第六話 見えているモノ、視えるモノ
この世界には、この目に見えているものとは違う、別のものがいる。
それは、人の感情の〈色〉だったり、その人や場所に憑いたりする所謂〈霊〉の類だったり。そういった様々なモノが視えるのは、世の中では中々受け入れてもらえぬ対象だったりする。
だが、それ以上に恐ろしいのは、視えるソレが〈想い〉に感化されて意志を持つ事。
私は、それが〈怪異〉という一つのモノである事を、知っている。
それが、収拾がつかないくらいにまで膨らんでいったものは、最早〈怪物〉としか呼びようがない。
実際に目にしたらどれほどのモノか、考えたことすらない。でも、それを視たら、きっと…。
私は、私でなくなってしまうかもしれない。
────どれほどの時間が経ったのだろうか?
暗い視界が明るくなると、高い天井が視界からあふれんばかりにある。
ゆっくりと顔を横に向けると、なぜか昼間の庭で……もう少し見渡すと、大きな背中が見えた。
〈色〉の黒ずんだその背中は、確かに記憶にあるもので。
「…あの。」
ほんの少し起き上がりながら、そうたった一言声をかけると、その人は動かしていた手を止めこちらを見る。
「やっと起きたか。」
昨日…と変わらぬ鋭い目つきが私を映すも、アレを視たのが記憶にある私は、彼の目はもう怖くはなかった。
「すみません。迷惑をかけて…。」
「荒冷華のアレが視えたのなら、倒れるのも無理はねぇ。」
「…土方さん、視えるんですか?」
「…。」
無言で答えぬ土方さんは、それ以上は言わなかった。
きっと、視えるんだろう。視えてはならないものが。
同じ視える者としては、喜ぶべきだろう。だが、私は喜べない。
それは、この人も私と同じように、視えていたって得るものはただの視えていることへの疲れと人と違うことへの苦しみ位だと考えていると思うからだ。
「土方さんは、怖くないんですか?アレ。」
「何度か視てるからな。…だからか、アイツの考えることが理解できない。」
「……。」
けれど、多分土方さんは〝そういう人〟じゃなくて、〝そういう人〟に必然的になるほかなかったかもしれない。
昨日は、子供嫌いで女をよく思わぬ〝荒っぽい武士擬きの硬派な人〟だと思った。だが、話を聞いてたら、なんとなく違う感じがしたのだ。
元々、目つきが悪いとはいえ綺麗な顔をしているから、もしかすると綺麗な顔は女性からは人気で、でも鋭い目付きで子供からは逃げられてしまう一方だったんじゃ、と。
性格は……まぁ、環境で変わっていくのが人だ。今まで生きてきた環境とそこで育み続けた記憶がこの人の今の人格、つまりは性格をつくってきたのだろう。
その環境の中で、視える側の土方さんは、裏でおきる憎悪のぶつかり合いや恐怖の〈色〉を視ていたから、きっと女子供自体が苦手になってしまったんだ。
…だとしたら、この人、ほんとは全然怖い人じゃないのかもしれない。じゃなきゃ私をここに寝かせないだろうし。
……あくまでも、私の勝手な考えにすぎないけれど、ね。
「……何見てる。」
「あ、すみません。…部屋、戻りますね。」
色々考えていたが、それでも他人の部屋にいつまでもいるのはよくないので、私は布団をきちんと畳んでさっさと部屋を出ようとした。
だが、そんな私に土方さんは声をあげた。
「否、ここにいろ。」
「は?」
「昨日、教えていないことを教えてやる。」
横目でそういい、また何かを始めた土方さん。
どうやら、何か教えてくれるようだが……剣術か或いは幹部たちの事だろうか?昨晩のあの場ではあまり彼らの事を知れなかったから、あるかもしれない。
とりあえず、大人しく待っていようと部屋の隅っこに正座をしてひたすらぼーっとしていた。
ここにきて二日、ドタバタしている様なしてないような感じだが、土方さんを見てると色々仕事をしなきゃと気合がわくのだが…社畜の鑑かこの人。
ここで私がすることなんて、精々洗濯の手伝いやら怪我の手当てやら食事の支度の手伝い程度。言ってしまうが、これといって仕事という仕事でもないし、剣術を磨いたところで荒冷華さんレベルにまではいけないだろうし、私がここにきても特に役立つ事なんてない気がするんだが。
実際、〈色〉に〈怪物〉を飼っていなくとも私は異常に変わらないわけで。
他の子と馴染める訳ないし、まず、こんな明るい外に馬鹿みたいに飛び跳ねて出たら確実に倒れるし。
じっとりと外を見つめて一人深いため息をもらした〝異常〟である私のこの胸に秘めた気持ちは、恋だ悲しみだなんていう漫画やドラマの乙女なものではなく、どこにでもいる十二歳の子供の持つ『つまらない』という〈平凡〉なものだった。
あっちの人は、こんな私を見て個性がないだの冷めてるだのと言うが、単にあっちの人々に関心や尊敬が持てないだけであって、それなりに興味のあるものがあったら関心も持つし、尊敬できる人がいたら尊敬する。
ま、どっちにしろ冷めている事に変わりはないが。
「ふぅ…。」
仕事が大分片付いたのか、一息つく土方さんは目に見えてお疲れ状態だ。
「……お疲れの土方さんのお手を煩わせるのは気が引けるので、何をやるか目的をお教えしてくだされば、あとは自分でやりますけど。」
「お前、さっきから黙っていると思えば考えてる事がガキのそれじゃないな。」
「生意気ならはっきり言ってくれていいんですよ?同じ名前のアイツの方がまだ子供らしいと。」
「…まぁ、生意気だと思ったことは否定しない。」
「でしょ?」
クスリと笑ってこれぞ生意気と言わんばかりに嘲笑すると、土方さんは少し考えたのち悪い顔をしてにやりと笑った。
「じゃあ、夜の町の巡回時、荒冷華達と一緒に行って────。」
「剣術のたしなみのない私に巡回同行って鬼ですか⁉」
「おいおい、さっきまでの生意気さがないが怖いのか?」
「う…く、暗闇は前から嫌いなだけです。怖く…ないもん。」
拗ねたように顔を背け畳を睨むが、畳を睨んだところで何も変わらない。
…暗闇が苦手な訳は、私にはないはずだが、なぜか苦手なのだ。確かに、記憶にはないのに…。
「冗談だ。ま、所詮はガキだな。」
そういってやっぱり嫌味な顔で笑う土方さんは、俺様な感じをバンバンだしてくる。
こりゃ性格の歪みがひどい重症患者だな、うん。
「そ、それより、教えてくれる事って何ですか?」
「あぁ、町の案内をするつもりだったが……気が変わった。」
「?」
首をかしげてわからないと無言で伝えると、土方さんはそれにすぐ気づいて、私の畳んだ布団の隣に置かれた刀を指さした。
「総司と一から剣術を教われ。」
「…剣術を、沖田さんと斎藤さんから?」
「なんだ。嫌か?」
「いえ。ですが、私、昼間は……。」
少し俯いてうじうじしていると、土方さんからとんでもない言葉が出た。
「だったら夜教わればいいだろう。総司なんて暇を持て余してると思うぞ。」
(おいおい、警察が夜に暇を持て余すのってどうなんだ、ええ?)
心でそう突っ込むもそんなのが本人に伝わる訳もない。故に、私はすこし引き気味に「はい」と返事を返した。
まぁ、自分の身は自分で守れと言っていたし、これも立派な勉強だろう。
…ていうか、どうして土方さん、私が昼間出れないことをすぐに理解したのだろう?
勇さんが教えたのかな。私が昼間外に出たら、光が強くて目と皮膚への刺激が凄く激しくて倒れちゃうこと。
もしそうなら、お礼を言わないといけない。
「じゃあ、私はこれで。」
そう言って深々と頭を下げ、土方さんの部屋を静かに出た。
障子を閉める際、隙間から見えた土方さんの影に、昨日見た〈怪物〉に似たモノが重なった気がした。
**********
その夜、私は夕食を済ませてから沖田さんと斎藤さんに土方さんから言われた事を伝えた。
斎藤さんは、本日は巡回の為に明日となったが、沖田さんは意味ありげな笑顔でOKしてくれた。案外優しいのかなぁ、とか思って少し期待したら、とんだ悪魔だと知った。
いざ練習をしようと言われた場所で待っていたら、初っぱなから鞭を打つ様な厳しさで重い木刀での素振りを何度も何度もさせる上に休憩無しだなんていうスパルタ指導をするのだ。
あの意味ありげな笑顔は、その鞭に打たれて苦しみに歪む私の顔を見る快楽を想像しての事だったのだと気づいた時には、既に指導を受けてから三時間程経ったであろう時だ。
あまりにも凄まじいスパルタ指導は、体の弱い私にはとてもじゃないが耐えられない。
「っはぁッ……はぁッ……くっ……!」
「辛そうですねぇ……。いいんですよ?辛いなら止めても。」
それでも笑顔の彼は、きっと女だからとかあの子と同じ名前だからとか、そういう理由でこんなに厳しいんじゃない。
私が、近藤勇の孫だから。
品定めする目も、勇さんの孫と聞いて一瞬で驚きから疑いに、疑いから憎しみに変わった事も、全部、それが理由だ。
だから、ほら、今だって。
〔やっぱり、信じられない。こんな子供が近藤さんの娘なんて。見た目も、強さも、性格も、遥かに違うのに。〕
「…っ。」
彼の心の臓が、憎悪の〈色〉で満ちている。
赤く、黒いどろどろとした触手の様なモノが、言の葉を紡いで彼の心にみっしりと絡み付いている。
同じだ。私が、芹沢鴨という男の孫である事をあっちでさんざん言われた時の事と。
ぶっ壊れた街中でも唯一無事だった私の家。その家の主人がおじい様で、あの人の強さと私の弱さを比較して似ていない事をバカにされ、私の家が無事な事からの妬みや僻みの冷たい言葉と〈色〉の暴力でさんざんだった。
こんなひねくれた私の中身は、いつしかそんな環境に耐えられず、肉体との繋がりが断たれて表情が思い通りにつくれなくなった。
素直になれなくなった。流されるがまま、繕っていった。
視えないふりは楽だ。他人の〈色〉や、今みたいに言葉を、知らぬふりをすればいい。
「知らない」で済むのならずっとそうやって逃げ続けていればいい。
「お、沖田さん!?」
「!」
通り掛かっただけであろう少女が、私達に気付いて走ってくる。
沖田さんは、そんな少女を横目に怠そうに「嫌な奴がきた」と呟き、頭をがりっと一度、掻く。
「何してるんですか、女の子相手に!」
「何って、稽古だけど?土方さんがこの子に言ったんだよ。僕と一ちゃんから教われって。」
「土方さんが…?」
此方を見開いた目で見下げた彼女の背後から、昨日の〈怪物〉か顔を覗かせた。“土方さん”の名前で奴が顔を覗かせたのは、恐らく二度目だ。
少女・荒冷華さんは、一瞬躊躇いながら沖田さんを見上げた。
「でも……駄目ですよ。近藤さんの娘さんがもし怪我でもしたら……。それに、この子は戦いの場には出さない子です。ある程度でよいのでは?」
……優遇…?
「まぁ、君よりは弱くていいかもね。でも、娘なら尚更、近藤さんが嘗められない為にも強くさせないと。」
「……。」
同じ名前のこの子は、〈怪物〉を飼ってまでここにいる。己の身を黒く歪んだ想いのままに動かして、実力を認められてこの地にいる。
私は、ただ勇さんの孫である筈なのに娘だと偽って、居させてもらっている。実力のないまま、ただ、いる。
なんだか気に入らない。
何故、こんなにも彼女の事が気にかかるのかわからない。初対面なのに、いつもと変わらないのに、何故か彼女の下でいたくない。
同じ名前なだけで、その人が〈怪物〉を飼っているだけでこうも嫌な気分になる理由がわからないけれど、たったひとつだけ、わかる────。
「!」
重い体を木刀を杖にして立たせ、酸素の行き渡らない体内に肩で息をしながら必死に取り込む。
立つのが辛い。息ができない。ひ弱な体の筋肉が悲鳴を上げている。それでも、確かに立ち上がった私は、己の限界に初めて抗った。
「私は、あの人の身内だっていうお飾りなんか、いらないッ!!」
「…っ!」
「し、詩祈さっ──!」
その言葉を大声で叫んだ後、私は今までの事全てを当て付けるように木刀を振り上げ、沖田さん目掛けて振り下ろした。
「私の方こそ、あんたらなんか大っ嫌いですよッ!口で言えない様な、奴なんかッ!!」
かぁんッ と木刀の当たるその重さを感じさせない軽い音が、腹から声を出して叫んだ言葉が、遠く星の瞬く夜空に響いた───。
**********
───ちらちらと地面に降り積もる薄紅色の花弁が、風で土埃と共に舞い上がる。
舞い上がった花は、黒と藍を混ぜた空に。瞬く星々とそこに浮かぶ鮮やかな銀の光のベールを纏う月は、木の剣を手に声を張上げる少女を見守る様に輝いていた。
いつもは静まり返る夜に響く声は、他者を呼び寄せるには充分過ぎた。
だが、それ以上に、誰もがその少女に目を奪われた。
動きに揺れる1つに結われた見慣れぬ白銀の髪と紅く光ある目、白く、だが柔らかな色の肌、子供とは思えぬ程に整いきった顔。
西洋人にも思えるその儚く美麗な見た目の少女は、始めこそ慣れない手付きで木刀を握っていた。木刀の重みに引っ張られ、姿勢だって初心者そのものだった。
そもそも、竹刀ではなくあえて重い木刀を握らせたのは、この子の実力がいかなるものか知りたかったからだ。
別に竹刀でも良かったが、近藤さんの娘なら木刀でも近藤さんと相応の力があるはずなんだ。それが、知りたかった。
けれど、僕は失望した。期待はずれだった。彼女は、立てなくなった。結局、娘ってのは嘘で、この子は荒冷華志輝と同じ世間に秘密で新選組に匿われた子にすぎない、と。
だが、一瞬。一瞬の間に、彼女の目が変わった。
その辺の侍とたいして変わらない位の力で此方に立ち向かってきた。
成長したのだ。いつか見た、真っ直ぐな思いで刀を振るう近藤さんの目と、とてもよく似た目で。
力強く地面を踏み込み、木刀を先端が削れる程の力で振り回す様は、儚くひ弱な見た目を裏切り、あの暗殺した芹沢という男の姿を思わせる木刀の振り方。
とても女とは思えない。が、何故だろう。
久々に、楽しいかもしれない。
「やぁあああっ!!」
「っ…!やれば……っできるじゃないですかッ!」
「うぁ!?……ぐッ!」
「あっ……!」
押し返した反動で地面に転んだ少女・詩祈は、荒い息を堪えてまた立とうと手を地面につく。
これ以上は、流石に彼女の体がもたない。そうなれば、近藤さんに僕が怒られるだろう。
自分の持つ木刀を構えるのを止め、座り込んだ詩祈の、詩祈さんの傍に寄って屈んだ。
「今日はこれで終わりましょう。後で怒られるの嫌だし。」
「はぁッ…はぁッ……はぁあ……。……私っ、謝りませんからっ。」
「!……っはは。そんな事、いま言いますか?」
「むぅ…っ…。」
此方をじっと睨み、悔しさからか、目を潤ませる詩祈さんは、さっきとはまるで別人だ。
何がきっかけであんなに急成長したのかわからないが、彼女の中でなにかが変わった様に思う。
荒冷華志輝が来てから突然に力が増した理由は、多分発言に問題があったのだろう。でも、口で言えない奴とは、何にたいして言ったのやら。
まさか、土方さんさんと“同類”でもないだろうし。
不意に、未だに肩で息をする彼女と、その彼女を心配そうに屈んで見つめる荒冷華志輝を比べるように見ると、改めて正反対だと思った。
白髪と黒髪、赤目と青目、白い肌に少し黒い肌、つり目にタレ目だ。性格なんてひねくれた所と馬鹿みたいに優しい所が全く違う。
どちらも歪んだ感じが強いが、さっきの詩祈さんを見るかぎり、詩祈さんはちゃんと別の理由があるのだろう。
まぁ、多分たいした理由ではないだろうけど。
「しぃ!」
「あ、勇、さん……。」
愛称で走り来る近藤さんは、詩祈さんを見てたいして怪我がないことに安堵の溜め息を吐くと、少し困った様に笑った。
「駄目じゃないか。無理して動き回っちゃ。」
「ご、ごめんなさい。…でも、楽しかった、ですよ?…………最後だけ。」
ぼそりと言ったそれは、ちょっとだけカチンときた言葉だったが、確かに僕自身も最後は楽しかったと一瞬でも思った。
あんな必死な様の彼女がボロクソに負けた時の苦痛に歪みきった顔を想像したら、身体中に電撃が走ったみたいにぞくぞくしたのだ。
…あんな、真っ直ぐな目で木刀を振っていたのに。
「はははっ。そうか、楽しかったのか。…そうか。」
「……。」
「はい。……沖田さん。」
「はい。」
「スパルタ指導、またお願いしますね。」
(すぱるた指導?……厳しくしたつもりなんだけど、生易しかったのかな?)
笑顔を張り付けて「はい」と返事を返した僕に、彼女は立ちあがりながら可笑しそうに笑って、こんなことを言って去っていった。
「スパルタっていうのは、鬼の様に厳しいって意味です。」
詩祈さんのまるで人の心を読んだような言い方に、彼女の存在は僕の中で“疑い”から“確信”へと変わった。
今見ているモノじゃないモノが視える人だという事が何を意味するか、恐らく土方さんと僕以外、わかりはしないだろう。
この時、僕が笑って「そうですか」と言った時、近藤さんの顔がよりいっそう曇った理由の説明が“確信”に繋がったが、いまいちわからない。
荒冷華志輝が、獲物を睨む獣の笑みで彼女を見ていたその理由が。