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第八章:違和感 中編

 章吾の連絡の翌日からだった。店の客に、違和感……というか、不自然さを感じ始めたのは。

 単独、じゃないな、複数だ。

 入り口付近に二人と、更に奥に独り、そして、良く分からない距離の気配が更にひとつ。

 状況から考えるに、あの阿呆が尾行られてたんだろうな。


「どうした?」

 今日の朝餉のカボチャを崩れるまで煮込んで作られた極上のほうとうをすすりながら、千鶴が小首を傾げた。

 俺はにやりと笑って、し、と、唇に人差し指を当てる。

 しかし、千鶴はそれでも意味がわかっていないようなので、方向性を限定した――それも、ギリギリ聞こえる音量で――、怪しい奴がいる旨を告げた。

「な!」

 あからさまに驚いた顔をして、周囲に視線をめぐらせた千鶴を――、軽く小突く。

「あ、つ」

 千鶴が不意に仰け反るものだから、千鶴の膝の上で小皿で魚の骨を舐めていた猫が、そのまま皿に突っ込んで卓上から取り落とし……。

「何をする!」

 予定外のちょっとした騒動のおかげか、座敷の薄く開けた障子越しの視線に注意を向けたものはいなかった。

 まあ、それはそれで、尾行者の無能さの証明でもあるが……。

「気付かれたのが悟られれば、向こうは公的権力なんだから、すぐにでも襲い掛かってくるだろ」

 千鶴の服に汁は飛んでいなかったので、膳と畳を拭いて整え、畳の上で肴をかじろうとした猫の首根っこを抓んで千鶴目掛けて放る。

 指摘されて初めて気付いた顔をした千鶴は、次いで飛びかかってきた猫――千鶴がつけた名前は、桃だったか――を、大事そうに抱きかかえた。

 肝が大きいのか小さいのか分からん女だな、まったく。家出は、あんなにあっさりと決断したというのに。


「どうするのだ?」

 あからさまに不安げな表情で尋ねてきた千鶴。

 目星を付けたのが昨日として、今日は様子見。おそらく、踏み込むのは明日だろう。章吾の言が正しいなら昨日までの増援要請は無しなので、所轄の――そうだな、まさか全員をこの懸案に打ち当てるほどの馬鹿ではないだろうし、小隊ひとつ乃至ふたつ程度で当たるつもりだろう。

 陸士での成績は伝わっていないのか、足手まといの千鶴を連れた俺は、その程度で充分、と、踏まれているはずだ。こんな程度の低い偵察を寄越すのがそれを証左している。

 ふふん。

 まあ、初回は安く見られておくとしよう。どちらにしても、初手で全力は出し難いしな。試合開始と同時に大振りする馬鹿もいまい。

「まずは、待ち、だな」

 俺の返答に、露骨に不安そうな顔をした千鶴。

 まあ、確かに、さっさとここを引き払ってもいいのだが……というか、それが一番楽なかわし方ではあるが……。

 章吾の手配した船が使えるかどうか、という点も含め、憲兵相手に少しいざこざを起こして、情報を引き出す方が俺は良い。

 なにより、その方が、お楽しみは増えるんだから。

「これまでも上手くいっただろう? まあ、任せておけ」

 にんまりと笑って俺は答える。

 千鶴は、全幅の信頼を寄せた顔ではなかったが、それでも頷いた。



 ともあれ、折角見つけた尾行者を放置して置くだけというのも勿体無かったので、先に食事を済ませた俺は、気配の無い裏口から出て、表に回りこみ、店を見張ることにした。

 朝餉を済ませ四方へ散っていく一般客の中――、暖簾を潜り、店の対角に陣取った中年の男。

 ここまであからさまな態度をされると、正直、馬鹿にされているようで腹立たしいな。

 鼻で笑いつつ、そいつの様子を探り続ければ、五分もしない内に、他の二人もその場に集まり――あろうことか、情報の擦り合わせを始めた。


 これは、駄目だ。

 役所のやっつけ仕事にも程がある。

 大方、人が多いので気付かれていない、とでも本人達は考えているのかもしれないが、足運びや手の動きに一般人としての違和感があるし、何より、髪に帽子を目深に被っていた跡があるのが致命的だ。夜番だったのか、見られたくない帽子を外しているのが丸分かりじゃないか。


 一応、俺の面は割れていると仮定し、近付き過ぎない程度の距離の死角で耳を澄ませば、雑踏の間から、僅かな声が聞こえる。

 男女の二人の逗留者……夫婦、……間違いない。男の方は、昼はあまりおらず……、女は、服装が……。金周りは良い……。


 ……成程、どうやら女中に、随分不躾な質問をしたらしいな。

 これで、あの店の連中は、俺達を疑い始めてしまっただろう。

 しかし、だからこそ面倒を嫌う店の方は、俺達を追う連中がいる事をさっさと俺達に告げるだろう。

 こういう指示なのか?

 敢えてばれるように監視しているようにしか思えないが……。

 昨夜の章吾の話からは、もっとねちっこい遣り方をしているような印象だったが……。

 ん、む。

 他の作戦のために敢えて露骨な監視をつけているという可能性も否定出来ないが、どうにもおかしな事だらけだ。

 考え込む俺に全く気がつかないまま、あの杜撰な監視共は、一通り喋ると、結論は出たとばかりに頷き合い、同じ方向へ向かって歩き出した。

 だから、それじゃ、あえて別々に店に入って、違う席に座り、出る時間も別けた意味が無いんだっての。バカが。

 どうにも、諜報を水仕事と揶揄する軍の風土のせいか、頭に詰まっているべきものが足りない連中が多くてうんざりするな。

 腹いせに、こいつ等を逆に尾行けても良いが……、どうせ行き先は鎮台だろうし、あまり意味はない、か。

 それならば、と、さっきの連中に合流しなかったもうひとつの気配を探る。

 ――が、さっきの連中が歩き去っても、最後の一人は店から出てこなかった。


 まさか、千鶴の身柄をこの場で確保しようとしているのか? と、可能性としては低い行動を――いや、程度の低い連中なら、逆にそうした無謀も遣りかねないが――危惧し、一度店に戻ろうかと思ったところ、のんびりと歩いてくる背の低い男に目が留まった。

 こいつだ、と、すぐに気付いた。

 さっきの奴等よりはましだが、それでも仕草に違和感を感じる。

 軍人としての狭い環境では、癖の伝播は早く、また、閉鎖社会でもあるため独特の雰囲気が身に染みてしまう。

 さっきの連中のような露骨さは無くとも、微かな不自然さまでは拭えていない。


 こいつを追う方が面白い、な。

 それに、相手が単独なら、場合によっては身柄を確保して、情報を引き出すことも出来るだろう。

 即座に判断した俺は、人混みに紛れ、気配を周囲に溶け込ませた。


 背の低い男は、裏路地――繁華街の勝手口側の細い道を歩いている。

 素人的な逃走経路ともいえるし、誘い込んでいる、ようにも見える。まるで、周囲に人気が無いのだから、接触して来い、とでも言っているようだ。


 思ったよりも歳若いな。おそらく、俺よりも年下だ。目元を前髪で隠しているが、頬の感じで大凡の年齢は分かるし、髪の質感から、出自階級もなんとなく察せられる。

 平民出じゃないな、コイツ。

 しかし、殺気は鈍く、あまり好戦的な印象をこの男からは受けない。

 それならば、二重尾行か? と、周囲を探っても……それらしき気配は感じ無かった。

 気配を感じられない程の余程の手練が後ろにいるのか、あるいは……。

「居ますよね?」

 貧民街とは別の場所だが、寂れた雰囲気の場所。鉄道の高架橋や、鉄塔の電線が空を覆う一角で、そいつは、声を上げた。

 状況報告、という雰囲気では無い。

 おそらく、俺に対する呼びかけだろう。

 だが、声の向きから考えるに、場所がばれているという訳でもなさそうだ。鎌を掛け、適当に探っているのだろう。


 どう対応するのが面白いかな、と、にやにやしながらなぶる予定の獲物を見定めていると、意外――でもないな、可能性のひとつとしては考えていた人物の名を告げられた。

「大佐からは、このままの形で連絡しても構わない、と、言付かっております」

 あくまで勘、ではあるが、嘘ではないと思った。

 確かに、俺の所属を調べれば……しかも、連れている人間を考慮すれば尚更、動揺を誘うのには有効な言葉ではあるが、そういうのを期待した色が台詞に無い。

 折角だし、応じてやるか、と、判断し、そのまま腰の拳銃を抜く。

「分かっていると思うが、動くなよ」

 銃口を向けつつ姿を現せば、両手を上げたそいつは、見かけに依らずふてぶてしい態度で俺に向き直った。

「……味方です」

「ほう?」

「大佐より伝言です」

 余裕ぶった笑みで首を傾げて見せた俺に、見慣れた肘の角度での敬礼で、そいつは報告しだした。

 間違いなく同じ部隊の出のようだ。敬礼は、微妙に其々の舞台の癖が出る。慣れれば、そこからどこに駐屯しているのかまで割り出せる。

 大佐の差し金の可能性は、更に高まったと仮定し、それで? と、顎で続きを促すと――。

「明日、憲兵が踏み込む、と」

 ――にやりと笑ってそいつは言った。

「成程」

 嘆息して、俺は銃口を下ろした。

「驚かれないんですね」

 目の前の背の低い男も、意外と言う表情でも無しに言った。さっきの状況から、概ね俺もその可能性を考えていたのは察したのだろう。

「今日偵察の翌日襲撃とは、随分、拙速だ、とは思っているよ」

 肩を竦め、呆れたように言い放つと、そいつも苦笑いで応じた。

「欧州大戦への参戦が決まりましたからね……頭痛の種は早めに刈りたいんですよ。ただ、まあ、そういう状況ですので、憲兵とはいえ、道楽に出せる兵は多くはありません。数と質は御心配無いかと。しかし……、こちらから言うまでもなく気付かれていたんですね?」

 人懐っこい笑みで話す姿から、どこかで会った事があるのかと思い、記憶を探ってみるが、どうも一致するような顔が出てこない。同期ではないが、……せいぜいがひとつ上、もしくは、来年度入隊ぐらいの年齢だと思うんだが……。


 まあ、連隊の人数は多いんだし、俺もそこまで長いとはいえないので、知らない顔のひとつやふたつはあるか。そもそも、大佐にしたって秘密主義な部分は多いしな。

「大佐に言付けておいてくれ」

 目の前の男の喋り過ぎる部分に関しても皮肉を言おうかと思ったが、存外に若そうなので、臍を曲げられても仕方ないと思い、さっきのだらしない憲兵についてのみ進言する。

「制服さえ着なければ諜報が出来ると思っている、明らかに人波に溶け込めていない挙動不審な憲兵は、捨てた方が良い、と」

 あれならば、制服で店に立ち寄って、食事したついでに逗留者がいないかを訊く方がまだ自然だ。

 嘆息する俺に、同じ考えです、とでも言いたげな顔が向けられる。

 俺は、その面に向かって、お前もましとは言い難いんだがな、と、もう一度だけ嘆息した。

「他に、何か言付かっている事は無いか?」

 最後の確認として尋ねれば、目の前の男は、途端に困った顔をした。

 察するに、言うべきか悩んでいる素振りだったから、言え、と、視線で促すと、不承不承、という感じでそいつは短く言った。

「その、『末永くお幸せに』と」

 …………。

 意外過ぎる言葉に、一瞬、俺も目の前の男も凍りついた。


 目を覗きこんでみる。

 ――冗談ではなさそうだ。

 まあ、こんな台詞を冗談で付け加える必要なんてないんだし、なら、真実として大佐の言なのだろう。

「成程……一応、礼を言っておく」

 短く手を挙げて応えてから、俺はその場を離れた。


 推理するには、情報が少ない……が、言葉の額面通りでは無い事だけは分かる。

 大佐は、そんな家族思いでも無ければ、部下思いでも無い。寛容ではあるが、軍人としての狂奔を持った人間だ。

 そういう人間が、ありえない台詞を言付けたと言うことは……。

 どうやら俺は、予想よりは大事の引き金を引いたらしいな。


 ふふん、面白くなってきた。

 口元が綻ぶのを堪え切れず、俺は右手で顔を隠す。


 “遊び”は、こうでなくては。

 安心安定なんて毎日は、退屈ってだけなんだから。

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