はじめはサッカーだった
実は、最初はサッカーだった。地元にJリーグのチームがあり幼稚園生を募集していた。妻からサッカーという言葉が出るとは正直意外だったが反対はしなかった。むしろ、何かスポーツをやっている方がいいと前向きにとらえた。
何回か長男の練習を見たが、その集団の中でどれくらいに位置するのかというような発想を私は持たなかった。それは鬼ごっこをしている息子をどれくらい活躍するだろうかという観点で見ないのと同じだった。しかし妻はそうではなかったようだ。どうしてボールを獲りに行かないのか長男に訊いたところ、
「他人のものを獲りたくない」と答えたらしい…
エスコートキッズをした時も、同じ格好をした子供たちは先を争って同じユニフォームの選手たちのもとに走って手をつないだが、長男は正反対の色のユニフォームの一番後ろで少し離れたところにいた、必ずしも子供に愛嬌を振りまかない選手をみつけるのがやっとだった。でも、彼が前の選手と少し離れて歩いてくれたおかげで、まだアナログ放送だったその録画は子供の顔を確認するにはスローモーションにすることが必要なのだが、長男だけ一瞬顔が映ることになった。
しかし、その選手は後に髪の色が変わり、ワールドカップサッカー・ブラジル大会で日本代表の背番号4を背負うことになる。家にはその顔がやっと判明できる映像しかなかったのだが、ひょんなことでその時の鮮明な写真を手渡されたとき長男はACミランというチームがどういうチームかという事よりも大リーグで川崎選手がメジャーに昇格できるかの方が大事な中学生になっていた。
「向いてない…」と思った。でも、正直ホッとした。長男がサッカーを辞めるときに私は反対しなかった。今世の中ではクラスで運動神経がいい子はまずサッカーチームに入るらしい。それで将来的に目が出ないと思ったら違うスポーツに転向するのだとか…野球はその選択肢の一つに過ぎないのだとか。今思えば長男はこれの先を行っていたのかもしれない。