第四話 脆いは人、弱いは
『はぁ…。』
勇さんとの話がある程度終わったところで、私は土方さんと共に勇さんの部屋を後にする。
出てからすぐにしたのはため息。それも、土方さんと同時にだ。
私は、隣に立つ土方さんを恐る恐る見上げる。
「あ、あのぅ…。」
「…何だ。」
う、やっぱり怖い。
「ひ、土方さん…とお呼びしても?」
「好きにしろ。」
「は、はい…。あ、それから私ってどこにいれば…。」
「さっきの話聞いてなかったのか?それを今から案内するんだ。」
「あ、すみません…。」
ブツブツときられていく会話。
ただの質問であるにもかかわらずこの短さだ。
かなり嫌われている。
まぁ、泣き喚く女子供よりはマシと言っていたほどだし、おそらくも何も、単純にそういう系統がダメな人なのだろう。
仕方ない。
「何してる。早くしろ。」
「はい!」
ぼーっと考え込む私を待っていてくれたのか、先に進む土方さんが少し苛立った様な声で私を呼ぶ。
慌てて後を追い、なるべく距離をおいてついていく。
後ろで少し高めに一つ結いされたはね癖のある髪が、一歩を踏むごとに揺れているのがとても気になる。
私の髪質と同じなのかな。なんで前髪右側に寄せてるんだろ。お洒落?
子供ならではの疑問が浮かび、想像しては少し笑ってみる。
気づいているのかわからないが、本人は何にも言わない。
黙っていればかっこいいのに。
そんなことを思いつつ、私は笑った。
この邸内の案内が始まってから数十分ほど。
この邸…否、新選組の頓所には、隊士の部屋と幹部の部屋とがあり、その中でも幹部の部屋は、一つずつ個別で、隊士は数人と共同で使う部屋らしい。
新選組には男ばかりかと思えば、ここにも女性はいるらしく、その中でも強い人と同じ部屋になった。
「近藤さんの孫だから」という理由らしい。
同室の人は、偶然にも私と同じ名前で、漢字が違うだけの人だった。
荒冷華志輝というらしい。
土方さん曰く、ちょっとしつこい人らしい。
あとは、厨がちょっと殺風景なのと、厠が小奇麗なのと、土方さんの部屋はまぁ出入りは基本すべきじゃないが、勇さんに用があるなら来てもよいと許可をもらった。
それから、この頓所に来たが最後、規則を守れと言われた。
私が守るべきは二つ。
外部に情報を洩らさない事。勝手に外に出ない事。大体はこれでいいのだという。
案外たくさんの事を教えてくれた土方さんは、時間になるまでは荒冷華さんと同じ部屋にいろと残してさっさと行ってしまった。
忙しいのだろう。なんせ、副長なんだから。
今は私しかいない部屋の隅に座り、一息つく。
静かなこの部屋で、ふと自分がずっと刀を携えていた事に気づく。
当初、重いと感じていた刀を、持つのも大変だった刀を、私はずっと持っていた。
不思議というより、奇妙に感じた。
でも、もしかしたら、気づかないくらい体が驚いていたとしたら、考えられないこともない。
(きっと、大丈夫だよね。ここでもやっていける。勇さんだっているし。山南さんだって…。)
そうだ。山南さん。
土方さんが怖くて質問の答えはもらわなかったが、今までの話を思い返すと山南さんは確かにこの頓所に居る。
しかし、あの話し方からみて山南さんは何やら訳ありで少しばかり他者との距離をおいている様だ。
あの人がここにいて土方さんと大分親しいのは、やはり過去の偉人故だろう。
山南さんが引きこもるほどのショックを受けた時は、生易しい慰めをすべきじゃない。それは頭のきれる人が故に事を深く分析されて誤解をされるからだ。
本人もそうは思いたくないだろう。が、しかしそうもいかない。彼のプライドが、その生半可な行為を許さない。
まぁ、ぶっちゃけ言ってしまうと、面倒な人なんだ。山南鷹十…否、山南敬助という男は。
そういえば、あの人が私をここに送ってくれた人だった。
傍にいるとか言いながら、傍にいない。 否、いないのが普通か。
ここでは引きこもりなんだ。出てきたら怪しまれる。
さて、どうするか。
自己紹介はおそらく夕食時に行われる。
それまで時間はまだまだあるが、山南さんの部屋へ行けば変に勘繰られる。
できれば、未来から来たことは内密にした方が賢いだろう。勇さんも土方さんもそして私自身もそれほど質問攻めにはされないはずだ。
ただ、ずっとここにこうして黙って座っているのもつまらないし、なんだか窮屈だ。
(庭を見て回る程度でなら、でてもいいかな…?)
ほんの僅かな好奇心から、私は部屋の障子をすっと開けてあたりを見る。
不自然なくらい音も気配もしない。
ここまだ静かだと流石に不気味だが、部屋にいると頭が可笑しくなりそうなのでとりあえず部屋を出た。
さぁ、出たはいいが人にばれないように見て回るにはどうするか。
やっぱり隠れながら行くのが妥当か。
ふうっと息を吐き、前後に分かれる廊下の後ろ側を音をたてないように歩く。
出てすぐの縁側から見える中庭は、土と雑草が程よく混じり、物干し竿には布が干されている。
昼であろう日差しが少し目に痛い。
日焼け止めがないから外に出れるのは夕方か夜になってしまうな。
「…?」
なんて思いながら庭を眺め歩いていると、一匹の猫がじっとこちらを見ている事に気づく。
鳴きも逃げも隠れもしないその猫は、艶のある毛並みで片目だけが金色の〈色〉を放っている。
不思議な猫だ。
私を見ても堂々と座っている。
「……君も一人なの?」
そっと小声で訪ねた時、猫は立ち上がってその場でくるくると回った。
たった二回転しただけだった。
それをして何やら満足そうに草陰へと消えてしまった猫の影は、先ほどよりも伸びていた。
「…何だったんだろう。」
ポツリとそうつぶやいて自室へ戻った私は、部屋に来た土方さんに叱られるという、まったくもって不思議な体験をした。
だって、土方さんったら今までどこにいたんだって訊くんだもの。
ずっと部屋の近くの廊下で庭を見てたって言ったらすごく驚かれた。
なんでも、さっき通った時は〝誰も〟いなかったんだそうだ。私が消えたとでも言いたいのか。
まぁ、たいして気にすることでもないと判断した土方さんは、時間だから来いと言って先に行ってしまった。
そのあとを急ぎ足で追った私の耳に、猫の鳴き声が細く響いた。
まるで、今にも死に逝くような、か細い声が───────。
夕食時の少し前あたり。
私は土方さんに連れられ、山南さんのお部屋の前にいた。
ほんの少し、肌寒い。
「いいか。余計なことは言うな。ただ、自分の名前とここに住むことだけを伝えて出て来い。」
「余計って、たとえば?」
「それくらいお前でも会ってみりゃわかる。」
「わっ。」
着替えたばかりの着物の襟をぐいっと引っ張られ、土方さんが私をじっと睨んだ。
「わかったら、絶対にやるな。」
「は、はい…。」
びくつきながらの返事に多少の不満さをみせながら、土方さんは襟をはなし、あごで行けと合図する。
人を顎でつかうとは。どんだけ失礼なんだこの男。
でも、自分がこの人よりもはるかに年も身分も下なのは、まぎれもない事実。
仕方ないことだ。
私は、土方さんにせかされるがままその部屋の戸の前で声を上げた。
「突然すみません。総長の山南さんにご挨拶に来ました。」
「どうぞ、おはいりなさい。」
あれ、案外元気そうな声。
すんなりと入室を許す声が、あまり落ち込んだ感じではないことにほっと胸をなでおろしながら部屋の戸を開け、お辞儀をする。
「失礼します。今日からここにお世話になります、幸咲華詩祈と言いま……!」
「やはり、土方君に話すのは正しかったです。こんなにも早くあなたのお姿を見ることになるとは。」
「!」
「…全くですね。けど、私はもう少し日が過ぎてからお会いしたかった。」
「すみません。ですが、早い方が貴方の安否がわかって我々も動きやすいので。」
「…。」
私は、そう言って笑う山南さんの触れてはならぬものに目を向けた。
包帯のまかれたそれは、この世界の彼にはなくてはならないモノであるにも関わらず、ただピクリとも動かない。
土方さんも勇さんも理由を一切口にしなかったのは、それが山南さんの〝左腕〟だったからだと、今やっと知った。
「土方君、彼女を広間にお願いします。私は、ここにいますから。」
「あぁ。」
待って。何故、どうして。
先に進めないで。私は、私はまだ山南さんに話がある。
「お嬢、ここの幹部たちは皆いい方たちです。彼らをあまり警戒しないでやってくださいね。」
「…。」
何も言えずうなずくだけの私を引っ張り上げ部屋から連れ出す土方さん。
ただ一人残される山南さんが閉まる戸の隙間から見えて、それでも何も言えない自分が憎い。
「人間なんて脆くて弱い。」
影すら見えない部屋の奥をもう見ることもせず、私は小さく吐き捨てた。
───どす黒い心境のまま入った幹部らの集まる広間。
この目に映った彼等から視えたのは、そんな自分よりも限りなく黒く染まった心の鎧だった。
黒く、決して触れることを許さないその鎧は、とある男の一声が消し去った。