6年生が多くても勝ちきれなかった
6年生だけで9人揃うという事がどういう価値を持つのか、その時はまだ分かっていなかった。シーズン最初の市の大会。ベスト4をかけた試合の相手は強豪で、今そのチームと対戦するならば、コールド負けをいかに逃れるか…がメインの検討課題になるはずである。
6年生の父兄はその価値を知っていた。明らかにギアが変わりチームとして気合が入っていくのが分かったので、逆に私は準備していなかった。
「8番ライト…」
(えっ!長男が先発?)
この相手はチームが越えなければならない大きなヤマ。ここで4年生は使わないだろうとビデオカメラも家に置いてきていた。しかし、当の本人はおそらく狼狽えが表情に出ていたであろう私とは違って、集中した顔をしていた。
「よし、全部見てやるぞ!」と私も覚悟を決めた。有利に試合を進めていたのを1点差に追いつかれた後の先頭バッターとして長男がバッターボックスに立つことになった。
(ここで回ってきたか…)
この頃はとんでもない高めに手を出すことはもうしなくなっていた。いや、むしろいい見送り方をした…
「フォアボール」
よく選んだ!流れを止めた良い出塁だった。
スポ少では2塁の盗塁は刺せないことが多いのだが、相手のバッテリーはちゃんとした野球選手の動きをしていた…うちは6年生でも盗塁を試していなかった。
(ここはじっくりと…あっ、バカ!)
2塁ベース上で「どうだ!」という顔をした。当時はまだ「暴走癖」があった。「のどから心臓が飛び出そう」とはこういうことを言うのだろう。
結局、1番キャプテンのホームランでダメ押しとなりベスト4進出が決まった。帰宅後長男にあの打席で何を考えていたのか訊いた。
「絶対塁に出てやる。」と答えた。守備機会は無かったものの、レフトが後逸したホームランのときはそのすぐ横にいたし、セカンドが後方のフライを危なっかしい追い方で捕ったときも、そのすぐ後ろでカバーしていた。この試合以降、私はプレーヤーとしての長男の見方が少し変わった。
ところで、オレンジがよく似合う向こうの共に5年生の三遊間は私に強い印象を残す事になった。その試合は半分くらいそうだったのでは?と感じたが、この二人の守備機会のあったゴロはすべてアウトになった。それも送球は全部ワンバンでファーストはほとんど左右に動かなかった。その後うちのチームに「彼女たち」よりうまい内野手は出現していない。おそらくこの先もうちの三遊間のファーストへの送球はワンバンのままだろう。
こちらの地域では地元新聞社主催のこの大会をメインとする人の方が多い。6年生だけでレギュラーを固めることができる構成はこの先何年も、いやこの代が最後になる可能性すらある。
しかし、暑さは選手たちの血管内の水分バランスを狂わせ、さらに、当時はその言葉は存在しなかったが、いわゆるゲリラ豪雨がうちにとって最悪のタイミングで試合を切った。終わってみればあっけないものだった。私はその選手の介抱をしていたから、よく見ていないうちに「勝負の試合」は終わってしまったのである。
次の日の未明、ライブではあまり見ないサッカーの試合を観た。起きてテレビを点けたらやっていたという方がより正確だったろう。まして女子サッカーをテレビで見るのは初めてだった。しかし、さらに初めてのことが起きた。
延長後半の残り5分、追いすがるドイツの猛攻から、なでしこJAPANの選手たちはチームの勝利のために集中して逃げていた。追いつかれるイメージは浮かばなかった。 むしろ容赦なく引き離していた。チームが勝利のために徹していることを理解した時、頬を涙が落ちていた。
前日の試合を思い出した。
(勝つとは、相手が追う事をあきらめるほど徹して逃げる事なのでは…)
長男は囲碁を習っていたことがある。囲碁の大会の会場では立って泣きながら打っている幼稚園くらいの子もいた。そういう相手でも止めをさす…やるかやられるか。うちの6年生たちは追いすがる者の手を踏んでまで「勝利」という場所に逃げ切る事に徹することができなかったのでは…
この代が6年でレギュラーを固めても勝てなかったという結果は勝つために必要なものが何であるのか、私に探させることになった。