十一
沙樹はスマートフォンを取り出し、友人に電話をかけている。泊まるところが見つからなければ、朝までつきあうのもいいかもしれない。いや、正確には「つきあってもらう」だろう。
沙樹は肩を落とし、ため息をつきながらスマートフォンを鞄に戻した。そしておもむろに立ち上がり、重い足取りで階段にむかう。ワタルはそばに並び、ふたりで駅の外に出た。冷たい空気が体温を奪う。走って汗をかいた分、夜風が体の芯まで冷えさせた。
「泊めてくれる友だちは見つかった?」
「こんな時間に急に押しかけるなんて、やっぱ無理でした」
沙樹はコートの襟を合わせて、背中を丸めた。両手に吹きかける息が白く凍る。
「今から二十四時間営業のファストフードかネットカフェに行きます。ワタルさん、今夜はありがとうございました」
行く先が決まっていないのに、沙樹はやけにすっきりした表情をしている。酔いも冷め、失恋の痛みも吹っ切れたような笑顔がやけにまぶしかった。ワタルはふと思いつき、
「そんなところに行くくらいだったら、うちにおいでよ。温かいココアやコーヒーもあるし」
と、軽い気持ちと親切心で誘ってみた。
「え? ワタルさんの?」
沙樹は目を大きく見開いて、頬をやや染めた。両手で口元を隠し、返事の言葉を探している。その姿を見てワタルは、大胆なことを言った自分に気がついた。
沙樹とはバンド仲間と一緒に、何度も一夜を明かしたことがある。ライブの打ち上げや、新年会に忘年会。今まで普通にそうしてきた。だから今もその感覚で気軽に誘った。
それに、深夜営業の店に沙樹をひとりおきざりにするのは忍びない。窮屈なテーブルで一夜を明かすより、ワタルの部屋に来たほうがはるかに快適に過ごせるだろう。
本当にそれ以上の深い意味はなかった。