次男の試合デビュー
本来であれば一番の味方になってくれるはずなのに、なぜか気になってしまう存在…弟が試合で打ち、ストライクをポンポン取ることを長男が素直に喜べるようになるには、精神的な成長より技術的な向上が必要だった。ユメノベースボールクラブでも、「練習場」でも二人はいつも一緒だった。2学年下なのに背はほとんど同じ。ともするとバットに当てるのは向こうの方が少し上手かったかもしれない。そして、当たったときは自分より飛ぶ…
「自分は思いっきりひっぱたいているのになぜ?」
プレッシャーに感じるなという方が無理な話だった。向こうはヘッドを走らせている…と参考にする対象にはできなかった。
でも、努力した。長男が「トス」と呼ぶ室内でプラスチックボールをフルに打つ練習に私の方から誘ったことはもう覚えていない。4年生のシーズンから週に5日はやり続けた。
次男は初めての夏は2年生で迎えた。秋に5年生以下の大会があり、「ジュニア」の試合が組まれた。自分が子供のころと違って、今は小学生で野球をする方が 「なんで?」と言われる状況なのかもしれない。軟球をグローブで捕れる順番にポジションに着くと、その2年生の試合デビューは「サード」になった。相手からすれば、4年生には見えるだろうから違和感はなかったかもしれない。
初めての守備機会は軟球独特の高いバウンドの打球だった。前に突っ込まな くては捕ってもセーフになってしまう状況で慣れない選手にそれをしてもらう事はこのチームでは簡単ではないのだが、次男はそのための工夫を要しない子だっ た。初めての試合でも当たり前のようにそうした。いわゆる「入っちゃった」であったのは捕ってすぐに投げなかったからバレテしまったが、結果的にいい送球 でアウトにしてしまった。
しかし、サードの起用にプレーで応えてしまった事がその後そこを守る機会を増やし、彼の肘に負担をかけていくことになった。この苦い経験は私にとっての絶対的な基準につながった。すなわち、
「(両肩を結んだ線より」肘を下げて投げてはいけない」
それは上手いか下手か、頑張っているかさぼっているかなどとは異なる絶対的な禁忌であり、私の中では「人のそばでバットを振ってはいけない」と同じ禁止事項となった。