四
「今なんて言った? おれの聞きまちがいかな」
おずおずと問いかけるワタルに、沙樹はグラスを手にとってふりかえり、笑顔で答えた。
「先輩と別れました」
言葉の意味するものは重い。なのに沙樹の口調は、語尾にハートがついているのではと思わせるほどにさわやかで明るかった。
泣いている子なら慰めることもできる。でも隣にいる女性は、自分の失恋を笑顔で告白した。こんなときどうやって返せばいいのだろう。
困惑して固まってしまったワタルをちらと見たあとで、沙樹は残った琥珀色の飲み物を一気に流し込んだ。
「別れたって、沙樹ちゃん?」
今飲んだのは水割りだろうか。ワタルは嫌な予感がした。ちょうどそのときマスターが料理を持ってきた。
「おまたせ。今日は寄せ鍋定食だぞ。寒い日は鍋に限……」
「マスター、沙樹ちゃんお酒を飲んでた?」
ワタルは言葉をさえぎって問いかけた。マスターは不思議そうな面持ちで、
「飲んでるよ。でも沙樹ちゃんは二十歳過ぎてるし、飲んだのも薄い水割り一杯だからたいしたことないよ」
「そうそう。たいしたことありませんって」
沙樹はにっこりと笑った。だが目が据わっている。
ワタルは沙樹が酒に弱いことを知っている。この妙なテンションはすでに酔っているからに違いない。
「ワタルさんも一緒に飲みませんか。ひとり酒なんてつまんないです」
「せっかくだけど止めとくよ。今晩中にレポートを仕上げなきゃならないんだ。飲んだら書けなくなるからね」
明日は日曜だが、バンドの練習で朝からスタジオに入ることになっている。
ワタルは大学の仲間と作るバンド、オーバー・ザ・レインボウのリーダーだ。そんな立場の者が二日酔いや徹夜明けのコンディションで、練習に臨むわけにはいかなかった。