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第七章:活動写真 中編

 和洋折衷という表現そのままの三字路の中心に立つ活動写真館は、木造と漆喰と煉瓦が、絶妙に混じり合っているが、舞踏場のような華やかさは無く、むしろ、俗っぽい気安い雰囲気を湛えている。

 事実、周囲の人垣にも、田舎から一目観に来た、といった感じの洗練されていない格好の人間も少なからず居たが、然程は違和感が出ていないし。


 懐かしいな。

 何気なく、二年前の研修で来た際に行った活動写真館に足を運んだのだが、建物も当時の面影をそのままに――しかも、上映内容も【実録:日露戦争】や、【艦隊実習生の日々】など、覚えのあるものが未だに並んでいて、柄にも無く感傷に浸りそうになってしまった。

「どうした?」

 千鶴が――今日はやけに勘が鋭いのか――、当時を懐かしむ俺に、絶妙な時節で尋ねて来た。

 思い出話、というのは、あまり得意でもないので、なんでもない、と、首を横に振り歩を進めようとした所……。

 千鶴が足を止めたので、軽く握っていた手が引っ張られる形になった。

「どうした?」

 さっきの千鶴と同じ言葉で尋ね返すと、千鶴は拗ねたような顔で答えた。

「お前は、二言目には『なんでもない』だ。もう少し、ワタシの事を考えてくれても良いじゃないか……」

 千鶴の事を考える、という部分の意味が一瞬理解出来ずに、まじまじと千鶴を見返す。

 どうやら、狙っているのを隠していないのだから配慮しろ、という意味では無さそうだが……?

 ――ああ、そういえば、普通の人間は、寂しさ、というのにも弱いのだったな。

 岩倉の家に千鶴が信用していた人間は殆んど居なかったのかも知れないが、それでも、千鶴自身の事を、仕事上必要な範疇で理解していた使用人は居た訳であろうし、だからこそ、今、理解し合える人間が欲しいのだろう。

 横に俺しかいない状況で、恋と誤解している縋る気持ちを抱くと同時に、置いていかれているような孤独感も抱いていたのかも知れない。

 そして、おそらく、千鶴は今までの人生を棄てて一緒に逃げられる人間だから、俺自身にも孤独があり、それを共有したい、と、考えもしているのだろう。


 ふうむ……。

 千鶴の目は俺を見返せなかったのか下を向いていたので、きつく結ばれた千鶴の唇を見る。

 ……ま、隠すほどの話でも無し、ひとつ貸しにしておくとしよう。

 いつか別行動になる際に、この分の金額は上乗せして請求する。

「昔に、陸士の研修で来た際に、半日だけ休みがあったからな。その間に、ここに来た事もあったと言うだけの話だ」

 肩を竦めて答える俺に、千鶴はまだ不満そうに質問を続けた。

「ひとりでか?」

 何故、人数を訊いたのか……は、愚問だな。

「陸士に女は居ない。それに、行き連れで引っ掛けた女と、こんな金の掛かる場所へ来てどうする?」

 千鶴の質問の真意を見越して俺は答える。

 見透かされていた、と、今度は少し恥ずかしそうに俯き、千鶴が三度尋ねてくる。

「その時は、何を観たのだ?」

「訊いてどうする?」

「同じ物を――」

「内容は、今見れば面白くはないぞ。元が戦意高揚のための檄文代わりだ」

 言いかけた千鶴の台詞を遮って俺が解説してやると、離すのを邪魔された不満もあるようだったが、それ以上に、そういう映画を観たくないと、その顔に書いてある。

 俺は鼻で笑い、続けた。

「好きなものを選べ。俺は、千鶴が考えて選ぶのなら、その答えを否定することはない」

 俺の言葉に、千鶴は解釈に悩んでいる顔で見詰めていたが、俺が提供出来る妥協点はここまでなので、親指で活動映画の宣伝画を指し示す。

 千鶴は納得し切った顔ではなかったが、上映時間も迫って来ていたので、渋々――探していたのは最初だけで、あらすじを眺めた途端、目を輝かせて選び始めた。


 着替えと同じで、ここからが長そうな雰囲気を察し、俺は盛大に溜息をつく。

 女の扱い、というのも心得ているつもりではあったが、想像以上には手が掛かるものだな、と、次への教訓を胸に留め、俺は千鶴の背中を見守っていた。



「これがいい」

 とても長いこと悩んで千鶴が選んだのは――、伊太利亜の恋愛物語だった。

 まあ、予想の範疇か。

 しかし、海都も随分と寛容になったものだな、と、思う。

 昔の研修できた時には――、尤も、陸軍士官学校の研修中という配慮は当然あったのだろうが、ほぼ全てが軍人募集用の実録映画だった。

「どうだ?」

 少し不安そうにしながら俺の顔色を窺ってくる千鶴。

 俺は、好きなものを選べ、と言ったのだから、そういう時は素直に甘えれば良いだけだろうに。

「さっき言った通りだ。行くぞ。切符を買わなくては」

 微かに鼻で笑って、俺は千鶴を館内へと案内した。

 駅の改札とそっくりな出入り口でまずは受付で切符を二枚買い、そのまま入場口のもぎりにその切符を見せ、半券を切らせる。

「何故、段階をふたつ踏むのだ?」

 至極尤もな疑問を、館内に入った後で、入り口の方を見ながら尋ねて来た千鶴。

「明日の為に、券だけ今日買う人間も居るのだろうよ」

 と、一応は納得出来そうな説明で答えつつも、千鶴の尤も過ぎる指摘に、苦笑いする。

 千鶴は、それだけで納得したのか、ふーん、とか、ほー、とか、そんな声を出しながら、特にそれ以上の追求もせずに付いてきた。

 頭が、映画の方に完全に向かっていたのだろう。

 でなければ、受付から入り口まで連続した列から、先程の俺の答えで不十分なのは容易に推察出来るのだから。

 ま、こういうのは、改善の余地の有る、先例に倣っただけの大人の事情なんだろうが、それを上手く説明する言葉も、理由も必要性も無いし、これで善しとするか。


 赤絨毯の通路の奥に進んだ一角。

 恋愛映画の会場は随分と空いていた。

 百人程度は収容出来そうな部屋なのだが、人の入りは三割にも満たない。段の前の特等席すら、半分程しか埋まっていなかった。

 これなら、好きな場所で観れる。

 活動写真が流行っている割には変だな、とは思ったが、ここは海都で、軍の要所でもあるのだ。

 こんな軟弱なもの、という気質がこの辺りの男にはあるのだろう。

「前にするか? 尤も、最前列は逆に観難いが」

「お前が、良いと思う場所へ案内してくれ」

 一応、千鶴の希望を訊いてみたが、完全に一任されてしまったので、それならば、と、十列ある客席の尤も見やすい、三列目の中央より左よりの席に千鶴を案内した。

 座ってすぐに、砂切の打ち拍子が三つ鳴らされ、壇上に純白の幕が降ろされ、天井の灯りが絞られる。

 人入りは疎らなままだが、定刻になった、ということなのだろう。

 外国語の映画会社の宣伝がまず流れ、それから、場面の背景に当たる英文が画面に映し出された。


 確か、海外では弁士がいる方が珍しく、基本的には要所に差し込まれる文字を目で追うんだっけな、と、英文に目を――通したつもりが、どうやら、字幕も伊太利亜語のようで、全く解らなかった。

 同盟国の英国英語や土耳古語ならともかく、伊太利亜語なんぞ、よっぽど酔狂な人間でなければ読み書き出来はしない。

 ともかく、弁士がいるのだから良いか、と考え、耳を澄ませ、少し冴えない男と美人が手を取り合って車へと乗り込む場面を眺める――。


 欧州の瀟洒な町並み、日本にはまだ殆んど輸入されていない自動車に、飛行船。昨今の欧州への憧憬を強く前面に出した構成となっていた。

 移り変わる場面の街並みは、飽きさせないように目まぐるしく変わり、そこを駆け抜ける二人の物語も悪くはない。

 しかし……、一言はっきり言わせて貰えば、活動弁士が下手糞だ。

 なんていうか、女心の機微や、恋愛の間合いを読んでいない。

 はっきりいえば、出歯亀の助平爺が、人の恋路に茶々入れしているようにしか聞こえない。

 これなら、この程度しか人が入らない事に、むしろ納得してしまう。

 おそらく、殆んどが一見の客なのだろう。

 そして、この中の唯一人として、もう一度観たいとは思わないだろう。


 千鶴も楽しんではいないのだろうな、とは思いながら、一応、その横顔を窺えば、千鶴は至って真剣な表情で白幕に映し出される映像に見入っている。

 映像に集中していて、弁士の声までは頭に入っていかないのかもしれない。

 ……いや、むしろ、意図的に弁士の声を無視して、頭の中で絵から物語を創造しているのかも。


 この後、どうご機嫌を取ったものか。

 下手糞な弁士をひと睨みしてから、映画の事はもう頭から追い出し、これから先の挽回方法を俺は練っていた。



「…………」

 概ね予想通りではあるが、活動写真館を出た千鶴は無言だった。

 表情は、少し硬く、思い出して悦に浸っている、という様子は見て取れない。

 千鶴が抱いた活動写真への印象は、決して良い物ではないだろう。

「カフェーでも寄るか?」

 つまらない場所へ案内してしまった反省の意味で、活動写真程ではないにしろ、若い文豪の間で流行っている洋風喫茶へ誘ってみる。

「……うん」

 さっきの件が期待外れだった事もあってか、千鶴は、あまり期待していなさそうに頷いた。


 通りを少し進み、広く張り出した庇の下に客席がある――海外では、オープンカフェ、とか呼ばれる形式の喫茶店に入る。

 流行の珈琲をふたつ頼み、改めて千鶴の方に向かって問い掛けてみた。

「活動写真はどうだった?」

「あの弁士が――」

「――下手だったな」

 千鶴が、一瞬、はっきり言って良いものかどうなのか悩んだようだったので、言葉が繋がるように続きを言ってやる。


 目を瞬かせた千鶴。

 だが、次の瞬間、にやりと笑ってから訊いてきた。

「やはりそうなのか?」

「ああ、あの歳であれは無い。いつ首になっても不思議ではない程度だな」

 忌憚の無い意見をはっきりと言ってから、俺の責任がどの程度かは判じかねるが、ともかくも、楽しめなかった活動写真に関して詫びを入れる。

「済まんな。全く楽しめなかっただろ?」

「声を聞かなければ、多少は面白かった」

 俺に気を使ってくれたのか、千鶴はそう答え――、今し方届いた珈琲に口を付けた。

 そうか、と、聞き逃しそうになったものの、ん? と、少し千鶴の態度に引っかかりを覚え、さっきの台詞を思い起こす。

 声を聞かなければ? どうやって、それで楽しんだのだ? ……ああ、途中に差し込まれる伊太利亜語の文章を読んだのか。

 しかし――。

「ん? 千鶴は外国語が出来るのか?」

 意外……というほどの事でも無いか。腐っても上流階級だ。とはいえ、伊太利亜語まで分かるのは珍しいが……。ま、幕末以降に外国人が増えたことも鑑みれば、家の方針でそういうこともあるのだろう。


 今後の方策にも活かすので、どの程度伊太利亜語を話せるのか、という意味で俺は尋ねたのだが、千鶴の返答は俺の予想を大きく上回っていた。

「一通りは。英語と露西亜語、葡萄牙語は概ね問題ない。伊太利亜語は、まだ覚束無いので、所々は前後の文から推察したけど……ああ、あと、仏蘭西語も少々」

 何でも無い事のような顔で、指折り数える千鶴。

 挨拶程度が出来る、と言う意味で言っていそうな気がしないでもないが、それでも、映画の字幕が読めた以上、日常会話程度なら、上げた国の言葉を使いこなせると見て良いだろうし。


 ……正直、意外な才能だ。

 貴族連中も、教養は人一倍熱心だが、子息共の身に付くか、となると別の話だ。

 語学研修なんて、凡そ海外で羽目を外すための方便で、実際問題として、軍にいるそうした上流階級の子息共も、行ったと主張する割にはその国の言葉も文化も理解が浅い。

 意外と勤勉なのかもしれないな、千鶴は。

「うん?」

 まじまじと千鶴を見る俺を、千鶴は不思議そうに小首を傾げて見詰め返してきた。

「大戦が終われば、欧州にでも行ってみるか?」

「そうだな、欧州にも連れて行ってくれ」

 ふ、と、笑って俺は頷く。

 千鶴の旅の終着点は――、少なくとも俺の中では決まり、後は、日本を出て以降、そこに至るまでの物語を描く段階へ入ったと思っていた。

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