心の制御
東北楽天イーグルスの嶋選手のあの演説の翌日、スポ少の保護者会が行われ半年後の秋から私が背番号「29」(主任コーチ)を付けることが内定した。背番号「30」(監督)は…幼稚園で逢った「あの人」である。うちの長男の名前から「郎」をとった名前のお子さんも入部していたのである。ただ、 彼は私と違って、はじめは「ボール拾い」に徹していた。この辺りは、この人がこのチームでは例外的な2年という時間監督をしている間に私は学んでいくことになった。
当初、私はチームの本拠地である広場で心をコントロールできていなかった。それに気づいてすらいなかった。実は、情けないことにそれはただ体力的な事情によるものが大きかった。暑い中屋外でただ4時間立っているだけで、その日他の事は何もできなくなってしまう体力しかなかったのである。長男がチームにお世話になってすぐは、子供たちのカバーをしているだけでその様であった。
「あと何年子供たちの相手になれるのか・・・」イメージできた期間はまさか2ケタではなく、四捨五入すればゼロになってしまう年数でしかなかった。
トレーニングの内容が変わった。しかし、夏に屋外にいることそのものがそれには必要だった。筋トレもインナーマッスル強化もそのための十分なトレーニングにはなり得なかった。土日のスポ少野球の練習に「付き合う」だけのことがこれまで体験したどんなダイエットよりも有効だった。
自分の野球の記憶は中学の経験によって塗り替えられ、少年野球の記憶は実はあまり覚えていない。練習でできている選手が試合で活躍できないことの人文科学的な分析も有意義であった。今の子供たちにとって、よく鍛えられた守備の8人に大きな声を出して睨まれる事は、非日常的どころか今までの人生で経験したことがない状況にちがいない。それを経ずに生きてきた身にとって、バッターボックスでの活躍、特に試合に於いては余程の集中が必要になるはずである。
銀傘の下で足が震える経験を跳ね返したのは「気合」だったと、貴重な経験の数々から得た結論を監督さんは選手たちに授けようとしたが、それを使ったことも見たことすらない小学生にとっては、伝えるのにはあまりに難しい概念だった。
自信が持てない子供に自分の活躍をイメージしてもらう一番の近道は、この年齢の場合母親である。ヒットを打って殊勲のポーズをとったときの目線の先は、例外なくベンチではない。お父さんでもない。スタンドの母親なのである。活躍する子は母親も戦っている…大事な人のために戦う子は自分の中で眠る潜在能力を呼び起こす。小学生では8人を相手に一人では戦えない。あきらめて見られている子はあの場で戦えないのかもしれない。
もう一つ、これまでにしたことがない行動をするようになった。何となく録っておいた名著のサマリーの番組を端から見始めた。スポ少の手伝いをしていなければ、レコーダーのメモリーが一杯になってメディアにダビングされてお蔵入りしていたであろう金言の数々。私は自分の心を見つめるためのツールとしてこれほど文学を用いたことはこれまでなかった。
「なぜ、子供相手に怒ってしまうのか…」
古今東西、同じようなテーマについて悩み考えられてきたことは、私にとって救いだった。特にブッダの「真理の言葉」は助かった。
「自分の心の状態がどうなっているか、きちんと把握する」
「自分を救ってくれるのは正しい心で考える自分のみ」
「正しい心で考えるには集中する事が必要」
始めは子供たちに送るために読み始めていたが、これらはむしろ自分のためのものだった。困っている事の原因を客観的に「正しい心」で考え、対応する…問われているのはこちらの方だった。
ただ、これらは自発的な試みではなく、それをしなければコーチを続ける事が許されない状況で必死に「救い」を求めた結果だった。