はじめてのコールド勝ち
公式戦でいっしょにプレーするのは小学校では最後となるこの大会で、次男はさっきとは違って迷いのないバックホームを投じた。
(相手が兄ちゃんだと遠慮なくできるな…)
しかし、ボールは3塁ランナーのぎりぎり横を通り過ぎていった。6年生としては平均的な身長の長男は自分より顔一つ大きなランナーの目の前でそれを受け止めることになった。その夏、高知の四万十市が史上最高気温を記録した同じ日に僅差で2位となったこの街は残暑が厳しく、長男は汗でマスク越しのランナーがよく見 えていなかった。気が付いたときにはそのランナーはすぐ目の前にいた。
(テッカイ!)
当時長男がよく真似をしていたバリアの類の技を繰り出すときの呪文が聞こえたような気がした。少しジャンプして着地した時の姿勢でそこに残ったのは小さい方のプレーヤーだった。少年野球の試合で最も盛り上がるプレーの一つである「本塁刺殺」でこちらへの流れは決定的となった。
試合が始まる前のキャッチボールを部外者が見たら、10人中9人は向こうのチームが勝つと答えただろう。余裕を含んだ表情で先発した相手のピッチャーは初回を終える前に正反対の表情をすることになった。
うちのチームの1番バッターは本来背番号「0」を背負う選手ではなく4番を打つべきだとチームの父兄の中では何度も話題になっていたが、監督である彼の父親はずっと彼の名前をメンバー票の一番上に書き続けた。小学生最後の公式戦で自分がどういう選手なのか、チームで語り継がれるシーンを彼はいきなり見せつけた。
(先頭打者ホームラン)
これ自体は少年野球では必ずしも珍しくはないのだが、よくある外野の間を抜ける当たりではなく、ライトを真後ろに走らせる大きな当たり…でも、それはそのシーンの序章に過ぎなかった。相手ピッチャーの表情からは試合前にあった余裕は消えていた。一見頼りなさそうに見えるうちのチームメイトたちは皆お人好しで今までそれができなかったのだが、最後の公式戦の出鼻を挫かれて動揺した相手ピッチャーを助けない選球を披露し、なんと打順は一巡した。そしてそのシーンが生まれた…
これまでうちの対戦相手がしたことがない深い位置に相手のライトは移動していた。しかし、試合開始時とは全く違う表情のそのライトは今度は右斜め後ろに走らされることになった。同一選手による1イニングで2ホームラン…この象徴的なシーンをひっくり返す実力差は両チームには存在しなかった。シーンはさらに続いた。彼の3打席目に は相手のライトとレフトが交代し、見たことのない深い守備位置をとってきた。少年野球はライトゴロでアウトを取れるため実はライトの比重は低くないのだが、明らかにライトを強化する交代だった。しかし、彼は三度ライトに仕事をさせた。
「よくヒットに抑えたぞ!」と喜ぶ相手ベンチをみて、隣に座る監督さんの横顔を覗かずにはいられなかった。このセリフをこれまで自分が「ドンマイ」の代わりに何度グランドに向けて放った事か。まさか相手にこのセリフを言わせる時が来るとは…
(2年間の監督さんの指導に子供たちが応えている。)
そして、チームははじめての経験となる「公式戦でのコールド勝ち」を収めたのである。