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第九章:花火

「寝付けないのか?」

「……うん」

 明日の何時に憲兵が来るのか――多分、午前のうちだとは思うが――はっきりとした時刻は分からないし、明日以降の寝床はここほど油断できる場所でもないので、眠れるうちに眠っておけ、と、いつもより早い時間に布団に押し込んだのだが、どうもかえって逆効果になってしまったようだ。

 ふぅ、と、鼻から重い息を吐き……。

「まあ、目を閉じて横になるだけでも身体は休まるし、お前がなにかする前提じゃないので構わないがな……」

 オレは壁に背を預け、毛布を膝にだけかけて窓の向こうを見上げた。


 灯は落としているが、雨戸は片方を開けている。

 半月の夜だ。雲は無くはないが、夜歩きに不便ってほどでもない。が、この辺りは酒を出さない店が多く、五つ時を過ぎた今は人通りも途絶えがちだった。

 漏れてくる明かりや人の声を聞くに、二つ隣の通りでは、まだ宵の口って雰囲気みたいだが、あっちは、まあ、そういう界隈なんだしな。軍港でもあるこの都市の特性を考えれば、そっちの方が普通なのかもしれないが。


 夜の闇に、監視が潜んでいる気配は無い。

「あの日も、そうだった」

「うん?」

 唐突に語り始めた千鶴。

 顔をそちらに向けるが、千鶴はオレの方を向かずに天井をむいたままで話し続けた。

「お前と出会い、唆された日の夜も……お前を待つ宵に仮眠をとろうとして、でも、心臓が、自分の鼓動が煩くて、眠れなかった。庭を出てからも、起きながら夢を見ているような、そんな、ここから始まるんだって気持ちで――」

 千鶴が、顔は天井を向けたまま、視線だけを横にずらし、俺と目を合わせてきた。

 話の成り行きを黙ったままで見守っていると、不意にドォンと、大きな音がして――。

「きゃ」

 千鶴が、掛け布団に頭まで潜り込んだ。

 聞き慣れた音じゃない。砲撃音じゃないことには、すぐに気付いた。

 立ち上がり、雨戸から身を乗り出す。

「お、おい、大丈夫なのか?」

 不安そうな千鶴の声に、二度目の轟音が響き……いつのまに屋根に出ていたのか、錆猫の桃が千鶴目掛けて俺の横を駆けていった。

「花火さ。どうも、遠くてここからは見えないようだがな、町で噂にもなっていなかったのは、そういう立地のせいだろう」

 多分、この町の祭りじゃない。遠く、町の完全に外、丘ひとつ向こうの空がうっすらと明るいように見える。もう少し上流の川開きってことじゃないだろうか? 気温も、ここ数日でかなり上がってきていたし。

 安心したように、深い息を吐いた千鶴だったが、三発目と四発目の音に、一人と一匹で――この季節は熱いだろうに――頭まで布団を被った。


 花火が見えずに残念だったな、と、布団に向けて声を掛けようかと思ったが……。花火だと分かっても怯えた様子が消えていないのを不審に思い俺は訊ねてみた。

「花火は嫌いか?」

「音が怖い」

 不貞腐れたような声だ。

 てっきりはしゃぐものだとばかり思っていたのだが、中々に乙女心という者も難しいものだな。

「雷」

 試しに、他の大きな音の出る現象についても訊ねてみる。

「論外だ」

「あれはあれで風流だと思うがな」

 軽く肩を竦め、俺は再び元の位置に腰を下ろす。

 花火にしろ、雷にしろ、風物詩と言うか、その時だけの物って雰囲気があって、俺は嫌いじゃないんだがな。台風も――、いや、台風は、場合によっては町の復旧や行方不明者の捜索に借り出されるから、そうでもないかな。

「風流と言うのは、もっと静かなものだ」

 布団から膨れっ面を出した千鶴は、半目で俺を睨み……花火の音がしなくなったので、ゆっくりとさっきと同じように――いや、胸の上に猫を乗っけて、その猫の背を撫でながら横になった。

 まあ、花火も安くは無いんだし、村の川開きでは、大きいのは精々十発が限度だろう。

 再び静かになった部屋の中で、少しだけ間が空き……再び千鶴は話し始めた。

「花火は、パッと咲いても、すぐに消えるじゃないか。もっと小さくて……そう、トンボ玉のようなものでよいのだ。手の中で、ずっとそれを握っていたい。華族の生活のように、華やかでなくてよいのだ。人生というモノは」

 少しだけ怒っているような――いや、怖かったのを誤魔化すために怒っているふりをしているような、そんな顔で話し始めた千鶴だったが……。

 いつの間にか、花火に邪魔される前の話に戻ったのか、最後は少しだけしんみりした顔になり……。

 一呼吸、二呼吸……短くは無い間を開けてから、千鶴は続けた。

「私の物語は、一瞬が盛り上がるようなものでなくて良かったのだ。文壇で安易と批判されようとも、眠る前に乳母が語るような、優しく穏やかな物語で。本当は、それで」


 後悔しているのか、とは、訊かなかった。

 後から悔やむのが後悔であって、先に悔やめられるなら、思い留まるのが当然だから。


 俺が何もいわないままでいると、微かに千鶴が笑う気配がして――。

「過激なのは今回だけだぞ。お姫様を無事に連れ出した騎士の物語は、ずっと幸せに暮らしました、で、閉じられるんだからな」

 俺が何か言い返す前に、千鶴は俺に背中を向け、布団に乗っけていた猫を隣に添い寝させ、解り易く寝たふりをしていた。


 軽く嘆息してから、俺も薄く目を閉じ――なにかあった時のために耳だけは起こしたまま――ぼんやりと、まどろむことにした……。

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