<2話 表> 訪問者と再会
夢の中で、更に深い夢を見ている気分だった。
草原、細く続く道、遠くに見える木々。
遠くまで澄み切った青い空。
こんな夢を、何度も何度も見させられている。
画像が鮮明だから尚更性質が悪い。
こんな場所に俺は行った事など無いはずだし、
最近やったゲームは……ああ、そもそも暇が無くてやってなかったか。
となると、これしか考えられないか。
(妙な本でも読んだ……まあその通りなんだが)
俺の家の机の上に置いてある、古びた一冊の本。
何処の国の言葉かは判別できないのは残念だが、
何より特徴的なのは可愛らしい妖精の姿が描かれているその表紙。
(何処かで見かけていないか、この妖精)
手掛かりがないかと思って本を開いてみても、
残念な事に文字も何も存在していない。白紙のノートのような物になっている。
不気味だと思って捨てようとも思ったが、
この本が家に置かれてから見えるその夢は、不思議と惹かれる何かがある。
捨てても気味が悪くて捨てられない。
(捨てても性懲りも無く戻ってきそうだ)
呪われるよりも、纏わり付かれる方が何倍も厄介だ……
だから、とりあえずこの本については徹底的に無視する事にした。
今日もまた、いつもと変わらない帰宅。
妙な出来事とは無縁の……
「むにゃ……」
帰宅して何か妙な気配がすると思ったら、
人が居たのか。
(何処からどうやって入ってきた?)
思わずいつも通りだと流しかける所だった。
誰か、俺の目の前にあるこの現実について説明してくれないか。
俺の部屋中央で倒れているこの不審者の正体を含めて全てを。
「すぅ……」
違うな、少し訂正しよう。
この場に馴染みながら図々しく寝ている少女……だったな。
とりあえず、これは何処かで見た顔ではなかろうか。
よく見ると、手に何か持っている。
(この本は……まさか)
いつの間にか置かれていた本と同じ表紙。
更に、描かれている妖精の容姿は……
(この絵とそっくりじゃないか)
記憶が繋がってくる。それも結構嫌な方向で。
あの時の案内人……
確か、ちび妖精って呼んでいた奴じゃないか。
(どうしてこんな所にいるんだ)
何か事情があるのだろう。
湧き上がる疑問はとにかく、このままでは不味い。
「おーい、起きてくれないかな?」
声を掛けてみた。起きない。
揺さぶってみても起きない。
蹴飛ばし……たら可哀想だ。
「た、頼むから起きてくれないか……」
「ふぁぃ……」
凄まじく気の抜ける声の返事と共に、その少女は目を覚ましてくれた。
そして、周囲を見渡している。
「ここは……」
「お目覚めかな?」
聞こえたらしく、俺の方を向くと同時に……
「夢の中?」
いい加減にしてくれ、それはこっちが言いたいんだ。
思わず心の中で突っ込みを入れていた。
数分して、その少女はようやく状況が見えてきたらしい。
「外は……」
「向こう側だ」
俺は窓を指差す。
その少女は、外を向いて放心していた。
驚きすぎて声も出なかったらしい。
「どうした?」
「まさかここ、異世界?」
「お前からすればそうなるだろう」
「え……」
今度は別の意味で驚いているみたいだ。
「わたし、誰か判るの?」
恐る恐る聞いてくるその少女に、俺は答える。
「先日変な世界に飛ばされて、
三千歩歩かされた時に世話になったちび妖精」
「そうだよ、もうっ……」
その膨れっ面も含めて懐かしいものだ、数日前の話だけど。
だとすれば、少し確かめねばならない。
「本を、貸してくれるか?」
「なんで?」
「確かめたい事がある」
あの時感じた何か。その答えを知るために。
手に取った本を開く。
異国の言葉で綴られた文面を読む事などできない。
しかし今重要なのは読める事ではない。
最初から読んでいては手間が掛かる。
事実の確認の為には、最後の方のページを見ればいい。
記述されているかどうかが重要なのだ。
すぐにそれは見つかった。最後の見開き。
そのページの最初に書かれていた何行かの文章。
「やっぱり、そうなのか」
俺は事実を知って、愕然とした。
「終わりだったのか……」
本の終わり。
この物語の終わりなんだ。
「わたし、どうなるの?」
心配そうに、少女は聞いてくる。
まるで助けを請うかのように。
(真実を告げるしか無い。
例えそれが、どれだけ残酷な物だとしても)
心には決めても、どう言えば良い。
歩けば終わる、それだけで終わらせてはいけない。
答えない俺の事を彼女はずっと待っていた。
そして俺はようやく、決心が着いた。
「道は色々とある。
お前はこの世界で、何を見たいかが重要だ」
限られた時間だというのならば。
「俺はただ、それに付き添うことしかない」
ほんの少しだけ与えられた、夢の時間」
「うん……」
彼女は軽く頷いた。
三千歩歩く間のみ許された限定の夢なのだ、これは。
「そして、物語の結末になる」
少女の腕に何かが装着されている。
それを、俺は彼女の顔の前に掲げた。
「俺がそちらの世界に行った時と、同じなんだ……」
彼女はそれを見て、こくりと頷いた。
涙目に、なっていた。
「最後は、わたしが三千歩の旅人になっちゃった」
つまりは、そういう事だ。
「だから、見たいものを答えてくれ。
高い塔から下を見下ろしたいなら、それでいい。
この世界の緑が見たいなら、公園にでも連れて行ってやる。
異世界の街を見てみたいならば、それでも構わない」
何処に行きたいかじゃない。
この世界で、少女が知っている場所なんて無いのは知っている。
それならば、少しでも残る物を見せるべきだ。
あの世界で、俺が経験したのと同じように。
唯一違うのは、一本道では無い事だけ。
「全部、遠い場所?」
「ああ……」
三千歩の制限を考えなければの、話なのだが……
自転車や電車を使っても良いのなら、
ある程度は遠くまでいけるかもしれない。
「近場で一番のお勧めの場所を見せて。
きっと、それしかわたしには見る事ができない」
ああ、そう答えられてしまったか。
最初から想定内……違うな。
(最初からその答えしか待っていなかった)
俺は、頷いた。そして……
「夜まで、待てるか?」
「うん、今日中なら大丈夫だと思う」
夜になるまで待つ事にした。
彼女にも気に入って貰えそうな場所が頭に思い浮かんだから。
日が落ちて暗くなるのを、彼女と共に待った。
世界の違いなんて、些細な物でしかない事をお互いに知った。
夜はすぐにやってくる。
彼女が来た時には既に日は落ち始めていたから。
そして、外へ出る。
「なるべく遠くまで、なるべく長い時間居たいから、
俺が背負ってやるよ」
「うん、ありがとう」
俺は彼女を背負って歩いた。
少しでも長く、遠くへ行きたいと思ったから。
(俺が歩いた分までカウントされていなければいいが……)
少しだけ歩いて、ふとそんな事を思った。
前に突き出ている彼女の手首にあるカウンタを見る。
薄っすらと数字らしきものが確認できるが、
それが動いている気配は、ない。
(ああ、大丈夫みたいだな。
彼女が歩いた分だけが、カウントされる。
俺の行動は無駄にはならない)
その事実に安堵したが、今度は別の問題が出てきた。
人を背負って歩くのなんて長く続くはずが無い。
その前に長時間移動していて疲れていたとはいえ、
あの世界で三千歩も歩かずに疲れていた俺が、長い距離を歩くなど……
「えへへ……」
彼女の笑顔で疲れなんて吹っ飛んだ。
そもそも、疲れなんて感じている余裕は無かった。
(意地でも……やる)
歩かねば目的地には着けないし、
この物語を終わらせられない気がした。
「綺麗な川だね~
それに、橋も、街も、道も、全然違う」
ふと、背中からそんな言葉が聞こえた。
「異世界、だからな」
当たり前だと思い、俺はそう答えた。
「うん……」
彼女の反応はあまり良くない。
ちび妖精と呼んでいた時とは違う。
生意気な感じも無ければ、元気な感じも無い。
「おいおい、あの時の元気はどうした?」
言って、しまったと思った。
「ねぇ……
元気なわたしの方が、好き?」
思わず、立ち止まる。
心臓が止まるかと思った。
「元気な方が、見ていて楽しいが……
落ち着いていた方が、綺麗に見えるな」
言葉に詰まりそうになりながら、何とか答える。
彼女の顔が、途端に明るくなっていく。
「だから、どちらの面も見れると嬉しい。
欲張りかもしれないけどな」
「はうぅ……」
ああ、何か背中から伝わる暖かさが急激に増した気がする。
俺は俺で、こんなにこそばゆい気持ちになるなんて。
きっと先程の言葉も全く自分らしくない言葉だったはずだ。
何故か、俺まで少し照れ始めていた。
「さあ、後少しだ。もう少しだけ我慢してくれるか?」
「頑張って」
一人だけで来るなら、そんなに遠い場所でもないのに。
いつもみたいに独りだけで気晴らしに来るなら……
(デート、みたいだ)
こんなに意識しなくても、済むのに。
そう思いながら、公園の入り口を目指した。