後編
第三章
「新人類は戦線を押し戻し、ついにヨーロッパまで持ってくる……か」
もう大戦は新人類側の勝利で確定だろう。ユーラシア大陸もアメリカ大陸も新人類側が優勢の状況だ。そしてオセアニア大陸は早い時期に東南アジア連邦によって陥落させられている。
学園に近づくにつれて生徒と出会う確率が高くなるのだが、どうも彼らの様子がおかしい。まるで御神楽を腫れものに触るかのような視線をぶつけている。
「……やはりあれか」
御神楽は先日のことを思い出す。一部の新人類の生徒が暴走し始めたので、それを抑えるために御神楽は超能力を使用したのだ。もちろん新人類側の生徒も使用したが、戦場で培った御神楽に敵うわけがない。勝負にすらならなかった。
「まあ、こうなることを予期していたから別に構わないがな」
生徒を力で抑えつけた結果、どうなるかをある程度想像がついている。大多数の生徒は御神楽のことを恐怖に感じるだろうが、それでも御神楽はあの決断を後悔していない。あの時ああしていなければもっと悲惨な事態に陥っていたと考えているからだ。
そして御神楽は玄関口に着く。すると多くの生徒が掲示板に貼られた新聞に集まっていた。
「一体どうしたのか」
御神楽が近寄ると、掲示板の周りに集まっていた生徒はモーゼの海峡の如く左右に分かれる。その過敏な反応に御神楽は憮然としながらも新聞に目を止めた。
「なっ……」
記事の内容に御神楽は絶句する以外なかった。
『街一つを廃墟に追いやる力を持つ副生徒会長を怒らせるな!!』
その新聞には一面大写真で御神楽と鬼河原とのぶつかり合いとそれをバックにした街の惨状が載せられていた。しかもプロの写真家が撮ったかの様に迫力や色彩が際立っている。まるでその写真の中に入り込んだ様な印象を受けるほど上手かった。
「一体誰がこんな写真を」
御神楽は無断で掲載された怒りよりも御神楽に気付かれずこのような写真を撮ったことの驚き方が上だった。御神楽が遠く離れた都会でカウンセリングを受けていることなど誰にも漏らした覚えはないし、誰かから尾行された気配も感じられなかった。
「ご丁寧に経歴まで」
大写真の下には御神楽の過去について記載されており、戦場において何と呼ばれていたかも載せられていた。
御神楽は己の過去を暴いた生徒を締め上げようと発行元を確認する。そしてそこで三度の驚きを経験した。
「発行元――夢宮翼」
「はーいその通りだよ♪」
御神楽が呆然と呟くと同時に横から舌足らずのあどけない声音が響いた。ギギギ、と御神楽が横を振り向く。
「ん、ん♪ 気に入ってくれたかな? よく撮れているでしょ❤」
翼のアホ毛が四角形を作り、写真を撮る前のフレームワークを形成した。そのポーズはラブリーだが生憎と御神楽は反応することは無かった。それよりも詰問する。
「会長、少しお話があるのだが良いかな」
今回ばかりは御神楽も黙っていられない。翼の肩を掴んで近くの空き教室へと引っ張ろうとするが。
「んー、残念」
翼は御神楽の腕に手刀を放って切り離す。そして御神楽が文句を言う前に口を開いて。
「君は人類側の校舎に向かわなければならないよ♪」
と、ニコニコと笑いながら忠告した。一体それは何故だと聞こうとした矢先に放送が鳴った。
「二年A組の御神楽君、御神楽君。田中教頭がお呼びです、至急人類側の職員室へお越し下さい。繰り返します――」
「ね♪ 言ったでしょ。さあ、急げ急げ♪」
御神楽が呆気に取られている間にも翼は御神楽に発破をかける。御神楽としてはそんな放送など放っておいて翼に抗議したかったが、翼はまた会えると考え直して人類側職員室へと向かう。
「話は終わっていない、首を洗って待っていろ」
翼がにこやかに手を振っているのが癪に障った御神楽は最後にそんな捨て台詞を残した。
夢宮学園には職員室が二つある。生徒が人類と新人類との二種類いるためそんな処置となっている。ちなみにこれも無駄の一つとして如月の不満の一つとなっていた。
人類側の校舎は新人類側と比べてもそう変わりない。そして、ご丁寧にあの新聞も貼ってあった。
「破り捨ててやろうか」
御神楽は咄嗟にそんな思いに駆られたが、あの翼のことだから絶対に替えを用意してあるだろう。やるだけ無駄だと判断した御神楽は何もせず職員室へと向かう。
「ん? 確か職員室はここではなかったのか」
御神楽は校舎の作りが同じなので職員室の位置も同じだと考えていたのだが、その位置に行ってみるとない。空き教室となっている。
「まずいな、これでは時間をくうぞ」
見つからないといっても校舎内なので時間をかければ自ずと判明するが、それをすると時間がかかる。下手をすると授業が始まってしまうかもしれない。
「困ったな」
「どうしたの?」
御神楽が腕を組んで考えていると後ろから凛としたソプラノボイスが響いた。確かこの声は。
「ああ、赤神君か」
人類側生徒会副会長赤神舞が声をかけてきた。手に鞄を持っているところを見ると今しがた登校したばかりなのだろう。
「……あ。うん」
どうやら舞は御神楽を人類側の生徒だと思っていたらしい。御神楽が振り向いて顔を見せると舞の様子が見る見るうちに曇って来た。
あまりに空気が悪いので御神楽はこのまま黙って立ち去りたかったが、他の生徒も御神楽を怖がって近寄ろうともしない。だからここは恥を忍んででも舞に尋ねなければならなかった。
「田中教頭に呼ばれた。職員室はどこかな」
抑揚なく、伝えたいことだけを言葉にする。この場合、寂しげな様子を見せたりあの新聞の言い訳をしたりすると、かえって状況を悪化させてしまう。
「それなら一階の玄関口近くよ」
「そうなのか、てっきり新人類側の校舎と同じ四階だと勘違いしていた」
「何でそんな不便な場所にあるのよ」
「さあ、僕から言わせればどうして攻撃を受けやすい一階にあるのか分からない」
新人類の職員室は報復として超能力の当て逃げが頻発するため防犯の意味で四階に設置されていた。
「道案内ありがとう、それではまた生徒会室で」
これ以上話すことはない。舞も辛いだろうから話を切り上げ、来た道を引き返し始めた。
「待って」
しかし、御神楽の思惑に反して舞が御神楽の隣に移動する。
「用があるのか」
「いえ、ないわ。ただ……」
「ただ?」
そこで舞は言いよどんだ。足を止めて口に出して良いものかと思案する。それを見た御神楽は舞が何を言おうとしているのかを察知して先に口火を開いた。
「あの時、君は僕に恐怖を感じた。赤神君はあの行為を失礼だと考えているようだがそれは違う。あのような光景を見せつけられてもなお尊敬や無関心の方が異常なのだ」
普段知り合っている仲間がたった一人で多人数と戦い、圧倒的な力で勝利した。いくら超能力があるからといって非日常な光景なことに変わりはない。
「だから恥じなくていい。赤神君の行為は正し――」
「違う」
御神楽の口上を途中で遮る舞。舞の様子からあの時恐怖を感じたことによる謝罪だと予想していた御神楽にとってはキョトンとなる。
「確かに私は恐怖を感じた。今もまだそれは消えていないわ」
声音が微かに震えていることから嘘でなく真実なのだろう。
「けど、これだけは言わせて。御神楽君のおかげで人類側の生徒は新人類側の生徒による被害を受けずに済んだわ。人類側の代表として述べます。ありがとう、御神楽圭一副会長」
舞はそう言って深々と頭を下げた。すぐに顔を上げないことから御神楽に対して相当な恩を感じているのだろう。
「気にしなくて良い。あれは新人類側生徒の副会長として当然なことをしたまでだ」
あの行為は人類側のためでなく新人類側の副会長としての務めを果たすために行ったのだと。だから舞が恩を感じる必要はないのだと説いて顔を上げさせた。
「報いたいと思うなら副会長としての務めを果たしてほしい。それが僕にとって最も嬉しい恩返しだ」
最後にそう伝えて御神楽は背中を向ける。そして数歩進んだ時、突然後ろから舞に抱きつかれた。
「……優しくして」
「は?」
何の事だか分らない御神楽は振り返って真意を問おうとしたが、その時すでに舞は遥か後方へ走り去っていた。
「一体何を言いたかったのだ?」
御神楽は職員室に辿り着くまでの間中ずっと考えていた。
「ああ、よく来たね」
御神楽が職員室に入るなり、最も遠い所で陣取っていた恰幅の良い男性がこちらに近づいてくる。
「人類側教師の田中太郎だ。君の噂は聞いているよ」
「それはそれは」
御神楽はどう反応を返せばいいのか判断が付かなかったので曖昧に笑って誤魔化す。
「まあ立ち話もなんだ。来客室へ向かおう」
田中教頭は御神楽の背中を押すように外へ促して先導した。
やはり人を迎える場所だけあって室内は校舎の中とは似合わないくらい豪華な装飾品で溢れかえっていた。
「適当な所へ座りなさい」
と、田中教授は御神楽をソファに勧める。本革が張られたソファで、座ると体が埋まらず弾き返されずとちょうど良い位置に収まる。目の前にあるテーブルも漆塗りの黒い光を放っていた。御神楽の顔を鏡の様にきれいに映す。
「まあこれでも飲みなさい」
御神楽が座ったのを確認した田中教頭は奥に備え付けている冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。そしてコップに注いで御神楽に手渡す。中身に果実の粒粒が浮いている高級ストレートジュースだった。御神楽が年に一本飲めるか飲めないかぐらいの価値がある。
「美味しいか、良かった良かった」
一口飲んだ御神楽の表情が悪くなかったことを察知してそんな言葉を残した。
「おかわりはいる?」
御神楽はジュースを飲みほしたのでそう聞いてくる田中教頭。本当はもう少し飲みたいがぐっと我慢して理由を聞く。
「で、どうして僕をここに呼び出したのか理由を聞いても良いですか?」
その言葉と共に田中教頭の雰囲気が変わる。先程までは気さくな感じだったのだが、急に本音を読めなくする表情を作った。
「御神楽君、赤神舞君のことをどう思う」
唐突にそんなことを切り出した。御神楽は思ったことを口に出す。
「良い人です。僕が失ってしまった掛け替えのないものを持っています」
「じゃあ如月優香はどうかな」
「如月君ですか。まあ少々強引なところはありますがそれを補ってあまりある長所を持っています。実際彼女の会計によってこちらも助かっています」
どうしてそんなことを聞くのだろう。内心首を傾げながらもそれを表に出さない。
「うん、そうか。御神楽君、二人は魅力的だと思わないかな」
「魅力的……ですか」
御神楽は考える。
舞は内心は普通の女子生徒だが、副会長として皆を引っ張っていこうとする気概を感じられる。その気高さに御神楽はある種の憧れのイメージを持つ。そして分け隔てなく生徒を見る面倒見のよさに惹かれていた。
対して優香は。高校生とは思えないぐらい大人びている。どんな難題がこようとも眉一つ動かさず処理してみせるほどの胆力を持っていた。そして執拗に迫ってくることは多少うっとおしいものの御神楽だけに見せる態度と考えれば悪くない。
「……」
御神楽の沈黙を肯定と受け取った田中教頭は御神楽に驚くべきことを提案した。それは悪魔の囁きといっても過言ではないほど甘美な内容でもある。
「もし、御神楽君が望むなら二人に手を付けても良いよ」
その内容に一瞬何を言っているのか分からず、瞳をパチパチとした。そして冗談を言っているのではないかと田中教頭を見つめるが、彼の表情は至極真面目だ。嘘を言っているように思えない。
「心配しなくていいよ。もう二人には了解済みさ」
田中教頭はさらに重ねる。なるほど、だからあの時舞の様子がおかしかったのか。
「そこまでしなくとも僕は新人類の生徒の監視が役目だ」
「うん、御神楽君はよくやってくれているよ」
御神楽はこれまでも副会長として過激派の生徒を取り締まっていた。田中教頭はそれを称えつつ今後はそれでは生温いということを示唆している。
「私としてはもう少し強い絆が欲しいんだ。生徒会という義務だけでなく彼女を守る為という名目も欲しい」
「だから何度でも言うようにそこまでする必要はない」
御神楽は敬語を忘れて普段の口調で話す。目上の人に対する言葉遣いではないが田中教頭は態度を変えない。
「ふむ、これは秘密にしてほしいのだけど二人は満更ではないよ」
「は?」
「本当だよ、赤神君と如月君が嫌がるようだったらこんな話をしていないよ」
「嘘は嫌いだ」
「やれやれ、よく考えてみて。異性の家に何の気兼ねなく泊まれる? 新人類の御神楽君と気安く話せる?」
確かに二人の態度はあまりに距離が近すぎた。御神楽は当然だと認識していたがやはり世間一般では異常らしい。
「特に如月君は乗り気だよ。「『最強』と名高い御神楽君を操れるなんて胸が躍ります」なんて言っていたし、赤神君も「生徒のためなら」と腹を括っていた。個人的な感想だけどここまでお膳立てて置きながら断るなんて高潔を通り越して失礼の域だよ。据え膳食わねば男の恥っていうじゃない」
田中教頭は御神楽にそう責め立てる。生徒に不純異性行為を勧めるというのは教師失格だがそれをあえてやる。下手をすると懲戒免職の危険性もある行為だ。だが、それをしなければならない理由は。
「国の方で何か動きがあるのか」
日本は現在の所中立だがいつ新人類側に回るか分からない。その結果、日本という国は守れるが、日本に住む人類。そう、人類側の生徒の人権は無くなるだろう。
つまりこれは取引。
生徒会役員の人気の高い二人を差し出すから人類側の生徒を守ってくれという約束。
「どうするかな」
田中教頭の催促に御神楽は瞳を閉じて考えた。一分、二分と短く長い時が過ぎる。
本音を言えば御神楽はこの誘いを受けたい。何だかんだ言っても御神楽圭一は高校二年生の十七歳、年頃の少年らしく異性には十分興味を持っていた。
だが、戦場で培われた第六感が御神楽に訴えている。
この誘いは絶対に受けるなと。受けたら最後、とんでもない目に会わされてしまうと警鐘を鳴らしていた。
御神楽は本能よりも直勘に従うことを選んだ。
「残念だが――」
「ああ、そうそう。これは極秘情報だから決して他言しないでほしいのだけど」
田中教頭は声のトーンを落として御神楽に囁いた。
「赤神舞、永月優香の二人の処女を差し出せば人類側の生徒を守るための警備員を提供するという議員がいるんだよ」
「……っ!」
その衝撃の言葉は御神楽に目を見開いてしばし絶句させた。
「夢宮学園の深く縁のある議員でね。その人が二人を大層気に入っているようなんだ。むこうからそんな提案が来たのだけど今は保留にしている。何せ警備員が突然配属されると不自然だし、何より大事な生徒を学園のために差し出すような真似なんてしたくないしね」
御神楽は呆然と聞きながらも何を言っているのか理解していた。
もしその情報が正確なら近い内日本中に人類排斥運動が始まる。おそらく夢宮学園の人類側の生徒も例外でなく被害を受けるだろう。人類側の生徒を守るために警備員を配属させようと議員は持ちかけていた。
「だからね、そんなリスクを背負うより御神楽君が引き受けた方が学園にとっても二人にとっても安心できるんだ。何せ過激派の新人類をたった一人で黙らせる力を持っているからね、最強の警備員だよ」
そう言いながら田中教頭は御神楽の様子を観察する。そして御神楽の心境が揺れ動いているのを察した田中教頭は最後にこう付け加えた。
「御神楽君はまだ生きている人がいるのに何もしないのかい?」
御神楽は血が滲み出るほど強く唇を噛んだ。体を揺らして何かを必死で耐えるように顔をしかめる。死ねばタンパク質の塊。どれだけ後悔しようとも決して償えない過去が御神楽を苛ませる。
「まあ、いきなりそんなことを言われても困るよね。まあ、ゆっくり考えておいで」
御神楽の葛藤をよそに田中教頭は立ち上がって来客室から出ていった。
「――で、あるからして」
授業中、先生が黒板の前で授業を行っても御神楽の耳に入ることがなく上の空で聞いていた。先生も御神楽が真面目に授業を受けていないことは知っているのだろう。しかし、注意はしない。何故なら御神楽は教師達が選出した生徒会副会長であり、彼らが御神楽に求めたものは生徒の模範でなかったからだ。
「思えば僕が選ばれた理由は学園の治安維持だったんだよな」
御神楽は過去を思い出す。御神楽が一年の頃、日本は中立を宣言していたとはいえ先進国よりだったがゆえに今と逆の現象が起きていた。つまり新人類側の生徒が人類側の生徒に虐げられる状況である。
あの日もそうだった。
永月茜が人類側の生徒に因縁をつけられて取り囲まれていた時のことである。新人類側の生徒が差別を受けているのに他の新人類側の生徒は見て見ぬ振りをする。そんなことは日常茶飯事に起きていた。だから今回もその一ページで終わるはずだった。しかし、ここで変化が起きた。茜はたまたま近くにいた生徒――御神楽圭一に助けを求めたのだ。
その当時御神楽と茜の関係といえば同じクラスだっただけであり、お互い名前を知っている程度だった。だからこそ茜は御神楽の名前を呼び、御神楽は茜の呼びかけに反応した。
そして人類側の生徒の一人が御神楽も一緒に締め上げようとした結果、見事に返り討ちにあい、それを見た他の人類も御神楽に襲いかかった。タバコに火を灯す程度の超能力しか持ちえない日本の新人類ならともかく戦場で生きてきた新人類の御神楽。
結果は火を見るより明らかであっという間に片付いた。人類も新人類も御神楽の強さに怖れ慄いて沈黙の中、御神楽は悠然とその場を立ち去っていった。
そしてその事件の後、人類は御神楽の目の届く範囲での苛めを控えるようになり、合わせて新人類も御神楽の傍なら平穏無事に過ごせるという暗黙のルールが出来上がった。
御神楽が意図したわけではないが、結果的に学園の治安に貢献した生徒として御神楽は表彰され、生徒会の副会長に選出されて現在の地位にいる。
「親分、どうしたんスか?」
とっくの昔に授業は終わっていたらしい。先生の姿は見当たらなく、代わりに茜がクリクリとした大きな瞳で御神楽を覗き込んでいた。
「いや、何でもない」
御神楽は首を振って何でもないことをアピールする。まさか人類側生徒の教頭から二人に手を出すよう勧められ、自分が副会長になった時のことを思い出していたなど言えるわけがない。
「……怪しいっスね」
だが茜は疑うような眼差しを御神楽に向ける。
「親分、絶対何か隠しているっスね」
両手でバンっと机を叩いて身を乗り出す茜。茜が近づくにつれ御神楽は背をのけぞらして後退した。
「言っておくっスけど私は親分のことに関しては右に出る者はいないと自負しているっス。親分の好物から性癖、そして今日親分が何歩歩いたかも網羅しているっスよ」
と、胸を張ってどや顔の茜。そこまで調べ上げたのは称賛に値するが一歩間違えればストーカーの域だぞ。と、御神楽はそんなことを考えた。
「だから親分が悩みを抱えていることはお見通しっス。さあ、早く白状するっス」
御神楽と茜との距離が数センチまで縮まる。御神楽は正直大きなお世話だと一瞬脳裏によぎったが、茜との付き合いは何だかんだ言ってもう一年以上にもなる。なら話して解決方法を考えた方がいいのではないかと思った。
「それはな、永月君――」
御神楽は茜に今日明日起こったことを洗いざらい話し始めた。もちろん周りに漏らさない程度に声を抑えてだが。。
「……で、親分は受けるんスか」
「そうなる」
茜の追及に御神楽は重々しく頷く。これは避けられないことだと言い聞かせるような苦渋の表情を作っていた。
「おかしいッスよ! どうして新人類の親分が人類側の生徒を守る必要があるんスか!」
「しっ、声が大きい」
突然茜が大声を出したので皆の注目が集まり、仕方ないので人気のない場所へと移動する。
こんな時に限って手頃な空き場所がなく、結局屋上まで来てしまった。そしてそこでようやく茜の手を放して向き直る。
空は快晴で雲一つない青空が広がっているのに屋上の風は涼しく、もう六月だというのに長袖シャツが肌寒く感じる。そして授業前だということもあるのか、屋上には御神楽と茜の二人しかいなかった。
「どうして受けんるんスか」
再度の茜による追及。御神楽は肩を竦めて。
「先ほど言っただろう。二人を守るためだと」
「それなら関係なんて持たずに人類側の生徒を守れば良いじゃないスか」
「それが出来たら苦労しない。あの鍵塚議員だぞ、彼に任せたら二人がどうなるか知らないわけでないだろう」
鍵塚議員は手管に長けているので毒蛇の住み家である政治の世界ではある程度の力を持っていた。しかし、その一方ではサディストであり、特に女性に対しての扱いが酷過ぎると噂されているのも事実。御神楽は鍵塚議員と会った時、「よくこんな奴らと付き合えるな、僕なら絶対無理だ」と考えてしまったほどである。
「まあ、手を付けておけば二人が標的になることはない。だから二人のために、そして学園のためと考えるしないな」
幸か不幸か鍵塚議員が関心を示すのは処女だけなので、手を付けた女性に対しては興味がない。だから御神楽は二人を守るためだと述べる。
「親分、念のため聞くっスけどそれは必要だからやるんスよね」
「ああ」
「二人に特別な感情は抱いていませんよね」
「まあ、単に傍にいるから守りたいと思う程度だな」
先ほどから変な質問ばかりすると御神楽は考える。その真意を問い質そうとした瞬間茜が御神楽を抱き寄せた。
「一体な――むぐっ」
御神楽は抗議を上げようとしたが、突然何か柔らかいもので唇を塞がれた。何が起こったのか目を凝らしてみると、御神楽の目の前には茜の瞳があった。
一秒、二秒――永遠とも思える長い時間が過ぎてようやく茜が離す。
「これが私の想いです」
茜は普段の陽気な雰囲気を消して真剣な瞳で御神楽を見据える。
「私は御神楽圭一がそう決めたのなら口出ししません」
茜は御神楽と接してきた時間が最も多い。そしてその巻き込まれ体質として御神楽と寄り添うことが多く、結果として御神楽の性格をよく理解していた。そう、御神楽は一度決めたことは絶対に曲げないということも熟知している。
「しかし、私は御神楽圭一が――好きです。そこだけは譲りたくありません」
茜がトラブルに巻き込まれる度に御神楽が助けに来た。何を信じていいのか分からならず、どこへ進んでいいのか見えない闇の中で現れる一筋の光明の御神楽。ゆえに茜が御神楽に対して好意を抱いても仕方がないだろう。いわば茜にとって御神楽はヒーローなのだ。困った時に助けに来てくれる救世主の様な存在だった。
「御神楽圭一が必要と思うなら二人に手を出しても良いでしょう。けど、もし許されるなら、私にもお情けを下さい」
そう言い残して茜は先に校舎へと戻った。途中、泣いているように見えたのは目の錯覚でないだろう。
「あ、ああああああああああああああああああああああ!」
そして一人残された御神楽は大声で叫んだ。
周囲の地面がひび割れて陥没し、風が轟々と唸りを上げて舞い上がる。
御神楽はやり場のない怒りをどう発散すればいいのか分からなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで何をどう考えていいのか分からない。
一体どうしてこんなことになったのか。
戦争が悪いのか
鍵塚議員が悪いのか
新人類が悪いのか
一体誰を憎めばいいのか分からず、ただ咆哮を上げ続けていた。
放課後――いつも通り御神楽は生徒会室で時間を潰していた。忙しいのは翼が来襲したときのみで、それ以外は現在の様に新聞を読んだり雲の数を数えたりして完全下校時刻まで時間を潰すのが常だった。
「……暇だな」
御神楽はそんな呟きを洩らす。生徒会室に入ってから三十分が経過したが誰も入ってくる気配がない。
「けど、今日ばかりは仕方ないよな」
舞と優香は田中教頭から御神楽に身を許せと命令され、また茜は先程御神楽に告白したばかりだ。
これでは少なくとも今日は御神楽と顔を合わせることが出来ないだろう。
「仕方ない、今日は一人で寂しく時間を潰すか」
と、ここまで言って気付いた。いつから自分は周りに誰もいないと寂しいと考え始めたのだろう。少なくとも生徒会に入る以前はこんな感情を抱かなかったはず。そして御神楽は少しずつ変わり始めている自分に驚いた。
だが御神楽はその事実に驚いている暇は無かった。その呟きと共に悪魔が、今後の運命を捻じ曲げる諸悪の根源が現れたからだ。
「天呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。誰が呼んだか夢宮翼。呼ばれて出てきて神参上」
歯をキラリと光らせながらどや顔で入室する翼。アホ毛は『神』と文字を形成している。その神を含めて突っ込み所は多数あったが全て無視した。どうせ指摘してもスルーされるだけだ。
「聞いたよ御神楽君♪ 田中教頭から勧められたんだってね。いやー羨ましい、据え膳どころか口元にアーン状態じゃん♪」
御神楽の背中をバシバシと叩く手加減無く叩いているため御神楽は顔をしかめるが翼は気にしない。
何故その話が翼の耳に届いているのか。やはり学園長の娘だから、そこの伝手として情報が入ってくるのかもしれないと御神楽は推測した。
「いやー、良かった良かった。これで鍵塚議員の手を借りなくて良くなった♪」
「は?」
見逃せない単語が出てきたので思わず御神楽が振り返る。何故鍵塚議員を知っているのか。
「ん、決まっているでしょ? 鍵塚議員からアプローチが来るよう仕掛けたのは私だから♪」
その言葉に御神楽は慄然とする。思わぬ方向からの刺客に思考が停止した。
「まあ、議員の方は心配しなくて良いよ。何とでもなるから♪」
御神楽の神経を逆撫でするのが目的なのかそんな情報まで口に出す。
「だから今日の七時に自宅から一歩も出ないこと♪ これは命令ね♪」
言いたいことだけ告げて出ていこうとする翼。そのいつもと変わらない様子を見て御神楽は初めて翼を心から憎いと感じた。
「待てよ」
「ん♪」
御神楽の冷え切った声音に翼は振り向く。御神楽の心境を知ってか知らずか翼は表情を崩さない。
「僕はこれまで会長の思いつきに耐えてきた。それは逆らうと僕の人生を滅茶苦茶にされるという予感があったからだ。しかし、今回ばかりは大人しく従うわけにいかない。例え栄光の未来をふいしたとしても通さなければならない筋というものがある!」
御神楽は机の上に拳を振り落として宣言した。机が御神楽の鉄槌によって陥没するがそれを気にしない。
「夢宮翼! 僕は今日限りで夢宮学園を退学する! これ以上お前のおもちゃにされてたまるか!」
御神楽は大声を出した。普段物静かな人間ほど激昂した際の様子は鬼気迫るものがある。今の御神楽を生徒が見たら恐ろしさの余り気絶するか尻尾を巻いて逃げ出すだろう。それぐらいの怒気を御神楽は発していた。
「駄目だよ♪」
だが翼は御神楽の威嚇を全く受けていない様に感じられる。
「退学はしない、生徒会も辞めない、そして取引は受けてもらう。これは決定事項だよ♪」
「夢宮翼、それは本気で言っているのか?」
「うん。何せ私は確定した未来しか口に出さないからね。例外はありえないんだよ♪」
ニコニコと、小学生が浮かべる邪気のない笑みを浮かべながら宣言する翼。それを見た御神楽は最後に一発殴ってやろうかと拳を振りかぶって襲いかかるが。
「御神楽君は私を殴れない」
ピタリ、と御神楽の拳が翼の顔面にあたる直前にストップする。そしいくら御神楽が力を込めようとも拳をこれ以上進めることはできなかった。
「御神楽君は今超能力が使えない」
拳が駄目なら超能力だと考えた御神楽は手を翼に向けて重力波を発生させようとした。が、御神楽の手からは何も出ず、さらに他の風や氷も試したが同じ結果に終わった。
「やれやれ、見事に壊してくれちゃって。高いんだよ、この机って」
あまりの非常識な出来事に言葉を失う御神楽の横を通り過ぎて彼が壊した机の前に来る。
「この机は新品同様の状態へ戻る」
すると驚くべきことに陥没して欠けた部分が増殖をはじめて再生し、すぐに御神楽が壊す以前の状態へと戻り、さらに机のシミや切り傷が消えて購入した以前の状態へと戻った。
一体何が起こっているのか。御神楽の常識を超えた出来事を目の当たりにして御神楽は先程までの反抗心が消えて呆然とする。
「驚いた? 御神楽君♪ 先ほども言ったように私は確定した未来しか話さない。つまり私が言ったことは現実に起きるんだよ♪」
自慢するまでもなく奢るまでもなく普段の調子でそう話す翼。ここに至ってようやく御神楽は理解した。自分は夢宮翼から逃れられないのだと、どうあがいても勝つことが出来ないのだと。つまり、御神楽の心は完全に折れた。
御神楽は地面に膝、手、額の順につき体を丸めて嗚咽を漏らし始めた
「それでは、また明日にね♪ 必ず皆の前で宣言するように」
翼はまたも御神楽の未来を確定させてから生徒会室から出ていく。そして後に残された御神楽はいつまでも生徒会室で敗北の慟哭を上げ続けていた。
カチ、コチ
時計の音が嫌に耳に付く。明かりをつけない暗い部屋で御神楽はベッドへ腰かけて俯いていた。
あれからどうやって自宅へと帰ったのか覚えていない。御神楽が気付いた時にはすでに陽が落ちて時刻は午後六時五十五分。今から外へ飛び出して翼の思惑から逃れようと一瞬考えたがそれを実行に移すことはできなかった。すでに翼によって未来が確定されてしまっているのだ。ならば自分がどう足掻いたところで意味がないと知っていた。
「失礼します」
時計が七時になると同時にドアが開いて誰かが入ってきた。御神楽は誰なのか確認するために顔を上げる。
「如月君か」
「はい、その通りです」
闇に浮かび上がる白磁の肌と怜悧な瞳、日本人形の様な妖しさと機械の如く冷徹性を併せ持った如月優香が入ってきた。
「私がここに来た理由は御存じですね」
優香は御神楽の隣に並び、肩が触れ合う位置まで寄り添った。
「……取引だろう」
御神楽は力なく答えた。今日の朝田中教頭から二人に手をつける代わりに人類側の生徒を守ってくれと持ちかけられていた。
「その通りです。よく分かっていますね」
御神楽の答えに満足したのかにんまりと優香は笑う。その瞳は普段の怜悧さよりも妖しさの方が際立っているのは今から起こることを予期しているせいか。
「気が進まないのであればこれから儀式を行うと考えればいいのです」
「……儀式」
御神楽が力なく繰り返す。
「そう、儀式。今までの自分、そして平凡な未来と決別するための儀式と考えれば楽になりますよ」
儀式――優香の言い分は言い得て妙だった。明日から御神楽は新人類側の生徒だけでなく人類側の生徒も守らなければならなくなる。
今までは違反した新人類を取り締まっていたものの、それが当然だったので大した批判も受けずにここまでやり過ごしてきた。
だがここからは違う。
御神楽の個人的な理由によって人類側の生徒も守るのだ。新人類側の生徒からすれば裏切られたと感じる生徒も少なくない。
本来ならば平穏無事に学園生活を送れるはずだったのだが、人類側の生徒も守ることによってそれが終わる。いわれのない中傷を受ける受難の日々が始まるだろう。
儀式、優香の言葉はあながち間違いではなかった。
「誤解のないよう言っておきますが私は御神楽君のことに興味がありますよ。だからこそ田中教頭からの申し出を引き受けたわけですし」
優香が御神楽の耳元でそう囁いた。その声は魅惑的な要素が含まれている。
「赤神舞も後から来ますよ。私が先に来たのは彼女に恥をかかせないためです。二人とも初めてでしたら失敗する確率の方が高いわけですしね」
御神楽の衣服に手を掛けながらそう述べる優香。そして準備が整って誓いの口付けを行う前に最後こう述べた。
「ご心配なく、私も初めてですから」
正午の時間帯。日本政府から特別発表があるということで全てのテレビ・ラジオが中止され、君が代の斉唱が流れた。
それは、日本国はこれから新人類の国となり、超能力を使えない人類の基本的権利を全て剥奪するというものだった。
新人類が有利な方へ傾いていた頃からそういった差別は影にあったが、この発表によって露骨に行われるようになった。
超能力が使えないというだけで解雇されたり借家から追い出されたりといった所業が平然と行われ始め、それを国が黙認するという事態。それは学校など公共施設も例外でなく病院の診察料の違いや学校での苛めなどが行われた。
しかし、人類下新人類上という風習が行われない場所もあった。それが夢宮学園である。その日本政府からの発表直前に夢宮学園生徒会副会長の御神楽圭一が朝礼の際全生徒に向けてあることを発表したからである。
この発表があったため、新人類側の生徒は御神楽の報復を恐れ、いくらお咎めなしといっても人類側の生徒に手出しをすることはなかった。
第四章
「何故だ、何故副会長が出てくるんだよ!」
「言っただろ。人類側の生徒も僕が守る対象だと」
もう何度目かになるか分からないぐらい同じやり取りを繰り返した。
御神楽の発表から数日、大多数の生徒は人類側の生徒を虐げることは無かったがそれでも少数の生徒は人目を憚らずに人類側の生徒に殴る・蹴るなどの暴行を加えた。
御神楽はそういった事件を受ける度にその新人類の生徒へと向かい、虐げた生徒に謝るまで制裁を加えた。
国が人類の権利など無いと宣言しているのだからどちらに大義があるのかと問われれば生徒の方であり、御神楽の方が間違っていた。
しかし、それを御神楽に注意する生徒はいない。それは生徒といっても人間だから超能力が扱えるのか否かで差別するのは良心の呵責があり、また、過激派の生徒の集団をたった一人で粉砕した御神楽の眼光の前に立ち塞がることが出来る生徒が存在しなかったためである。
ゆえに夢宮学園は御神楽の尽力によって日本政府の発表前と変わらない日々を送っていた。
「…………」
生徒会室には御神楽一人しかない。それは意図的でも何でもなく、最近御神楽は授業が終わるとすぐに生徒会室に詰めていたからだった。そして御神楽はそこで人類側から苦情を受けて行動する日々が続いている。腕を組んで目を閉じている姿は何かと近寄りがたい雰囲気が滲み出ていた。
その時、ガチャリとドアノブが回る音が響き、外から誰かが入ってくる。
「……御神楽君」
人の気配がしたので御神楽は瞑想を止めて入室してきた舞を見やる。舞は以前御神楽にも気さくな雰囲気で話しかけていたが、発表以降だと遠慮しがちな様子を見せるようになっている。
それは御神楽が怖いわけでなく、人類側の生徒の問題を新人類側の生徒である御神楽に丸投げしているという状況に後ろめたさを感じているからだった。
しかし、御神楽は自身に丸投げしている状況を舞に責めるような様子を見せない。人にはどうにも出来ないことがあり、それを責めるのは間違っていると御神楽は考えている性質である。
そして舞は自分の席に着くとそこに置いてある書類の仕分けを行う。御神楽は人類側の生徒も守ると宣言したが御神楽の身は一つだ。苦情全てに対応できるわけがない。
だから舞はそれら苦情の仕分けを行い、御神楽の手を煩わせない程度のことは引き受けていた。
「……」
あの日以来御神楽は前にも増して無口となり、余計な言動を行わなくなっていた。もちろん向こうから話しかけられれば対応するが、自分から何かアクションを起こすことはない。だが、それでも御神楽から発する雰囲気は他を威圧していた。
「……御神楽君、やはり怒っている?」
「怒っているな」
遠慮がちの舞の言葉に御神楽はそう述べる。しかし、すぐに首を振って誤解しないでほしいと前置きしてから続けた。
「戦争の影響や政府の身勝手な決定、赤神君や如月君がどうして犠牲になる必要があるのかもそうだが、最も許せないのは例えそれしか道がなくともそれを選んでしまった自分自身だ」
考えれば他の道もあるはずでは無かったのかと考える。二人に体を差し出さなくとも御神楽自身が人類側の生徒を守る道もあるし、最悪二人を生徒会から辞めさせて関係なくさせる手段もあった。
「そんなことはないわよ。それは御神楽君一人でどうにもならない問題だった。それに勘違いしないでほしいのは、私は嫌々ながらやったのではないということ。どうせ誰かに奪われるのであれば好きな人とが良いじゃない」
「ありがとう、そう言っても貰えると楽になる。
語尾に近づくにつれて舞の声音が小さくなっていった、おそらく照れているのだろう。その様子が愛おしく感じられて御神楽は思わず笑みが零れる。
舞が御神楽の席の向かい側で仕分けをしている様子を眺めながら翼について考える。
あの身長百三十cmの見た目小学生だが、夢宮学園の生徒会長である夢宮翼。本人は至って能天気だが、その思考は読めない。御神楽は始め翼を単なる親の七光など考えていたが、これまでの経緯から己の先入観を恥じた。
人類や新人類問わず人気があり、己の底を決して見せない。例え何かを犠牲にしようとも目的を示すその立ち振る舞いは翼こそ生徒会長に相応しい人物だろう。
実際、御神楽は今回の翼の采配に舌を巻いていた。
もし女に汚い鍵塚議員が動かなければ御神楽は引き受けようと思わなかった。
それに単に生徒会だからという理由で人類側の生徒を守るのは国の政策上難しい。しかし、新人類である御神楽が人類の舞や優香を従えるという理由なら話は別だ。つまり己の下僕である二人を悲しませないために人類側の生徒を守るという大義名分が成り立つのだ。
それに舞も優香も茜さえも不満な様子はない。
そして、何より腹立たしいことだが、御神楽は今の状況を以前より心地良く感じていた。船上生活が長かった故に安穏と目的も無く過ごす日々より緊張感溢れた目的のある生活の方がしっくりくるのだ。
ゆえに、御神楽的には認めたくないが翼の采配は見事だったと言える。
「何にせよ、行き着くところまで流されるしかないか」
賽は投げられた。もう御神楽にはこの学園から離れるという選択肢はない。これから先どうなるか想像も付かないが、間違いなく苦難に満ちた日々だというのは想像できる。
――何かおかしいと感じたらすぐに逃げることをお勧めする。
ふと御神楽の担当医が言ったことを思い出した。戻れない今だからこそ理解できたのだが、あの人は御神楽の身を案じていたのだろう。当時は単なるおせっかいとして受け取ってしまった自分を愚かに思う。
「失ってから初めて気付く……か」
その呟きはあまりに小さすぎて向こうにいる舞にさえ届かなかった。
「……またか」
朝登校した御神楽は自分の机の惨状を見て溜息をついた。正確には机だったものだろう。もはや原形を留めていないほど壊されており、これが元机だと説得させる方が難しい。
「うわー、これは酷いっスね」
後ろからひょっこり顔を出した茜が現状を見てそんな声を洩らす。
「これで何度目ッスか」
「宣言してから十回目。三日に一回のペースだ。しかし、一年から五日に一回のペースで壊されていたからもう何とも思わない」
御神楽の強さに目を付けた新人類の生徒の一団が、御神楽を仲間に入れようと持ちかけたことがあった。当然御神楽は一蹴したが、彼らはしつこく、それから陰湿な苛めを行うようになっていった。
御神楽としては机を壊されたところで何とも思わないし、もし目障りだったら捻じ伏せることも出来るので現在も放置している。
「これぐらいしか出来ないんだ、相手にする必要はない」
御神楽の目の届かない範囲で机を壊す。それは確かに陰湿だが、裏を返せばそれぐらいでしか御神楽に対して報復が出来ないという事実。
実際問題として夢宮学園全ての生徒が束になったとしても御神楽は勝てる自信がある。平和な日本で培った超能力など相手にすらならなかった。
「生徒からの報復はともかく、教師達は何も言わないっスね」
新人類側の生徒である御神楽が人類の生徒を守るというのは明確な裏切り行為なのだが、教師達はそれを責めてこない。茜は御神楽が副会長職を解任されるのではないかと危惧していたが、ここ一ヶ月そのような兆候はない。
「表向きの理由として僕は新人類側の生徒を守ることを放棄したわけではない」
確かに御神楽は人類側の生徒を守るが、新人類側の治安も同時に守っていた。新人類側の生徒を守るのが副会長の条件であり、人類を守ったらいけないというわけではない。ゆえに御神楽は条件を満たしているので副会長職を解任させられる理由がないのだ。
「裏向きの理由として学長がストップをかけている」
「学長が? それは凄いっスね」
翼からの情報が正しければ、御神楽の宣言前に学長は教師に根回しを行っており、御神楽を解任させるなと圧力をかけたらしい。
何せ学長は超能力が使えないので、人類排斥を容認すれば己の立場が危ないと危機感を抱いていたそうだ。しかし、己の首が飛ぶ恐れのある排斥運動を抑えてくれる御神楽は救世主の様な存在だろう。その意味から御神楽が副会長から降ろされると非常に不味い事態に陥ってしまう可能性があるのだから、学長は何としても御神楽を副会長のままにしておきたかった。
「大人の駆け引きだ。まさか学長らの思惑も絡んでくるとは予想しなかった。出来れば学長とは二度と関わり合いたくなかったな」
あの白髭が胸元まで垂れている老人から感謝されても嬉しくない。翼の祖父である学長は怪物と呼ばれており、あの鍵塚議員さえも学長と比べるとひよっこ同然となってしまうほど役者が違った。
「しかも感謝される理由があの老人の身の安全のためだぞ。やる気が削げる削げる」
御神楽としては何を考えているのか分からない飄々とした風情の学長がどうなろうと知らない。どうせ学長のことだから何か後ろめたい過去が無数に存在しているのを容易に想像できるし、何より学長といると彼はやはり翼の祖父だということが嫌でも実感する。只でさえ翼一人によって相当な被害を被っているのに、さらにもう一人追加など御免被る。絶対にろくな目にあわされまい。
「え、親分は学長と会ったことがあるんスか?」
茜が意外そうに眼を見開く。学園長は滅多に生徒の前に姿を現すことがなく、大多数の生徒は入学式の際、学長のあいさつで姿を見た程度だろう。
その疑問に御神楽は嫌な過去を思い出すように顔をしかめて。
「ああ、正月頃学長が突然現れて学長の護衛という名目の拉致によって付き合わされた。まさかまたロシアの地を踏むとは思わなかったな」
正月にコタツで丸くなっていた御神楽に突然SPやらが現れて御神楽を強制連行しようとした。幸い向こうは人類だったのと重火器を使用しなかったので無論全員返り討ちに出来たのだが、その功績を見た学長は御神楽を護衛としてウラジオストックへ連れて行った。
ちなみに後で知った話だが御神楽を連れていくことは確定済みだったのだが、蛇足として襲撃を行おうと提案したのは翼である。当然御神楽は抗議したが煙に巻かれてうやむやになってしまった。
「当時のウラジオストックって、まさか……」
「その通り、ロシア戦線における新人類の最重要拠点だ」
御神楽が一年の頃、ロシアは真っ二つに別れていた。ヨーロッパに近いモスクワを人類軍の拠点とし、最東端の都市であるウラジオストックを新人類軍の拠点として日々激しい戦いを繰り広げていた。
「何の目的で向かったんスか」
茜の疑問は最もだろう。一人で行くならともかく学園長に随行させての旅だ。ウラジオストックが新人類の拠点だったという点を考えると人類の学長が行くことに多大な意味があったに違いない。
「そこは答えられない。しかし、僕がいなかった一月から三月までの間何をしていたのか推察してみろ」
御神楽がロシアへ向かったのは一月。十二月時の世界情勢は新人類側が不利であり、ヤクーツクまで人類軍が戦線を押し寄せていた。
しかし、一月以降は情勢がガラリと変わって新人類軍の快進撃を続け、二月の時点でノリリスク、そして三月にはモスクワまで差し迫っていた。
「……親分、もしかして」
茜は恐ろしい事実に気付き、両目を限界にまで開かせる。もし茜の予測が正しければ形勢逆転を成し遂げたのはきっと……。
「誤解しているようだから言っておくがあの時すでに新人類軍の勝利は決まっていたぞ」
茜が変な方向へ思考を深めていると察した御神楽は手をパタパタと振ってありえないと言う。
「ミサイルや戦車などの高性能破壊兵器によって国家が火の車だった先進国と続々と戦力が生み出されている発展途上国。長期戦になった時点でこちらの勝ちは決まっていたんだ。それにヤクーツクまで迫られていてもその兵隊の装備は銃さえまともに支給されていなかったんだ。遅かれ早かれこうなることは予測できた」
戦争とは所持金の多さによって決まる。兵隊に食わせる飯や戦場に移動させる輸送費、そして弾薬なども全て金がかかる。所持金が少ないほど兵器を運用することが出来ず、敗北してしまう。
「そう考えると学長は上手くやったよな。見事に勝ち馬に乗ったのだから」
結果論から見ると学長の先見性は見事に的中した。端からは敗北同然に見える時に御神楽を送り込んで活躍させることによって恩を売ることが出来た。つまり学長は最も少ない投資によって最大の利益を得たことになる。
「学長ってすごいっスね」
「いや、この話はまだ終わりでない」
茜が感嘆したため息を出して終わらせようとしたので御神楽は早口に続きを口にする。
「学長はウラジオストックの拠点に行ってそこの総司令官と面会したんだ」
「総司令官? よく人類側の学長が新人類側の総司令官と面会できましたね」
「それはな、その総司令官は僕の元上官だったからだ」
御神楽がロシアに行って最も驚いたのは、御神楽の少年兵時代において上官だった人物が総司令官にまで出世していたことだった。御神楽と出会った当初は少尉だったことを考えると大変な出世である。
「どうしてそんなに階級が上がったんスか?」
「僕を含んだ少年部隊が目覚ましい活躍をしたのと人類軍の作戦の一環である頂上作戦が成功してしまい、上官より上の階級を持つ人物が少なくなってしまったからだ」
「はあー、何か出来過ぎな話ッスよね」
「だからまだ感嘆するな。そして、近日中に来日する新人類の日本責任者は誰だと思う?」
「え、まさか……」
「そう、僕の元上官だ。笑えるだろ、ここまで来るともはや呆れて声も出ない」
御神楽の元上官がロシア方面の総司令官となり、そして日本の責任者に任命されている。
何という偶然か。全てが終わった今だからでこそ評論出来るのだが、もし学長がこうなることを見越して御神楽を入学させたのならそれは先見性というレベルではなくもはや未来予知に達する。
「……」
その衝撃の事実に茜は三度目の絶句を行った。そのポカンとした表情は見ていて面白いが、その気持ちは御神楽の理解できるため冷やかさずにおいた。
「言っただろ、僕は会長を始め夢宮家には関わり合いたくない。傍にいたら知らず知らずの内に雁字搦めに縛られて身動きが取れなくなりそうだからな」
まあ、すでに手遅れだけどな。と、御神楽は自嘲気味に呟いた。
放課後――生徒会室には御神楽と優香の二人きりだった。
舞は人類側の生徒の面倒を見ているため今日は欠席で、茜は新人類側の生徒の要望を聞いて回っていた。
御神楽はいつもと変わらず腕を組んで瞑想し、優香は生徒会に上がってくる経理や事務的な内容に目を光らせていた。
基本的に二人は実利主義なので無駄なことをしない。ゆえに生徒会室には重苦しい沈黙が満ちていたが二人ともそれを変えようと思わなかった。
だが、二人は話すのが嫌いなわけでない。何か用があれば沈黙を破る。先に口を開いたのは優香の方だった。
「購買部からですが人類側に対して商品の値上げが起こっています。早急に是正するよう働きかけて下さい」
「分かった」
「部活からですが人類側というだけで場所や用具などの差別が頻発しているようです。首謀者を割り出しておきましたので制裁を希望します」
「なるほどな」
優香から上がってくる報告を確認する御神楽。人類側の生徒からの苦情は基本的に舞が担当しているが、舞では手に負えない問題が来るとそれを優香が審査してより正確な情報を御神楽に渡す。
そうして物事を効率的に処理しなければ追いつかないほど苦情は数多かった。それほどまでに新人類側の生徒からの差別は苛烈かつ粘着である。
「全然減らないな」
優香が読み上げる中、御神楽が案件の多さに愚痴を零す。それに優香は顔色一つ変えずに。
「今まで私達が彼らを虐げていましたからね。憎悪も入っていますからそう簡単に解決しないでしょう。ですからしばらくはこの状態が続くと考えて下さい」
「体は持つかな」
「そこは大丈夫です。私が御神楽の健康を万全に管理しますから心配する必要はありません」
「……少しは自由が欲しいのだが」
御神楽も子供ではない。さすがにそこまでしなくともある程度自分をコントロールできる自身を持っているのだが優香は全然認めてくれない。
「御神楽はすでに御神楽だけのものではないのですよ。あなたの背には私達人類側の生徒が掛かっているのです。ですから食事や睡眠、そして性欲などのストレスコントーロールは勿論のこと肌の健康具合までしっかりと管理しているのです」
「嘘を吐くな。特に性欲のコントロールなど一度もされた覚えがない」
あの晩――確かに優香と御神楽は服を脱いだが本番までいっていない。何故なら、優香は服を脱がすと同時に持参したロープを取り出して御神楽に巻きつけようとした。
放心状態の御神楽もさすがにそれは困る。大慌てでロープを取り払ったのだが、次に言った優香の言葉が衝撃的だった。
「私、誰かを縛らないと興奮しないのです」
予想だにしない返答に絶句した御神楽はその後も縛る・縛らないで押し問答を繰り返していた。そうしている内に舞が来たのだが、舞は開口一番こう言い放った。
「まずはキスから始めましょう」
本来なら有無を言わさず襲っても良かったのだが、先程の優香とのやり取りで精根尽き果てていた御神楽は特に反論することも無く二人を帰らせた。
ちなみに御神楽は童貞である。
「ふむ、もうそろそろ溜まってきましたか?」
「発情期の獣を見るような目を止めろ。それに発散させようとしても永月君とだけはお断りだ。僕はロープで縛られて満足するような性癖を持っていない」
「残念です」
優香が悲しそうな声音を出すが御神楽は同情の念すら沸き上がってこない。
前々から思っていたがどうも優香には拘束癖があるらしい。好きなものほど自分の傍に縛りつけておきたい欲求があるのかどうも二十四時間ずっと監視されているような気がする。無論授業中などそんなことはありえないが、教科書を開くと重要部分に線を入れてあることが多々あるのですぐそこに優香が自分を観察しているような錯覚に陥ってしまう。
「少しは僕を信用してくれても良いだろう」
「前向きに検討しておきましょう」
「……絶対に改善しようとないな」
「その通りです」
御神楽の恨みがましい呟きに優香は平然と悪びれる様子も無く返した。
完全下校時刻が過ぎたので御神楽と優香は生徒会室の鍵を閉める。そして正門へ向かう途中に舞と合流して御神楽の住むアパートへと向かった。
「それじゃあ夕飯を作るわね」
「私は御神楽の明日のスケジュールを調整します」
舞は冷蔵庫を開けて手頃な食材を取り出して調理を始め、優香は鞄からプリントを取り出してスケジュールを整頓し始めた。
「……」
そして御神楽は何もすることがない。御神楽としては料理ぐらいできるから交代制で行おうと提案したこともあったが二対一で却下された。
優香曰く、人類に料理を作っていると外に漏れたら大変だからとのこと。
ここで確認しておくが、御神楽は舞や優香と立場が対等ではない。国が超能力を使えない人類の人権を奪ったので建前的には舞や優香は御神楽の下僕の存在である。
そして、御神楽が学園の人類側の生徒を守るのは人類側の生徒が虐げられるのは下僕である二人が悲しむので、御神楽は主人としてその悲しみの根源を取り払っている、というのが名目上の理由だ。
新人類が人類を虐げても法律上罪に問われないので、御神楽の行いこそが違法なのだがそこは直接手を出さずに御神楽の眼光で黙らせている。御神楽が本気で睨みつけると普通の生徒は本能レベルの恐怖を感じてしまい、数秒と御神楽と目を合わせることが出来ない。それを利用して御神楽は表向き学園の平穏を守ってきた。
「ただいまーっス」
ちょうど料理が出来る頃に茜が宿泊道具一式を持ってくる。茜の泊まり込みは舞と優香がアパートへ住み込みを始めた時期と同じであり、茜は何か不埒なことをしないかどうか監視すると言ってほぼ毎日御神楽の自宅へと来る。
直接御神楽のアパートに泊まらないのは寮生という立場からであり、一旦帰宅して寮長から許可を貰う必要があるためだ。毎日許可が必要なのは面倒だが、本来寮生は外泊を禁止している。しかし、茜の場合は御神楽と面識があるので特例として許可されていた。
「おかえりなさい、もうそろそろご飯が出来るわよ」
キッチンから舞が振り返って茜に声をかける。その動作は自然であり、部外者が見ても違和感がないほどだ。
「分かったッス。皿を並べるから少し待ってっス」
そう言って新たに購入した大きめのテーブルを拭いてそれぞれの席に皿を並べる。
「ええと、上座はこっちっスね」
ドアから最も遠い位置に一際豪華な食器を置く茜。この食器は御神楽専用であり、他と区別するために用いられている。舞と優香は下僕、そして茜は客人扱いなので自然とそうなってしまう。
ちなみにこの発案者は優香であり、御神楽は形式過ぎると反対したのだが聞き入れられて貰えなかった。御神楽は家のことに口出しすら出来ない状況から本当に自分は主人なのかと自問する日々が続いていることは内緒である。
「「「「いただきます」」」」
全員が手を合わせて感謝の印を結んだ。そして同時に皆が並んだ料理に手を伸ばし始める。
「親分、毒見をし」
「する必要はない」
茜の言葉を最後まで言わせなかった。毒見など実行させると御神楽の食べる分が無くなってしまう。過去一度それをやられてひもじい思いをした御神楽は二度と毒見などさせない。
「残念っス」
優香は目を伏せるが御神楽は罪悪感の欠片もない。最近思うのだが茜は御神楽が嫌がっているのをわかっていてやっている節がある。しかも腹が立つことに御神楽が激昂する線のギリギリをついてくる。そしてその絶妙さは嫌がらせに限っては茜の右に出る者はいなかった。茜の恋人はさぞ苦労するだろうなと他人ごとながらそう思う。
「おかわり、要る?」
「ああ、頼む」
御神楽の持つ茶碗に入っている量を見定めた舞は御神楽にそう声をかける。このように痒い所に手が届くような良い気配りが出来る。舞は将来良い奥さんになるだろう、と御神楽は心の中でそう考えた。
「箸の位置が二mmおかしい、そして茶碗は一cm横です」
どうでも良いことに口を出してくる優香。一瞬ムッとくるが優香相手に口喧嘩で勝てるとは思わないので御神楽は何も言わない。優香は将来絶対亭主を尻に敷いてくるだろうと想像した。
そうして賑やかな夕食時が過ぎていく。
休日――御神楽は島内にある商店街を歩いていた。普段なら舞や優香を傍につき従えているのだが、この日は珍しく御神楽一人だった。
「都会はどうなっているのか」
御神楽は独り呟く。日本政府の発表以降御神楽は島の外に出ていない。忙しかったので出られなかったのもあるが、現在都会を含めて日本は無法地帯と化していたので安全のため生徒は島から出ることが叶わない状況となっている。
「本当に急な発表だよな」
どうして何の前触れもなく人類の基本的権利を剥奪したのか。そんなことをすれば人類は反発するのが目に見えている。しかも自衛隊や警察官の中にも人類がいるのだから彼らが武器を携えればどうなるか。しかるに今の状況は予想してしかるべきだった。
内戦の影響で新聞もまちまちとなり、リアルタイムでの情報が把握し辛い。昔はインターネットでどこにいても情報を入手出来た時代だったらしい。羨ましいことだ。
しかし、その断片的な情報からでも本島の悲惨な状況は伝わってきている。突然住む場所を追われて難民となった人類が数多く生まれ、彼らが結託して暴動を起こしているので街並みは滅茶苦茶らしい。
ふと御神楽は今まで歩いてきた道を振り返ってみる。そこには日本政府の発表前と変わらない光景が広がっていた。
「それに比べるとここは至って平和だな」
人類が売っている商品を新人類がお金を払って買っている。本島ではこんな光景など見られないであろう。
「会長には少しだけ感謝しておくか」
確かに学校では畏怖の象徴として畏れられ、その重圧にウンザリすることが多々あるが、今の状況を作り出すことに一役買っていると考えると多少気分が楽になる。御神楽もやはり人間。やっていることの意義があると嬉しいのだった。
「お姉さん、オレンジジュースを一本」
御神楽はあまりに気分が良いので奮発してジュースを頼む。帰ったら優香辺りに嫌味を言われそうだが何となく飲みたい気分になっていた。
「あいよ……って御神楽様じゃないかい」
「様付けはいい。分不相応だ」
様を付けるところから売り場のお姉さんは人類らしい。新人類なら恨みを込めて呼び捨てにするはずだから。
「何言ってんだい、あんたは私達人類の守り神何だからね、様を付けるのは当然じゃないか」
「僕は新人類なのだけどな」
「新人類だろうが神だろうが守ってくれる者を敬うのは当然じゃないか」
「……」
竹を割ったような気持の良い返答に御神楽は何と答えていいかわからず照れてしまう。そうしている内にお姉さんがジュースを一本御神楽に渡した。
「ほら、千二百万円ね」
「守り神に値引きしてくれないのか?」
「神様もお客様さ」
「ククク。負けたよ、ほら」
御神楽の冗談を見事に返された御神楽は喉を鳴らして笑った。財布の中から紙幣を何枚か取り出してお姉さんに渡す。
「毎度ありー」
御神楽はプルタブを開けて缶を口元で少し傾ける。一気に飲んでしまっては持った無いため、少しづつ味わって飲みたかったからだ。
「そう言えば御神楽様さあ、あの噂って知ってる?」
缶を半分ほど開けた後、お姉さんが御神楽に耳打ちを始めた。
「ここじゃあ平和そのものだけど本国じゃあえらいことになっているらしいね。何でも自衛隊が人類側に付いたから日本は無法地帯と化していらしいね」
「ああ、そう聞いている」
「でさあ、これは噂なんだけど近々この島に難民が大量に来るらしいね」
「……何だと?」
御神楽はバッと振り向いてお姉さんを見る。日本が内戦状態なのは知っていたが、その結果として生み出された難民が向かってくるなど初耳だった。
「そんなに驚かなくていいじゃないか、最近法事のときでしか姿を見せなかった親戚が急に家に来てそんなことを言っていただけさ」
「まあ、確かにな」
一定の土地に住める生物量が決まっていると同じようにこの島にも許容に限界が存在する。元々この島は過疎地だったから生徒を含めた全島人の二倍はいけるが、三倍以上だとオーバーしてしまう。
住む場所以上に問題なのが当座の食糧事情だった。今から開墾して畑を植えたとしても、それを収穫できるのは一年後。それまでの間を賄う食料を購入する金が学園にあると思えない。
どう考えても難民を受け入れる余裕などなかった。
「それにしても何とかならないかねぇ」
お姉さんが頬杖をついて嘆息する。同じ人類だから助けたいという思いがあるのだろう。
「言っておくが新人類の僕が難民を守るなんて無理だぞ。彼らは僕と同じ新人類によって住む場所を追われたんだ。彼らからすればその新人類に守ってもらえるのは我慢ならないと思うぞ」
難民全員が御神楽を憎むとは考えられない。必ず一人か二人かが新人類の御神楽に反感を覚える者がいる。それが散発的なら問題ないが集団で御神楽を排斥しようとする機運が高まれば御神楽一人ではどうにもならない。御神楽にも出来ないことがあるのだ。
一瞬お姉さんが何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。
「そうだねぇ、悪かった」
そしてそう述べる。御神楽は間違ったことを言わなかったはずなのに何故か胸が痛み、それを隠すためにお姉さんに何も言わず、その場を立ち去っていった。
夕食までまだ時間があるので御神楽はしばらく通りをうろうろしていた。そうしている内に別の通りへ迷い込んだらしく、御神楽と同じ年代の若者が見えるようになった。
「ここは遊び場が多い通りか」
その通りは若者向けの趣向が充実しており、ゲームや音楽、スポーツ用品の販売所が目立っていた。
「さすがにこの辺りは人通りが多いな」
この島は学園生の比率が高いため、必然低年代が好むような品が多くなる。ゆえにこの通りは商店街の中で最も活気に満ちていた。
「ん?」
その中で軽い人だかりが出来ていたので中の様子が気になり、モーゼの如く左右に分かれていく野次馬の態度にげんなりしてから中を覗いてみる。御神楽は身長が低い方だから背伸びをしても見ることが出来ない。
「ああ、赤神君と……迷子か」
おそらく迷子なのだろう。幼稚園児の年代らしき子供が半べそになっている。それを舞が笑いかけたりあやしたりしてご機嫌を取っていた。
「赤神君は本当に面倒見が良いな」
舞の性格が幸いして迷子の様子が見る見るうちに良くなってくる。そして始めぐずっていたのが嘘のようにキャッキャと笑いだした。その様子に周りの野次馬も歓声を上げる。
「見事だな、赤神君」
ついでに会ったのでそのまま立ち去るのはどうかと思い、舞と迷子に近づく御神楽。
「あら、御神楽君じゃない」
舞の反応はいつも通り。だから御神楽も「ああ」とだけ返した。
だが問題は迷子の方。
御神楽の姿を目に止めた途端硬直し、そのまま動かなくなった。
「ん? どうした」
御神楽は迷子の様子がおかしいことに気づき、一歩踏み出してみた。
「や、やだ。殺さないで!」
迷子は金切り声と共に舞の後ろへと隠れる。
「……………………」
「み、御神楽君……子供の言うことだからね」
この反応は予想外だったのだろう。さすがの舞も顔を引き攣らせて御神楽を宥める。
「うん、そうだろうな。あはは……」
「あはははははは……」
しばらくの間御神楽のテンションが最悪に陥ったのは言うまでもない。やはり無邪気な子供の言葉は打算がない分元少年兵の御神楽にしても精神的にくるものがあった。
御神楽は重い足取りで後にする。
「御神楽君、今日の夜は一品多くするからね」
「……」
舞の精一杯の慰めなのだろう。しかし、この状況ではその同情が逆効果になることを舞は失念していた。
どんよりとした重い足取りでふらつく内に今度は薄暗い裏路地に迷い込んでしまった。ここは商店街と比べてもぐねぐねとした狭い通りなので寄り付く人が少なく、必然的にそこの悪い人が集まった。
「変な所に迷い込んでしまったな、早い所戻るか」
しばらくするとようやく御神楽は正気に戻って来た道を引き返そうとする。ここにいても仕方ないし、なにより因縁をつけられて絡まれたら面倒だ、さっさと退散しよう。
そう呟いて踵を返すと同時に、御神楽の近くを通り過ぎようとしていた二、三名が不穏な内容を口にしていた。
「本当に拉致ったのか?」
「ああ、偶然通りかかったからさらってみると何とドンピシャだったと」
島といっても決して安全なわけではない。特にこの地帯で無防備でいるのは危険すぎる。襲ってくれと言っているようなものだ。
御神楽はとりあえずこの場を去って警察に相談することにする。黙秘するのは気分が悪いので、その道のプロに任せておけば安心だろう。
そう考えていた御神楽だが、続く不良が口にした内容に思わずずっこけてしまった。
「まさか夢宮学園の書記である永月を拉致れるとはな」
「ああ、新人類の代表のあいつを捕まえるとは思わなかった」
どうやら捕まったのは茜らしい。何故この地帯に来たのか、何で捕まったのか聞きたいことは山ほどあったが、御神楽は茜を助けに行かなければならないと判断した。
「永月君……君はどれだけ巻き込まれたら気が済むのだ」
御神楽は茜が監禁されているであろう場所へ向かうためにそのグループから友好的に交渉して場所を聞き出したのだがそれは嘘だと判断し、更に平和的に解決するために彼らの肉体から情報を吐かせた。
その後、この界隈に巣くう不良グループの一団が壊滅したという噂が広まっていた。
茜を救い出した御神楽はアパートへ戻るために食品店地帯を通り過ぎる。夕飯が近いのでこの辺りは賑やかに盛況していた。
御神楽はそのまま通り過ぎようとしたが、近くから聞きなれた怜悧な声音が聞こえたのはそちらの方へと目を向けた。
「五千円」
「如月はん、それは酷過ぎまっせ。そんな値段にしてもうたらウチらは商売できまへん」
「何を言っているですか、見て下さい。この野菜は他のと比べて色彩を欠いています」
「そう言い張るんやけどそれやったら別の野菜はどうでっか」
「それでは困るのです」
等のやり取りが延々と繰り返されていた。御神楽が恐ろしいと感じたのは両者ともヒートアップしてかなりの音量で言い争っているだけなのに他の客はそれを一目見るだけ後は普通に戻っていく。あ、今他の客が野菜を手に取って別の従業員にお金を払った。
どうやら優香と店長が論争しあうのは日常茶飯事らしい。それなら別に気にすることもないので御神楽は声もかけずにその場から離れようとした、が。
「ああ、御神楽」
優香が見逃してくれるはずもない。御神楽が何かを言う前に横に並び、するりと腕を絡ませる。その動作は御神楽が呆気に取られるほど淀みない動きだった。
「おい、如月く――」
「み、み、御神楽はんでっか!」
店長が恰幅の良い体を震わせてそう指をさす。その態度の豹変具合に御神楽は頭を抱えたくなったが、今は空気を戻すことが先決だと考えて。
「ちょっとま――」
「もう一度言いましょう。四千円でどうです?」
ちゃっかりとさらに値引きをする優香。またも口上を遮られたので御神楽はもうなすがままに流されろという境地に立ってしまった。
そのままおまけとしていくらかの果物を籠に放り込んだ優香は買い物を済ませて御神楽の横へ並ぶ。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「何故だろうな、全く嬉しくない。というか、何をやっていた?」
「買い物です」
「それは知っている。僕が聞いているのは何故値切る必要があるのだ。学園からの補助金によって僕たち四人が十分食べていけるだけのお金は貰っているだろう」
本来なら御神楽は奨学生として奨学金だけを貰っていたが、あの日以降、御神楽に更に責任があるとして奨学金+学園からの補助金が出るようになった。その金額は毎日ジュースを飲んでも黒字になる程の額である。
「分かっていませんね。限られた少ない予算でやり繰りすることに意味があるのです」
優香はどうも浪費が大嫌いらしい。御神楽に入ってくるお金は全て優香が管理しており、そのおかげで四人は節約生活という名の極貧生活を送る羽目となった。
一般四人家庭の半分の生活費で済ましているのに全員が不自由なく暮らしているのは一重に優香の金銭感覚が優れ、さらに舞の料理が上手な所がある。
「まあ、いいか」
御神楽としては、お金はいくらあっても困らないので好きにさせることにしている、だが。
「ちょうど良いですね、もう一軒行きましょう」
「……」
「どこに行くのです、御神楽」
かと言って自分をだしに使われるのは勘弁したいところである。
月曜日になったので御神楽は学園へと向かう。しかし、その足取りはいつもと違って緊張を帯びていた。
「こんな早朝に呼び出して一体何なのか」
時刻は午前六時五十分。ふだんなら家で寝ている時間だけに御神楽はぼやく。
「会長のことだ、絶対に良い知らせではない」
昨日の夜アパートに戻ると、舞から一通の便箋を渡された。宛先を確認すると、翼からだったので中身を見ずに破り捨てたい衝動に駆られたが辛うじて押し止める。そんな子供じみた反抗をするのは負けた気がするからだ。
「変な内容でないことを祈る」
その便せんには可愛らしく丸文字をふんだんに使った文面で『明日の午前七時に生徒会室へ来るように❤』と銘打たれていた。御神楽がそのハートマークを見てテンションが下がったのは言うまでもない。
「やあやあ、よく来たね♪」
生徒会室に入ると元気一杯な声が御神楽に向かって投げかけられた。それに御神楽は顔をしかめて。
「来たくなかったけどな」
「やだん、ツンデレなんだから♪」
「帰っていいか?」
「やだん、せっかちなんだから♪」
「殺していいか?」
「やだん、ヤンデレなんだから♪」
「……もういい」
一通りの会話を終わらせた御神楽は仕切り直しとばかりに咳をする。
「それで、何の様だ?」
「ああ、それはこれを渡すため♪」
翼が放り投げたものを空中でキャッチする御神楽。受け取った物を覗き込んでみると。
「特別許可証?」
「そう、私が持っているものと同じ。それさえあれば学園に出席する義務は無くなるんだよ♪」
特別許可証とは学園長をはじめ全教員から認証されることによって発行される許可証だ。これを持っていれば授業に出席する必要がなく、極論を言えば三年間家で寝ていても卒業が出来た。夢の様な許可証だが、教員の内一人でも反対者がいれば発行できない厳しいものだと言える。
「で、これを渡すということはもっと多くの責任を負えということだな」
厳正な審査を得て発行される名誉な許可証を撮んで持ち上げた御神楽の表情には微塵にも嬉しさがない。あるのはこれからもっと多くの責任を背負わされるという疲労感だけだ。
「察しが良いね、御神楽君♪ 君はこれから学園を離れて難民の方に当たってもらうから」
「無理だぞ」
御神楽は一言で斬って捨てた。そして御神楽のその態度に翼は瞳をコロコロさせる。
「言わなくとも分かっているだろう。今の体勢では難民を受け入れることが出来ない。治安、食糧そして住居等不安要素が多すぎる」
普段の素地があった島内でも混乱が起こった。突然人権を奪われて右往左往する人類と、その発表を盾にして思うがままに暴れる新人類。
商店街でも今でこそ平和なものだが、発表当時はそれはそれは悲惨な状況だった。あのままだと全てが瓦礫に沈んでもおかしくない状況に陥っていた。
まだ島内の治安は盤石でない、腹の底では恨みを抱えている新人類も多くいる。そして、それにも関わらず難民など受け入れてそういった新人類のを刺激したらどうなるか、御神楽は考えたくもなかった。
「うーん、けどね。もうそんなこと言ってられる状況じゃなくなったの♪」
「どういうことだ?」
「国会でね、承認されちゃったの。ここが難民受け入れ先だっていうことが」
「馬鹿な……」
御神楽は絶句する。あの学長がこんな失態を犯すとは思わなかった。
「御神楽君が驚くのも無理ないね。何せこれは鍵塚議員が仕組んだことだから」
「鍵塚議員が? 何故」
「いや~、どうやら鍵塚議員は舞ちゃんと優香ちゃんにご執心だったらしいね。そしてそれを奪われたから報復措置としてやったぽいよ♪」
「何て馬鹿なことを……」
この事態が感情の縺れから招いた結果だと考えたくもなかった。そして二人を横から奪ったことはそれほどまでに鍵塚議員のプライドを傷つけていたのだと知り、御神楽は頭を抱える。
「痴情の縺れにより夢宮島壊滅……ははは、全然笑えないな」
「うん、全く笑えないね♪ けどね、安心して御神楽君。もう鍵塚議員はこの世にいないから♪」
「は? どういうことだ」
突然出た翼の言葉にポカンとする御神楽。曲がりなりにも鍵塚議員は国会議員。厳重なセキュリティを誇るSPによって守られているので、御神楽でもそれを突破するのは難しい。
「論より証拠。ほら、これを見てごらん♪」
そう言って翼は机の下から『何か』を取り出した。
「……」
スイカ程度の大きさの丸い『何か』。それは血を全て抜かれたのか垂れてくる赤黒い液体が見当たらない。
「今回の行動は御祖父ちゃんもお怒りだったからね♪ 長く議員になっていたから増上慢になっていたんだね……SP如きに止められるはずがないのに♪」
学長は自分に牙を剥く者なら例え肉親であろうとも容赦はしない。翼は学長の孫にあたるが、肝心の翼の両親は学長に逆らったとして二人とも悲惨な末路を迎えた。
御神楽は翼の言を聞き流しなら『何か』に向かって合掌する。おそらく『何か』は夢宮家の駒となって動くのに嫌気がさしてこんな反乱を起こしたのだろう。自分には力がある、しかし、己に何十もの糸が絡みついて踊ることしか出来ない。そんなマリオネットに置かれた屈辱は御神楽に共感できる。
この『何か』は一体最期に何を見たのだろう。目は見開かれて口は大きく開けられ、顔中に恐怖が浮かんでいる。死体には見慣れている御神楽でさえも一瞬吐きそうになったほど『何か』の相は壮絶であった。
「一応聞くが、もし僕が裏切った場合、どうする」
その問いに翼は可愛らしく首を傾げ、二、三秒考えた後にこう言い放った。
「うん、その時は、君は舞ちゃんや茜ちゃん、そして優香ちゃんの死を見届けた後に死んでもらおうかな♪ 最高のオブジェを作り出して見せしめとして役に立ってもらうよ……今回の様に♪」
翼が花が咲くように笑いながら掲げ持つその『何か』――それはあのサディストの敏腕国会議員の鍵塚のなれの果てであった。
御神楽は仮建屋の建設現場に監査役として視察していた。
働いているのは全員避難してきた難民である。彼らを受け入れた島ではまず住居を確保することに決定し、平地にアパートを建てていた。
御神楽がここにいるのは一重に畏怖のためである。彼ら難民は藁にすがる思いでこの島へと来たのだが、そこでさらに働かされるとなると不満がないわけでない。
そういって不満を爆発させないためにも定期的に御神楽が訪れてそういった火種を消さなければならなかった。
「見ろよ、新人類だぜ」
「あいつか……俺の家族を奪ったのは」
「絶対許さねえ」
御神楽が回る度に怨嗟の声が聞こえる。それもそのはず、彼ら難民はこの島に来てから御神楽以外の新人類に会ったことがなく、この島内では新人類は御神楽一人だけと思っているのだ。
「何だかなぁ」
御神楽は二週間前の出来事を思い出していた。翼は御神楽に恐怖を植え付けてからこんなことを言っていた。
「こいつのせいで大分予定が狂っちゃったからね♪ だから変更だよ♪」
「どうするつもりだ」
「そうだね。まずはこれからくる難民達は隔離して彼らに御神楽君以外の新人類はいないと嘘をつく」
「またよく分からない行動をするな」
「まあ♪ 必要なことだからね。安心して、必ず御神楽君を王にするから」
「? 何のことだ」
「おっと、話し過ぎちゃったね。今日はもういいよ。それでは♪」
そう言うや否や翼は生徒会室から出て行った。そして後に残されたのは御神楽と――鍵塚議員の首。
首は何も言わずに御神楽のことを見つめている。それをしばらく眺めた後御神楽は手を瞳に添えてそっと瞼を下ろした。
鍵塚議員と御神楽は直接会ったこともなく、さらにお互いを憎悪していたがこの時ばかりは悲しみの方が勝っている。
「僕もいつかは君のような末路を辿るのかな」
その呟きに答える者はいなかった。
御神楽は考えを中断して周りにいる難民を見渡す。彼らは黙々と作業に従事していたが隙あらば自分を食い殺そうとギラついた視線を送っている。
「好感度はもはやマイナスの域だぞ。これからどうするのか」
どうやら御神楽は徳とは無縁の存在らしい。思えば先日のことも恐怖と武力によって暴動を抑え込んだわけだから話し合って円満に解決させた試しがない。
「まあ、会長の真意がわからない以上無暗に動くのは無粋か」
今の置かれた状況をそう納得させることによってこれ以上思考がネガティブにいかないようにするだけで精一杯な御神楽であった。
夜――アパートへと帰宅した御神楽は何も言わずに床へと転がる。フローリングの床は舞がこまめに掃除してくれるのでチリ一つ落ちていないのが確認できた。
「おかえりなさい。ご飯にしますか、それとも夕食にしますか?」
「……」
「また発作ですか」
先に帰っていた優香がそう皮肉を言うが御神楽はそれに答える気力もない。
難民を含めて島内における御神楽の評価は真っ二つに分かれていた。
御神楽を評価する方の言い分としては、彼のおかげで今まで通り過ごせるという治安の面での評価。
対する批判する側は、御神楽一人によって押さえ付けられているという不満が多く、実際御神楽は向こうに道理があろうとも力で押し切った場面があった。
だが、御神楽から言わせるとそれらは必要だったから行った行為であり、力を使わずに解決できるなら自分はそっちを選んだであろう。
「ただいま~ってどうしたの? 御神楽君」
舞は床に転がっている御神楽を見て少し驚く。
「なあ、赤神君。どうして責任は僕に来るのだろうな」
「えーと、何かあったの?」
「いや、何もない。ただ、この世の成り立ちはどうしてこんな理不尽なのだろうなと考えただけだ」
「……優香、御神楽君は一体どうしちゃったの?」
「いつもの発作ですよ」
突然意味不明なことを言い出した御神楽をどう扱っていいのかわからず優香に助けを求める舞。しかし、優香はどうしようもないとばかりに首を振る。
「どうして僕が悪者になるのか。どちらかというと僕は被害者だぞ。それなのに全然わかってもらえない」
「えっと……どうする、これ?」
「外で頭を冷やしてもらいましょう」
御神楽の愚痴が延々と続きそうだったので優香は御神楽を抱えて外へ転がす。どう見ても優香の対応は主人に対する扱いでなかったが誰も気にしない。
御神楽がダークサイドに堕ちた際の対応はこうすると決まっていたからであった。
庭に転がされた御神楽は茜が帰ってきて夕飯の支度が出来るまでずっと怨嗟を垂れ流していた。
「いい具合に仕上がっているね♪」
「それは皮肉か?」
島内における御神楽の働きぶりを確認した翼は満足そうに頷くが、御神楽から見ると状況は最悪に見える。
まず新人類からの反応。
少なくとも人類に対して危害を加えることはなく通常通りに振る舞っているが、腹の底では御神楽の存在を疎ましく考えている。これでは何かあれば一斉に反乱を起こすであろう危険性があった。
人類の反応。
当初は御神楽の行動に感謝を覚えていたのだが、次第に慣れてきて守ってもらうのを当然だと考えるようになった。おかげで新人類による被害は全て御神楽に責任があると詰め寄ってくる。どうして御神楽が怒られなければならないのか理解に苦しんだ。
そして難民。
もはや御神楽に対しては殺意の領域まで高まっており、先日の視察の時も御神楽が通る場所に限ってうっかりと物や機材が落ちてきた。
表面的に見ると平穏そのものだが、内部では不満が限界寸前にまで来ている。ここでちょっとの火種があればたちまちの内に燃え広がり、最悪の事態を引き起こすであろうことは十分予測できた。
「このままだと全てが破綻するな」
御神楽の予測はこうだ。
まず難民が反乱を起こして御神楽を排除する。さすがの御神楽も何百という数の人類を相手にすることはできないから必然負けるだろう。そしてそのまま新人類が住む地帯へなだれ込み、島内に住んでいた人類も巻き込んで終わりのない泥沼へと引きずり込まれる。
「もしかしてこれを鍵塚議員は予測していたのかもな」
駒の如く扱う夢宮家に対して出来うる限りの報復。進むも地獄戻るも地獄という状況に陥れるために行った精一杯の反逆なのかもしれない。
「ん、鍵塚? それ誰♪」
「……哀れなマリオネットだ」
どうやら不要な人間の名はもう覚えていないらしい。そのあまりの態度に御神楽は怒りを覚えたが、すぐに自分もそうなるのかと考えると諦観の念が沸き上がった。
どうせ自分は人を殺した身だ、楽に死ねるはずはないよな……と。
「ふーん、そう。けどその誰かさんの予測通りにはならないよ♪」
「何故そう言い切れる?」
「そうだね、御神楽君は今知らなくていいかな。どうせ後になって分かることだし♪」
「本当に会長は一番大事なことを教えてくれないな」
「うん、それが夢宮家の家訓だから♪」
『指導者たる者部下に対しては決して己の底を見せるべからず』
それを徹底した秘密主義の家が夢宮家であった。
「それではもう僕は去るぞ」
報告を終えた今、御神楽はここに留まる理由がなかった。とにかく目の前の幼女から逃れたい。例え一瞬であろうとも意味もなく翼の傍にいたくはない。
「ああ、ちょっと待って御神楽君」
「どうした?」
「御神楽君。近いうちに新しい転入生が来るの」
「それがどうした。今の僕には何の関係もないだろう」
「いやいや、それがあるんだよ♪」
翼が指をチッチッチと揺らすリズムに合わせてアホ毛もそれに同調する。もはやあれが生きていると言っても御神楽は驚かない。あの翼のことだからそれぐらいあってもおかしくないだろう。
「転入生はねぇ『最狂』と呼ばれた元少年兵」
「な、おい。まさか」
「ご名答御神楽君。そう、鬼河原炎危だよ♪」
翼とは別の意味で会いたくない人物――鬼河原炎危。その凶暴な性格と人を殺すことを無上の喜びとする鬼河原は御神楽にとって忌むべき相手だった。
成果や手段などそういった表面的な違いからではない。もっと奥深い、魂から発する何かが鬼河原の存在を認めることを拒否していた。
「どこに行くのかな?」
「挨拶だな」
「会いたくもない人なのに?」
「本音を言えばその通りだ。しかし、いずれ顔を合わすことになるのだから早い方が良い」
御神楽は鬼河原が何の目的で転入してきたのかを知るために鬼河原に会いに行く。どうせ翼ははぐらかして答えてくれないのだから始めから聞いても無駄だと考えていた。
「駄目だよ」
翼が因果を操作して御神楽の未来を決定づける。
「会うことは駄目だよ。私が伝えたのは知っておいてほしかったから。だからこれ以上の行動は禁止♪」
「つまりそれほど僕と鬼河原が出会うことは危険なのか」
わざわざ言葉を使って御神楽を縛るほどだ。思いつきや気まぐれでなく相当な理由があるのだろう。それだけを知れただけでも幸いと考える。
「まあ、今回は会長の言うことに従おう。と、いうかすでに決定されているから従うも何もないのだけどな」
その御神楽の嘆息に翼は何も答えずにただニコニコと笑っていた。
だが、御神楽としては自分の指示に一々反抗してくる美也をあまり疎ましいと感じていない。それは彼女が労働者を纏めていてくれるため、彼女の納得さえいけばちゃんと動いてくれると知っていたからだ。
「普通はそんなに割り切れるものではありませんけどね」
「そうなのか?」
優香曰く、常人に御神楽の考え方ができないらしい。御神楽からすると目的が達成できるなら少々の障害は無視すべきだと考えている。何せ少年兵時代では、個人的感情を優先させた兵に待っているのは特攻か銃殺刑のどちらかだったのでそこから御神楽の今の思考が形成させられていた。
「とにかく、僕を恨むことで円満に回るなら甘んじて受けようではないか」
「そうですか。やはり御神楽は支配者の資格がありますね」
「馬鹿なことを言うな」
そういったもののさすがの御神楽も弱気になることがある。
鬼河原が夢宮学園に転入してくる。
その話題は当初あまり騒がれることがなかった。何せ学園の生徒は鬼河原のことなど知らなかったので「怖い生徒が入ってきたな、あまり近づかないようにしよう」と考えるのが関の山だった。
しかし、その予想は早々裏切られることになる。鬼河原は御神楽と同じ戦場を生き抜いた猛者であり、また都会の不良を纏めることができる器も持っていた。そういった武器を使って鬼河原は次々と新人類側の生徒を取り込み、さらには生徒以外の島内に住まう新人類の尊敬も集めていった。
「無視できない人物がいます」
だから優香の発言が出ることは必然だっただろう。御神楽と話したいことがあるということで話を聞かれない場所に移動した優香はそう切り出した。
「最近新人類側の生徒による被害が増えています。このままですと人類側の不満も溜まるでしょう、早急な対策を打ちましょう」
「僕もそうするべきだと思う、ただ僕から接触することは禁じられているから向こうが接触してくるまで待つべきだな」
「一体どういうことですか?」
「それは僕も聞きたい。何度接触を試みようとも狙ったかのように会えない場合が多い。これでは向こうの方から動くまで僕は何もできないな」
実際いくら御神楽が鬼河原と接触するために学校や溜まり場に足を運んだのだがその時に限って取り巻きがいたりたて込んだりしていた。
「会長は何を考えているのかわからない……」
翼は御神楽に鬼河原と会わないよう確定させた。何故この現状を見逃すのか、これでは島内の治安が崩壊するのは目に見えている。そこまでして翼が企み事は何なのかが分からない。
「そして、呼応するように鷹刀の元へ人類が集まろうとしています。これはまだ微々たる勢力ですがいずれ無視できなくなるでしょう」
美也へ信頼を寄せる者はまだ少ないが、確実に伸びている。美也自身のカリスマ性もあるが、自分を難民へ落としたことに男気を感じる人が少なくないのだろう――美也は女だが。
「いずれこの二つの勢力が島内を二分するでしょう。何か対策を打つべきです」
優香の目算では、このままだと御神楽に対する求心力が低下して言うことを聞かなくなる可能性があると指摘していた。実際、最近は口で言っても聞かない者が増えているのでやむを得ず武力を行使する場面が増えていた。よって今の島内は御神楽による恐怖によって支えられているといっても過言ではなく、もし御神楽に何かあればすぐに崩壊してしまうだろう。
「もしかするとこれが会長の狙いなのか」
鬼河原という異分子を送り込むことによって島内に緊張状態を作り出して島内を二分する。そしてその状況から御神楽を失脚させて一時的に無法状態にして島の人口を減らす。そして程よく減ったところで何か策を巡らし、島内の治安を取り戻す。
生物には限界がある。環境、栄養状態によって生育できる個体数が決まっており、それを超えると減らすしかない。
このままだと近い将来飢えるのは必至なので、まだ取り返しのきくここら辺りで人口を減らすのも一つの手だと思えた。
しかし。
「そうだとすると会長を含め夢宮家は悪魔だな」
未来の百人を守るために目の前の十人を切り捨てる。それが必要だと理解していても実行に移すことは難しいだろう。頭では必要だと分かっていても良心がそれを咎めるからだ。
「如月君」
「何ですか、改まって」
「もし僕に何かあろうとも君を含めて三人は必ず逃がすから」
その未来だと御神楽が無事な保証はない。むしろ群雄割拠の幕開けとして御神楽を公開処刑する可能性もある。
無いとは言い切れない。
それが夢宮翼。
翼が一体何を目論んでいるのか御神楽には分からなかった。
「何を言っているのですか。そうならないよう策を巡らせるのが私の役割です」
普段毒舌ばかり吐いている優香だが、この時ばかりはその言葉に嬉しく思った。
御神楽は生徒会室にまた呼び出されていた。いつもなら急な呼び出しにうんざりするのだがこの時ばかりはそうした感情はない。むしろ「ようやく呼んでくれたか」と安堵した。
「私がここに呼び出した理由は分かるよね♪」
「大体察しがついている」
「そう、それなら君はしばらく行方不明になってもらうけど良いかな?」
「良いも何もすでに決定事項だろう。廊下から只ならぬ気配を感じる」
「へえー、察知することができるんだ♪ すごいすごい」
「茶化すな」
その言葉と同時にダークスーツで身を固めたがたいの良い二人組が現れて御神楽の両脇に立つ。
そして、彼らが御神楽の手を取る瞬間御神楽は動いた。
誰も反応できない速度で翼との距離を詰め、頭に手を当てる。
「これだけは約束しろ。赤神舞、永月茜そして如月優香の三人に危害を加えないと」
「うん、分かった♪ 三人に害は起こらない」
その言葉を聞いた御神楽は安心したとばかりに手を降ろす。それと同時に二人組が御神楽の体を捻じ伏せて地面に這いつくばらせた。
「御神楽君はもう抵抗しないよ♪ だから放してあげて」
二人組が命令に従って御神楽の拘束を解いた。拘束を解かれた御神楽は衣服に付いたほこりを払い、生徒会室を出て行こうとする。
「二度と会いたくない」
「それは無理な相談だ♪ 少なくとも後二度は会うよ」
翼の言葉は絶対だ、御神楽は歯ぎしりしながらも何も言わず、二人組が先導する通路をしっかりとした足取りで進んでいった。
そして、優香が危惧した通りに島内は二分されて勢力争いが行われた。そして新人類と人類のトップの力量は拮抗していたので泥沼に陥り、多くの死傷者が出た。
音もなく、光も刺さない闇の中。常人なら発狂してしまうであろう懲罰房に一人の少年の姿があった。そこはその少年専用の独房であり、少なくとも両隣には誰もいない。一日に二回届けられる食事以外に入ってくる外部刺激はなく、いくら少年が喚いても意味がなかった。
小柄で線が細く、中性的な顔立ちなのだが長引く独房生活によってそういった面影は全て失われ、異様にぎらついた瞳が印象深かった。
囚われてここに放り込まれてから一週間は翼に対しての呪詛を喚き散らした。
そして次の一週間は光が欲しいと、誰でもいいから傍に来て欲しいと願った。
三週間目に自分の純度が高まっていくような錯覚に陥る。
四週間目は夢と現実の境界があやふやになってくる。
五週間目になるとどうして自分はここにいるのだろうと考え始めた。
六週間目ぐらいから何故自分は三人を守りたいのか自問する。
七週間の半ば頃にそれは憧れの感情から来ていると考えるがどうもしっくりこない。
八週間目にようやく失ったものへの憧憬だということに気付く。
九週間目に入ると現在進行形で掛け替えのないものが失われていると悟る。
十週間目から何が出来るのか思案の模索を開始する。
十一週間目にようやく己のやるべき使命を自覚した。
そして十二週間目――
ガチャリと響く音が聞こえたのでもう食事の時間かと考えたが、すぐに否定される。わずかな光に映し出されたシルエットは御神楽より背の低い幼女だったからだ。
「……会長か」
「へえー♪ ここに入ってからすでに三ヶ月が過ぎているけどまだ正気を保っているんだ、驚きだね♪」
己をこんな境涯に追いやった翼がそんなことをのたまう。普通なら激昂するであろう場面にも関わらず御神楽は動かない。いや、動けないといった方が正しいか。
「怒る気力もないぐらいに衰弱しているようだね♪ 仕方ない、舞ちゃん茜ちゃん御神楽君の介護を頼むね♪」
「御神楽君、大丈夫?」
「ああ……まだ生きている」
「心配したっスよ、二つの勢力のどこかに親分が攫われたと知ってから気が気でなかったっス」
どうやら翼はそういう風に説明していたらしい。それは違うと訴えたかったのだが、そんなことを言える気力すらなくただなされるままに身を任せていた。
舞と茜の献身的な介護によってか御神楽は見る見るうちに元気を取り戻し、数日後には自ら外に出て歩けるまでに回復した。
「御神楽、何か変わりましたね」
「そうかもしれないな」
優香の疑問も全うだろう。三か月近くを独房で過ごしていた御神楽は、その間瞑想をすることだけに時間を費やしていたため精神の面では同年代と一線を画していた。すでに御神楽から滲み出る雰囲気は他を圧倒しており、長く傍にいた三人でさえも御神楽の眼光に耐える自信がなかった。
「しかし、今の御神楽なら好都合でしょう。今の島内の状況です」
優香の示したデータはこうだった。
この三か月で島内はガラリと変わっていた。商店街に活気はなく、学園も無期休校、至る所に死体が転がっており、島の人口も三分の一程度まで激減していた。
「両方ともこれ以上の戦いは避けたいようです。表面上は戦いを継続を表明しているようですが水面下で交渉を探っています」
「仲介者は現れなかったのか?」
「不思議なことに学長は早々から不干渉を決め込んでいました」
「なるほど……」
つまり御神楽が仲介しなければならないようにお膳立てをしてくれたわけだった。御神楽が睨んでいた通りこれら一連の企みは学長も絡んでいたらしい。
「何にせよ、これからすぐに鬼河原と鷹刀の元へ向かうぞ」
「え、今からですか?」
「その通りだ、行動は早い方がいい。さっさとこんな内戦は終わらせるぞ」
どうやら翼はこれを目論んで御神楽を監禁していた。鍵塚議員の策略によって遅かれ早かれこの惨状は決定していたのでならばそれを逆手にとってより良い治安を行おうとして少しの期間無法状態を作り出したのだろう。
御神楽はまず美也の元へ向かった。二つの勢力は表面上拮抗しているが、中身には大分開きがあり、特に人類側の陣営は抵抗するのがやっとという状況だった。
「御神楽……」
三か月ぶりの美也は最後に会った時と比べて疲れが顔に現れていた。やはりどれだけ強がっていても、現実の前には苦悩するしかないのだろう。
「僕がここに来た理由は分かっているな」
「和解のための仲介者として来たのでしょう。しかし、条件があるわ。それは彼らの人権を保障することよ」
「それは分かっている。僕は君達に恒久の人権を与えることを約束しよう。ただし、僕は仲介者として来たのではない」
「どういうこと? 私たちの陣列に参加してくれるとか」
「違うな、僕は降伏しろと告げに来た」
「何ですって!?」
御神楽の言葉に色めき立つ周り。それらをつまらなそうに眺めながら御神楽は言葉を続ける。
「これから先鷹刀君は僕の部下だ。そして鷹刀君に命ずる、僕に従え」
「あんたふざけているの!?」
「安心しろ。君たちだけに降伏を告げるわけではない。これから僕は鬼河原の陣営に行って同じよう告げるつもりだ」
「無理よ、絶対納得するわけがないわ」
「僕が無理やり納得させる」
そこで御神楽は一呼吸置く。
「鬼河原に降伏を納得させる。嫌がるなら痛めつけ、泣き喚かせて納得させる。鬼河原の陣営を壊滅させ、絶望を突き付けてでも納得させる。そうすれば可能だ」
御神楽の暴論に美也はしばし呆然とした。しばらくの沈黙の後口を開く。
「御神楽、それは無理よ。何せ私と鬼河原、そして御神楽の三人の個人的力は拮抗しているのよ。一対一ならともかく他の超能力者が加入すれば勝ち目はないわ」
「残念だがそれはない」
「一体どこからその自信が湧いてくるのか」
「論より証拠だ。一度君と僕で戦えば分るだろう」
そう言って御神楽は外に出る。美也は憮然としながらも御神楽の後について行った。
御神楽と美也が決闘するということで人類が多く集まっていた。それら群衆の中央に二つの人影がある。
一つは二大勢力の一角である鷹刀美也
もう一方は元夢宮島の支配者だった御神楽圭一。
この二つのカードは島内に住む者なら魅力的な戦いだった。
「さて、ではいくわよ」
「好きにしろ」
「あんた馬鹿? 私の超能力を忘れたわけではないでしょう」
美也は一つの能力を徹底的に高めるスペシャリストタイプであり、その能力は分子間の電磁波を操作する電気系だった。
「忘れてはいない。早くやれ」
御神楽がめんどくさそうに告げると美也はこめかみに血管を浮かび上がらせて。
「後悔するんじゃないわよ!」
いきなり雷をぶっ放してきた。数十万ボルトはあろう電圧に周囲の野次馬にも静電気が発生する。
雷をまともに受けて無事な人間はいない。体中が黒こげになり、酷いときには身元の判別すらつかなくなるぐらいの有様になることがある。
「……え?」
雷の直撃を受けたにも関わらず御神楽は平然とそこに立っていた。美也は一瞬外れたのかと勘繰ったが、御神楽の衣服が焦げているのを見ると違うらしい。
「なら次はこれよ」
地面に手を置いて砂鉄の槍を作り出す。それを美也はやり投げの要領で片手に持ち、一直線に御神楽の胸へ投擲した。
投擲した槍は御神楽の正中線上を貫き、串刺しとなる。生きた人間に槍が貫かれ散るというグロテスクな場面に野次馬の何人かは目を背けた。
「これで終わりか?」
御神楽は首をかしげて尋ねる。美也が驚いている合間に磁力を失った槍は形が崩れ、跡形もなくなった。そして槍が開けた穴は目に見えるスピードで修復されていく。
「そういえば肉体再生を持っていたわね」
美也はそう納得するが、腑に落ちないことがあった。それは肉体の修復スピードが速すぎるのだ。炎など全体的にあぶる攻撃は再生が速いのだが、今回のように一点を貫く攻撃には遅かった気がする。だが、御神楽のそれは全体的な攻撃を受けたそれと回復速度が同じだった。
「さて、次はこちらの番だ……死ぬなよ」
美也は何をされたのか分からなかった。先程まで御神楽を見下ろしていたはずなのに、今は逆に見下ろされている。何故そうなったのか、それが御神楽の作り出した重力によってだと気付くまで数秒要した。
気付いたら倒されていた。それぐらい御神楽の超能力の発生速度そして威力は想定外だった。
「あんた、どこでそんな力を身に付けたの?」
重力はまだ発生しているため全身を起こすことが出来ず、辛うじて顔だけ上に向けて御神楽に聞く。対する御神楽は野次馬を含む全員が地面へ伏せている状況を興味無さそうに見つめている。
「……私の負けよ」
おそらく今の御神楽にとってこれぐらいのことは造作もないのだろう。その事実に気付いた美也は敗北を認めた。
「ここは立ち入り禁止だ」
「どけ」
「通るというならまずは身体検査を……」
「する必要はない」
御神楽が行うのは面会ではない。
侵入であり、強行突破である。鬼河原がいるであろう場所に御神楽は押し掛け、何十人もいる護衛を全て薙ぎ払って中へ足を踏み入れる。
中は侵入者用として複雑に入り組んでいたが、御神楽は特に迷うこともなく奥へと歩を進める。どうしてここまで迷いなく進めるのか、それは予め茜から地図を入手していたからであった。
巻き込まれ体質である茜は同時に人から好かれやすいという長所も持っているので、その伝手を使ってここの地図を貰っていた。
それを頼りにどんどん進む御神楽。そしてついに鬼河原がいるであろう最奥へと辿り着いた。
そこは周りと比べても装飾が豪華であり、部屋も一回り広い。その部屋の奥に御神楽が探していた人物がいた。先日都会で会った雰囲気は見る影もない。あの時はまだ獣という感じで活きが良かったのだが今は生気が消え去り、憎々しげに御神楽を睨みつけるのみ。
「久しぶりだな鬼河原炎危」
開口一番そう威圧気に言い放つ御神楽。
「あれほど会長の手駒にならないと嘯いていたが何という体たらく、これは笑うしかないな」
「……黙れ」
それは手負いの獣の唸り声によく似ていた。鬼河原の取り巻きが彼の居心地の悪さを察してよそよそしくなる。
「単刀直入に言う、従え」
有無を言わせぬ口調、その言に取り巻きはおろか鬼河原でさえも言葉を失った。
「君が持つ全指揮権を僕に譲渡しろ。そして君は僕の傘下に入ってもらう」
「いきなり現われてそれか……性質の悪い冗談だな」
「冗談ではないぞ。現に同じことを鷹刀君に言い、そしてそれを承諾させた」
「あいつが? そんなまさか」
「君が絶句しようがしまいが関係ない。君に出来ることは僕に従うこと、それ以外ない」
「お前さあ、もし断ると言ったらどうすんだよ?」
「その時はこうする――」
それから先の出来事は一方的なリンチだった。鬼河原が何をしようとも御神楽に通用せず、逆に御神楽の攻撃は鬼河原の体に重大なダメージを与えていく。その惨状に取り巻きたちも一大事とばかりに参戦するが、それは結果的に怪我人を増やすだけに終わってしまった。
「もう一度問おうか、僕に従え」
「……」
御神楽は鬼河原の胸ぐらを掴んで再度問い詰める。だが、鬼河原は口を割らなかったのでさらに痛めつけようと手を開いた。
「お前は何をする気なんだよ」
本能から来る恐怖なのか。今の御神楽はやると言えば必ずやると感じ取った鬼河原はようやく口を開く。
「島内の平和を守ろうてか。残念だがそれは無理だ、例え一旦治めてもまた新たに難民が押し寄せてくる。何せここは国が指定した難民避難場所なんだからな、絶対治安なんて守れねえんだよ」
「違うな、僕は島内の平和を守るつもりではない」
「なら、どうす――」
「東京を攻める」
御神楽が何を言っているのか理解するのに数秒を要する鬼河原。
「いくら動いても国が平和を守らせないのなら国を乗っ取れば良い。すでに国会は機能を失い、国全体が無法地帯と化している。秩序を取り戻さなければならないのなら僕が君臨しても問題はないだろう」
「……正気かよ」
鬼河原が呆然とする。いくら不良のヘッドでもクーデターを起こすという発想がなかったらしい。
「残念だが正気だ。僕は君の力と鷹刀君の力を使って国を乗っ取る。何せ幸か不幸か島内にいる住民は兵士として動いた者が多い。つまり即戦力として頭数は揃えられるからな」
これは本当である。子供や老人など非戦闘部隊は学長の働きかけによって島から退避している。つまり今、島に残っているのは全員戦を経験した準兵士だけだった。
「おもしれえ……」
知らずに鬼河原は唇の端を吊り上げていた。御神楽の提案は魅力的だ、ここに無理矢理連れてこられてから今までこんなにも心躍る感触はない。本物の戦闘、素人兵の戯れでなく、本場のプロが登場する命を賭けた殺しあい。それはあのロシアでの戦場を思い起こさせていた。
「おもしれえぜ、御神楽。最高の舞台を用意してくれるなら俺はお前に従おう」
その宣言に黙って頷く御神楽。
御神楽は気付いていないのかもしれないが、内乱が始まってから三か月、泥沼の様相を呈していた状況をたった一日で終わらせてしまったのだ。
御神楽圭一が突然現れてあっという間に内乱を終わらせた。その話は瞬く間に島内へと広まり、御神楽の名声はさらに大きくなった。
終章
後日――御神楽の姿は生徒会室にあった。
「いらっしゃい♪」
そこはいつまで経っても変わらない部屋。
四角い殺風景な部屋に少しばかりの調度品。全てが、御神楽がここに足を踏み入れた光景と同じだった。
「ここに来ると思っていたよ♪」
その無邪気な様子の翼も変わらない。振り返ればあの時も翼は天使の微笑みで悪魔の仕事を押しつけてきたものだ。
「東京に行く」
「そんな案件聞けると思う?」
「無理矢理にでも聞かせるが」
「御神楽君、君はやるべきことがある。これから内戦が終結したとして国がどんどん難民が送り込んでくるだろうね♪ 君は彼らが暴動を起こさないよう監視する義務があるんだよ」
「それは会長が決めたことだろう、従う必要などない」
「舞ちゃんや茜ちゃん、優香ちゃんが悲惨な目に会っても?」
「彼女達は僕を恨めばいい、地獄に堕ちる覚悟は出来ている」
「やれやれ……そこまで意志が固いか♪」
「その通りだ、僕はやるべきことがある」
「ふーん、そう。ならもう一度心を折ってあげよう♪ そうだね……舞ちゃんが目前で痛めつけられれば少しは変わるかな♪」
「それは出来ないだろう。何故なら今、ここで会長が消えるからだ」
そして御神楽は翼に向かって一歩踏み出した。両手をせわしくなく動かしている所を見ると、力づくで翼に条件を呑ませるらしい。
「御神楽君は私に触れられない」
その言葉と同時に御神楽は全神経を集中させた。すると今まで何も無かった空間から何十本もの鎖が伸びてきて己に絡みつき、動きを封じるような錯覚に囚われる。腕、足、首に巻き付いた鎖はギシギシと鳴らし、御神楽の歩みを止めようとした。
「なるほど、これが会長の力の正体か……」
あの時、翼の言葉に敗北した当時は鎖すら見えず、何が何だか分からなかったが今は違う。翼の発した言葉を遂行するための不可視の鎖の触感が確認できた。
「御神楽君は『運命の鎖』を見えるようになったらしいね♪」
どこから取り出したのか、翼は鎖の一本を左手に絡み付かせて弄んでいる。
御神楽はそれらを引き千切るかの様にして一歩、また一歩と着実に翼の元へと進んでいく。そして半分までの距離に達した時、鎖に変化が起きた。
黒光りした重厚な鎖がどんどんきつくなり、さらに色も赤く発色して熱を持ち始めた。特に首に絡み付いている鎖が致命的で、息を塞ごうと締まりだし、そして駄目押しとばかりに熱さから発する痛みを訴え始める。おそらく鬼河原もこの運命の鎖を視認した途端激痛が訪れたため翼に逆らうことを諦めたのだ。
鎖の黒色が段々と赤味を帯び、それにつられて鎖が食い込んでいる部分に焼けるような痛みが走る。それが全身から訴えているため御神楽は苦痛に顔を歪める。
「鎖を意識から外せば痛みは消えるよ♪」
もし今までの御神楽ならすぐに意識を逸らして鎖を不可視にし、敗北を認めるのだが、今回は違う。ハッキリと痛みを自覚し、それでも前に進もうと両足に力を込めた。
ゆっくりと、しかし確実に歩を進める御神楽。そして翼に近づくにつれ、鎖が持つ熱さと重さは比例して強くなっていく。
御神楽は鎖の熱と引き締めによって皮膚の感覚が消え失せ、鎖自身の重量によって立っていることが精一杯だった。
足が震え、焼き印を押しつけられる痛みに顔をしかめようとも御神楽は鎖を自覚する。この痛みこそが翼に辿り着くための道しるべ。
断じて逃げるわけにはいかなかった。
「御神楽君の勝ちだよ」
そして翼の前に立った時。彼女は柔らかく微笑んだ、それは今までとは違って息子の成長を眺めるような慈しむ眼差し。
「御神楽君の望む通りのことをする。だから御祖父さんには私から言っておくね♪」
御神楽の手が伸びて翼の体に触れる。
その瞬間、バキンっと乾いた音が響いて御神楽の体を縛っていた鎖が全て粉々に砕け散った。
「やはりこうなっちゃうんだね」
「そんな湿っぽい雰囲気は会長にしては珍しいな」
「うん、そうかもしれないね。けど、もう進むしかないなあと思うとね」
「確かにな、まさか僕もこうなるとは予想していなかった」
「今更だから言うけどね、本来の予定なら御神楽君は学園を統べて島内を纏め、それで後は私や御祖父ちゃんの外交術によって島内に嵐が吹かないようするつもりだったんだ」
「それが鍵塚議員の暴走によって狂ったと」
「そう、あいつの勝手な行動によって夢宮島は進むか滅亡するかの選択を迫られちゃった」
「それが吉か凶かは分からない。会長の予言でも見通しがつかないのか」
「静かな時だったらまだ修復が聞いたのだけど。すでに運命は動き始めたからね。ここまで大きな流れになるともはや私の能力なんて無力だよ」
「会長にもどうにもならないことがあるのか」
「失望した?」
「いや、むしろ人間味があって安心した」
「何それ、私は人間じゃなかったの? ひどいなぁ」
「ははは」
一しきり笑った後、御神楽は海の果てに目を凝らす。この先には都会が待っている。翌日にはそこへ乗り込み、クーデターを起こす。
「クーデターは成功すると思うか」
「分からない」
「未来を確定させる会長にしては珍しい発言だな」
「そうだよ、だって御神楽君は『運命の鎖』を粉砕したからね。もう私の力に及ぶ範疇にいない存在だから縛ることは出来ないんだよ」
「褒め言葉をありがとう」
「でもね、その代わり何が起こってもおかしくない。今までは取り返しのつかないミスをしたとしても修正が効いていたのだけどこれからは違う。堕ちる時は奈落の如く際限がないだろうね」
「つまりこれからは自分の足で歩く……か」
「そう、もう君は何物にも縛られない、運命を掴み取らなければならなくなったんだよ」
「それで良い」
御神楽はここで上を向いた。
今までの日々が御神楽の脳裏に蘇る。舞との付き合い、茜の救出、優香の嫌味そして翼の無茶ぶり。
それらが全て凝縮されて御神楽の視界をぼやけさせる。
「泣いているの?」
「ああ……」
もう戻れない。
賽は投げられた。
後は神のみぞ知る。
「そうだ、いいものをあげよう」
しばらく感傷に浸っていた御神楽に翼は胸に付いたバッチを手渡す。それには表に『会長』と銘打たれていた。
「御神楽君は一応夢宮学園に在籍しているからね♪ そしてクーデターの首謀者が副会長じゃ締まりが悪い。だから君はこれから会長だ♪」
「……良いのか?」
「気にしなくて良いよ。さあ、未来が待っている♪ だから急げ、御神楽生徒会長」
そうして御神楽の背中をグイグイと押す翼。またよく分からないことを言って自分を追い出そうとする翼だが御神楽はそれを指摘しない。
これでいいのだ。
この理不尽さこそが夢宮翼。
自分をここまで成長させてくれた上司。
最後ぐらい翼の言う通りに従おうではないか。
「もういいのか」
「ああ」
扉の外で控えていた鬼河原が御神楽に声をかける。
そこには鬼河原の他に美也、舞、茜、そして優香と勢揃いしていた。
彼女達を率いて御神楽は振り返らず真っ直ぐと歩く。
これから先、もう学園に戻ってくることはないだろう。
御神楽は本島で骨を埋める決意であった。
本島は群雄割拠の強豪ひしめく戦国時代。
おそらく御神楽の代では平和など取り戻せそうにない。
だから自分の代以降が平和を作りやすいよう土壌を整える。
そのために御神楽は本島で命尽きるまで戦い続ける覚悟だった。