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一人ぼっちの魔法使い  作者: 星野 葵
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#2 魔力祭

窓の外では雪が降っている。バリューガはそれを飽きることなく眺めていた。魔力によってではなく、自然に降る雪というものを、バリューガは知らなかったのだ。積もっている雪にはまだ足跡が一つもついていない。それは、ここがたまたま人通りの少ない所だからなのか、それともまだ早朝だからなのかは、バリューガには分からない。


思い切って窓を開けてみる。人に見られてはいけない気がして、今まで開けたことは一度しかなかったが、今は窓の外には誰もいなかった。開いた窓から、暖かい部屋の空気とは対照的な外の冷たい空気が入り込み、頬をなでる。そっと窓から手を出すと、雪はその上にひらひらと舞い降りてきて水へと変わった。


「バリューガ殿、入るぞ。」


ノックの音が聞こえて、アトケインが入ってきた。バリューガは慌てて窓を閉める。アトケインは顔をしかめていた。


「窓を開けていたのか?こんな寒い日に?」

「ああ、まあな。」


アトケインは少し怪しむように言った。


「そんなに降る雪が珍しかったのか?」

「別に。そんなじゃねえよ。」


実際にはその通りなのだが、それを認めてしまうと、子供扱いされそうでなんとなく嫌だった。バリューガは話題を変える。


「どうしたんだよ?何かあったのか?」

「私と一緒に祭を見に行かないかと誘いに来たんだ。ずっとここにいるのはさすがに飽きただろう?」

「えっ、外に出ていいのか?」


バリューガは思わずきき返した。この村に来てからおよそ一ヶ月、バリューガは一度も外に出たことがなかった。許されていなかったのだ。いきなり魔法使いと会えば混乱を招くだろうし、これは仕方のないことだと割り切っていたが、それでもいざ外へ出られるとなるとどうにも信じられない。


「そんなに驚くことか?祭の日にみんなにバリューガ殿を紹介しようというのはずいぶん前から決めていたんだ。そのために準備も進めていたんだぞ?」


アトケインは半ば呆れて言っている。


「準備…?ってことは、もう剣使いがいるってことはみんな知ってるのか?」

「ああ。全員に知らせてある。はじめは警戒している様子もあったが、今は一目でいいから剣使いを見てみたいと思っている人も少なくない。」

「へえ、そっか!そりゃあよかった!」


バリューガは嬉しすぎてついつい大声になってしまった。それを見てアトケインは言う。


「バリューガ殿は子供のように喜ぶんだな。言っておくが、今日は私のそばから離れないでくれ。一人でいると、あらぬ疑いをかけられるからな。それから。」


アトケインはバリューガに上着を差し出して言った。


「ちゃんと暖かい格好をしていてくれ。外はだいぶ寒いからな。外に出てすぐに風邪をひいたなんて知られたら、村中から笑われる。」

「おう!」


元気よく答えて、バリューガは服の上から上着を着た。部屋の中だと熱がこもって熱かったが、アトケインに連れられて外に出ると、むしろ寒いくらいだった。


「あれ?」


おかしい。村にはほとんど人の気配が無かった。今日は祭りじゃなかったのか?その思いを察したのか、アトケインが言った。


「祭は村の中ではなく、少し離れた広場で行われているんだ。ついて来てくれ。」


アトケインが歩き出す。バリューガはそれを追いかけた。バリューガはアトケインの横を歩きながら尋ねる。


「こんなに朝早くから祭をしてるのか?」

「いや、実を言うと、祭は昨日の夜から続いているんだ。」

「えっ!夜から?みんな寝てないのか?」


そんなことはない、とアトケインは笑って答えた。


「みんな寝たいときに寝るんだ。全員が同時に寝ることはないから、広場はいつでも賑やかだが、それでも、さすがに寝ないと体がもたない。」


そうだよな、と納得しながら、ふとセクエのことが気になった。


「あ、そういえば、セクエは?」


最近セクエを見かけていない。何をしているんだろう。


「悪いが、セクエ殿の名前は口にしないようにしてくれ。」

「なんで?何かあるのか?」

「こう言ってはなんだが、セクエ殿の名前はこの村では有名でな。名前を知ると怯える者もいるかもしれない。」


それを聞いてバリューガは顔をしかめる。セクエが何かしたのだろうか。


「セクエ殿は…犯罪者なんだ。」

「え、そんな…」


そんなはずない、と言おうとして、思い出したことがあった。


「ああ…母親のことか?」


アトケインは意外そうな顔をした。


「よく知ってるな?そうだ。セクエ殿は母親を殺した。」

「それは違う!セクエは守らなかっただけだ。メトがそう言ってた。自分の意思で殺したんじゃない。」

「それはつまり、見殺しにしたことと同じだろう?」


バリューガは言葉に詰まった。アトケインの言う通りだった。アトケインは暗い顔をして続けた。


「私だって、そんなこと信じたくはないさ。だが、それはまぎれもない事実だ。だから、セクエ殿には悪いが、しばらく名前は隠していた方がいい。その点においては、バリューガ殿よりも慎重に進めなければならない。」


アトケインの顔は真面目だった。それからふと元どおりの顔に戻って言う。


「彼女のことだったな?今頃は…そうだな、その辺で魔法の練習でもしてるんじゃないか?」

「なんで練習してるんだ?」

「言ってなかったか?彼女は私の代わりに魔法競技大会に出場することになっているんだ。一年の魔法の研究の成果を示せる場でもあるからな。村のみんなが楽しみにしているし、本人も気合が入っているようだ。」

「なんで賢者さんは出ないんだ?」


アトケインは困ったような顔をして言った。


「こう見えて、私は魔法が下手なんだ。魔力が多いといっても、必ずしも魔法が上手いとは限らない。」


バリューガはうんうんと頷いた。バリューガにだって魔力はあるが、魔法は使えない。それと似ているのだろう。


「さあ、そろそろ着くぞ。」


少し前の方に開けた空間が見えた。その辺り一帯は木が生えていない。木々の向こう側から賑やかな声が聞こえる。バリューガは思わず足を止めた。


「どうした?」

「いや…賑やかだなあって。」

「ああ、ここからだと声もよく聞こえるからな。」

「そうじゃなくてさ。何だろ、魔力…なのかな?それが、すごく元気だ。」


バリューガは呆然としながら言う。魔力からは感情も分かるのかと少し感心していた。


「そうか…私たちにとっては当然だから何も感じないが、あなたにはそんな風に感じられるのか。…行きたくなくなったか?」

「いいや。ちょっと驚いたから立ち止まったけど、むしろ早くあの中に入りたいくらいだ。」

「そうか。それは良かった!」


アトケインの後について広場に入った。すると、それを見つけた子供たちが駆け寄ってきた。


「賢者さま!」

「聞いてください!あっちですごいことやってるんですよ!」

「ボクの話も聞いてください!」


と、それぞれが勝手に話し出す。もう何を言っているのか分からないが、アトケインはそれには慣れているらしく、子供たちの頭をなでながら言った。


「そうかそうか。後で順番に見て回ろう。その時は案内を頼むぞ?」

「はーい!」


そこで、一人がバリューガに気づいて声をかけてきた。


「あれ?お兄ちゃん、誰?」

「ああ、オレはバリューガっていって…」

「バリューガ?ああ!賢者さまが言ってた剣使いのお兄ちゃんだね?」


バリューガが言い終わる前に子供が話す。さらに、その声に反応するように他の子供たちもバリューガについてあれこれ話しだした。


「えっ、剣使い?」

「お母さんが危ないヤツだって言ってたよ?」

「でも、賢者さまがいるから大丈夫だよ。」

「格好も僕たちと変わらないしね!」


その中の一人がバリューガの手を掴んで言った。


「ねえ、僕と一緒に見て回ろうよ!」


バリューガは驚いてその手を振り払った。まだ子供だったからか、魔力はそれほど大きくはなかったが、それでも掴まれた所が痺れたようにジーンと痛んだ。子供の前であるからには、あからさまに嫌がることはできないが、それでも子供の方は何かが分かったらしく、不安そうな顔をして声をかけてきた。


「お兄ちゃん…?」

「おっと、すまないな。彼は、魔力に敏感でね。魔力に触れると、驚いてしまうんだ。」


アトケインが言う。バリューガは触れられた恐怖で何も言えなかった。アトケインに申し訳なかったが、バリューガはうつむいてアトケインの声を聞くことしかできなかった。


「だから、イタズラでも、彼に触ったり、魔法をぶつけたりしないように気を付けてくれ。じゃあ、私は彼と一緒に見て回るから、君たちも家族の所に戻りなさい。」

「はーい。」

「分かりました!」


子供たちが走ってどこかへ行くと、アトケインが心配そうに声をかけた。


「すまないな。うっかりしていた。大丈夫か?」

「ああ。ちょっと痺れただけだから、別に平気だ。」

「少しでもおかしいと思ったら、遠慮せずにすぐに言ってくれ。気づかないうちに魔法に触れてしまうこともあるからな。」


バリューガは大丈夫だと答えて笑ってみせたが、アトケインの気遣いがありがたかった。


それから、二人は広場を見て回った。広場の中央には競技大会の会場になると思われる大きな円形の台があり、それを取り囲むように観客席があった。その周りには小屋やテントが並んでおり、それぞれの店で出し物をしたり食べ物や飲み物を売ったりしているようだ。バリューガはアトケインに連れられて出し物小屋を見ることになった。数人の魔法使いが現れる。その姿はやけに手が長かったり、髪が青かったりとどれも奇妙な人たちばかりだ。


「あれって、魔法なのか?」


バリューガは尋ねた。


「ああ。魔法で姿を変えているんだ。」

「変身してるってことか?」

「そうだな…変身という言い方は正しく言えば間違っている。彼らは幻覚魔法を使っているんだ。手足が長かったり、髪の色を変えているように『見せているだけ』で、実際に彼らの体が変わっているわけじゃない。」

「へえー。」


全員が出てくると、彼らは一列に並んでおじぎをした。芸が始まるのだ。彼らは泡の中に人を入れて浮かべてみせたり、空中で何度も宙返りをしてみせた。魔法が一般的に使われているこの村でも、このように娯楽のために魔法を使うことはあまりないらしい。見る人全員が顔を輝かせながら芸を見ていた。バリューガとしてはそのことが面白くて、どこを見ていても飽きなかった。


出し物が一通り終わって、バリューガがふと周りを見ると、アトケインがいない。


「あれ?賢者さん?」


思わず呟くと、バリューガのそばで同じように芸を見ていた人たちがバリューガを見た。中にはあれこれ話しだす人もいる。


(オレ、何かマズイことしたかな?)


自覚がない。わけが分からずに立っていると、一人の男が怒った表情で近づいてきた。


「おい!お前!そんなこと言って失礼だとは思わないのか!」


男が言う。だが、バリューガとしてはやはり何を言っているのかが分からない。


「賢者様をそんな呼び方で呼ぶなんて!これだから剣使いは嫌なんだ!」

「ち、ちょっと待ってくれ。オレはそんなつもりじゃ…」

「うるさいっ!俺たちの誇りに傷を付けやがって!恥を知れっ!」


バリューガの言うことを聞かず、男はバリューガに手を伸ばした。その手から魔力が放たれる。いきなりのことにバリューガは反応できず、避けられなかった。


耳障りな音を立ててズボンが破ける。魔力が肌に触れた瞬間、またバチッという何かが弾けるような音がして、すねに切られたような激痛が走った。バリューガは思わず顔を歪めたが、別にどうってことはない。締め付けられるような痛みより、体を切られるような痛みの方が慣れている。学舎では、魔力を使うという行為において、怪我をするのはほとんど当然だったからだ。


男は顔を真っ青にしていた。バリューガは申し訳なく思えて言った。


「…あんたらにとって、賢者ってそんなに大切なものだったんだな。次からは気をつけるから…ごめん。」


男は顔を真っ青にしたままだ。見かねた近くの人が男に言う。


「あなた、何やってるのよ?あの子、怪我しちゃったじゃないの!」


そう言われて、バリューガは足元を見る。確かに怪我していた。それも、かすり傷なんてものじゃない。痛みからは想像もできないほど大量の血が流れていて、ズボンと靴を真っ赤に染め上げていた。男が慌てて言う。


「わ、悪い!そんなに強くするつもりじゃなかったんだ!許してくれ!」

「大変!早く手当をしないと!」


いつの間にか人が集まっていて、そのうちの一人が治癒魔法を使おうとバリューガ近寄った。バリューガは思わず後ずさった。が、その人は止まってくれない。その人の手が傷口に触れようとした瞬間、鋭い声が響いた。


「駄目だっ!」


手が止まる。アトケインの声だった。


「回復魔法は使うな。触れるのも駄目だ。誰か、水と包帯、それから魔法薬以外の消毒薬を持ってくるんだ。急げ!」


アトケインが声をかける。それと同時に数人が村の方へ走って行った。


「大丈夫か?ひどい怪我だ。」

「こんなの平気さ。慣れてるから。」


アトケインが眉をひそめる。


「これほどの怪我に慣れているのか?」

「ああ、学舎じゃ、こんなの日常だった。魔法に失敗したらこんなじゃすまないこともあったんだ。別に平気だよ。」


平然と言うバリューガにアトケインをはじめとする他の人たちも驚いている。呆然とする人もいれば目を見開く人もいた。それは、剣使いであるバリューガが魔法を使うという言葉を言ったからかもしれない。


しばらくして水と包帯が届いた。魔法薬以外の消毒薬は無かったようだが、この程度の傷ならそんなものは無くても足りる。バリューガはすぐに水で傷口を洗って血を落とし、包帯をたたんで傷口に当てて、そこをさらに包帯で巻いて固定した。出血量と比べて痛みが少ないため、しばらくは痛みが無くても無理に動かすことはできないが、とりあえずはこれで大丈夫だろう。バリューガが立ち上がると、アトケインが声をかけた。


「もう、いいのか?」

「まあ、この程度の傷なら、これでもしばらくは大丈夫だろ。」

「手際がいいんだな。」

「そんなこと言われても…」


バリューガはこの程度の治療には慣れている。学舎では明らかにどうしようもない怪我以外は自分で手当てするのが普通だった。特に、バリューガは氷を操る器だった。動かし方を間違えて、しょっちゅう切り傷を作っていたものだから、自覚は無いが、かなり手際がよくなっていたようだ。


「あ、あの…」


声がした。振り向くと、あの男が立っている。もう他の人たちはどこかへ行ってしまって、辺りは何事もなかったように賑やかな雰囲気がただよっていた。


「ほ、本当にすいません!まさかそんなことになるなんて思わなくて…!」

「君は…」


アトケインが何か言おうとしたのを止めてバリューガは言った。


「気にすんなよ。この程度どうってことないから。」

「でも、あんなにたくさん血が出ていただろ?」

「オレは魔力が苦手なんだ。だからこんなことになったんだよ。別にあんたが悪いわけじゃない。そうだよな?賢者さん。」


アトケインはいきなり答えを求められて困ったのか、慌てた様子で頷いた。


「ほら、賢者さんだってこう言ってるし、オレも許してるんだから、それでいいだろ?それに…」


バリューガはとても怪我をしているとは思えない笑顔を見せて言った。


「そんなふうに思ってることを全部言ってくれる方が、オレは好きだからさ。」


ーーーーーー


魔力を集中させる。使う魔法をよく想像して魔力に命令する。


「フィオウラ!」


目の前がパッと光り、一瞬前が見えなくなる。セクエはふう、とため息をついた。


(そろそろ休まないと。魔力を使いすぎたら戦えない。)


セクエは地面に腰を下ろし、空を眺めた。この一カ月、セクエはほとんど休憩を取っていない。それでもなぜか体が疲れないのだ。それもすべて多すぎる魔力のせいだと思っているが、本当にそうかと言われると自信が無い。


(この魔力のせいで本当に化け物になってたらどうしよう…。)


最近は大会のことよりもそのことの方が気になって仕方がない。


「おーい!」


突然、元気な声が聞こえた。一瞬驚いたが、すぐに安心する。バリューガの声だったからだ。バリューガは息を切らしながらセクエに駆け寄ってきて言った。


「こんな所にいたのか!探してたんだ。」


セクエはバリューガを見た。その足を見て慌てて言う。


「どうしたの?その足。血が出てるけど…。」

「ああ、これか?」

「何かされたの?」


セクエは不安になって尋ねた。


「まさか!みんなと仲良くなってたところさ。」

「それが本当だといいけど。」

「心配すんなって!それより、コレやるよ。」


バリューガは紙袋を取り出してセクエに渡した。中には小さな焼き菓子が入っている。これはシェムトネでよく食べられている。小麦や木の実など、様々なものを好きなように混ぜ、それを好きな形にして焼く、自由なお菓子だ。そのため、味にはかなりの差があり、美味しいものもあればまずいものもある。


「賢者さんから買ってもらったんだ。すごくうまいぜ?食べきれないから、セクエにもやろうと思ってさ。」


バリューガは嬉しそうに言った。そんなに美味しいのだろうか?


「分かったよ。少し休んでから食べるから、そこに置いておいて。」

「分かった。じゃ、頑張れよ!」


バリューガは来た時と同じように走って広場へ戻っていった。セクエはよいしょと立ち上がり、紙袋からお菓子を一つ取り出して口に入れた。甘い。確かに美味しい。バリューガが食べさせたくなるのもわかる。噛んでみると、サクサクとした歯ごたえが心地よかった。それを飲み込む。だが、喉に何かがつかえた感じがしてうまく飲み込めない。それでも無理に飲み込もうとすると咳込んで吐き出してしまった。セクエはそんな自分に呆然としてしばらく動けなかった。


(大丈夫。きっと疲れてるから、そうなってるだけ。もしくは私自身がこの体に慣れてないから。きっとそのうちもとどおりになる。)


呪文のように頭の中でその言葉を繰り返してセクエはようやく立ち上がった。大会は昼からだ。そろそろ広場に向かわないと遅れてしまう。セクエは紙袋を抱えて広場に向かった。


ーーーーーー


セクエは会場に急ぐ。真昼まではまだ少し時間があるが、余裕があった方がいい。他の出場者の顔も見ておきたかった。息を切らしながら会場となる円形の台に着くと、すでに全員が集まっていた。出場者はセクエを含めて四人。男が二人、女が一人。どんな魔法を使うかまでは分からないが、出場するからには自信があるのだろう。威嚇するようにお互いの顔を睨みつけていた。


「おや、君。ここは今は関係者以外立入禁止ですよ。いくら楽しみだからって、決まりは守らないといけません。」


中の一人がセクエに気づいて言った。見ただけで研究に熱心なのが伝わってくる、学者風の男だ。セクエはその言い方に少しムッとして反論するように言った。


「私、出場するんだけど。」

「アッハハハ!馬鹿なんじゃないの?この子?」


女の甲高い声が聞こえた。長くまっすぐな黒髪が美しい女性だったが、口調からするとかなり気が強いようだ。セクエが言っていることを信じている様子はない。


「知らないなら教えてあげるけど、この大会は飛び入り参加はできないわよ?」


見下すように女は言う。そんなことくらいセクエだって分かっている。やはり子供だとそう思われても仕方ないのかもしれない。セクエが黙っていると、今まで黙っていた男がセクエに近づきながら言った。


「こんな小さな子供がね…。アトケイン様も何を考えておられるのか。」


見たところはおとなしそうな感じがする。だが、その体から溢れる魔力にどこか恐ろしいものを感じた。彼は強い。本能的にそう分かる。男はセクエの頭に手を置くと、セクエがかぶっていた帽子を取った。長く白い髪が帽子から溢れるようにして下に垂れた。


「なるほど、聞いていた通りの白い髪。子供の外見。君が賢者代理で間違い無いようだな。」

「あーら、こんな小さな子が?もっとすごい人が来ると思ってたわ。」


女が残念そうに言う。


「そうか?俺は別に楽しませてくれるなら誰が相手でも構わない。去年もその前も、賢者様じゃ相手にならなかったからな。アトケイン様は魔力は人並み以上にあるが、どうにも魔法がお上手でない。ま、せいぜい退屈させないように頑張ってくれ。」


男は帽子をセクエの頭の上にかるく乗せると、セクエから離れた。


(何なの?イヤな感じ。)


手加減なんて絶対にしない。そう心に決めた。


「おや、みんなもう集まっていたか。」


声がした方を見ると、アトケインがいた。バリューガは遠くの方で待っている。アトケインは四人の様子を確認すると言った。


「出場者は全員そろっているな?では、もう一度決まりを確認する。まず、浮遊魔法は使用禁止。それから、使える魔法は一系統のみ。対戦相手のどちらかが降参するか、台から落ちたら、その場で試合終了だ。」


アトケインは辺りを見渡しながら言う。


「そろそろ人も集まってきましたし、代理とペレイヤは準備してくれ、残りの二人は今は自由にしてくれて構わない。」


それを聞いて、男二人は観客席の方に移動した。アトケインがセクエに近づいて言う。


「一応言っておくが、油断はするな?彼らは村の中でも飛び抜けて優秀な人たちだ。精一杯やってくれ。じゃあ、期待している。」


それだけ言ってアトケインは去っていった。そっけないな、とも思ったが、公共の場ではあまり目立つ言動はできないのだろう。ペレイヤはその様子を見ていてやはり不思議そうな顔をしている。


「本当にあなたが賢者様の知り合いだったなんて。何だかいまだに信じられないわ。でも、いくらなんでも名前がないとやりづらいわね…。」

「髪の毛が白いから、シロ、とでも呼んでくれればそれでいいよ。」


ペレイヤはそれを聞いてからかうように言う。


「ふふん、シロちゃん?目上の人には敬語を使うのが礼儀なんじゃなあい?」


セクエは面倒な人と対戦することになったな、と思いながらそっけなく答えた。


「まだどっちが目上か決まってないでしょ。私より弱い人には、できるだけ敬語は使いたくないから。」

「まあ、自信満々なのね?」


これ以上話していると調子が悪くなりそうだ。セクエは台に上がった。ペレイヤもそれに続く。ペレイヤと十分に距離を置いてから、セクエはペレイヤと向き合った。


「さーて、それじゃあ始めましょ?私はペレイヤ。幻惑魔法を使うわ!」


そう言ったとたん、彼女の周りの景色がぐにゃりと曲がってよじれた。幻惑魔法は視覚、聴覚、触覚など、様々な感覚にはたらきかけ、幻聴や幻視などを起こさせる魔法だ。今見えているこの風景も幻視によって見せているのだろう。セクエもペレイヤにならって自己紹介した。


「私が使う魔法は…」


セクエは両手を広げ、手のひらの上に魔力を集中させる。命令を加えると、その魔力がまばゆいほどに光り輝いた。


「光魔法!」


さて、攻撃には向かないこの魔法でどうやって相手を降参、もしくは場外に出すか、セクエは考え始めた。


ーーーーーー


少女は走っていた。遅刻だ。なんてことだ。この大会は見逃すまいとずっと思っていたのに、ふと空を見上げれば太陽はちょうど南にあった。つまりは昼。大会はすでに始まっている時間だ。そういうわけで、少女は会場に向かって走っているのだ。


まったく、大会に出るわけでもないのに魔法の練習なんてするものじゃない。そんな独り言をブツブツ呟きながらようやく会場に到着する。しかし、席はもうほとんど残っていない。それほどまでにこの大会は盛り上がるのだ。少女は仕方なく一番後ろの列の端っこに腰を下ろした。少女には人をかき分けて前に行く勇気は無かった。


(あーあ。これじゃあ参加者の姿が前の人に隠されて見えないよ。ずっと楽しみにしてたのに…。)


本当についてない。


「…あれ?」


少女は思わず声をあげる。今対戦しているのは二人とも女だった。一人は去年も出ていたから覚えている。だが、もう一人は誰だろう。あの人には見覚えがない。年齢は…ずいぶん若い。いや、むしろ幼いと言った方が正しいかもしれない。しかももっと特徴的なのが、それほど若いのにもかかわらず、その髪が降り積もる雪のごとく真っ白だったことだ。だいたい自分と同じ年頃の子なのに、少女は彼女を見たことがなかった。


「おや?お嬢ちゃん、知らないって顔だな。」


考えている最中にいきなり声がして、少女は飛び上がらんばかりに驚いた。少女は臆病なのだ。それが隣の人の声だと気づくのにしばらくかかった。


「聞いてないのか?今年は賢者様は代理を取るんだそうだ。で、その代理があの子ってわけさ。」

「えっ、あんなに小さな子が賢者代理?」


少女が驚くと、その人が教えてくれた。


「あの髪を見てみろ。あれは幻覚魔法で姿を変えてるのさ。」


その人はこう言ったが、少女はどうにも信じられない。幻覚魔法を使った時に現れるような違和感が全く感じられないのだ。あれほどまでに完璧に姿を変えられる人がいるだろうか?でも、もしあの子が本当の姿で戦っているのなら、あの外見で村で目立たないはずがない。あの子は何者なんだろう?


「あの子はすごいぞ?あのペレイヤさんが放ってくる催眠魔法を全て光魔法でかわしてるんだからな。」


ペレイヤは幻惑魔法の使い手だ。幻聴、幻視を与えることによって、相手の感情、行動をほぼ自由に操る催眠魔法を使うことができる。そのためには、一度魔法を相手に当てなくてはならないのだが、この子がそれを全てかわしている?しかも光魔法で?


「ああもう!こざかしいわねっ!」


ペレイヤが叫びながら魔法をその子に放つ。


催眠魔法フィアル・ウィル!」


しかし、彼女は一歩も動くことなく、手を伸ばして魔法を発動させた。


光線魔法フィオウラ・レマート!」


手先から強烈な光を放つ光線が発射され、催眠魔法が次々に破壊されていく。


(す、すごい…!)


「あ、あの人、名前は何ていうんです?」


少女は彼女から目を離さずに尋ねた。


「それは、本人が名乗ってないから分からないな。だけど、その外見から、ペレイヤさんはシロって呼んでるよ。」


しかし、少女はその声に返事ができなかった。シロと呼ばれたその子が攻撃を仕掛けようとしていたからだ。魔力を集中させているのが見て分かる。


(光魔法でいったいどんな攻撃をするんだろう…?)


ワクワクしながら見ていると、シロは呪文を唱え始めた。


光の固体フィオウラ・レント。」


シロを取り巻く魔力が光り始め、それがまとまって一つの形を作っていく。あれは棒なのだろうか?何かの武器のように見える。やがて光が弱まっていき、ガラスのような武器ができあがる。シロはそれをしっかりと両手に持つと、いつでも飛びかかれるように構えた。透明で淡く光る不思議な武器を持つその姿は少女がまだ幼い頃に絵本で読んだ女神の姿とどこか似ていた。


(光を、持ってる…?光って、実体が無いんじゃなかったっけ?)


それとも、持っているように見せかけて実は手の近くに光を集めているだけのだろうか。実際にあの武器を持っているのだとしたら、ずいぶんと硬そうなので叩かれたら危そうだ。それをペレイヤも感じたのか、ペレイヤは自分の幻影をたくさん作り出して台上のいたるところに移動した。一人一人が勝手に動き回っているので、もうどれが本物だか少女には分からない。シロもそれは同じようで、武器を構えたまま動かなかった。動き回る人のどれが本物なのか見分けようと顔が険しくなっている。


「ウフフッ。さあ!どれが本物か分かるかしら?フィアル・ウィル!」


ペレイヤは勝ち誇った顔で再び催眠魔法を放った。しかも幻影全員から。実際に効果のある魔法は本物が使ったものだけなのだが、見分けがつかないなら全てを避けるしかない。だが、数が多すぎる。シロはすぐさま武器を変形させた。棒が手から離れ、頭上で平たくなっていく。シロが姿勢を低くすると、光の板はお椀を伏せたような形になってシロを覆って守った。


(だけど…これじゃ駄目だ。)


光が少なすぎる。地面との間に隙間ができてしまっているのだ。もしここから魔法が入ってきたら、狭い光の壁の中ではどうすることもできない。ペレイヤもすぐにそれに気づいたようで、隙間に向けて集中的に魔法を発射し始めた。シロはそれでもしばらくじっと動かなかったが、あっ、という小さな悲鳴とともに突然壁が消え、シロが驚いたように立ち上がった。目を見開き、両手を口に当てている。悲鳴を出すまいとしているかのように見えた。観客席からため息がもれるのが聞こえた。


(ああ、やっぱり当たっちゃったんだ…。)


今は、何か恐ろしい光景でも見せられているのだろうか。慌てたように座り込んで地面に両手をついてしまった。


「ああ、こりゃ駄目だな。あの魔法を受けてペレイヤさんに勝てた人はいないんだから…。」


隣の人がそう呟くのが聞こえた。確かに、ペレイヤの魔法を受けて勝った人はいないという点においては少女も同感だ。だが、まだ可能性はある。むしろ今までこの魔法を受けた人よりも賢い判断をしていると思う。


もしシロが本当に賢者に認められるほどの実力を持っているのなら、どんなに恐ろしい光景を見せられたところで、怯えて座り込むことなどありえない。その姿勢は隙だらけだからだ。だから、今までこの魔法を受けた人はみんな無理矢理にでも立ったままの姿勢をとっていた。


だが、この体勢には大きな落とし穴がある。立ったままでいるということは、『自分がそこにいる』と証明できるものは見える風景と足の裏から感じる地面だけに限られているのだ。しかも、靴を履いているため、足の裏の感覚はかなり鈍い。ペレイヤは幻惑魔法の使い手。相手の感覚を支配することを得意としている。つまり、立ったままの体勢なら、視覚と、鈍くなっている足の裏の感覚、その二つの感覚さえ操れれば、相手が立ち止まっているつもりでも歩かせることができるのだ。実際、ペレイヤの催眠魔法を受けた人はみんな自ら歩いて場外に出ているのだから。


ならば、座った体勢ならどうか?この場合は、『自分がそこにいる』と証明できるものは見える風景と、地面についている足全体、さらに手のひらから感じる地面がある。中でも手のひらはとても鋭い感覚を持っているため、ペレイヤでもそう簡単には支配できない。座り込むというこの姿勢は、隙だらけに見えて、実際は催眠魔法から自分を守る最も効率的な姿勢と言えるのだ。


もしシロがそこまで分かっていて座り込んだのなら、大したものだ。ただ魔法を使うのではなく、その魔法の特性を知って、それに対して正しい処理をしている。いったいシロはその小さな体にどれほどの知識を持っているのだろう。


少女は立ち上がる。普通なら、大勢の人が席に座っている中で一人だけ立ち上がることなど、臆病な少女にはとうていできないことだったが、それでもどうしても確かめたかった。シロは今、何を考えているのか?


予想は当たった。その顔は、とても幻覚に怯えているようには見えない。その表情はいたって真剣で、自分が不利な状況にあることなどみじんも考えていないように見えた。やっぱり、シロは催眠魔法の弱点を分かっている。


シロはふう、と息を吐き出して体の力を抜くと、立ち上がった。そして、全身に光をまとって走り出した。


(えっ?何を考えてるんだろう。下手に動くと催眠魔法で操られるかもしれないのに。)


ドキドキしながら見ていた。シロは台の上を走り回っている。特に考えがあるようには見えない。ペレイヤもそれは同じようで、驚いた様子で動き回るシロを目で追っていた。


どのくらい走っていただろう。突然、シロの動きが変わった。一人のペレイヤの前に来た時、いきなりそれを押し倒したのだ。そしてのしかかった体勢のまま、体から発していた光を長い針のような形の固体に変化させ、ペレイヤの喉に突きつけた。息が止まるほど速い動きだった。押し倒してからこの姿勢になるまで二秒もかかっていないだろう。シロがその体勢をとった瞬間、周りにいたペレイヤが全て消えた。


(えっ、ウソ!あれが本物?何で分かったの?)


少女は驚くことしかできない。シロは言う。


「降参、だよね?」

「わ、分かったわ…降参よ。離してちょうだい。」


シロは光を消してペレイヤから降りた。しばらく会場はしんと静まり返っていた。そしていきなりわあっ、と歓声が上がった。


「すごい!すごいぞ!」

「何で本物が分かったんだ?」

「いい試合だった!」


観客が口々に叫ぶ。再び会場が静かになると、ペレイヤは言った。


「何で私だって分かったのよ?そっくりに作ったのに。今まで誰も気づかなかったのよ?」


ペレイヤの感想ももっともだ。少女だってどんな理屈を使ったのか見当もつかない。シロは言った。


「影だよ。幻影は、実際には存在しないものだから、影ができないんだ。」

「私は影だって作ったわよう!」


ペレイヤが駄々をこねるように言った。それに答えてシロが言う。


「太陽でできる影はね。でも、私の光でできる影は作ってなかったでしょ?」

「あなたの光って…こんな昼間にできる薄い影だけでそれを見分けたっていうの?」


シロはこくりと頷く。ペレイヤはため息をついた。


「…信じられないわ。」


シロは自慢げに答える。


「こう見えて、賢者代理だから。」


二人が台から降りると、少女はようやく自分が立っていたことを思い出し、慌てて座った。何かを言われたわけではないのに、顔が赤くなっているのが分かる。それにしても、影か。確かに幻影には影ができない。そんな基本的なことを忘れてるなんて。でも、いい勉強になった。次の試合も楽しみだ。


ーーーーーー


「えっと、次は…」


少女は思い出す。確か、カリマとタムの試合のはずだ。カリマは火炎魔法を得意としていて、タムは風魔法を得意としている。一見すると火を吹き消せる風の方が有利に思えるが、カリマは二年連続でこの大会に優勝している。試合がどうなるかは読めない。


拍手の音が聞こえて、少女は我に返った。試合が始まる。二人が台に上がっていた。


「まったく、初戦であなたと当たるなんて、僕は本当についてないですね。」


タムが残念そうに言う。カリマはそれに答えて言う。


「まあそう言うな。俺は楽しめれば何でもいいんだ。ま、あんたなら、五分で片付くだろうけどな。」


この自信がカリマ最大の武器と言っていい。どんな魔法も、自信と魔力がなければ成り立たないのだ。だが、カリマは宣言通り五分で終わらせることができるだろう。実力は保証されている。


「それでは、こちらからいかせてもらいましょう!風の刃エルマ・シュテート!」


タムの魔力が風となり、カリマを包み込んで渦になる。やがて高速で動き続ける風がカマイタチになってカリマに襲いかかった。だが、その刃が体に触れる寸前で、カリマの体は炎に覆われた。炎を用いた防御魔法だ。風はその炎の向こう側にあるカリマに触れることすらできず、行き場をなくして散っていった。


「この程度か?」


カリマが言う。そして唱えた。


火炎魔法ヴァナス!」


ボッ、ボッと音を立てて空中に炎が生まれた。それを見たタムか慌てて呪文を唱える。


風魔法エルマ!」


強い風が炎に当たる。だが、その威力では火を消すことはできない。


「足りないね!そんなそよ風じゃ、吹き消すどころか、むしろ火をあおるだけだっ!」


その言葉に答えるように炎が大きくなる。その炎はいくつかに分かれ、タムを取り囲んだ。


「くそっ。」

「気づくのが遅いんだよ。」


炎はタムの近くでごうごうと燃え上がる。炎に囲まれていると、さすがに熱いのだろう。今日は寒い日だというのに、タムは汗をびっしりかいていた。


「…分かりました。降参ですよ。」


タムは座り込むと、呟くように、残念そうに言った。観客席から拍手があびせられた。カリマは誇らしそうな顔でその場に立っていた。


(ああ、やっぱりカリマさんは上手だな。攻撃を一度も受けていないし、使った呪文も一つだけ。さすがだなぁ、憧れるなぁ。)


あの炎の配置、火力、その全てが完璧だった。風使いのタムが熱風にやられて降参したのだから。だか、カリマの性格的に考えると、それを頭で考えてやっているとは思えない。全て感覚でやっているのかと思うと、その天才っぷりに少女はやはり憧れてしまうのだ。ただ一つ文句を言わせてもらうなら、たまにはカリマが苦戦するところも見てみたいということだが、ここまで実力差があると、それもなかなか見られそうにない。


(あ、でも、次はなかなか期待できるかも。)


カリマの次の対戦相手はシロだ。出場者は全部で四人なので、それが決勝戦ということになる。なんといっても、初参加であのペレイヤに勝った人だ。実力は未知数だし、まだ使っていない魔法があるかもしれない。


(シロさんはカリマさんをどこまで追い詰められるかな。もしかしたら勝つかもしれない…。)


これはきっと初戦よりいい試合になる。そう思うと、少女は楽しみでたまらなかった。


ーーーーーー


セクエは険しい顔をしていた。あのカリマという人、かなりすごい。具体的に言うならば、まずあの防御魔法。炎で全身を覆っていたにもかかわらず、カリマは火傷していなかった。自分には燃え移らないように魔力に細かい命令をしていたのだろう。しかも、カマイタチに囲まれた状態で、呪文も使わずに、だ。かなりの集中力が必要になる状況だった。それから、タムという人を降参させたあの炎の配置。でたらめにも見えたが、あの配置ならどんな方向から風が吹いても内側にいるタムにはほとんど風が当たらなかっただろう。だから炎によって熱された体を冷やすことができず、体力を消耗することになったのだ。カリマは炎だけでなく、それによって発生する気流もある程度は扱えるのかもしれない。


「おい、大丈夫か?」


セクエがぼうっとしていたので、バリューガが心配になって声をかけた。


「どうかしたのか?」

「ううん。別に。あの人強そうだなって、そう思ってただけ。」

「さっきの火の人か?確かに、すごいあっけなく終わっちまったよな…。原理はよく分からねえけど、すごいってことだけは分かる。」


バリューガがあまりに気楽なのを見て、セクエはなんだか安心した。たしかに、そんなに深く考える必要は無い。勝っても負けても、別に命を取られるわけじゃないのだ。それならいっそ、楽しむことに重点を置く方がいいかもしれない。


「さーて。じゃ、そろそろ行こうかな。」


セクエは立ち上がる。それを見てバリューガが言う。


「おう!頑張れよ。」


バリューガの声援を背中で聞きながら、セクエは客席から離れ、台に近づいた。カリマもすぐそこにいた。


「よう。なかなかすごいみたいだな。楽しみにしてるんだから、退屈させるなよ?」


セクエはわざと大きなため息をついて言った。


「そのうちにそんな余裕のあること言ってられなくなるから安心していいよ。」

「ほう?そりゃ楽しみだな。退屈しない戦いなんて久しぶりだ。」


いったいどんな生活を送ってきたのか、尋ねるのも呆れてくる。心の底から戦うのを楽しみにしているのだ。自分の実力を発揮したくてウズウズしているのだろう。


(でも、それは私だって似たようなものなんだよね。)


セクエの中の有り余る魔力はたまにどうしても抑えられなくなることがある。練習中、思い切り強い魔法を使いたいと思う時が何回かあった。まあ、それをすると被害が出るどころか村が吹き飛ぶ可能性もあったため、理性で抑えていたのだが。強すぎる魔力や才能はそれを持つ人に破壊や戦いといった血なまぐさいことをさせようとするのかもしれない。この一ヶ月でセクエはそんなことをぼんやりと感じていた。


台に上がると、カリマが言った。


「なあ、俺はお前となら、きっと退屈しないと思う。だから、ただ戦うんじゃつまらない。…俺と駆け引きをしないか?」


セクエは黙って聞いていた。なかなか面白そうなことを考えてくれたようだと、内心ワクワクしながら。


「もし俺が勝ったら…お前の本名を教えろ。」


その一言で、会場が一気にどよめいた。そんな駆け引きやってもいいのか?と言っている声が聞こえた。本名が知れるなら知りたいものだな、と言っている声も聞こえた。セクエは答える。


「それなら、私が勝ったら、次の大会では火炎魔法を使わないで。それができるならいいよ。」


セクエは言う。カリマの火炎魔法以外の魔法を見てみたかった。本名が知られることになるかもしれないが、勝てばいいだけのことだ。


「なるほど。じゃ、それで行こう。それだけ言うってことは、自信はあるんだろうな?」

「当然。そうでなかったら断ってるよ。」


カリマが楽しそうに口元を歪めるのが見えた。


「上等だ。その真っ白い髪、真っ黒に焦がしてやるよ!」


空中に炎が生まれる。セクエはそれを一つも見逃すことなく完全に位置を把握すると、次々に光の固体を生み出して炎を包んだ。まるでガラスの容器の中にろうそくを入れているようで、夜にみたらさぞかし幻想的で美しいだろうな、と思いながら炎を密閉した空間に閉じ込めていく。


「何してるんだ?そんなの、意味ないぜ?」


カリマが呆れたように言った。


「それはどうかな?」


セクエがそう答えた瞬間、いくつもあった炎の一つが突然消えた。それからは、勢いがついたように次々と消えていき、一つも炎は残らなかった。カリマが呆然として呟く。


「…何をしたんだ?」

「別に?ただ光で包んだだけ。炎なんて、それで簡単に消せる。」


炎は空気が無ければ燃えない。狭い容器の中に入れられた炎はやがて燃え尽きる。それだけのことだ。


「それじゃ、こっちからも行くよ!光魔法フィオウラ!」


セクエは魔力をカリマのすぐそばで一気に光に変えた。太陽ほどもあろうかという凄まじい光がカリマの目を襲う。悲鳴を上げて目を抑えたカリマに素早く近づき、押し倒そうとしたが、カリマは予想通り体を炎で覆って守った。これでは触れられない。やはり一筋縄ではないようだ。カリマは光のせいで両目がほとんど見えなくなってしまったらしい。手を離すと、あらぬ方向を向いて話し出した。


「やっぱりこうこなくちゃな!お前とやってると楽しさが違う!こんな気分は初めてだ!」


(なんて恐ろしい人…。)


強い光によって、一時的とはいえ、目が見えなくなったのだ。本来なら怯えてもおかしくないこの状況で、カリマは喜んでいる。今までほとんど追い詰められたことがなかったのだろう。炎に包まれながら大声で話す姿は異様だった。


「両目が見えない状態でよくそんなことが言えるね。」

「お前だって、俺とこんな会話してていいのか?目が見えない今のうちに攻撃した方がいいんじゃないのか?言っとくが、俺はいちいち目が見えるようになったなんて言わないからな。」

「構わないよ。それに、目の見えない相手と戦わないといけないほど私は追い詰められてないから。」

「へえ、随分と余裕があるみたいだな。」

「そっちこそ。」


カリマはいったん目を閉じてひとしきり笑うと、落ち着いた様子で言った。


「そんじゃあそろそろ…続きと行こうか!」


カリマが目を開け、両手を地面についた。カリマを覆う炎が消える。まずい、と思った時にはすでに遅く、セクエの周りの地面から炎が吹き出した。すぐにさっきと同じように消そうと思ったが、火が大きすぎる。セクエはまだ光の固体を多く生み出すことはできなかった。セクエは固体で全身を包み込むとわずかな隙間を抜けて炎の中から出た。


(何とかなったかな…?)


セクエが安心した瞬間、ピシッと音が聞こえて、光にヒビが入り、粉々に砕けて消えてしまった。


(まいったな…。)


光の固体は一度消えるともう一度作るのにかなりの魔力を消耗する。セクエの魔力はまだまだ残っていたが、体力がすでに限界だった。今回は何とかなったが、もう一度同じことをされたらどうなるか分からない。


「おいおい、もう限界だなんて言わないでくれよ?俺はまだまだ楽しみたいんだからさ!」


カリマが言う。そして唱えた。


炎の囲いヴァナス・テルム!」


セクエの周りから再び炎が吹き出し、セクエを取り囲んだ。さっきよりも火力が強く、隙間もない。熱い。汗が止まらない。体力がどんどん奪われていくのが分かった。カリマが勝ち誇ったように言う。


「残念だが、これで終わりみたいだな。灰になるか、降参するか、好きに選べよ。」


セクエは考えた。どちらを選ぶかではない。出来れば使いたくなかった『あの魔法』を使うかどうかをだ。


「仕方ないね…。できれば、こんな未完成で不安定な魔法は使いたくなかったんだけど…こうなったらもうそんなことも言っていられないか。」


セクエは座り込んでカリマと同じように地面に手をつくと、ありったけの力を込めて唱えた。


灼熱の光プムル・フィオウラ!」


その魔法を唱えたとたん、会場全体が雲がかかったように薄暗くなった。そして、セクエを囲む炎が一気に強くなったと思うと、やがて弱くなって消えてしまった。後には黒く焦げたあとだけが残っている。セクエは汗だくのまま立ち上がった。


「お前、今度は何をしたんだ?あれだけの炎、もうお前に消す方法なんかないはずなのに…!」


カリマが悔しそうに言う。


「この方が、ただ負けるよりずっと面白いでしょ?」


セクエは答える。


「方法が気になるなら教えてあげるよ。今の魔法は、太陽の光を集めて高温に熱する魔法。それで地面に火をつけたんだ。草木も地面も、ある程度の温度になれば勝手に燃えるからね。」

「だったら、何で炎が消えるんだ。」

「知らないの?炎と炎がぶつかり合うと、お互いに燃え尽きて消えるんだ。どんなに大きな炎でも。まあ、この魔法は太陽の光を使うから、夜には力が弱まるし、強さの調節も難しいけどね。どちらにしても、私がこの魔法を使える時点で、火炎魔法はもう通用しない。ここからは私の番だよ。」


セクエはハアハアと荒く息をしながら言った。体温が上がっている。早めに決着をつけないと体力切れで負けてしまう。そうなったら本名を教えないといけなくなる。


(そんなこと、なってたまるか…!)


カリマもそのことは分かっているのだろう。まだ余裕そうな顔をしてセクエに言った。


「はっ!笑わせるなよ?お前が炎を扱えたところで、そんなに体温が上がってたんじゃ、俺になんか勝てるわけが無い。俺の勝ちは動かない!」

「そんなこと、まだ決まってない!」


セクエは唱える。


光速化の魔法メイル・フィオウラ・タズハム!」


セクエはカリマに向かって走り出す。カリマは一瞬その動きに対して身構えたが、しかし何もできずにセクエに押し倒されてしまった。カリマが起き上がる時には、セクエは走り出す前の位置に戻っていた。


光速化の魔法。光の力を体に移すことで、超高速で動き回れるようになる魔法だ。おそらくカリマには動く自分の姿を目で追うことさえできないだろう。光と同速とまではいかないが、明らかに人間を上回る速さをセクエは得ていた。


慌てたカリマが空中に再び炎を生み出す。防御魔法も発動させて、完全な防御の姿勢をとった。しかし、そんなものは今のセクエにとっては無意味だ。どんなに多くの炎がカリマの周りを飛び交っていようと、高速で動くことができるなら、いくらでも避けられるのだから。セクエはもう一度カリマに近づき、その体を強く押し倒した。熱い、と体が反応する前に手を引き、火傷を防ぐ。カリマの方は、まさか物理的な攻撃をされるとは思ってもいなかったようで、油断していたらしい。一回目よりも遠くへ弾き飛ばされた。それでもなんとか台から落ちるギリギリの所で踏みとどまると、立ち上がって叫ぶように言った。


「くっそぉ…!まだまだ!俺は…」


だが、セクエは自分にかけていた光速化の魔法を消し、魔力の集中もやめた。全身からにじみ出ていた殺気が消え、おとなしい少女の気配へと変わる。カリマは警戒した様子で尋ねる。


「…どういうつもりだ。俺はまだ降参していない。それとも、それも何かの作戦か?」

「そんなことないよ。もう勝負がついたから、戦うのをやめただけ。」

「随分と余裕だな。だが、俺はまだ負けちゃいない。気を抜くのが早すぎるんじゃないのか?」


セクエは肩をすくめると、物わかりの悪い子供に教えるように、黙って下を指差した。カリマがそれにつられるように下を見る。そして、目を見開いてその光景に見入ってしまった。


(まあ、それも当然か。気づいてなかったみたいだし。)


カリマは今、台の上に立っていなかった。カリマがいるのは、ガラスのような透き通った足場の上。その足場は台からせり出していて、ちょうど台を広くしようと付け足したように見える。言うまでもなく、その足場は光の固体でできていた。カリマは今、場外にいた。つまり、セクエの勝ちだ。


「そんな…こんなことが…」


カリマは落胆したように膝をつき、うなだれて言った。


「俺が、負けた…だと…?」


観客席もザワザワとしていた。何が起こったのか把握しきれていないのだろう。


「カリマさんが負けた?」

「二年連続で優勝してるんだぞ?そんなこと、あり得るのか?」

「シロの本名を知りたかったんだがなぁ…。」


などとお互いに言い合っていて、歓声も拍手も起こらない。これではせっかく勝ったのに嬉しくない。セクエはカリマに近づいて声をかけた。


「ねえ。カリマさん。」

「何だよ。」


カリマは顔を上げずに答えた。


「そんなに、悔しかったの?」

「そんな当然なこと、きくな。俺は、今まで一度だって負けたことがなかった…。」

「それって、むしろ良いことなんじゃない?」


カリマは顔を上げた。もうほっといてくれ、とでも言いたげだ。


「だって、初めて目標ができたんでしょ?その目標がこんな人で悪いけど、勝負って、負けるから楽しいんじゃないの?勝ち続けても何も面白くない。でしょ?」


セクエはそう言うと、からかうように付け加えた。


「まあ、私が来年も出られるかは分からないし、もし出たとしても、炎以外で戦わないといけないけどね。」


カリマはニヤリと笑うと言った。


「なるほど、じゃあ、俺は来年こそお前をぶっ潰せばいいわけだ。それもそれで面白そうだな。来年こそ、お前の本名聞き出してやる。」

「そうこなくちゃ。その方がカリマさんらしいよ。じゃ、私はケイ…賢者様の所に行かないとだから。」


それだけ言って、セクエは飛び上がってアトケインの方に向かった。


(危なかった…うっかりケインって言うところだったよ。)


どんなに強い魔法使いであったとしても、村を治める賢者には様を付けて呼ぶのが普通だ。アトケイン自身はそこまで気にしてはいないだろうが、村人はそうはいかない。賢者は、この村にとって、そして村人にとって、神にも等しい存在なのだ。着地したセクエに向かってアトケインは言った。


「見ていてヒヤヒヤしたぞ。あんな勝負はもうしないでくれ。どれだけ危険か、分かっているだろう?」


だが、セクエは言った。


「つまり、負けなければいいんでしょ?大丈夫だよ。私に勝てる人なんてなかなかいないから。」


アトケインが大げさにため息をついて呆れた顔でこちらを見ている。セクエはそれがおかしくて微笑んだ。魔法で戦うことを楽しんだのは初めてだ。どの相手でも退屈なんてしなかった。今日はいい一日だった。


ーーーーーー


(はあー。やっぱりすごいな、シロさん。あのカリマさんに勝つなんて。それも、本人に気づかれないうちにやってしまった。憧れるなぁ。)


少女は満足していた。まさかあんなにいい試合が見られるとは思ってもみなかった。祭は魔法競技大会と同時に終了する。そのため、もうすでにテントや小屋は片付けられ始めていて、村人はわずかに残った祭の雰囲気を惜しむようにその様子を眺めている。少女は一足先に家に帰ることにした。親に言われて、ご飯の支度をしなければならないのだ。本当は少女も祭の様子を見ていたかったのだが、言いつけられているので仕方ない。家は森を抜ければすぐそこだ。迷う心配すらない。


「ティレアお姉ちゃーん!」


呼ばれて、少女は振り向いた。まだ六歳になったばかりの幼い妹が木の間を縫うように走ってくる様子は小動物のようで可愛らしかった。


「どうしたの、ヤーウィ?お父さんとお母さんは?」

「わかんなーい。でも、お姉ちゃんが見えたから、こうして走ってきたんだよ!」


走ってきたのに息切れもしないでヤーウィが言った。子供は本当に元気がいい。まあ、ティレア自身も子供なのだが。


「じゃあ、一緒に帰ろっか?」

「うん!」


ティレアは妹の手をしっかりつかんで歩き出した。自慢の妹だ。この子は魔法使いの才能がある。両親もそう言っていた。まだ幼いのに、この子はある程度の魔法なら使えるのだ。将来が楽しみだとみんなが言っている。


(でも、もう少しその才能が私にもあったらな…。)


そう思わずにはいられなかった。なぜなら、ティレアは選手たちの戦法をほとんど見破るほどの知識を持っていながら、魔法をさっぱり使えないのだ。使えるのは、まだ小さい頃に読んだ本に書かれていて、どうしても気になって必死になって覚えた特殊な魔法一つだけ。そんな難しい魔法より、もっと簡単な魔法はいくらでもある。なのに、ティレアはどれも使えない。そんな思いを察したのか、ヤーウィは言った。


「だいじょーぶだよ!お姉ちゃん、ヤーウィにもできないことできるもん!ヤーウィはね、お姉ちゃんのこと、大好きだよ!」


ヤーウィはいつも励ましてくれる。それは嬉しくて飛び上がりそうなくらいだ。


(でも、妹に励まされてる私って、姉としてどうなんだろう…。)


情けない。やはり、魔法を使える妹が羨ましくてたまらない。ヤーウィは心から自分を好きでいてくれてるのに、自分はヤーウィのことを心から好きと言えない。自分はヤーウィを好きでないのかもしれない。そう思うと、手をつないでいる温かさも分からなくなってしまいそうだ。家に帰るこの道のりには自分たちの他には誰もいない。今、それは事実だったが、ティレアは日常からそんな孤独感を感じていた。

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