像力のある子だと思われるだけで信じてもらえない。だから、ティレアはその存在を隠した。もし誰かに見つかったら捕まえられてしまうのかもしれない。もし見つからなくても、子供が相手もいないのに一人で話している様子は不気味だろう。ティレアは幼い頃から他人の視線に敏感だった。その頃から、ティレアは誰もいない場所でトモダチを呼び出し、その日あったことを話したり、一緒に遊んだりするようになった。だが、本当は人間の友達もほしいというのが本音だった。
「どうやったら、私も魔法が使えるのかな…?」
最近は、トモダチを呼び出すたびにこのことを尋ねている。だが、彼らは言葉を話すことができない。そのため、いつもは困った顔をして首をかしげることしかできないのだが、今回は違った。フィラとミルルがティレアの目の前に移動してお互いに向き合うと、フィラがその小さな両腕をいっぱいに広げて、その体の大きさと同じような小さい火の玉を作り出した。
(えっ?この子たちって、魔法を使えるんだ⁉︎知らなかった…。)
ティレアが驚いて見ていると、フィラがその玉を目の前のミルルに投げつけた。危ない、と思ってティレアは思わず目を閉じかけたが、ミルルは自分の周りに結界を張って身を守った。ポポが何か言いたげな目線でティレアを見ている。ティレアは驚きと感激で立ち上がって言った。
「す、すごいね…!もっと見せて!私にも教えてよ!」
そう言ってから、自分が大声を出してしまったことに気づき、ティレアは顔を真っ赤にして呟いた。
「あ…でも、やっぱりまた今度にして…。」
トモダチは残念そうな顔をして姿を消した。残されたティレアは誰にも見られていないことを願いながら小走りで家に帰った。
家に入ると、服が濡れているのを見た母が、寄り道していたんでしょ、と小言を言っている。それはいつもと変わらない光景だったが、胸の中は今までにないほど興奮していた。
(もしかしたら、今度こそ私も魔法が使えるようになるかも…!)
とにかくそれが気になって仕方なかった。夜、そっと起きて、村のはずれでトモダチを呼んでみよう。彼らは言葉を持たないけど、きっといろんなことを教えてくれるに違いなかった。久しぶりに楽しくなりそうだ。
ーーーーーー
セクエは何度目かの寝返りをうった。どうしても眠れない。寝ようとして目を閉じるのだが、すぐに目を開けてしまう。こういう時は無理に寝ようとしても眠れない。仕方ないので、セクエは起き上がって暇つぶしをすることにした。
(と言っても、こんな夜遅くにすることなんて、水を飲むくらいしかないよね…。)
仕方ない。外に出て少し魔法でも使ってみよう。少し疲れれば眠くなるかもしれない。セクエは思い立ったらすぐに動いた。壁にすり抜けの魔法を使い、音を立てないようにして部屋から抜け出す。この魔法はもうすっかり使い慣れていた。思えば、セクエは出入り口を使ったことがない。普通に考えれば、誰かが見ていれば犯罪として利用されそうな行為だが、賢者の館は壁全体を結界魔法で覆っているので、解除の力がなければセクエと同じことはできない。これはセクエにしかできない行為なのだ。
外に出る。まだちらちらと雪が降っていて、当然のように寒い。セクエは人気の無い村のはずれの林まで飛んでいくと、地面に腰を下ろして考えた。
(さて、何をしよう?ここは村の近くだから、あんまり目立つことはできないし…。)
空を見上げる。わずかに途切れた雲の間から、線を引いたように細い月が見えた。
「月、か。」
セクエは立ち上がる。光魔法の練習をしていた時、思いついた魔法があった。月の光を集め、そこに魔力を込めるのだ。それが太陽なら強烈な光と熱が生まれる。だが、光が弱く、熱を持たない月の光ならどうなるのか?この際、確かめてみるのもいいかもしれない。呪文はもう分かっているのだから。
「ライラ・フィオウラ。」
誰かに聞かれたくないので、小さな声で呟くように唱える。すると、あたりに降り注ぐ月の光がセクエの周りに集まり、辺りが薄暗くなった。だが、それだけで何も起こらない。
(やっぱり月の光じゃ何も起こらないかな…?)
少しがっかりして再び腰を下ろした。集まった光が照明のようにセクエを照らしている。セクエは目を閉じて、風に吹かれ、雪をかぶりながらじっとしていた。その様子は、長く白い髪のせいもあって、雪の中に溶け込んでいるように見えた。手足が冷える。だが、セクエはそれでもまだぼんやりとしていた。月が再び雲に隠れ、辺りはほとんど何も見えなくなる。木の枝から雪が落ちる音が遠くから聞こえた。
いろいろなことがあった。まだセクエはそのことの整理がついていない。あの世界から生き残った。そして故郷に帰ってきた。それだけは確かだ。メトの支配に逆らい、普通の生活を手に入れた。幼馴染のバリューガも一緒だ。少なくとも、死ぬことが決められていたあの頃よりは、今は幸せと言えるのだろう。
だが、失った物も多かった。メトから作り出されたという点においては兄妹とも言えたナダレを失ってしまった。何か大切なものが消えてしまったようで寂しい。他にやり方は無かったのかと何度も自分に問いかけては後悔している。メトも死んだ。自分の体の中で生きていると言えば確かにその通りだが、この体にはもうメトの魂は宿っていない。ここに存在するのはセクエという少女一人だけなのだ。いわば魂の父とも呼べる人をセクエは自分の手で殺した。
自分はこれから、どうなってしまうのだろう。メトは、いずれ自分が全てを滅ぼすと言っていた。実際、セクエは日を追うごとに自分の魔力が大きくなっていることに気づいていた。そしてたまに、自分でも抑えられないほどの衝動にかられることがあった。形あるものを、バラバラに、粉々に壊してしまいたいという欲求だ。今は、その衝動が人や動物に向くことはないし、なんとかこらえきれている。だが、やがて耐えられなくなる時が来るだろう。人を殺したいと心から思う時が来るだろう。そうなった時、自分はどうなってしまうのだろう。あの時と同じように、自分の死を望めるだろうか。それとも、その衝動に逆らえずに、破壊者になってしまうのだろうか。そして、そうなった時、自分の周りの人間はどう動くのだろう…。
(こんな事になるなら、魔法の力なんていらなかったのに…。)
どうして自分だけがこんなにも大きな力を持ってしまったのだろう。逃れられない運命だと分かっていながらも、内心では逃げだしたくてしかたない。周りに迷惑なんてかけたくない。でも、みんなのそばにいたい。できる限り力になりたい。そんな矛盾する思いの中でセクエは揺れていた。
(どうした方が、みんなにとって良いんだろう…。)
でも、直接尋ねることなんてできない。そんなことをしたら、みんなは自分に気を使ってなんともないふりをするだろうから。だが、そんなことをしなくても、セクエは相手の思いを読み取ることができる。読心術を使えるからだ。それを使ったほうが良いのだろうか…。
(そんなこと、できるわけない。)
読心術は制御が難しい。自分の知りたいことだけを読み取ることは不可能だ。もし、自分の知りたくなかったことを知ってしまったら…いや、そうでなくても、直接尋ねる勇気が無いだけで相手の心を覗くような卑怯なことはしたくない。
(どうすればいいんだろう…。)
雲が途切れ、辺りは再び青白い光に包まれた。その光を反射して雪がキラキラと光った。
「あれ?」
何かおかしい。雪はまだ積もったばかりで、柔らかいはずだ。なのに、どうして光をこんなに反射できるんだろう?そっと手を伸ばし、雪に触れる。それはもはや氷と言えるほど硬く、滑らかだった。そう考えてみると、降る雪さえも、なんだかあられに変わっているような気がする。心当たりは一つだけだ。
(まさか…月の光が?)
それしか考えられない。
(そっか…太陽が熱なら月は冷気。反対なんだ。)
今夜は月が細いから光を集められず、効果が出にくかったようだ。だが、もし満月だったら、空気中の水分まで凍りついていたかもしれない。セクエはすぐに魔法を解き、光を集めるのをやめた。空からはまたふわふわとした雪が降り始める。セクエは立ち上がる。さすがに体が冷えた。部屋のベッドに潜りたい。浮遊魔法を使おうと魔力を集中させた時、自分の真後ろから魔力を感じて、セクエは慌てて振り返った。月がまた雲に隠れ、辺りは暗くなり何も見えない。だが、人がいないことだけは気配で分かる。
(誰もいないなら、この魔力はどこから…?)
セクエは警戒した。目の前にあって、睨みつけていたはずの魔力はいつの間にかセクエを取り囲んでおり、どこから襲われてもおかしくない状況だった。本来なら、逃げ出すのが普通だが、小さい頃からヘレネやメトといった人たちを相手にしてきたため、自然と体が戦闘の体勢をとってしまう。魔力はまだじわじわと広がっており、セクエの頭上、さらには地面を潜って下まで囲もうとしていた。
(これじゃ、逃げられなくなる…!)
セクエはこの魔力の一部だけでも破壊しようと魔力を集中させた。しかし、その瞬間、首の後ろを何か硬いもので強く殴られたような衝撃が走り、目の前が一瞬真っ白になった。気づくと自分は地面に倒れていた。周りの魔力からはっきりと敵意を感じる。それらが自分に襲いかかってくる直前に、セクエは結界魔法で自分の周りを覆った。結界に何かがぶつかる衝撃が伝わってくる。セクエは結界の中から周りを確認するが、やはり周りには誰もいない。一体この魔力はどこからきているのだろう。すると、今度は地面から魔力が盛り上がってくるのを感じた。
(忘れてた…!)
そういえば、魔力は下からも来ていた。そのことをすっかり忘れていたのだ。魔力は見えない触手のようにセクエを絡め取って地面に縛り付けた。すぐにセクエは雪を氷の塊に変え、触手に叩きつけて壊すと、すぐに結界を消して立ち上がり、村の方に向かって走った。本当なら飛んで行くほうが速いのだが、混乱していてそれどころではなかった。魔力はセクエをしつこく追いかけ、なかなか振り切れない。ふと、何かが動いたような気がして、立ち止まると、ミシミシと音を立てて木が倒れてきた。
「うそ…何で…。」
逃げなくては、と思うが、恐怖で体が動かなかった。少し動いた時にはすでに遅く、倒れた木に足を挟まれてしまっていた。痛みに悲鳴を上げそうになるが、それをなんとかこらえ、次の攻撃にそなえて結界を張った。明らかにおかしい。どうして自分は攻撃されているんだ?相手は何なんだ?
(とりあえず、この木をどかさないと…。)
だが、その木がなかなか大きく、しかも片足を挟まれているので、うまくどかせない。身動きもうまく取れないままもがいていると、何だか腹が立ってきた。
(こんなもの、燃やしてしまえば…。)
燃やせば、何も残らず、自分は自由に動けるようになる。いや、いっそこの林ごと燃やせば、あのわけのわからない魔力の本体も倒せるかもしれない…。
(駄目!そんなこと…したら駄目だ。)
セクエは目を強く閉じて自分が考えていた恐ろしい想像を消そうとした。だが、一度浮かんだ考えはそう簡単に消えてくれない。まぶたの裏に赤く燃える木々が見えた。炎はごうごうと燃え上がり、あっという間に林を飲み込んでしまう。
(駄目だよ…。こんなことできるわけない。そもそも、そんなことをしたら、村に火が…!)
ーそれでもいいじゃないー
ハッとする。今のは誰の声でもない。自分自身の声だ。
ー何もかも燃やしてしまえば、きっとすっきりする。このありあまる魔力を使うことができる。それがどれほど心地いいか、大会で戦った時に気づいたはず。この林を燃やせば、きっと、とても楽になる…ー
体の中で、魔力がぐっと大きくなる。心だけじゃない。体までが、魔法を使いたがっている。燃やしたがっている。
(いや…嫌だ。そんなことしたくない。そんなことするくらいだったら、楽になんてならなくたっていい!)
ーメトだって言っていたじゃない。いつか自分は人間を滅ぼすって。それが今なんだ。もうこの体は魔法を使わずには生きていけない。人を傷つけずには生きていけないんだ…ー
セクエは頭の中で響き続ける声を無視し続けた。いつもと同じなら、だんだん声が聞こえなくなって、普通の状態に戻るはずだ。だが、今回はしつこかった。セクエは耐えられなくなって、地面に手をついたまま手を強く握った。一緒に雪と土を握ることになってしまったが、その冷たさが嬉しかった。頭の中で燃え上がる炎の熱を少しでも感じずにいられたからだ。だが、それでも声は止まない。セクエはやがて、半ば諦めるようにこう思った。
(少しだけなら、良いかもしれない。)
さすがに林には火はつけたくない。だが、魔法を使って少しでも魔力を減らすことができれば、落ち着くかもしれない。セクエは目を開け、魔力を集中させた。
「セクエ?」
声が聞こえた気がして、セクエは魔力の集中をうまくできなかった。
(誰…?)
驚いて周りを見渡すと、そこにいたのはバリューガだった。その姿を見たとたん、自分の中で大きくなっていた魔力がまるで嘘のように小さくなって落ち着いた。
「おい、大丈夫か!」
自分が足を挟まれていることに気づいたのだろう。バリューガが慌てた様子で近づいてきた。結界を張っていたはずだったのだが、混乱していたせいでうまく張れていなかったようだ。
「なんで、ここにいるの…?」
思わず尋ねると、バリューガは答えた。
「よく考えろよ。部屋、隣だぞ?おまえの部屋がガサガサうるさくて、とても寝れやしなかった。」
どうやら、寝返りをうった時の音が聞こえていたようだ。
「それで、ようやく静かになって、ちょっと部屋を覗いたら、いなかったじゃねえか。なんか嫌な予感がして追いかけてきてみたらこの有り様だ。ったく、木が倒れて挟まれた程度で泣いてんじゃねえよ。」
(あれ、私、泣いてる…?)
気づかなかった。なんだか情けない。バリューガは仕方なさそうに足に乗っていた木をどかす。なぜ自分でどかせなかったのかと思うほど簡単にどかしてしまうのを見て恥ずかしくなる。
「立てるか?」
「うん。大丈夫。」
セクエは立ち上がる。雪が衝撃を吸収してくれていたようで、足は少し痛かったが普通に動いた。一人で立って帰ることもできたが、セクエはどうしても不安になってバリューガに言った。
「…手。」
「うん?」
「手…握ってても、いい?」
くだらないと思う。普通に聞いたら、ただ怯えているだけに聞こえるだろう。バリューガは無言で手を差し出した。セクエはその手をそっと握った。体の魔力が落ち着いていく。よく似た魔力を持つ二人は、お互いの魔力を近づけることで安定させることができるのだ。本来なら、双子などで極めて魔力が似ている場合のみに現れる現象らしいが、二人ともメトの魔力を持っているため、こうして安定させることができる。特に、お互いの体が触れ合っている時は、魔力だけでなく気分も落ち着いてくるようだから不思議だ。
(私は、本当に人を傷つけないと生きていけないのかもしれないけど、それ以前に、バリューガがいなかったら、生きていけないんだろうな…。)
バリューガも魔力が安定したようで、目を閉じてフーッと息を吐きだした。
(本当は、バリューガだって苦しいのかもしれない。)
「ねえ、バリューガ。」
セクエは歩きながら尋ねる。手はまだ繋いだままだ。
「なんだよ。」
「抜き取ってあげようか?…魔力。」
きっと辛いだろうから、苦しいだろうから、それなら、抜き取ってしまった方がいいのかもしれない。そう思っていた。だが、バリューガはこう答えた。
「おまえさ、何かあったなら、そんな回りくどい言い方しないで直接言ったらどうだ?」
セクエはこの反応に少し驚いた。だが、その反応にどこか安心もしていた。
「バリューガには、嘘はつけないね。」
「当たり前だ。」
「…最近、魔力が大きくなってるんだ。」
「ああ、それは賢者さんも言ってたな。長く生きるほど魔力は大きくなるって。」
「そうなんだけど…その、なんていうか…」
セクエは言葉に詰まった。本当のことを言ってもいいのだろうか。いつ人を襲うか分からない危険な状態であることを伝えたら、嫌われてしまうのではないか。バリューガは、そんなセクエの思いに気づいているのかいないのか、ただ黙って聞いていた。
「また…抑えられなくなるかもしれない。あの時と同じように、いきなり襲いかかるかもしれない。そうなったら、魔力が私と似てるから、何か影響が出るんじゃないかと思って…。」
「それは無いな。」
「でも…」
「あのなぁ、いくらオレが魔法を使えないからって、ずっとこの村にいたら魔法とか魔力とか、だんだん分かってくるんだよ。おまえがもし仮に暴れ出したとしても、オレには何も起こらない。魔法が使えないんだから。そうだろ?」
「そう、だけど…」
「それに、もしオレから魔力が無くなっちまったら、こうしておまえを落ち着かせることも、暴れた時に止めてやることもできないだろ?だからこのままで良いんだよ。面倒なこと考えるな。オレは別に、死ぬほど苦しいってわけじゃないんだからさ。」
「そう…。」
死ぬほどじゃない、ということは、やはり少しは苦しいのだろう。申し訳なかった。セクエは何もしていないが、それでも、メトはセクエの親のようなものだ。どうして止められなかったのかと悔やしくてしかたがない。
「変なこと考えんなよ。オレは、この状況は嫌じゃない。オレは、おまえに助けられてばっかだったから、少しでも恩が返せるならそれで良いんだ。ま、恩とか言っても、結局は友達だけどな。」
バリューガが呟く。なんだか心を読まれてるようで不思議だった。
「ねえ、最近、暇?」
「は?」
いきなり話が飛んで何を言っているのか分からなくなったのだろう。バリューガは少し間抜けな声を出した。
「退屈してるかって言ったの。」
「えっと…まぁそうだな。特にすることもないし…。」
「じゃあ、今度いい物あげるよ。暇つぶしにはちょうど良いかもしれない。」
「いい物って?」
「魔道具。それ以上は教えない。」
「へえ、そいつは楽しみだな。」
いつの間にか二人は賢者の館の入り口まで来ていた。ここを初めて通るセクエはバリューガに引っ張られるようにしてなんとか自分の部屋に戻った。さすがに眠い。セクエは横になるとすぐに寝息を立て始めた。襲ってきた魔力が何だったのかということは、すっかり頭から抜けていた。
ーーーーーー
ふあぁ、とあくびをして、ティレアは目を覚ました。まだ眠い。さすがに昨日は夜更かしをしすぎた。あと五分だけ、と思うが、それをすると五分ではすまなくなることはよく分かっているので、眠気をこらえてなんとか立ち上がる。うーんと伸びして両手で頬を叩くと、眠気が消えた。また眠くなる前に朝の支度をしてしまおう。布団をたたみ、部屋の隅に移動させると部屋から出て顔を洗った。冷たい水が何度も顔にかかる。それを繰り返している間に眠気は完全にどこかへ行ってしまった。
(それにしても、昨日はひどかったな…。)
トモダチから魔法を教えてもらおうと眠い目をこすって家を出たのはいいが、トモダチは呼び出しても現れなかったのだ。気配すら無かった。
(やっぱり、魔法は自力で使えるようになれってことなのかな…?)
そう思うと、やはり落ち込んでしまう。だが、落ち込んでいると家族に怪しまれるため、それを表に出すことはできない。
(みんなにも私のトモダチが見えていたらいいのに…。)
そうだったなら、きっともっと友達ができていたかもしれない。トモダチについて色々と話ができたかもしれない。ティレアは、トモダチの正体か何なのか分かっていないのだ。
(人間の形をしてて、魔法も使えて、だけど明らかに人間じゃない。彼らは何なんだろう。そういう動物なのかな?)
そんなことを考えてぼうっとしていると、居間から母の声が聞こえた。朝ごはんの時間だ。今日は学校が休みなので、急ぐ必要はないのだが、母は少しせっかちで、遅れるとうるさい小言を聞くことになる。小走りで居間へ向かうと、もうすでにご飯の準備ができていた。父もヤーウィもまだ寝ている。毎朝母と二人でご飯を食べ、その後に起きた父とヤーウィが食べる。この家ではそういうことになっていた。
「いつもありがとう。」
そう軽く声をかけてから食べ始める。美味しいことは間違いない。だが、悩みというものは、人から匂いや音、味を奪ってしまうようで、学校について不安があるティレアはどうにも味や風味を感じなかった。
「そんな暗い顔して食べてると、ご飯が不味くなるわよ。」
「暗い顔なんてしてないよ。」
なんとかごまかして急いで食べ終えると、自分の皿を洗う。その様子を見ながら母は言った。
「春が来たら、ティレアも発展学習の学年になるのね…。」
やけにしみじみと言う。ティレアは何も答えられない。魔法がまだ使えないティレアは、学校や勉強のことを家族に話したことはなかった。
「あのね、こんな話をしたくないって、お母さんは分かってるけど、でも、とても大事な話なの。聞いてくれる?」
これにもティレアは答えない。どんな答えをしたところで、母は勝手に話し始めるからだ。
「ティレア、魔法は…使える?」
「ううん…できないよ。」
ティレアは暗い声で答えた。親に申し訳なかった。自分にもっと才能があればいいのに…。
「あのね、来年は、発展学習で、自分でどの授業を受けるか決めないといけないでしょう?それぞれの科目で、試験があるって聞いたんだけど…」
学校の二年間の基礎学習は、一般的な魔法や呪文の知識を学ぶ。だが、発展学習では、火や風など自然の力を学ぶ自然魔法科、傷の治療や応急手当てについて学ぶ回復魔法科、幻覚などの魔法を学ぶ催眠魔法科など、様々な分野に分かれて学ぶ。それぞれの科目で試験があり、その試験は筆記試験のほかに実技試験もある。筆記はともかく、実技が苦手なティレアにはおそらく合格はできない。
「もし、雪が溶ける頃になっても魔法が使えなかったら…学校をやめることも考えてくれない?」
ティレアは手を止めた。なんとなく分かってはいたが、はっきりそう言われるとやはり悲しかった。
「学校ではうまくできなかったけど、そうしたら今度はお母さんやお父さんが教えてあげる。きっと、学校でのやり方はティレアには向いてなかったのよ。きっと、うまくできる方法があるはずだから…一緒に探しましょ。お母さんも、お父さんも、ティレアのことを応援してるから…ね?」
なんて返せばいいんだろう。本当ならその提案を受けるべきだろう。だが、家にいたくない。学校には魔法が下手な子も多くいるが、家には、全員が自分よりも優秀だ。父も、母も、そして妹も。そんな人に囲まれて生活するなんて、そんなのは苦しすぎて耐えられない。だが、このまま学校に生き続けたところで、はたして魔法を使えるようになるのだろうか。
「そう…」
ティレアは洗った皿をしまい、曖昧な返事をした。
「魔法を使えるようになれば、それでいいんだよね?私も、頑張るから。」
居間を出て外へ向かう。自分でも気づかない間に歯を食いしばっていた。とにかく一人になりたい。今日はもう、誰にも会いたくない。
(私が魔法を使えないから、お母さんは私のことを諦めたんだ。私は、結局役立たずでしかないんだ…!)
涙が溢れた。だが、立ち止まらなかったし、涙を拭うこともしなかった。ティレアは黙ったまま村のはずれへと駆けていった。
ーーーーーー
「うーん。」
朝が来た。目を開け、伸びをする。いい朝だ。
(いや、寝不足ぎみだから、いい朝っていうのも変なのか。)
バリューガはそんなことを思いながら窓から差し込む朝の光に目を細めた。昨夜は騒音で眠れなかった上にセクエを追いかけて林まで行ったから、起きた時間はいつもより遅いかもしれない。まあ、なんでもいいか。
ベッドから飛び起きるようにして起き上がり、立った姿勢でもう一度伸びをする。セクエの様子を覗いてやろうかとも思ったが、やめることにした。
(だって、魔道具くれるとか言ってたしな。セクエの魔力じゃないとオレは使えないから、きっと手作りなんだろうが、途中で見てもつまらない。どうせセクエのことだから、一晩夜更かししたくらいで体を壊したりはしないだろ。)
さて、今日も退屈だ。何をしようかと考えていると、アトケインが朝食を持ってきた。ありがたい限りだ。いつだったか、呼んでくれれば自分で食堂に行くからいい、と言ったことがあったが、まだ剣使いを警戒する人がいるからしばらくは駄目だ、と言い返された。それはそれで仕方ない。館からの出入りは自由なのだから、今はこれで満足しよう。朝食を食べ終えると、バリューガは自分で食器を食堂まで運んで片付ける。
(でも、食べるのは駄目で片付けるのはいいって、なんか変だよな。今度賢者さんにきいてみよう。)
部屋に戻ると、机の上に開いたまま置いてある本が目についた。魔法についての知識が何もないとさすがに生活しにくいだろうということで、アトケインがくれた本だった。学校で使われている教材らしい。さすがに子供向けとあって、内容が分かりやすい。小難しくて面倒なことが大嫌いなバリューガでも、この程度なら理解できる。昨日は読みかけのまま寝てしまったが、また読んでみようか。
『魔力とは、魔法の力の源である。その大きさは個人差が大きく、一般には遺伝しないと考えられている。魔力は血液に乗って身体中を回っており、魔法を使う時以外は体の外には出ない。また、魔力を持たない人間を魔法使いに対して剣使いと呼ぶ。』
そこまで読んだところで、バリューガは顔を上げた。この部分は繰り返して読んでいる。自分の魔力について、何か分かることがあるかもしれないと思っているからだ。だが、魔力についての表記はこれだけで、あとは魔法についての説明になっている。
(やっぱり、分からないよなぁ。剣使いに魔力を入れたらどうなるかなんて。)
前例が無いのだから仕方ない。そもそもここは魔法使いの村なのだ。剣使いについて詳しく調べるのには無理がある。なんだか読む気がしなくなってしまった。本を閉じ、さてどうしたものかと椅子の背もたれに寄りかかって天井を眺めると、コツコツと音がする。ふと窓を見ると、何人かの少年が窓を叩いていた。
「また来たのか?」
バリューガは窓を開けながら言った。この少年たちは最近剣使いに興味を持っているらしく、時々こうしてバリューガの部屋の窓を叩いては少し話をした後どこかへ行ってしまう。だが、バリューガにとっては最近のちょっとした楽しみになっていた。窓を開けると、少年が嬉しそうに笑うのが見えた。
「剣使いのにーちゃん!」
「だから、オレの名前は剣使いじゃなくてバリューガだって、何度言ったら覚えるんだよ。お前らだって、名前じゃなくて魔法使いって呼ばれたらイヤだろ?」
「にーちゃんだって僕らのこと、お前とかチビとか呼ぶくせに。」
「お前ら数が多いから、名前なんていちいち覚えてられねえんだよ。仕方ないだろ。」
「うわ!ずるーい!」
「ずるくなーい。」
一応言っておくと、バリューガはこの少年たちより少なくとも七年は長く生きている。それほどの年の差がありながらこんな子供のような会話になってしまうのは、やはりバリューガの性格のせいなのだろう。
「ところでさ、にーちゃん。」
「何だよ。」
「一緒に遊ぼうぜ!」
「は?」
驚いた。本当に驚いた。この子供たちがそんなことを考えていたとは。
「いいのかよ?この前オレがそう言ったら、親が危ないって言うから駄目って言ったろ?」
「今日は内緒で来たもんねー!」
「…大丈夫なのかよ?オレは責任取らないからな。」
「だいじょーぶ!いざとなったら、にーちゃんが遊びたいって言うから付き合ってあげたんだって言い訳するから!」
「それ、オレの責任になるよな?」
それじゃあ責任を取らないどころか全責任を背負わされるじゃないか。
(まあ、仕方ないか。こいつらまだ子供だし。)
それに、遊びに誘ってくれたのはこれが初めてだ。できればこの誘いを断りたくない。
「仕方ねえな。いま出るから、ちょっと待ってろ。」
窓を閉め、上着を着てから部屋を出る。外に出ると子供たちはすぐそこで待っていた。
「よし。じゃ、行くか。」
「え?どこに?」
「お前ら内緒で来たんだろ?だったら、村の中だと見つかっちまうだろうが。村の外か、人のいない所に行くんだよ。」
子供たちはしばらく呆然としていた。バリューガの言ったことの意味が分からなかったのか、それとも、そんな簡単なことを見落としていたのか、と感心しているのかもしれない。だが、そのうち一人が言った。
「俺、いいとこ知ってる!こっちだよ。」
そう言っていきなり走り出した。他の子供たちもそれに続いて走り出す。バリューガも子供たちを追って走り出した。着いたのはどうやら畑のようだ。だが、今は雪が積もっていてなにも育てられていない。広くて木も生えていないため、遊ぶのにはちょうどいいかもしれない。到着してから、バリューガはふと途中で誰にも合わなかったことに気づいた。運がいい。もし子供たちを追いかけているところを村の人に見られたら、どんな誤解を受けていたか分からない。そんなバリューガの安心を知らない少年たちはこれから何をするか相談を始めていた。
「何する?」
「にーちゃんと一緒にできるのが良いよね?」
「追いかけっこは?」
「そんなのつまらないよ。魔法の当て合いっこしようぜー。」
「あ、それ面白そう!」
「じゃあ決まりだね!」
一人がバリューガを見て声をかけた。
「にーちゃん、魔法の当て合いっこしようよ!」
「なんだよ、それ?」
「魔法をぶつけ合うんだ。なかなかまっすぐに飛ばなくて、意外と難しいんだよ。」
なるほど。魔力を投げつけ合うということか。つまり、彼らは自分が魔法を使える前提で話をしている。バリューガは少し息を吸ってから大きめの声で言った。
「お前らバカか!」
さっきまで自分のことを剣使いと呼んでおきながら、なんでこいつらは自分が魔法を使えないことを忘れているんだ。
「えー!」
「なんでー?」
そして自分が怒鳴った理由も分かっていないようだ。本当に疲れる。
「オレは魔法を使えないんだ!剣使いなんだから当然だろ?」
「じゃあ何するのさ?」
(うーん…そうきたか。魔法が使えなくてもできることで、こいつらも楽しめるような遊び…そうだな。)
「やっぱり…雪合戦?」
「ユキガッセン?」
何それ、と言いたげな顔だ。そうか、こいつらは雪合戦を知らないのか。やはり魔法使いと剣使いには文化の違いがあるのかもしれない。バリューガは地面に積もった雪を掴んで玉にした。当たっても痛くないように強くは握らない。
「雪合戦ってのはな、こうやって雪を握って玉にして、相手に当てる遊びだ。ま、魔法の当て合いっこを雪でやるようなもんだな。」
「あー、それなら分かるかも。」
「じゃあ、にーちゃんと勝負だよ!」
子供たちはそれぞれ散らばって雪玉を作り始めた。そして、まるで合わせたように一斉に雪玉をバリューガに向けて投げてきた。バリューガは一瞬驚いたが、子供たちは初めてやったからか、それとも力が弱いのか、玉はバリューガに当たる前に砕けたり地面に落ちたりしている。
「おいおい、そんなじゃ全然当たらないぜ?」
バリューガは試しにさっき作った雪玉を一人の少年に向かって投げてみた。玉はきれいな弧を描いて見事に少年の頭に当たった。
「いてっ、何すんだよにーちゃん!」
「当て合いなんだからオレが投げたっていいだろ?」
バリューガが大人気ない反論をする。
「にーちゃんすごい!頭に当てたよ!」
「まっすぐ飛んでったね。」
他の少年はバリューガが一発で当てたことを不思議に思っているようだ。そして、もっと近づいたら当たるのではないかという結論に達したようで、すぐ近くにいる子に向かって投げたり、それを走り回って避けたりし始めた。バリューガは、ようやく雪合戦らしくなってきたな、と思いながら自分抜きで遊び始めた少年たちを見ていた。
バリューガからすれば、雪合戦なんてものは学舎でさんざんやってきたので、どれほど楽しいとは思わない。だが、やはり大勢でワイワイと遊んでいる子供の姿は微笑ましい。
「怪我するほどにはやるなよ?」
軽く声をかけてから、バリューガは監視も兼ねてその様子を眺めていた。いつしか昼になり、少年たちはそれぞれの家へと帰っていく。
(さーて、オレも帰るか。)
と、館へと帰ろうとするバリューガの視界の端に、何かが映った。
(まだ誰かいるのか?)
見てみると、それは一人の少女だった。年頃はさっきの少年たちより少し低いくらいだろうか。家に帰ることも忘れて、何か慌てた様子で辺りを見渡している。
「どうかしたのか?」
声をかけると、少女は驚いてバリューガの方を見た。バリューガに気づいていなかったようだ。
「だれ?」
と言い返してから、何か納得した顔になり、言葉を取り消すようにこう言った。
「ああ、剣使いの…バリューガお兄ちゃんだね。」
(初めて子供から名前で呼ばれた…!)
そんなことに少しだけ感動していると、少女はバリューガに駆け寄って来て言った。
「今ね、お姉ちゃん探してるの。」
「いなくなっちまったのか?」
少女は少し困った顔をして答える。
「うん…。あのね、お姉ちゃん、きっとお母さんとお父さんから嫌われてるから、たまに、いなくなっちゃうことがあるの。こういうの、イエデって言うんだよね?」
「でも、探してるってことは、お前はお姉さんのこと好きなんだな。」
「うんっ!」
「じゃあ、一緒に探そうぜ?二人の方が早く見つかるだろ?」
「ううん。いいの。もうお昼だから。そろそろおうちに帰ってると思う。」
「そっか。じゃあ、気をつけて帰れよ。」
とりあえずそう言ってみたはいいが、自分で言っていながら何に気をつけるのかが分からない。そもそもここは村の中で、すぐそこに家が並んでいるのだから、迷うことすらありえないのだ。しかし、少女はしばらくたってもバリューガをじっと見つめていて、帰る気配が無い。
「まだ何かあるのか?」
心配になって声をかける。少女は迷ったように言った。
「あのね、こんな風にお話ししたの、初めてなの。」
こんな風に、とはどういうことだろうか。姉のことを心配してくれる人に初めて会ったということだろうか。少女はバリューガの顔を見上げたまま大きな声で言った。
「あたし、ヤーウィっていうんだ!ヤーウィはね、お母さんからすごいって言われるけどね、お姉ちゃんはもっと、もーっとすごいの!」
「へえ?どんな風に?」
「あのね、お姉ちゃんは、あんまり魔法が使えないし、みんなダメだって言うんだけど、でも、お姉ちゃんにはね、特別なお友達がいるの。」
「特別?」
特別とはなんだろう。それを知りたかったが、話はどんどん進んでいってしまった。
「そう!それとね、ヤーウィがヘビに噛まれた時、助けてくれたんだよ!だからね!ヤーウィはお姉ちゃんのこと大好きなんだ!」
ヤーウィはそれだけ言えて満足したらしく、またね、と手を振りながら帰って行った。バリューガは、しばらくヤーウィの言っていたことの意味を考えていた。
(友達がいるのって、結構普通だよな…。)
それは、はたしてすごいことなのだろうか。それから、蛇から助けられた、と言っていた。確かに女の子で蛇を相手にするのは勇気がいるだろうが、それでもすごいというほどではない気がする。
(実の妹からもそんなことしか言われないって、かわいそうだな…。)
さらに追い打ちをかけるように、魔法をあまり使えないという。バリューガだって、剣使いというだけでだいぶ肩身の狭い思いをしている。その少女が家出をする理由が何となく分かるような気がした。