九
ワタルと沙樹は互いに顔を見合わせる。
さっきまで泣いていた沙樹は、口を半開きにして何か言おうとした。だが言葉を見つける前にふっと息を吐いたかと思うと、突然笑い始めた。抑えようとしても抑えられず、いつまでも笑い続ける。ひとしきり笑ったところで、最後に残った涙を両手で拭き取った。
「うそみたい。同じ大学だからって、こんな偶然あるんですね」
「まったくその通り。信じられないよ」
ワタルは残ったコーヒーを飲み干した。カップをおき、改めて沙樹を見る。いつもと同じ屈託のない表情に戻っていた。
「思い切り笑ったら、急におなかがすいてきたみたい。マスター、何かあります?」
「焼きそばくらいならすぐに作れるけど、終電大丈夫?」
マスターがカウンター内の壁にかけられた時計を指さした。日付が変わろうとしている時刻だ。
「うそ、いつの間に」
沙樹は椅子から飛び上がり、慌ててコートに袖を通す。
「走ったら間に合うかな」
「遅い時間だから、駅まで送るよ」
「走らなきゃいけないし、いいですよ」
「遠慮しない。ライブに備えて毎日ジョギングしてるから。こう見えても体力には自信があるんだ」
ワタルが力こぶを作るポーズをとると、沙樹は目を細めて、
「じゃあ、お願いします」
と笑った。
背後で、エラ・フィッツジェラルドの力強いボーカルが響いていた。
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