<1話 表> 異世界を歩く
表:青年視点
歩く、ただ、歩く。
進む、ただ、進む。
手元に持っている本、一つ。
腕についているカウンタが示す数、100程度。
偶然に偶然が重なり、道端に落ちていた奇妙な本を拾った。
そしてそれが誰の物か確認するために開けてみた。
いつの間にか意識を失ってしまい、目が覚めるとこの世界にやってきていた。
本のタイトルは、確か……
「繋ぐ道は繰り返しより紡がれる、ですよ」
「何だちび妖精。
いきなり話しかけてくるな」
耳元にまで近付いてきた妖精が教えてくれた。
だが、耳元で話さなくても十分に聞こえる。
「う~ん、今回の人はイライラしすぎです~」
ちび妖精と呼ばれたそれは、俺の周りを飛び回りながら文句を垂れていた。
別に俺は苛立ってなどいないのだが、そう見えるのだろう。
ああ、本当に俺は苛立ってなんか……
色々と不可解な事が多すぎて理解出来ないので、
苛立つ前の問題なのだから。
「そもそもこの世界が一体何なのか……」
「知らなくてもいいじゃないですか。
三千歩、前に進んでくれればそれだけでいいのに」
「理由も聞かずに指示だけ投げられて、
はいそうですかなんて言えると思うか?」
「別にいいですよ~だ」
俺が怒鳴ってもちび妖精は動じていないみたいだ。
微妙に、悔しい。
「三千歩歩いてくれるまでは帰れないから」
「ぐっ……」
「その場で足踏みしてもいいけど、
どのみち二度とここには来れないから楽しんでよ」
「楽しむつもりも無ければ、別に何度も来るつもりなんて無い!」
「……残念」
何故か物凄く落ち込んでいたちび妖精。
ここに来てもらえない事が嫌なのだろうか。
「ほらほら、三千歩歩いてください。
それだけで帰ることができるから」
「歩かないと帰れないのか」
「帰れないよ」
断言させると何も言い返せそうに無い。諦めよう。
「仕方ない……」
腕に付いたカウンタが動くのを見て、
現実を信じないわけにはいかなくなった。
決して、ちび妖精の言う事を信じたわけじゃない。
歩き始めて、少し時間が経った。
あまり進んでいない気がした。
「あと2000くらいだから頑張ってくださいな~」
「ぐっ……そうは言っても……」
そもそも、運動不足の体には厳しい。
その上、動きにくいスーツと革靴の格好が加わっている。
「う~ん、色々な人がこの世界に来たけど、その中でも特に歩みが遅いよ~」
「ふざけるなっ!」
状況を見て物を言え。
飛び回っているだけの妖精になど解りはしないだろう。
この動きにくさも、この歩きにくさも。
「あはは~ 本気にした本気にした~」
しかし、俺の怒り心頭な顔に驚いていたらしく、
弱弱しい声でちび妖精は謝ってくる。
「ご……ごめんね」
「別に良い」
これには、俺も少しだけ言い過ぎたと反省した。
とはいえ、歩みが遅いと言われるのも仕方ない。
現在、丘の頂点の方に向かって歩みを進めている形になる。
軽い山登りをするのは、明らかに不釣合いな格好。
だが、歩く。歩いて、歩いて、歩き続ける。
戻る事はせずに、前に進む事を考えて。
どれだけ理不尽でも、やらねばならない時はある。
「本当に意味がわからん。
何でこんな事やってるんだよ……」
「こっちはこっちで、事情があるからね~」
頭の中で呟いたはずの言葉が、どうやら口に出ていたらしい。
言ってしまった以上は聞くしかない。
「その事情に巻き込まれているのは、俺以外にも沢山居るのか」
「もちろん、ここまでたくさんの人に協力してもらったんだよ~」
まるで、バケツリレーのようなものだ。
それだけ手間が掛かっているというのならば……
「尚更、俺の所で止めるわけには行かないわけか」
「そうだよ~」
ご機嫌で俺の周りを飛び回るちび妖精。
自由奔放に飛び回っている姿は、なかなか面白いのだが……
集中をしたいと思うときは間違いなく邪魔になる。
だが、俺が無言の間は何も話しかけてこない。
言っていたのは、カウントに関係する事だけ。
「カウントもあと500を切ったかな」
「あと少しか……」
歩きながら、少し息が上がりつつあるのを感じながら、答える。
そろそろ上り坂も終わりそうな雰囲気なのだが……
「頂点は、まだか?」
「ここ……ここだよ、丘の上」
疲れた、少しだけ立ち止まってもいいだろう。
完全に降りようとしなくても途中でカウントは3000になる……
「景色、見える?」
向こうって、どっちだ?
風景としてはどの方向を見ても悪くないが……
「こっちこっち」
仕方ないので、ちび妖精が飛んでいる方向に顔を向けてみた。
「いい景色でしょ」
草原、細く続く道、遠くに見える木々。
遠くまで澄み切った青い空。
「ああ……」
景色の良さは素直に認めよう。
きっと、現実の世界では見る事など叶わない光景だから。
「よかった」
ちび妖精が、とびきりの笑顔でそんな事を言っていた。
今こうして見えている景色よりも、
何故かその顔の方が、印象深かった。
(人の笑顔……か。
久しぶりに、見たかもしれないな)
それを忘れていたのは、俺の方か。
だが、この景色もとびきりの笑顔にも……
儚さを感じてしまうのは何故だ。
「この世界は……」
「聞かないで」
「あ、ああ……」
ちび妖精は俺の質問を拒絶した。
俺が思っていた事は、間違いではないのだろう。
(三千歩で終わってしまうのは……)
考えても、仕方ない。
歩こう、俺にはそれ以外残されていない。
そこから、またほんの少しだけ歩く。
ふと、立ち止まってカウンタを見る。
2993と表示されていた。
「残り、7歩だ」
「思い切って進んじゃって」
「ああ……」
1、2、3、4、5、6……
「3000」
「ありがとう、手伝ってくれて」
ちび妖精は、俺に向けてお辞儀をしてくれた。
(大した事はしていない)
そう言おうと思ったが、声が出なかった。
そして……
「忘れないでね」
泣きそうな顔で、ちび妖精は言った。
俺がその言葉を聞くと同時に、意識が飛んだ。
再び目が覚めると、本を読んでいた場所に戻っていた。
先程まで腕にあったはずのカウンタは既に無くなっており、
手に持っていたはずのあの本もどこかに消えた。
疲れていたはずの体も、元通りになっている。
本当に何も無かったかと思う程に、何も残っていなかった。
ふと、時計を見る。
本を読む前に時計を確認していたのだが、
そこから大体15分くらい、時間が進んでいる事に気付いた。
何だったのだろうか、あれは……
ただ、何かとても安らげる場所に居たのではないか。
普段とは違う何かが、そこにあったのではないか……
それ以上は思い出せないから、
俺はまた、日常へと戻っていく事にした……




