前編
いま読み返したら『ガンダムシード』のオマージュでした。
第3次世界大戦――それは国やイデオロギーなどの対立ではなく人類と超能力が使える新人類との戦争だった。
一人の天才が物理法則を干渉する遺伝子を作り出した。新人類の生まれ方は簡単。胎児がいる母体にある薬を打ち込むだけで完了。その方法ゆえに国――特に新興国の間で瞬く間に広まった。
そして彼らが各国の中枢部に食い込み始めた時、先進国の首脳は危機感を覚えた。
このままだと彼らに国を乗っ取られるのではないか。そして先進国の間では新人類の弾圧に乗り出し、それを見過ごせないとばかりに新興国が中心となって非難した。
戦争の始まりのきっかけは分からない。ただ、とても些細なことだったと過去の歴史家は言うだろう。つまりそれぐらい両者の間に走る溝は深いものだった。
一人の少年が手に持った新聞を読んでいた。新聞を読むというのはこの時代では当たり前のことで、何故なら、一世を風靡したテレビインターネットなどの電子媒体は電磁波を操れる新人類の手によって改変される場合が多く、あてにならなくなっていた。
少年は一見すると中学生に見えるが、制服のブレザーから高校生と推察される。身長百五十cm、腕回り十五cmバスト、ウエスト、ヒップのMax&Min差が十cm以内の寸胴体型という成長期が始まっていない体つきの上さらに常人と比べて瞳が大きいので初見者は絶対に彼が男子の高校生だということを分かってもらえない。始めの内は少年も訂正していたが最近になって疲れたのかそのままにしてある。
その少年の名は御神楽圭一。夢宮学園に通う生徒であり、学園に在籍する新人類の代表兼生徒会副会長である。そして御神楽の胸には新人類であることを示すバッチが付いていた。
日本は先進国という立場だがすぐ近くに中国や東南アジアなど新興国があったため中立を決め込み、旧人類と新人類を平等に扱うよう心がけていた。そのため今のところ大戦に巻き込まれることも無く御神楽のように若者が学校に通えていた。
学園が近づいてきたので御神楽は新聞を鞄に仕舞う。ここから先は生徒が溢れてくるので新聞を読んでいると誰かにぶつかる可能性が出てくる。
「ん?」
そのまま校門をくぐろうとした御神楽だが路地に複数の人影が見えた。そしてチラリと彼らの胸にバッチがあることを確認した御神楽はため息を吐く。
「面倒だな……」
御神楽はそう漏らすと進路を変えてその路地へと入っていった。
日本は表向き中立を誓っていても裏ではそうでない。先進国が優勢だと人類が新人類を迫害し、新興国が優勢だと逆の現象が起きる。現在は先進国の国が一つ敗れたため新人類が勢いづいていた。
その路地裏では一人の生徒を複数生徒が囲んでいる。一人の方が体を丸めて怯え、複数が笑っている所を見るとやはり虐待が行われているらしい。
「そこまでだ」
御神楽はその二つの間に体を割り込ませる。必然的に注意が御神楽の方へ向いた。
「何だ、副会長様か」
一人の生徒がねっとりとした口調で詰問する。
「その通りだ、苛めは禁止されているだろう。今ここで彼に謝れば見なかったことにする」
御神楽は複数の生徒から発する殺意の目線に全く怯まず宣告した。だが生徒は。
「嫌だね、こいつは新人類が優勢になるまで俺達を虐げていたんだ。だからこれは当然の報いだろ」
御神楽が怯えている生徒に視線を向けると彼はビクッと体を竦ませた。
報復を行う今の様な出来事は日本中で多々起こっている。大戦の戦況次第でどちらが高圧的に出るか決まり、つい最近までは人類が優勢だったため学校でも苛めを黙認し、さらに行政でも人類にとって有利な法案が可決されていた。最も、新人類が有利になった現状ではそういった法案は全て廃棄され、黙認した学校や教師は制裁を受けているわけだが。
「このことは僕が学園に話を通しておく。だから君達は引くんだ」
「ああ! 何でだよ!」
御神楽の言葉に納得がいかなかったのかその生徒は御神楽の胸ぐらを掴んで恫喝した。
「こいつはな! 俺のダチを責めたんだよ! 何も悪いことしていないダチを攻撃したんだよ。何も知らない部外者は黙っていろ」
その生徒の瞳に怒りの炎が宿っていた。御神楽はそれを真正面から受け止め、ポツリと囁いた。
「だが、その友達は生きているのだろう」
それは静かな言葉だったが、生徒は得体のしれない気配を感じて御神楽を離す。
「生きているのならそれでいい。またやり直せる」
生徒は怯んだが仲間がいることに気づき、数の力を持って御神楽を取り囲む。
「そんな綺麗事で済ませられるかよ。俺はこいつを許さねえ、嫌なら力で止めてみろ!」
生徒は臨戦態勢に入った。しかし、御神楽の佇まいに違和感を覚える。どうして奴は瞳に怯えの色を見せていないのかと。
「なあ、人を殺したことあるか?」
その問いに頷く生徒はいない。そして御神楽から発する気配はますます強まっていく。
「やるなら本気で来い、死にたくなければな」
周りの生徒が一歩、二歩と後ずさった。彼らは分かる、御神楽圭一という人物は人を殺したことがあるのだと。自分達とは一線を超えた存在なのだと。
「……ちっ」
しばらく後生徒は舌打ちして路地から出て行った。周りの生徒も後に続く。
「いいか、俺はこの恨みを忘れねえからよ」
その言葉は御神楽でなく怯えている生徒に向かって言った言葉だろう。その生徒が体を縮込ませる。
「立てるか?」
生徒が完全に消え去ったのを確認した御神楽は高圧的に言い放つ。
「は、はい。ありが――」
「礼はいらない。それよりも僕と一緒に付き合ってもらうぞ」
御神楽は生徒の言を断ち切ると生徒の腕を取って連行した。
第一章
放課後――授業が終わり、生徒会室に入った御神楽は朝に読みかけだった新聞をまた広げる。どうしてそんなことをしているのかというと単純にやることがないのだ。たまに生徒から要望が入ってくるが、それも週に二、三通であり、学校行事もほとんどが教職員主導で行われていた。
「ギリシャに攻め入ったか……」
御神楽は一つの記事にそうコメントした。アメリカは南アメリカ諸国に精一杯でとてもアジアにまで支援を伸ばすことが出来ない。そしてアフリカはヨーロッパと闘っているのだがやはりキリスト教で団結した国々に苦戦し、赤道付近まで戦線を後退していた。アジアはつい先程まで中国を支援してロシアと闘っていたのだが、つい先日大勢が決し、ロシアが堕ちた。よって今は、アジア勢はヨーロッパ攻略に力を入れているのが現状だった。
「他人事ではないのだけどな」
御神楽はそう零す。戦争が長引くせいで輸入が難しくなり、食糧や日用品などが高騰していた。おかげで奨学金暮らしの高校生にとっては死活問題になっている。
「一体誰が日本は儲かるというデマを流したのか」
第1次世界大戦時の日本は空前絶後の好景気だった。そのあまりの豊穣ぶりにの一例として、夜に靴を探すにあたって百円札を何枚も燃やしたという風刺画も存在していた。
第3次世界大戦の開幕当初はそれの再来だと喜んでいた実業家が何人もいたが実際はその反対だった。当時と違い輸入に依存していた日本は戦争によって物品が入らなくなって価格が高騰。しかも憲法第9条によって武器輸出も出来ない。結果的に日本は自給自足に頼らざるを得ないという状況に置かされてしまった。
「はあー、疲れた」
生徒会室の扉が開いて一人の女子高生が入ってくる。スレンダーな肢体に腰まで伸びた艶のある黒髪。顔が小さくて腰が高く、モデルとしてでも通用しそうな体型だった。
「赤神舞君か、どうした」
御神楽は舞にそう聞いた。
赤神舞は夢宮学園において人類代表でそして御神楽と同じく生徒会副会長だった。人望が厚く、姐御肌として新人類側でも尊敬の念を集めている。
「どうしたもこうも、御神楽君が今朝連れてきた生徒のことよ」
舞はうんざりと言った風に首を振る。どうやら相当参っているらしい。
「何かあったのか? 僕の記憶では君の所に着くまで大人しくしていたはずだが」
そう、確かに御神楽と共にいた間は、その生徒は一言も話さず俯いていた。道中、何か聞き出そうと試みたが最後まで黙秘を貫かれてもいる。
「それが御神楽君がいなくなった途端堰を切ったように喚き散らしたのよ。特に放課後二人きりになって詳しく問いただそうとした時が一番ひどかったわ。それはもう聞くに堪えない内容だったわ。向こうが突然喧嘩を売ってきただの副会長に暴行されただの嘘ばっかり」
舞は自分の席に着くと大きくため息をついた。
「それはそれは……」
御神楽は苦笑するしかない。その生徒が舞に向かってそういった旨を伝える様子がありありと想像できたからだ。
「で、結局どうした?」
「ついさっきまで喚き散らせるだけ散らせておいてから風紀委員に引き渡したわ。私はあんなのに時間を消費させるわけにはいかないの」
「くっくっく、赤神君らしいな」
「そう、ありがとう」
舞は珍しく人類や新人類といった区別関係なく公平な態度を取ることが出来た。そうだからこそ御神楽も舞に信頼を寄せている。
「あれ、他のメンバーは」
生徒会室に来ているのが舞と御神楽だけだということに気づいて問う。すると御神楽は新聞から顔を上げて。
「会計の如月優香君は各部活動の予算の折衝。書記の永月茜君は顧問教師に報告、そして……会長の夢宮翼君はいつも通りサボリ」
「またサボリ? 会長はやる気あるの?」
舞が憮然としたので御神楽はそれを宥める。
「彼女は学園長の娘だ。多少のわがままは黙認するしかない」
「そうだけど。それでは他の生徒に示しがつかないわ」
「別に良いだろ。個人的な意見として会長が来ない方が嬉しい」
その答えに舞は腕を組んで考える。頭を捻りに捻って絞り出た答えが。
「確かにその通りね。会長に来るとこちらの仕事が増えるし」
生徒会長の夢宮翼は生粋のトラブルメーカー。御神楽より頭一つ小さく、まさしくロリの鏡というべき容姿をしている。そして行動原理も幼児そのもので余計なことをしてはトバッチリがこっちに来てしまう。ただ、悪気があってやっているわけでないので本気で憎むことが出来ないイイ性格をしていた。
「まあ、何にせよ。会長である夢宮君はここに来ない方が学園は平和だな」
新聞を読み終えた御神楽はウーンと背伸びをした。一昨日も昨日も生徒会は開店休業状態だったので今日も同じく下校時刻までここで時間を潰して終わりだろうと高を括っていた。
「どうした?」
御神楽はふと舞の方を見ると舞は青ざめた顔で御神楽を見つめ返していた。
「……どうしてフラグを立てるのよ?」
一瞬御神楽は舞が何を言っているのか分からなかった。だから先程言った台詞を思い出す。
「あっ!」
そして御神楽も己の失言に気付いた。舞は絶望に満ちた声を出した。
「もうそろそろ来るわ。これで私達は眠れない。デスマーチが始まるのよ」
その言葉に御神楽はハハハと乾いた笑い声を洩らす。
「いやいや、漫画じゃあるまいしそう都合よく会長が現れるはずでは――」
御神楽の弁明は途中で遮られる形となった。扉がガチャリと開き、悪魔が訪れる。
「みんな~、お待たせ~」
身長約百三十cmおかっぱ頭にちょこんとアホ毛が飛び出てその小さな体に似つかわしくないエネルギーを詰め込んだ永久機関の保持者、嵐の申し子と異名を取っている夢宮学園生徒会長――夢宮翼が大きく手を振って入ってきた。
「会長、今日はどうしたのですか」
舞が会長席に座ってジュースを美味しそうに飲んでいる翼に聞く。余談だがジュースの様な嗜好品は値が張り、御神楽では果物ジュースを月一本飲めるか飲めないかぐらいの高級品だった。
「ん~とね。今日は何かありそうだな~とビビっときたの」
「ビビっと?」
「そうビビっと」
翼は耳を押さえて首を左右に回す。アホ毛がグルングルン回転している所を見るとどうやらレーダーの真似をしているらしい。
電波発言だが舞も御神楽も笑わない。翼の予想は外れたことがなく、生徒会室に翼が来ると必ずトラブルが起きるという伝説まで作っていたからだ。そのあまりの精度に御神楽は、翼は新人類なのかと勘繰ったが新人類が操れるのは物理法則のみである。そう考えると単なる偶然として片付けられるのだが、一つの仮定として翼は新人類の突然変異として因果を操れるのではないかと予想した。しかしそれは証拠が一つも無く完全な状況判断だろう。なお、余談として夢宮翼は自分が人類かそれとも新人類なのか明らかにしていない。完全な中立だった。
「何が来るかな♪ 何が来るかな♪」
翼はウキウキしながら体を揺すっている。その様子は端から見れば小学生が音楽に合わせてリズムを取っているように見えて可愛らしいのだが生憎と御神楽と舞はそれどころではなかった。お互いの机を小さい黒板で行き来させてやり取りする。
『赤神君よろこべ、会長が来たぞ』
『それ嫌味? あの時は生徒の処理のせいで機嫌が悪かったのよ』
『そう考えると赤神君のセリフによってすでにフラグは立っていたように思えるな』
『あれはまだセーフよ。会長がすぐに来なかったでしょ』
『フェイクということもあり得る』
黒板が相手に渡るたびに笑ったり複雑な表情を作ったりする。そんなこんなしている内にドアが荒々しく開けられた。
「緊急事態です!」
息も絶え絶えにそう呟く生徒。それだけならまだしもここから見るだけでも後ろに何人か控えている。
「キタ――――!」
翼が瞳をキラキラさせて立ち上がり、突然の訪問者を歓迎した。
要望が来ると生徒会は動き出す。
具体的には委員会や予算を動かすには生徒会長の許可が必要なので翼は準備書類の検分や許可印を押すことが仕事となる。
会長である翼の仕事は許可の印を押すだけ。ポンポンと楽しそうに押しているが、その書類の作成するのは御神楽と舞の仕事となる。ワープロは先日翼が壊してしまったため文面は全て手書きだ。それゆえに書き間違いも起こるのだがそれに翼は全く意を返さず無情にも「やり直し」と宣告するので二人とも目を皿の様にして作成した書類の検分していた。
「赤神君、一昔前にはリポビタンCという栄養ドリンクがあったらしい」
途中御神楽が腫れぼったい眼を開けて舞に語りかけた。
「何それ?」
舞の声も精彩がない。そちらも御神楽に負けず劣らず疲れているようだ。
「言い伝えによると戦争前の日本のサラリーマンはそれ一本で仕事をしていたとか」
「素晴らしいわね。今の私達に欲しい品だわ」
「全くだ」
御神楽は思う。何か気付けとなるものが欲しいと。この全身を蝕む疲労と眠気はきつ過ぎると体が訴えていた。そしてそんな満身創痍の状態に追い打ちをかけるかの様な教師の「やり直し」宣告だ。それをくらうと今まで積み重なった疲労が倍となってしまう恐ろしき言葉。
茜と優香は戻ってこない。
おそらく翼が出席したのを風の噂で感じ取って避難したのだろう。その結果として二人分の穴を御神楽と舞が負担する結果となってしまった。だが、それを責めるような真似をしない。それは単に寛大な心を持っているからでなく、もし自分達が彼女達と同じ立場なら迷わず避難していたからだ。それに御神楽も舞も二人を置き去りにした経験があるから責める資格はない。
翼も帰り、陽が暮れて完全下校時間が過ぎても特例として御神楽と舞は書類の作成・検分を行っていた。
朝日が生徒会室に入り込んだのを感じて御神楽は体を起こした。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。慌てて書類を見てホット一息、どうやら完成してから力尽きていた。
「赤神君、朝だ」
御神楽が舞の肩を揺すると少し身動きしてから顔を上げた。
「ああ、御神楽君。おはよう」
寝ぼけ眼でそう挨拶をする舞。
「おはよう。ところで鏡を見た方が良い、すごい隈だぞ」
舞の眼の下には黒い帯が出来ていた。モデルとしても通用しそうな美形が形無しである。顔を洗ってこいと指摘しようとしたがそんなことは言わなくとも分かっていると考えなおして大きな欠伸を一つした。
「赤神君、今日の授業はどうする?」
「んー? 御神楽君はどう」
「僕は休む。眠くてたまらない。この調子では授業に出ても身に入らないだろう」
御神楽は体の自由が利かないらしくふらふらしている。放っておけば今すぐ倒れ込んでしまいそうな勢いだ。
「それなら私も休むわ。そして自力で家に帰れるか怪しいから御神楽君の家に泊まらせて」
「ああいいぞ」
御神楽は舞の申し出をすんなりと受けた。これは別に特別なことでなく翼の来襲によりデスマーチを経験した生徒会役員は体力の回復のため学園から最も近い御神楽の家に泊まるというのが恒例となっていた。
「とりあえずはこの出来たのを会長の席に置こう。そしてまだ生徒も登校していないから今の内に帰るぞ」
「もしやり直しとなったらどうするの?」
「その時は残る二人に任せておこう」
「その通りね」
以上、舞と御神楽の会話が自然と行われていることから生徒会室で徹夜後残りは逃げた役員に押し付けて御神楽の自宅で休むことは何でもないことなのだろう。だが、それは生徒会内で通じる話なのでばれると色々と面倒な事態に陥ってしまうことを追記しておく。
御神楽の家は学園から徒歩数分の場所に建っているアパートだった。大戦前に建てられたものだが素材が良いのか現在でもしっかりと建っている。
「失礼するわ」
舞は御神楽の自宅の合鍵を使って中へと入った。ちなみに御神楽の家の合鍵は生徒会全員が持っている。
中は学生に似つかわしくない2DKの部屋。風呂とトイレ別そしてキッチンが備え付けてあった。御神楽はとある事情によりお金を持っているのでそれと奨学金を合わせればこのグレードに住める財力を持っていた。
「シャワー借りるわね」
舞は玄関で靴を脱いで風呂場の近くの棚からバスタオルと服を取り出す。
最も、変にお金を持っていたせいで会長の燕にその事実を暴かれてしまい、今では生徒会役員のたまり場と化している。具体例を挙げるなら先程の舞の着替えの他にも会計の茜や書記の優香の着替えは勿論会長の翼の分まで用意されている。そして二つ部屋があるがその内の一つは親に見られたら困る物や各々の趣味によって完全に物置状態となっていた。
当初、御神楽は生徒会役員が自分の家に来ることを反対していたが多数決の結果、四対一で押し切られてしまっていた。
もう一つの部屋の内装は簡素でありフローリングの床にカーテン、そしてベッドの他には何もない。しかし、その部屋には押入れがありその中はちゃぶ台や毛布、そして御神楽の服などが置かれていた。
御神楽は制服のブレザーを脱いでネクタイを外し、近くのハンガーへ皺にならないよう立て掛ける。そして毛布と座布団を押し入れから取り出して簡易寝床を作成した。
「シャワー使う?」
寝るのに邪魔なものをどかしている最中に舞が風呂場から出てくる。ゆったりとした余裕のあるラフな服を身に纏い、さらに髪の毛がしっとりと濡れていた。
「いや、僕は一眠りしてから入る」
御神楽は舞にそう断って毛布の中へと入る。この部屋にはベッドが備え付けられているがそれは女性専用でありたとえ一人の時でも御神楽が使うことはない。御神楽圭一はジェントルマンなのである。
御神楽も舞も横になって数分が過ぎた。どんなに眠くともすぐに寝つけることは稀なので睡眠を取るためにはやはり時間が必要なのであった。
「ねえ、御神楽君」
ベッドの上から御神楽に呼びかける舞。それに御神楽は「何だ」と返す。
「始めて人を殺した時ってどんな感じだった?」
その問いに御神楽は目を開け、何か嫌な記憶を振り払うかのように寝返りをうった。
「どうしてそんなことを聞く?」
自然と御神楽の声が固くなる。それは先日新人類側の生徒を追い払った際に酷似していた。
「もしかすると私も人を殺さなければならない時が来るかもしれないからさ。後学のために」
いくら中立を保っているといってもそれは砂上の楼閣。情勢によって明日にでも崩れてしまうほど不安定なものだった。今、学校で学び合っている生徒が明日には殺し合う敵同士だという可能性も十分ありうる。
「……知らない方が良い、殺すより殺されない方が遥かにましだ」
御神楽の不可解な言葉に舞は顔をしかめた。
「どういう意味?」
舞は御神楽を問い詰めようとするが御神楽は答えようとしない。黙って寝返りを打ち、舞と反対方向を向いた。
御神楽は人を殺した経験を持つ。とある事情により海外で傭兵として小学生から数年間戦場で過ごしていた。
最も、罪に問われなかったとはいえ御神楽の犯した行動は消せない事実である。そしてそのことは御神楽本人が痛感していた。その経験から御神楽は舞に殺すより殺される方がましだと答えていた。
「御神楽君、私は過去君が何をしたのかを知らない。けどね、これだけは言えるわ。やられるぐらいだったら私はやるわ」
舞の宣言に御神楽は何も反応しない。舞はしばらく御神楽の方を注視していたが特段変わった動きは無い。ゆえに舞は御神楽がもう寝たのだろうと結論づけて溜息を一つ吐き、長い肢体を丸めた。
舞がそのまま寝入ってからしばらく経つと突然御神楽の瞼が開いた。どうやら寝たふりをしていたらしい。
そして御神楽は寝ている舞に聞こえないにも関わらず先程の答えを返した。
「やった結果、僕は死んだ方がましだと思える苦しみを味わっているのだよ」
結局二人はお昼前まで睡眠を取って舞はそのまま、御神楽はシャワーを浴びてから学園へと向かった。
夢宮学園の校舎は二つある。大戦前は一つが授業を受ける普通校舎でもう一つが美術や家庭科など特殊な設備を置いてある特別校舎という風に決まっていた。しかし、大戦によって人類と新人類に分けられてしまったので、日本もその影響として今では人類と新人類が校舎を一つずつ使っていた。
御神楽は南側校舎の三階のクラス――つまり二年生なので階段を登っていた。もうお昼休みに入ったらしく廊下の雰囲気は自由で御神楽が遅刻しても誰も注目していなかった。
「重役出勤ッスね親分」
一番奥にあるクラスに入ると教室の後ろからそんな冷やかしが聞こえた。御神楽はそちらに目を向けると人を食ったような笑みを浮かべている女子生徒がいた。
その女子生徒の名は永月茜。ファッションのつもりか校則ではスカートは膝下と決められているのだが茜は膝よりもだいぶ上に改造し、さらに男子生徒が着用するはずのブレザーを着ていた。悪戯っぽいクリクリとした瞳が印象的で髪をツインテールにしている。身長は御神楽と同じぐらいだが、二人と比べると茜の方が身軽に思えた。実際茜のマシンガントークと人を小馬鹿にしたような口調からクラス内から「軽い」とされている。
「そんなんじゃ生徒に示しがつかないッスよ」
故意か偶然か、茜は先日舞が言ったことを繰り返した。茜の様子から昨日の会話を盗み聞きしているわけではないだろう。もしそうならもっとえげつないことを聞いてくるはずだから。
「僕は生徒から選ばれたわけではない。だからあまり関係ないな」
夢宮学園の生徒会の役員選びは特殊であり、選挙によって選ばれるのは会計と書記のみでしかも書記は新人類の生徒でしか、会計は人類の生徒でしかなれない。そして副会長はそれぞれのサイドの教師が選び、会長は学園長自らが指名していた。そして任期は一年である。
「そんなこと言わないでほしいッスよ。私だけしっかりと振る舞うのは嫌っス」
茜が目に涙を溜めて訴えるがもちろん演技である。茜はおふざけが大好きで会長の翼とはまた違ったトラブルメーカー。会長はトラブルが飛び込んでくるのに対して茜は自分から積極的にトラブルへ向かっていく。今回の様に人を怒らせて関係をこじらせるのを得意としていた。しかも性質の悪いことに茜は危険を嗅ぎ分けるセンスがあるらしく相手が本気ギレモードに突入する寸前で止めることが出来た。
「どうして君が新人類側の生徒の代表なのか理解に苦しむな」
「どうして親分が副会長なのか理解に苦しむっス」
なので御神楽は時間の無駄だとばかりにスタスタと歩いていくと茜は大げさに呼び止める。
「ごめんなさい、調子に乗りました。許して下さい」
茜は平身低頭で非礼を詫びる。普段から謝っているせいかその謝罪には貫禄が滲み出ていた。御神楽は振り向いてため息を吐いた。
驚くことに茜は投票によって書記の座を射止めていた。他にも有力候補がいたにも拘らず大穴での当選である。御神楽の分析ではお固い優秀な生徒よりも茜の様なトリックスターに一度やらせてみようと考えた生徒が多かったのだろう。そしてそれに拍車をかけたのが人類側生徒の投票の結果選ばれた人間コンピューターと異名を取る如月優香の存在だと考える。彼女に正攻法で勝てる新人類の生徒がいなかったので、邪道を地でいく茜に望みを立てたのが実情と推測した。
噂によると誰が当選するか賭けが行わており、そこで茜という誰も賭けていなかった無名のダークホースの存在のせいで財産を失った生徒が何人もいたとかいないとか。
そしてこれは余談だが賭けが行われた翌日御神楽の羽振りが妙に良くなり生徒会皆で歓迎会という名目で出された寿司や果物ジュースなど高級品の代金を御神楽一人で全部払ったという事実がある。
「いい臨時収入が入ったんでな」
舞にこのお金は一体どこから出たのか問い詰められた時、御神楽はそう答えてかわした。
「はい、親分」
茜は席に着いた御神楽にノートを手渡した。
「今日午前中授業で出たノートっス。今日は結構重要な個所が出ていましたから必読っスよ」
「そうだったのか、すまない……で、いくらだ?」
御神楽のその言葉に茜は衝撃を受けて後ろに後ずさった。
「ひどい……ひどいッスよ親分。私の善意をそんなお金で測るなんてまさに悪魔っス」
「ほう、ならタダで貰うぞ」
御神楽は茜を全く意に介さずノートを手に取ろうとしたがガシッと茜の手がノートを掴んで阻む。
「……五万円で」
御神楽は財布から五万円硬貨を取り出して茜の手の上に置いた。大戦が長引くせいで通貨のインフレーションが起こり、大戦前と比べて相場が百倍にまで上昇していた。硬貨の最高額は五万円硬貨で札は百万円札だった。
「マイド―♪」
茜はそう言うや否や御神楽が何か言いださない内にすごいスピードで教室から去っていった。
永月茜は半径百m以内で小銭が落ちる音が聞こえ、さらにその音の種類によって何円玉か当てることが出来るという噂の持ち主だがそれはデマである。過去に一度御神楽が試してみたが全然反応しなかったからだった。
授業終りのチャイムが鳴り響き、先生が終了を合図した。途端に今まで水を打ったように静かだった教室が一気に騒がしくなる。
「さて、と」
御神楽も午後からの参加だったが真面目に授業を受けていた分多少の疲れがある。昼まで寝ていたとはいえやはり疲れが残っているようだ。
「まあ、今日は休むか」
朝まで缶詰め状態だったのだから今日は何もしなくてもいいだろう。と、御神楽は考えたがそう思い通りには進まないのが世の常。
「あれ、親分も生徒会っスか?」
教室から一歩出ると茜が御神楽を呼び止めた。何て運が悪い、昨日の様にスルーしてくれればすんなりと帰宅出来たものを。
「ああ、そうだが。永月君はどうだ? 今日も訪問か?」
御神楽はまず茜のこれからの予定を聞く。もし生徒会室に行かないのであれば御神楽は生徒会室に顔だけ出してアリバイを作り、そのまま帰ろうかと考えていたが。
「いや、今日はずっと生徒会室で駄弁っているつもりっス」
こんな時に限って茜は生徒会室に行くのだという。生徒会役員は一応生徒会室に詰めておかなければならないという校則があるので御神楽は生徒会室に行かなければならなくなった。
「……そうか。それなら行こうか」
御神楽は内面の嫌気を外に出さないよう気を使ってそれだけを絞り出した。
「親分と知り合ってもう一年と二ヶ月経つっスけど未だに親分の性格ってよく分からないんスよね」
生徒会室に向かう途中御神楽の隣の茜が疑問を呈す。生徒会室は校舎の四階にある連絡通路に設置されている。そして運の悪いことに今の時刻は他のクラスも授業が終わって部活に行く生徒や帰宅する生徒と重なり、なおかつその流れに逆らうように進むため二人は一向に前へと進めなかった。
「困っている生徒を見捨てないという正義感があると思いきや裏で賭けごとを取り仕切り、生徒会の仕事をきっちりと行うのにたまに生徒会を休もうとする。よく分からないんスよ、親分って。何がしたいんッスか」
「賭けごとについては何の事だか分らないが、僕はめんどくさがりだぞ。いかにして楽しようかずっと考えている」
御神楽曰く、苛めを見逃すとこちらの監督責任が問われて面倒なことになる。それに生徒会も誰かがやらなければ結果的にこちらが苦しむ。が、その誰かがやっているのなら僕は安心してサボるだろう、と。
「実際、昨日は生徒会室に在中していたのは僕だけだと考えていたからな。まさか赤神君が生徒の尋問を早く切り上げて生徒会室に来るとは思わなかった。もし知っていれば僕は昨日休んでいただろうな」
御神楽は有能な怠け者である。普段授業の時はノートすら取っていない。さらに一年の時には二学期で出席日数を満たした御神楽は三学期授業に出たのはテスト三日前からのみである。その間ずっと欠席していたにも関わらず御神楽は平均点を維持していた。
「それなら学校なんて通わなくていいじゃないスか」
茜が至極全うな突っ込みを入れる。最終目標が楽をしたいのなら面倒な学校など通わなくていいのではないかと。
「馬鹿か君は? 高校ぐらいは出ておかないとロクな社会人になれないぞ」
「その発想自体がすでに社会人失格なんスけどね……」
御神楽は御神楽なりの考えがあるらしい。授業を受けるのは嫌いだが社会のレールからはみ出るのはもっと嫌いという捻くれた性格をしていた。
「本当に親分って副会長に相応しくないッスよね」
茜が恨みがましく呟くが御神楽は堪えない。むしろ能天気に。
「僕は教師から選出された立場だからな、生徒からいくら苦情が出ようと関係ない。まあ安心しろ、教師からの勧告で副会長の立場が危うくなったら僕も本気出すから」
「……何スかその理論は」
その茜の弾劾に御神楽は聞こえなかったのか意図的に無視したのかは分からないがスタスタと茜の先を早歩きで進んだ。
「ああ、待って下さいっス」
その後ろを慌てた様子の茜が後を追いかけていった。
生徒会室に入るとあの書類が通ったらしく机の上に可愛らしく『OK♪』とのサインがあった。先客には舞がいて何やら考え事をしている。御神楽が恐れていた翼の襲来も無かったので茜と一緒にボードゲームをして遊んだ。途中から舞も混じってトランプに切り替わったことを追記しておく。本日は実に平和だった。
御神楽の朝は遅い。学校が始まる三十分前にようやく起床して身支度を整え始める。それらが終わる頃にはすでに二十分が経過しているので御神楽は朝食を歩きながら済ませている。かなり健康に悪い朝のリズムだがそれで十分回っているのだから文句を付ける者はいないだろう……一人の生徒を除いては。
「おはようございます御神楽」
「如月君か」
アパートから出た所に立っていた生徒を認めると御神楽が嫌な顔をした。
人間コンピューターと異名を取る人類側生徒代表如月優香。
身長は御神楽より高い百六十cm程度。舞と比べると低いものの女子の中では平均的と言えるだろう。キレのある眦に冷徹な光を宿した瞳。髪は肩口付近で切り揃えられており、陶器の様な白磁の肌と相まって日本人形の様な無機質な美しさを醸し出している。
「本日も遅い登校ですね。真面目に授業を受ける気はあるのですか」
人類側生徒の優香はよく新人類側の生徒である御神楽にちょっかいをかけてくる。
御神楽が考えるに、優香の中で副会長はこうあるべきだと人物像が決まっており、それに著しく乱す自分の存在が許せないらしく何とか矯正させようと奮闘中のようだ。
「安心しろ、特別な場合を除いて僕は欠席したことがない」
実際御神楽が授業を休んだのは会長の来襲によるトラブル処理のため徹夜した日のみであり、それ以外は、欠席はおろか遅刻さえしていない。
「去年の一、二学期は皆勤賞なのに三学期のみほぼ欠席。ふざけているのですか?」
「それはまあ、色々と……」
御神楽の頬が引き攣る。人類と新人類は教師勘の間でも仲が悪く、人類の校舎で起こった出来事などよほどのことがない限り新人類の耳に入らないし逆もまたしかり。去年は一生徒の身だった御神楽の出席情報を探し出した優香には脱帽するしかない。
「とにかく、御神楽の態度は生徒会副会長に相応しくありません。もっと自覚して下さい」
その言葉は耳にタコが出来るほど聞いている。それならどうして会長の翼や書記の茜には言わないのかと愚痴を零してみると返ってきた答えが。
「書記の永月は新人類の特徴を表しており、さらに会長はもはや天災なので言っても無駄です」
と、ばっさりと切ってきた。御神楽は新人類の全てが茜なわけがないと抗議したかったが人類と新人類の生徒同士は仲が悪いのでそれぐらい偏見を持っても仕方ないだろうとして諦めた。そして、会長の翼に関してはこちらも同意見なので反論しなかった。
そのまま副会長の心得について延々と説教した後最後にこう締め括った。
「御神楽はやれば出来るのだからすごく勿体無いのです」
「ありがとさん」
御神楽が大きなお世話とばかりに手をヒラヒラと振るとその投げやりな態度に優香の心に油を注いでしまったらしく、またガミガミと説教を再開させた。
「……帰りたい」
まだ授業が始まっていないにも拘らず気力の大半を消費してしまった御神楽はポツリとそう零した。
「いきなり何を言っているのですか。そんなのだから御神楽は……」
まだまだ続く優香の話に御神楽は本気で泣きそうになった。何が悲しくて朝っぱらから反省しなければならないのだろう。そして優香のおかげでまだ朝食を食べていないから胃がグーグー鳴っている。早い所鞄の中に仕舞ってあるオニギリを食べたい。
結局、優香の説教は別々の校舎に分かれるところまで続いてしまった。
午前中最後の授業が終わったので御神楽は立ち上がって教室を出、生徒会室に向かった。手には弁当箱が入った鞄を携えている所からどうやら生徒会室で昼食を取るつもりらしい。御神楽は朝オニギリを二個食べるのが普通だが今回は優香と出会ってしまったせいで一個しか食べられていない。しかも今日の授業は移動教室が多かったため食べる時間も無かった。先程から腹が鳴りっぱなしである早い所納めたい。
「げっ」
「出会って早々『げっ』とは失礼ですね御神楽」
生徒会室にはすでに先客がいた。手には作業しやすいようにサンドイッチが握られている。左手で会計簿を付けている所を見るとどうやら食事しながら仕事をしていたらしい。
「昼休みにも仕事とは感心だな」
御神楽は自分の席に腰を落として弁当を広げながら称賛した。
「別に、これが私の役割ですので」
生徒会の中で最も忙しいのは会計だろう。学園の備品や部活の消耗品の補充などの申請が常にくるため、会計の仕事は大忙しなのだ。
「人類と新人類の生徒が共同して一つの部に纏まってくれればこちらも楽なのですけど」
夢宮学園には校舎も分かれていれば部活動も分かれている。同じ部が二つあるというのは予算からしても非効率極まりないが人類も新人類も頑として認めないため今の状況が続いている。
「本当に無駄の塊だこと」
分かれている部活動をすべて一つに統合させることが出来たら設備も備品もグレードが二、三ほどアップ出来るので、効率と合理化に美徳を置いている優香からすれば現状を打破したいのだろう。
「そう思いませんか、御神楽」
だからこそ副会長の御神楽に水を向ける。優香は御神楽が動いてくれれば状況が好転するのだと予想しているからだ。
「生徒の意志に口を出すわけにいかないだろう」
その真意が読み取れる御神楽はわざとはぐらかせる。確かに御神楽が教師に諫言すれば何らかの動きがあると予想が着くが、その結果として自分が面倒くさい立場に追い込まれることを知っている。具体例を挙げると両方の生徒による弾劾を一身に受けなければならない。
御神楽はこれ以上狭い室内で優香と二人きりになるのを嫌い、取り出した弁当箱をまた仕舞って生徒会室を後にした。
「上に立つ者は時に総意を逆らってまで道筋を作る必要があるのですよ」
御神楽の背中に優香が言葉を投げつけるがそれに答えようとせずに扉を閉めた。
夕暮れ――昼休み時に優香と不快なやり取りがあったが、放課後生徒会室に行ってみるとその姿は無かった。どうやらまだ各部活動の予算が決まっていないらしい。
好都合だと御神楽は思う。少なくとも今日はこれ以上優香と会いたくなかった。そして珍しいことにまだ舞が来ていない。彼女は何かトラブルが起きない限り大体最初にいることが日常。
「何かあったのか」
しばらく待っていても誰一人来ないのでさすがの御神楽も不安を覚える。何か自分の知らないところで事件があったのかと勘繰ったがそういった情報は生徒会室の伝言版に書き記すはずなので、何もない今は問題ない。
「仕方ない、新聞でも読むか」
暇を潰すため御神楽は鞄から新聞を取り出した。昨日も呼んでいなかったのでついでに読む。
「アメリカ大陸に動きあり……こう着状態から抜け出る前兆か」
新聞の記事によると北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を繋げる中南米地域を新人類側が制圧したらしい。新人類側はこれを中心に人類側の先進国へ攻め上がる作戦を立てるだろう。先日のロシアの件に続いてこれだ。大戦は新人類側の勝利で終わりそうな予感がする。
「また面倒なことが起きるのか」
御神楽の脳裏には先日の校門付近の路地裏で起こった暴行の現場が蘇った。あの時はこちら新人類側が優勢だったから人類側の生徒はなす術無く虐待を受けていたが、この出来事によってさらに苛烈な報復が行われる可能性が出てきた。御神楽はそれを未然に防ぐための処置と起こってしまった場合の火消しに追われることを考えるとまたため息が出た。
「面倒くさいなぁ……」
生徒会室にいるのは御神楽一人なためそれに答える者がいるはずもない、が。
「うん、私も面倒だよ♪」
「おわっ!」
突然降って沸いたかの様に会長の翼が答えると御神楽は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。そしてすぐに身構える。今、生徒会室にいるのは御神楽一人。つまりどれだけトラブルの案件が多くとも御神楽だけで終わらさなければならないのだ。生徒会室に来ようとしていた面々も生徒会室外に並ぶ生徒を見たら回れ右をするだろう。つまり御神楽の仲間はいないのだ。
「そんなに驚かなくていいよ、今日はトラブルが来ないと思うし♪」
御神楽の感情を読み取ったか否か、手を振って御神楽の誤解を払拭しようとする。
「それなら嬉しいが」
御神楽は噴き出た冷や汗を拭った。翼は嘘を吐くことがない、彼女が無いと言えば無く、あると言えば必ず起きる。その意味で翼は神とも言えるだろう、彼女からの言葉から外れた出来事は未来過去現在問わず起こった試しがない。
「御神楽君に命令だよ♪ これからすぐに新人類の校舎の一階にある大ホールに向かうこと♪ そこに書記の永月君もいるから間違えることはないよね❤」
アホ毛が❤マークを形作りながらウインクする翼。ロリっ娘の彼女がするウインクはクラッとくるが突然現れて意味不明な命令をされて「はい、そうですか」と頷けるわけがない。だから御神楽は意地悪く次の質問をした。
「もし断ると?」
「その時は君にとって面倒なことになるな♪」
「具体的には?」
「それは言えないね。行って自分の身で確かめて欲しい♪」
その答えに御神楽はため息を吐く。翼はいつもそうだ、真実を知っているくせにそれを教えようともしない。あくまで現場に行って来させて御神楽達で解決させようとしている。
「何度でも考えるのだが会長は自分で解決しようとしないのか」
「いや、私はしないね♪ 私はあくまで黒子、物語の主人公は御神楽君さ♪」
その答えに御神楽は首を傾げる。翼が何を言っているのか理解できなかったからだ。その様子を嗅ぎ取ったのか翼は手をパタパタさせて。
「おおっと、しゃべり過ぎちゃったね♪ とにかく、今すぐ行かないと面倒なことになるから急げ♪ 急げ♪」
翼は御神楽を立たせて背中を押して外に出した。何が何だか分からない御神楽はもっと深く事情を聞こうと生徒会室に戻ろうとしたが。
「鍵をかけたな」
ドアノブが固くロックされていた。結果的に生徒会室から閉め出された格好となった御神楽はこのままブラブラしているのもどうかと思い、翼の予言通り南校舎一階の大ホールへと向かった。
つい先日まで新人類は苦境に立たされていた。いくら日本が中立を謳おうとも中では陰湿な差別が存在する。空調設備の使用権や食堂の席の座る場所、そして部活動で使う場所や備品なども人類側が優先的に使用していた。南アメリカが苦境に陥っているにしても現状ではまだ新興国が有利。ゆえにそういった差別を撤廃するのは当然だが、何よりも新人類というだけで罵られて暴力を奮われた方はそれだけで納得しない。人類に対して報復を行おうという決起集会が翼の指定した大ホールで行われていた。
「何をしているんだか」
大ホールは異様な熱気に包まれており先程現れた御神楽から見るとその状況は異常だった。即席で作られた演壇にった演説者がどれだけ意味不明な支離滅裂の言葉を述べようとも聴衆はその言葉に頷いて歓声を上げている。だいぶ昔ドイツで行われたヒトラーの演説の際を思い出させるほど苛烈かつ独裁的であった。
「我々は何だ!」
「「「「新人類です!」」」」
「最も優れているの人種は何だ!」
「「「「新人類です!」」」」
御神楽は一度引き返して教師の助けを仰ごうとしたが止めた。すでに教師の言葉によって止められるレベルは超えており、万が一鎮圧できても生徒と教師の間に溝が出来てしまうだろう。
御神楽はふと顔を上げると演説台の奥に座っている茜の存在を認めた。茜は周りの熱に浮かされた新人類側の生徒と違っておろおろと周りを見渡して青ざめた顔をしている。
「また何かトラブルを引き込んだな永月君」
御神楽は頭を抱えて唸った。茜との付き合いは学園に入ってからでありトラブル体質の茜はどうしてか騒動に巻き込まれやすい。入学式のときも人類側の生徒に絡まれていたのを思い出す。当時も人類側の方が優勢だったので新人類側の生徒も遠くから眺めているだけだった。御神楽は興味無いとばかりに通り過ぎようとしたが当時から会長だった翼の手によってそちらに押し出され、因縁を付けられたので叩き伏せた記憶がある。その他にも色々巻き込まれたが全て翼によって無理矢理助けに行かされていた。
「それでは、決起集会の代表である永月茜様からお言葉があるそうだ」
そうして演壇に立たされる茜。御神楽は先程まで演説をしていた生徒をよく見ると先日人類側の生徒を虐待していたのを御神楽が止めに行った際反抗した生徒だった。
「本当に何か運命じみたものを感じるな」
あの生徒とはもう会うことも無いだろうと考えていたがその予想は木っ端微塵に崩され、思いもかけぬ今に再開した。名前も知らない生徒だがまさかここまで御神楽に関わるとは思わなかった。
御神楽としては気味が悪いものを感じたのでここから今すぐにでも飛び出して何かから逃げ出したかったが、それをすると自分が全てを失い惨めな最期の光景がありありと想像できてしまう。そんな結末になるぐらいなら翼の思惑通りに動いてやろうと余計な感情を追い出した。
「えー、私は――」
「何をしている永月君」
御神楽の一声によって茜は涙ぐみ演説していた生徒は憎しみの眼差しを向け、聴衆は水を打ったように静まり返った。
「てめえ、御神楽――」
「集会を開くためには生徒会長の許可が必要だぞ。そんなことも分からないのか永月君」
御神楽はその生徒を完全に無視して茜のみに話しかけていた。
「はい、すみません。全て私のミスです」
茜も場所が場所なのか普段の活発さはなりを潜めてしおらしく頷いた。
「弁明は生徒会室で聞こう。さあ、他の生徒も解散だ。帰宅するなり部活するなり好きに――」
「ちょっと待てよてめえ!」
御神楽の清々しいくらい眼中の無い態度に激昂した生徒は御神楽に詰め寄った。
「いきなりしゃしゃり出てきて何ほざいてるんだ」
御神楽の胸ぐらを掴んで持ち上げる生徒。身長的には御神楽の方が小さいので御神楽の足は宙に浮いた。
「放せ」
そんな状況にも拘らず御神楽の瞳は微塵の揺るぎも無い。淡々とした様子で放せと命令した。
「はあ? そんなの無理に決まって――」
「聞こえなかったのか? 放せと言ったんだ」
その生徒本人は放す意志がなかったのだろう。しかし、御神楽が発した威圧感に生徒の本能の奥にある恐怖が刺激され、反射的に放してしまった。
「知っていると思うが今の様な差別に対する非合法な集会を開いた場合、参加者全員が処罰される」
夢宮学園の罰則事項に明確に記載されている。人類、新人類問わず相手の差別意識を高揚させる集会を開いた中心者は学園除名、参加者も停学以上となっている。法律に当てはめると内乱罪に相当するほど重い違反だった。
「今なら永月君が集会を違法に開いてしまったとしてことが収まる。罰則は……そうだな、知らなかったとして注意程度で済むだろうな」
一般生徒が無断で集会を開くのは罪だが生徒会役員が独断で開いた場合は意味合いが違う。生徒会主催の場合は鬱憤を晴らすための集会として認識されるので会長の許可さえ貰えれば罪には問われない。今回の場合は単に茜が許可を貰い損ねたという顛末にして事態を収束させたいと御神楽は考えていた。
だが、そう上手い具合に事が運ぶのはまずない。現にその予定に納得がいかないと声を上げたのは先程の生徒だった。
「そんな結末で納得がいくかよ! 除名になっても俺は構わねえ! そんな軽い気持ちで開いたんじゃねえぞ!」
生徒は大声を張り上げた。御神楽はその生徒の友人がどんな扱いを受けたのか知る術もないが、彼をそこまで突き動かしたのだからよほどのことがあったのだろう。
その生徒の気迫に引っ張られたのか聴衆の中からも声が上がり始める。始めは小さかったがそれが周りへと広がっていき、ついには御神楽が登場する以前よりの熱気が溢れていた。
「お、親分……」
そういった熱気を感じる茜はガタガタと心細く震えている。茜が受けている周りからの気迫は御神楽も受けているので今茜がどういう心境なのか理解できる。
しかし、御神楽の場合は茜と違って震えどころか動揺さえ見せていない。やはりそこは修羅場を潜った回数の違いから来ているのだろう。
「これは一度叩き伏せないと収まりそうにないな」
そう呟いてから御神楽は面倒だと言わんばかりに肩を落とした。
「出来るのかよ? こんな大人数相手によぉ」
生徒が粋がるが御神楽は相手にしない。最終確認と言わんばかりに「本当に良いんだな?」と問うた。
「そうか、それなら久しぶりに本気を出そう」
グワっと御神楽が一瞬巨大化したような錯覚を与えた。御神楽から強烈なプレッシャーの波動が周囲を威圧している。敵は一人しかないなく、自分達も超能力を使えるにも関わらず御神楽の前にはそれが酷く頼りないように思えた。
新人類は超能力を扱えるといってもピンキリとなっている。平和な国の新人類と戦争状態の国の新人類ではその差は歴然としていた。高い標高で生やしている高山植物は同じ種の地表付近で生やしている植物と比べて花弁の大きさも茎の太さも根っこの力強さも違う。厳しい環境で育った植物は温室育ちの植物と比べ物にならないのだ。
「ここは日本だ。中立を宣言して平和を享受している国だ」
日本での超能力のレベルは煙草の火を付ける、そよ風を起こすなどライターや扇風機があれば事足りるぐらいが高校生が到達するべきレベルだと規定されている。
「教えてやろう。これが戦争で使用するレベルの超能力だ」
だが戦争では違う。鉄を焼き尽くすぐらいの火力、軍用車を吹き飛ばすだけの風力がなければ超能力とはいえない。人類が使うミサイルや戦車などの近代兵器に対抗するには最低それぐらい使えなければ生き残れないのだ。
平和の超能力と戦時での超能力。その違いが今、この場で明確に現われていた。
お遊び程度の超能力では話にならない。御神楽に向かって多数の火球やカマイタチ、氷槍が放たれたが御神楽が生み出した超重力の磁場の前には全て地面に叩き伏せられる。
そして相手が怯んだと見た御神楽は超重力の範囲を広げ、一気に押し潰した。
ドンッ!
と周りの床や机、椅子などが己の自重に耐え切れなくなってスクラップとなっていく。生徒達も御神楽の発生させた超重力に抗う術もなく地面に伏せていた。生徒の何人かは辛うじて立っていたがそれ以上のことは出来るはずもなく、御神楽が圧縮させた空気を放つと、それを避けられず直撃され、向こう側まで吹っ飛んでいった。
それで終了。
一対多数の戦いは多数が何もできずにただされるがままにされて敗北した。
圧倒的火力で新人類を壊滅させた御神楽は大ホールの中央で手を開いたり閉じたりしている。
「やはりブランクがあるな。しばらく能力を使用していないから当然といえば当然か」
超能力を使える生徒百数十人を顔色一つ変えずに叩きのめした御神楽はそう述べた。
「お、親分……待って下さいっス」
弱弱しい声が聞こえたので振り向くと、足をガクガクさせた茜がこちらに近づいて来ていた。そして御神楽の隣まで着くともう立っていられないとばかりに御神楽へすがり付いた。
「ひ、ひどいっス。使うなら使うって言って下さいっスよ。死にかけましたよ」
「罰則の意味を込めていたからな。これ以上喰らいたくなかったらトラブルに巻き込まれるなよ」
どうやら御神楽は偶然でなく確信犯的に使用したらしい。確かにこれだけの騒ぎの表向きの主犯としては何のお咎めも無しは難しい。御神楽的にはこの超重力に晒されることによって今回の罰則としていた。
「ほら、行くぞ」
御神楽は死屍累々となった大ホール内を普段と変わらない表情、速度で歩いていった。
大ホールを出た御神楽は近くに二人の生徒が待っていたことに気付く。赤神舞と如月優香である。
「御神楽君……」
舞は先程大ホール内で起きた出来事が信じられないらしく目を瞑って首を振っていた。その様子を確認した御神楽は一歩舞へと近づいてみる。すると。
「ひっ」
舞は喉の奥から声を上げて一歩下がった。その後自分がした行為に気付いて慌てて弁解する。
「ち、違うの、これは――」
「素晴らしいです御神楽」
怯える舞とは対照的に優香は一歩進み出て御神楽の手を取る。優香は普段の無表情ではなく、顔を紅潮させて瞳をキラキラと輝かせていた。
「あれだけの興奮した群衆の前に進み出る胆力と鎮静化させる説得力、そして何よりあの数の超能力者を相手にして完膚なきまでに潰す武力。私の目に狂いはありませんでした」
優香はあの光景をすぐそこで確認しかつその張本人を目の前にしているにも関わらずアイドルに出会ったかのような憧れの表情を浮かべていた。
「その気になれば新人類の生徒は御神楽に従うことが証明されました。いえ、それどころか人類新人類関係なく御神楽の言には逆らえないでしょう。その恐怖によって」
優香の言には一理ある。先程の過激派の生徒は新人類側から見れば一部だろう。しかし、その彼らを一人で鎮静化させたというニュースが広まれば他の穏健派や中立派は御神楽の動向に注目をせずにいられない。御神楽に逆らえば何人足りとも敵わないという噂が広がり、学園全体は彼の意向に逆らえないというルールが生まれるだろう。
「興味無い」
だが御神楽は優香を押しのけて歩き出す。これから生徒会室に戻って大ホールで壊してしまった器物や床の損害を計上し、さらに始末書を書かなければならないからだ。
生徒会室はまだ鍵が閉まっているのかと一瞬考えたがドアノブを回すことが出来たので杞憂に終わった。中を除いてみると誰もいない。どうやら生徒会長の翼はまたどこかに雲隠れしたようだ。
御神楽が座ると他の三人も生徒会室へと入ってきた。
「「「……」」」
彼女達は何をするまでもなく御神楽を注視している。
舞は恐怖のため、優香は尊敬を込めて、そして茜は空気を読んで黙っていた。
御神楽は自分に注目が集まり、そしてギスギスした空気が生徒会室内に充満しているのを実感している。こういう時にこそ会長が来て欲しいと思う。あの全く空気を読まず、良くも悪くも相手を無理矢理自分のペースに引き込む会長ならばこのささくれた雰囲気をぶち壊してくれるのだが。
「無いものをねだっても仕方ないよな」
思わずそんな呟きが漏れてしまった。
そのまま幾ばくかの時が過ぎた。その間中ずっと沈黙状態だったので耐え切れなくなった茜が口火を切った。
「親分、かっこ良かったっす」
「そうか、ありがとう」
「親分、助けてくれてありがとうっス」
「別に気にすることはない」
「親分、――――」
「もういい」
御神楽は茜が無理して話題を出してこの空気を変えようと奮闘しているのが見て取れたから遮った。御神楽は正直その茜の姿を痛々しいと感じていた。
「僕のこの力をロシアで培った」
御神楽はその茜に応えようと譲歩した。御神楽としては特に過去のことなど聞かれたくないが疑問を疑問のまま放置しても良いことはないと判断する。
案の定、まず始めに優香が質問した。優香曰くどこでそんなレベルの超能力を身につけたのか。
「小学二年の八歳の頃、新人類専門の誘拐屋に拉致されてそのまま戦場に送られた。あそこは生きるか死ぬかだったから日本の新人類と比べても超能力の開花が早かったな」
超能力の強さを決めるのは集中力。いかに己をトランス状態に置けるか否かで勝負が決する。もちろん普通は時間をかけてその域にまで辿り着かすのだが、死がすぐそこにあると人間の防衛本能が働いて通常より早くトランスとなる。
「いきなり平和な日本から戦場だ。当時ロシアは激戦区だったからな、僕と同じく連れ去られた仲間が次の日にはもの言わない屍となっている。次は僕なのかといつも戦々恐々だった」
中国とインドに接するロシアは戦闘も激しく、ヨーロッパからの支援もあって毎日何百人単位で死者が出ていた。ロシアは北なので放置された遺体が腐らず、雪をかいたらゴロゴロと出てきたという逸話もあるぐらい遺体がそこかしこに散乱していた。
「そして、僕が十四歳の頃、僕らを誘拐した業者が捕まって真実が明らかになり、日本の大使館から連れ戻されて一年間ミッチリとカウンセリングを受けて夢宮学園に入学した。まあ、いくらカウンセリングを受けても六年もの間戦場にいたんだ。その時に培った超能力がすぐに消えるわけがない。多少弱まったが現在でもこれぐらいの力を持っている。今の日本で僕に勝てるのは警察か自衛隊ぐらいだろうな」
自分は戦場にいたと、君達が友達と遊び、親に怒られている時自分は兵士として働き、上官に叱責を受けていたと言っていた。君達が明日について何の心配もしていなかったが御神楽にとっては今日生き延びることさえ不安定だったものだと。
「だからな、僕は君達とは違う。何しろ基準点から違っているのだから僕の感性が異常に見えて当然だ」
御神楽はそう締め括った。これ以上話すことはないと考えていたが舞が恐る恐る手を上げていた。
「前にも聞いたけど人を始めて殺した時ってどうだった?」
それは先日御神楽の自宅で聞いた質問と同じだった。普段ならはぐらかすのだが今回はそういかない。御神楽は唾を飲み込んで話し出した。
「覚えていない。何が何だか分からないまま戦場に放り込まれて気が付いたら圧縮されてスクラップになった兵士が転がっていた。仲間に言われて僕が殺したと知った」
「そう……」
舞は何か言いたそうにしていたが結局何も言えなかった。御神楽のあの時の記憶は曖昧になっている。手足がガタガタと震えて涙と涎が零している最中に敵の小隊が銃を持ってこちらに突っ込んできた。そして御神楽の隣の頭が吹き飛び血が自分に降りかかった後から記憶がプッツリと途絶えていた。次の記憶は仲間が御神楽を抑え込んだ時から。その仲間曰く味方も殺しそうだったらしい。
「何人殺しましたか?」
その意地悪い質問は優香から。御神楽は嫌なことを思い出して顔をしかめる。
「いや、全く。最初に殺した人数さえ覚えていない」
「さすがですね」
その答えに優香は満足そうに頷いた。当時の御神楽は防衛本能が働き殺した数の人間を覚えようとしなかった。今思うとその選択は正しかったのだろう。どんな形であれ、もし覚えていると御神楽は少なくとも平和な日本で生活を送ることなどできなかっただろう。
優香は更に「罪悪感はあるのですか」と聞く。
「ない。だからこそ悲しいな。僕は君達が感じる喜びや悲しみを共感できないのだと、人を殺す前の自分に戻れず、ずっと僕は孤独なのだということを考えると今すぐにでも死にたくなる」
「そうなのですか」
優香は分かった様な分からない様なため息を漏らした。学園に通っている御神楽は時に言い知れぬ孤独感に苛まされることがある。クラスメート同士が好きな人について盛り上がっている時、クラス対抗戦で一番を取れなくて悔しい思いが充満している時などその傾向はますます強くなっている。その孤独感ゆえに御神楽は学園に居場所を見いだせていない。
「両親はどうしたんスか」
茜の問いに御神楽は一番強く反応した。体をぐっと抱きしめ、そして震える声で話し始めた。
「もういない。僕が日本に帰ってきた時にはすでに両親は鬼籍に入っていた」
御神楽はその記憶が今でも強く残っている。誘拐される直前に御神楽と父は喧嘩をしていた。他愛もない喧嘩だが、それが始めての喧嘩だと意味が違ってくる。御神楽は子供にありがちな自尊心から親に反抗した。幼い思考ながらこちらに非があると分かっていながら我を押し通してして家から飛び出した。
「謝れなかったことが辛いんっスね」
茜の言葉は至極全うだろう。喧嘩したまま別れ、そして二度と和解出来なかった悔恨は想像できない。だが、御神楽は首を振って。
「謝れなかったことが悲しいのではない。謝れなかったことを悲しいと感じられない自分が悲しいのだ」
人を殺す作用として自分を殺すという反作用もある。つまり御神楽は人を殺したと同時に自分をも殺していしまい、喧嘩別れした両親の墓を前にしても御神楽は後悔も悲しみも、何の感情も沸いてこなかった。
御神楽がそこまで話すと同時に完全下校のチャイムが鳴った。普段は聞き流している音だがこの時は非常に重く鳴り響いた様に錯覚する。
「話はここで終わりだ。僕は今日気分が優れないので先に帰るから後はよろしく頼む」
御神楽は早口にそう言い切ると反論させないままさっさと生徒会室を後にした。赤く染まった校舎。黄昏時の夕日が照らす廊下を一人歩く御神楽の様子が今の彼の心境をよく表していた。
第二章
PTSDとは戦争や地震など大きな心理的外傷が原因で発病し、日常生活を送ることが困難となる病気である。普段は変わらない生活を送っていても些細なことからフラッシュバッグし、突然発狂したり泣き出したりする。
「何か変わったことはありませんか」
御神楽の対面に座って柔和な笑みを浮かべて語りかけるのは彼の担当のカウンセリングだった。幼い頃に戦場へ赴き、人を殺した経験を持っている御神楽は要監視対象から保護観察状態へ移行しても週一回船とバスと電車を乗り継いで都会にある病院へ通院しなければならない。
「いいえ、何も」
御神楽は無機質にそう答える。こういった類の質問は何度も受けているためうんざりしていた。
「そう、学校は楽しい?」
「あまり……」
担当医は視線こそ御神楽から逸らさないものの手はひっきりなしに何かを書き留めている。一体何の内容なのか気にならないと言えば嘘になるが、かといって尋ねてまで見ようと思わない。つまりその程度のことだった。
「いつまで僕はここに通い続けるのですか?」
御神楽は少し苛立った様子で詰問する。交通費は出るが、ここまで来るのに長時間移動しなければならない。しかも戦争の影響で本数が少ないので待たされる場合が多く、朝八時に家を出て昼前にようやくここまで辿り着く。とても面倒だと考えていた。
「ふむ……そうだね。御神楽君が異常なしと判断されるまで」
その答えを繰り返す。御神楽としては学園に通い出してから一年間以上が出たことも無いし悪夢にうなされたことも無い。全く一般人と変わらないはずなのだが執拗に御神楽をここに通うよう迫る。
御神楽の様子に気付いたのか担当医は笑みを引っ込めて語り出す。
「確かに御神楽君は施設内でも異常行動は見られなかったし思考も正常だ。しかも学校では副会長を務めている。端から見ると君は異常なしに見えるだろうね。けどね、それはおかしいんだよ。あれだけの長期間命の危機に晒され、多くの人を殺しているのに御神楽君の態度は正常のそれだ。変なことを言うようだけど僕が見てきた中でも御神楽君の例は知らない」
かなり失礼なことを言う。と、御神楽は考えたものの確かにその通りだと思い直す。日本に帰還した少年兵は御神楽の他にも多数いたが、そのほとんどが未だに施設内で矯正を受け、特に何人かは社会復帰の見込みがないという。
「先日鬼河原炎危君が御神楽君のことを探していたよ」
担当医が何気なく言ったその言葉に御神楽は顔が引き攣るのを感じる。
鬼河原炎危――御神楽より後に来た少年兵だが人を殺した数は御神楽のそれよりも上回る。しかも人を殺すことに快楽を覚え、サボり気味の御神楽と違って暇があれば戦場へ出陣していた殺人鬼である。
「鬼河原……」
御神楽と鬼河原はお互い顔を合わせたことも無いが戦場を経験した者同士として興味を持っていた。ただし、御神楽は会いたくないと願っている。
戦場で聞く鬼河原のイメージはあまりよろしくなかったからだ。
「少なくとも君よりは正常だよ。いつも戦場に戻りたいとか言っている」
「本当に先生は歯に物を着せないな」
カウンセリング医としての態度とは思えないが御神楽に不快感はない。御神楽としては裏表なく言いたいことを言ってくれた方が心地よいと感じる性質なのだ。
「だって、御神楽君は同情や憐れみを持って接されるのが嫌いでしょ。僕も御神楽君以上に事実を述べた患者を知らないよ」
「ありがとう」
「いや、褒めてない」
「……」
どうやら皮肉だったらしい、御神楽は憮然として口を尖らせる。
「まだ夢宮学園に通っているのかい」
話が変わり、担当医は御神楽が通っている学園について話し始めた。
「僕が言うのもなんだけどあの学園は少々おかしいよ。特に夢宮翼という少女、彼女は近々とんでもないことをしそうな予感がする。だから何かおかしいと感じたらすぐに逃げることをお勧めする」
担当医は夢宮学園について度々警告する。夢宮学園は島一つ丸々使った学園島で流通手段が船のみなのにも関わらず物品が豊富に存在する。御神楽の家の様に昔ながらの住宅が多数存在しているが、元の住人はどこにいったのであろうか。そしてそれ以上にあの島での供給はどこからきているのか。夢宮家は夢宮学園の法人を習得しているが、それ以外の企業や法人を持っていないことから物品やエネルギーを買うための資金源はどこから来ているのか謎に包まれている。
「この事は心に留めておいてね。さて、今日の診察はここまでだ。また来週この時間で」
担当医はそう述べるとせかせかとメモ帳をまとめてもう終わったとばかりに出ていこうとする。
「それも演技か?」
御神楽がジト眼で担当医を睥睨すると彼は振り返ってこう答えた。
「え?」
「時間が余ったな」
先程電車が発車してしまって次の電車は一時間後なので、その間の暇を潰すべく御神楽は都会を散策する。一時期はゲームセンターやらカラオケやらで熱気溢れ、若者が闊歩する街並みだったが今はその面影も失せてしまっている。閉店や空き地が目立つ都会というのは不思議な雰囲気を醸し出していた。この現象の原因は電力不足によるものが大きく、店側は極力電気を使わないようになったからだ。石油など天然資源の輸入が途絶えた今、太陽光発電など自然エネルギーでしか電力の供給は無くなってしまった。
「と、言っても人は娯楽がなければ作り出すからな」
娯楽施設だった場所の建物は撤去されてリングやゴールポストが立っており、御神楽と同じ年代の子がスポーツを興じていた。
「ん? どうした、入りたいのか」
御神楽が見ていたことに気付いた若者がバスケットボールを手に止めて声をかけてきた。
「ああ、僕は新人類だがいいか」
「超能力を使わなければ問題無いぞ」
「分かった、それなら参加させてもらおう」
人類と新人類が対立しているからといって全てがいがみ合っているわけではない。現に今の若者の様に関係なくスポーツに興じることもある。
御神楽は荷物を置き場に置いてバスケットの四対四をプレイした。御神楽が入る前は一人余りの三対三だったが加入することによって四対四が可能となった。御神楽はしばらくの間全てを忘れてバスケットに熱中した。
「お前シュートがすごいな、もしかして現役か?」
「いや、久しぶりだ」
いい時間になってきたのでバスケットそのものを終わらせる。いい汗をかいた御神楽はその場に座り込んで大空を見上げた。吸い込まれるような青さが印象的だ。
「また今度会ったらやろうな、次は負けねえぞ」
引き揚げていく七人の若者の一人がそう言い残した。残りの一人が「何言ってんだよ」と頭を小突く。彼らは笑いながらその場を後にしていった。
「こういうのも良いな」
一人残された御神楽はごろりと地面に寝そべる。汗によって砂が服に張り付くのを実感するが今は気にならない。つまりそれぐらい御神楽は気分が良かった。
「やはり都会は良いな」
学園では良くも悪くも有名なので島にいる誰もが御神楽を知っている。ゆえにちょっとした行動でもすぐに注目を集め、さらに誰も近寄ってこない。
しかし、都会は御神楽を知っている人の方が少ないので特段変わった態度を取らずに普通に接してくれる。これが御神楽にとって嬉しかった。
「さてと、そろそろ行くか」
このままずっと寝ころびたかったがそれをすると帰る電車が無くなってしまう。名残惜しく感じながらも御神楽は体を起こして荷物を手に取った。
だが運命はそのまま御神楽を終わらそうとしない、その後ろから不敵な影が近づいてきた。
「なーに青春しちゃってんだよ御神楽圭一?」
ねっとりと、粘着質のある声音で御神楽を呼び止める。
「人違いだ」
御神楽が振り向きもせずその場を後にするのは戦場に刷り込まれた本能が警鐘を鳴らしていたからだ。相手にするなと、後ろにいる人物は危険だと訴えている。
だがそれを許してくれる相手はいない。その人物は御神楽の方を掴むと強引に引き寄せてこちらに顔を向かせた。
「御神楽よぉ、何ぬるま湯に浸ってるんだぁ? 平穏に生きて得る幸せじゃあ人生は楽しめねえぞ?」
大柄な体躯に張り裂けんばかりの筋肉、そして瞳に宿る獰猛な光から獣に見える。それも単なる獣ではない、己の視界に移ろうものなら例え誰であろうと喰い殺してしまいそうな凶暴な獣であった。
御神楽は自分の方を掴んだ人物に面識はなかったが、一人思い当たる人物が浮かんだ。
「『最狂』鬼河原炎危か……」
「その通りだ、『最強』御神楽圭一」
鬼河原は嬉しくて仕方ないといった笑みを浮かべているのに対して御神楽は最も合いたくない人物と会ったように顔を歪めていた。
御神楽と鬼河原は会うことが無かった。それは二人があまりに突出していたため同じ作戦に振り分ける必要がないためであり、また御神楽と鬼河原は性格の違いからでもあった。
めんどくさがりの御神楽はいかに効率良く作戦を遂行させるか考えるので戦局に重大な影響を及ぼす戦場によく派遣された。どんな困難な場面でも御神楽は与える損害を痛烈に、受けた被害を最小限に抑えて任務を遂行していたためいつしか『最強』の御神楽と呼ばれるようになった。
そして殺しが大好きな鬼河原は作戦そっちのけで敵を虐殺するので敵を殲滅する場面によく起用された。無抵抗の敵でも抵抗なく、見境なしでも見境なく敵を殺す。十代前半の少年とは思えない非人道的な行為を次々と行ったのでいつしか『最狂』の鬼河原と呼ばれるようになった。
なお、余談として『最凶』と呼ばれた人物も存在する。
「一度会ってみたかったんだよなぁ」
「僕は会いたくなかった」
「つれないこと言うなよ」
鬼河原はニヤリと唇の端を吊り上げて御神楽の肩を叩く。本人は軽く触ったつもりなのだろうが御神楽にとっては大きな岩を押し付けられたような重圧がかかった。
「クハハ、やわいなぁ。本当にあの御神楽かぁ?」
肩にかかった重圧に苦しんでいることが顔に出ていたらしい。鬼河原は御神楽に顔を近づけて嘲笑した。
「人違いだと言いたいがもう答えてしまっているからな。そうだ、君の目の前にいる人物があの御神楽だ。さあ、もういいだろう。電車の時刻が迫っているから放してくれ」
その挑発に乗らず、肩にかかった手をどける。
「少し付き合えよ。電車ぐらい一本遅らせても良いだろう?」
そのまま通り過ぎようとした御神楽をまた鬼河原が道に立ち塞がった。
「断る、僕には用があるんだ」
「嘘だな」
御神楽が言い訳をすると間髪をおかずそう言い返した。
「何故そうだと分かる?」
「勘だ。お前に急用はない」
御神楽は鬼河原に優れた直感力があることを失念していた。戦争中、あれだけの間死に晒されてきたのだから御神楽も勘は多少身についているが、それでも御神楽より長い間戦場に身を置いてきた鬼河原には及ばない。戦場で勘が働かずに危険を察知できない者は真っ先に死んでいくのが世の常だった。
御神楽が佇んでいると鬼河原は踵を返して御神楽に手招きする。
「来いよ、再開にちょうど良い場所があんだ」
鬼河原はそう言って店が立ち並ぶ脇の路地裏を歩いていった。
表通りの治安が良いからといって裏もそうだとは限らない。むしろ表通りのゴミが裏に追いやられてしまい、衛生も治安も天地程の開きがある。
「ここだ、いい店だろう」
鬼河原は寂れた店の前で止まり、御神楽に感想を聞く。
「まあ、裏通りにしてはましな方だな」
他の店と比べてまだしゃれっ気がある。薄汚れて黒く、全体的に古びた印象を与えるが、店の前で光るネオンが昔ながらもスナック店を彷彿とさせた。
「クハハ、そうかそうか」
何が嬉しいのか鬼河原は喉を鳴らして笑う。
「おーい、入るぞー」
中には数人のグループがいくつかたむろしていた。見る限り茶髪やピアスをしている者が多く、昔風に言うと不良だった。
「あ、鬼河原さん。ちわ」
一人の不良が鬼河原の存在に気付いて挨拶をするとつられて他の不良もそれに習う。どうやら鬼河原の立場は彼らを纏めるヘッドの様な存在らしい。
「鬼河原さん、その連れは誰っすか?」
不良の内の一人が御神楽に気付いて質問する。鬼河原はニカッと笑って御神楽と肩を組み。
「俺のダチだ」
と述べた。御神楽としてはダチでも親友でもなく、噂は知っていても会ったことのない他人という位置づけなのだがそう答えることは出来なかった。
「へえー、女みたいな奴っすね」
「手を出すなよ。こいつはお前らが束になっても敵わねえぞ」
「そりゃおっかねえ」
不良は大げさに肩を抱いて身震いした。その演技に鬼河原を始め不良が爆笑する。
「まあとにかくこいつには手を出すな。命がいくつあっても足んねえぞ」
「気を付けるっす」
それを最後に不良は各々のグループに戻って鬼河原が来る前の様相に呈していった。鬼河原は一番奥の他より豪華なソファにどっかりと腰を落として御神楽へ近くに座れと勧める。
「久しぶりだな」
「僕達は一度もあったことが無いぞ」
「ジョークだ」
鬼河原はまたクカカと笑った。その間に不良の一人が気を利かせて飲み物を持ってくる。
「お前もどうだ」
飲み物から仄かなアルコール臭が漂ってくるから推察するにそれは酒らしい。御神楽は首を振って辞退する。
「まあ、そうだろうな。お前はこっちだ」
鬼河原は手をパチンと鳴らすとその不良が別の飲み物を持ってきた。橙色の液体から漂う柑橘系の甘い匂い――オレンジジュースだった。
「すまない」
御神楽は礼を述べてそのジュースを口に含んだ。スッキリとした酸味が口の中に広がる。
御神楽は少年兵の時代、アルコールやクスリなどといった嗜好品に全くと言っていいほど興味を示していなかった。殺し、殺される日々のストレスから逃れるために少年兵のほとんどがそういう類を服用するのが一般的だった。そのため御神楽は少年兵の中で例外の存在として注目を集めており、それが鬼河原の所まで届いていた。
ちなみに御神楽曰く、酒やドラッグは脳や体を壊す危険性があり、わざわざ自分から不利な状態に陥らせてどうする、との弁だった。そのストイックな理由での抑制が更に『最強』御神楽を作り上げていったのは言うまでも無い。
「青春しちゃってるねぇ」
鬼河原はグラスを傾けながら御神楽に問うた。それは先程のことを言っているのだろう。
「いいや、それを含めた学園生活でのことだよ。戦場長時間過ごしているにも関わらず何事も無かったかの様に学園生活を送り、なおかつ生徒会の副会長まで務めている。まさしく青春以外の何物でもないわぁ」
「どこでそれを知った?」
御神楽は鬼河原を見据えた。御神楽と鬼河原はこれが初対面であり、さらに御神楽が通う夢宮学園とは遠く離れており、間違ってもすぐに行ける距離でなかった。だが鬼河原は表情を変えずに。
「まあ、調べた」
あっけらんとそう述べた。確かに調べたことは分かるのだがそれをどうやったのかが知りたい。これまで何度もここに通ってきたが誰かに付けられた覚えもないし学園で不審な人物に出会ったことも無いはずだった。
「おいおい、不良の情報網を舐めんなよ。その気になりゃお前が朝に何回咀嚼したかもわかるぜ……ってそれは冗談だけどな」
鬼河原はまたクカカと笑う。しかし、御神楽は笑う気分になれなかった。己の知らない間に調べられているというのは気分が悪い。
「気にすんな。少なくとも学園に手を出そうと思わねえ」
「そうなのか?」
予想外な言葉が鬼河原の口から飛び出した。てっきり御神楽は学園での生活を荒らされたくなかったら仲間に入れ、と言いそうな予感がしていたからだった。
「ああ。御神楽よりももっと恐ろしい存在がいるからな」
鬼河原から冗談の様相は感じられない。どうやら腹の底からの言葉らしい。
「学園長の娘の夢宮翼って一体何なんだ? 俺は戦場で御神楽を含めてイカレタ奴に多数出会ったがあいつはその中でも別格だ。あの小学生の体にどんなモノを詰め込んでいるか想像がつかねえ。一度遠目に見た時、俺は直感したよ。あいつと関わるとロクな目に会わねえと」
「……」
御神楽は鬼河原の弁を黙って聞いていた。鬼河原が翼に抱いている感情は御神楽にも理解できる。普段から翼が突然現れたと思いきやめちゃくちゃに掻き回し、次の瞬間には勝手にいなくなっているにも関わらず御神楽は翼を非難しようと思わない。万が一翼の不興を買うととんでもないことになってしまうと本能が強く訴えていたからだった。
「話が逸れたな」
鬼河原は咳払いして話を戻そうとする。そしてアルコールで喉を湿らせてから口火を切った。
「御神楽、戦場に戻りたいとかは考えねえか」
御神楽の想像通り、戦争の話題を切り出した。
「俺達は戦場で長い時間を過ごした。あの濃密な時間を当たり前だと考えていた頃から今の日本の平和な空気に飽き飽きしてこないか」
戦争を経験した兵士が日常に戻りにくい原因の一つとして兵士が平和な時間の薄さに耐えられないことが挙げられる。戦場での興奮を覚えてしまったばかりにそれ以外の出来事が薄く感じられ、楽しみを見出すことが出来なくなってしまうのだ。
「飽きはしないが孤独感はある」
御神楽の場合は少し違う。学園生活が退屈といえば退屈だが別に耐え切れないほどではない。御神楽は退屈以上に孤独が辛かった。何をしても何をやられても他の皆と感情を共有することがない。例えるなら、言葉の通じる外国人に囲まれているようなものであろうか。ただ一人、その場に取り残されているのが今の心境だった。
「だろう、俺の知り合いに密入国を生業としている奴がいる。そいつに協力してもらって国外に脱出するってのはどうだ?」
鬼河原は平和な日本から飛び出して戦場に戻ろうと誘っていた。確かに今の学園では孤独によって押し潰されそうなため思い切って外国に飛び出すのも良い。別に戦場に行く必要はなく、自分の居場所を見つけるための旅をしても良い。考えれば考えるほど魅力的な案だったが。
「だが断る」
御神楽は一刀のもと誘いを断った。鬼河原が理由を聞く。
「色々理由はあるが、やはり夢宮学園に入学させて貰ったことだな。あそこで誓約を交わしたんだ、学園を自ら辞めることはしないと」
御神楽は約束を守る性質である。一旦約束をするとどんなことがあろうとそれを厳守する。実際これまでの中で御神楽が約束を破ったことなど数えるほどしかなかった。
「それにあそこは僕を受け入れてくれた恩がある。だから三年間は耐えようと考えている」
御神楽の様な元少年兵を受け入れてくれる学校などロクにない。ゆえに御神楽は国指定の特別学校に入る予定だったが夢宮学園側から申し出があった。入学金・学費無用そして奨学金を付けるという破格の条件だ。御神楽は一度特別学校に体験入学してみたが、あのオンボロな校舎で三年間過ごすくらいなら待遇の良いそちらに行こうと決めた。
「クハハ、予想通りの答えだな」
御神楽が断ったにも拘らず鬼河原は嬉しそうに笑う。
「結構結構、それでこそ『最強』御神楽圭一だ」
何物にもなびくことはない。自分の決めた約束を貫き通す意志の高さが御神楽を御神楽足らしめていた。
「さて、もうそろそろ本題に入ってもらっても良いかな」
「何だ、分かっていたのか」
「当り前だろ。そこまで調べている君が僕の返答を予測していないはずがない」
「クカカ、確かにな」
鬼河原は膝を大きく叩いて爆笑する。ひとしきり笑った後にあの獰猛な笑みを浮かべた。
「御神楽、俺はここ一年本気で戦ったことがない」
「確かにな」
御神楽は同意する。戦場で培った超能力など平穏な環境で使用することなどほとんどない。先日御神楽の超能力もあれ一回きりであり、他で使用することなどなかった。
「だから俺はもう爆発寸前なんだ」
指をワキワキと動かし舌を舐めずりして抑えきれない感情というのを表現する。
「なあ、御神楽。本気で殺させてくれ」
「分かった、なら表に出よう」
そんなことだろうと思っていた。
御神楽は鬼河原の性格から単なる話し合いで終わるはずがないと予想していた。絶対に溜まりに溜まったエネルギーは爆発させるはずだ。今までは平和に凝り固まった不良または戦闘のプロのヤクザなど全力でぶつかる相手ではない。特に後者は全力を出すまでに勝負が決まっている。その意味だと鬼河原が全力でぶつかりなおかつ反撃できるのは同じ戦場を経験している御神楽のみだった。
裏通り一丁目は喧嘩や争いが絶えない場所なので無法地帯である。普段は喧騒に満ちているのだが今回ばかりは違った。ここいら一帯を治めるヘッドの鬼河原が御神楽を連れて現れ、死にたくない奴はここから去れと宣言したからだ。
不良達は鬼河原の喧嘩にヒートアップし、瞬く間に近場の不良達が集まってきた。それらを眺めながら御神楽は一言。
「ここで負けたら一大事だな」
不良の世界というのは実力社会である。その上に立つ人間が少しでも弱みを見せると人はすぐに離れていってしまう。ゆえに御神楽は鬼河原のこの後の心配をした。
「クハハ、もう勝った気か? 御神楽」
「その通りだ、僕の呼び名を忘れたわけではないだろう『最強』の名を冠しているからな。実際君相手にも負ける気がしないのだが」
「クハハ! 結構結構」
「手加減したら?」
「ぶっ殺す!」
その言葉と同時に鬼河原が手にサッカーボール大の炎球を生み出して御神楽に投げつけた。
鬼河原の超能力は熱エネルギーを扱うことに特化させている。これは一つの系統を徹底的に鍛えるスペシャリストタイプをさす。性格としては熱中すると周りが見えなくなるタイプが多い。鬼河原も殺しに熱中すると周りが見えなくなるのでこのパターンだと言えた。
「まずはこれだ」
灼熱を迎撃するために御神楽は空気中の水分を凝結させて氷の壁を作り出した。厚さ十cmは下らない分厚い氷壁だったが、襲いかかるのは何千度という高温の炎。一瞬耐え切ったものの次の瞬間には高密度水蒸気をまき散らしながら蒸発した。
対する御神楽は重力だけでなくオールマイティに超能力を使えるジェネラリストタイプ。念力や振動などほぼ全ての超能力が使える。性格的には器用なタイプが多く、御神楽もやる気になれば大抵出来るのでこのパターンに当てはまる。
「さて、どこにいるかな」
御神楽は振動を発してその反射から鬼河原の位置を正確に掴む。そして鬼河原がいるであろう方角に渾身の力を込めて超重力場を発生させた。
ゴシャア
と、コンクリートが潰れる音が響き渡る。超重力によって鬼河原のいる位置から同心円状に陥没が起こり、舞い上がるであろう粉塵もすぐに落下して抑えつけられた。その際周りに漂っていた霧も自重によって水滴へと変化し、視界が晴れる。
「さて、これで終わりというわけではないよな」
「その通りだよ」
ゴバアッ
と轟音が響き、御神楽の周囲のコンクリートが溶解する。
「まずい!」
御神楽は己の重力を操作して体重を軽くさせ、安全地帯へと避難した。
炎を操る系統は数ある超能力の中でも最も攻撃力が高い。その破壊力も去ることながら連射性も速効性も兼ね備えた、相手を撃滅するための能力といっても過言ではない。その意味では戦闘狂の鬼河原が炎を操るに関して天賦の才を持っているということは相手にとって最悪の選択と言えるだろう。
「だが、攻撃力が高いからといって勝つとは限らない!」
御神楽は風を操ってカマイタチを作り出し、鬼河原へと放った。御神楽の作り出したカマイタチは相手に切り傷を与える程度の威力だが、それが一本でなく何本も放つと事情が違ってくる。例えるならミツバチの針だ。それは単発なら効果は薄いが、ミツバチが何十匹も襲いかかられると最悪命の危機になる。しかもカマイタチが作り出した真空によって満足に炎が生み出せなかった。鬼河原はなす術もなく風の餌食となる。
「ふざけんなぁぁぁぁ!」
全身血まみれとなった鬼河原は地面に手をついた。すると鬼河原の手の部分からコンクリートが溶解を始める。
そしてその半液体の物質を周辺にぶちまけて風を消した。
「なるほど、よく考え着いたな」
空気中は風によって御神楽の支配に置かれているため炎を出すことは難しい。それならば空気でなく地面から作れば御神楽の支配を受けていないので炎を生み出すことが出来た。
「と、言っても地面から炎を生み出すのは容易なことでないのだけどな」
空気中には酸素があるのだが、地面にはそれがない。つまり炎を増幅させることは困難を極めるはずなのだが鬼河原はあっさりと行った。やはりエキスパートの鬼河原は地力もずば抜けていた。
鬼河原はそのまま地面を溶解させて灼熱のマグマを量産させようとする。だがそれを黙って見逃すほど御神楽は甘くない。
「させると思うか!」
御神楽は鬼河原と同じように地面に手を着く。しかし、鬼河原と違ってマグマを作り出さず、振動を起こした。
そして数秒後に大地が揺れた。
ドガガガガガガガ
と、思わずよろけてしまうほどの地震が辺り一帯を襲う。
「……この程度か」
御神楽は起こした地震の弱さに歯噛みした。戦場にいた頃ならば誰もが立っていられなくなるほどの揺れを起こさせたものの、今はよほど不意打ちでなければ効果はない。
「しかし、目的は達成できたな」
揺れこそは微弱だったが鬼河原が作り出していたマグマは統制を失ってバラバラに分裂していった。
「クハハハハハハハハハハ!」
鬼河原は大笑いする。それも顔面のパーツが壊れそうなほど口を大きく開けて爆笑していた。
「いいねぇ、いいねぇ。最高だねぇ!」
そして鬼河原は吼えた。元から大柄な体格の鬼河原だったから鼓膜が破れそうなほどの大音量が御神楽を襲う。
「さすが『最強』! いったいどれほどの超能力を使えるんだぁ、想像がつかねえ!」
御神楽を最強たらしめているものの一つとしてその豊富な超能力が挙げられる。いくらジェネラリストとでも扱える超能力はせいぜい五、六個。しかも戦場で実践できるレベルとなると二、三個あればましな方だと言える。
結論としてジェネラリストは戦場に向かない。実践で使えない超能力がいくつあっても意味がないからだ。
それゆえに戦場での新人類の兵士はほとんどがスペシャリストであり、ジェネラリストは運搬や後方支援など雑用が主な仕事だった。おそらく少年兵で戦場に出るジェネラリストは御神楽一人のみだろう。
「まだまだいくぜ!」
鬼河原は両手に高温の青い炎を生み出す。それは炎と酸素が程良く混ざり合った場合のみ発生する色でその潜在エネルギーは鉄をも焼き切れた。
「そんなものを喰らうと思うか」
御神楽はステップを踏んで的を絞らせないようにして鬼河原を幻惑させる。どれだけ威力が強くとも当たらなければ攻撃力は無きに等しいのだから。
「その通りだ、御神楽よぉ」
鬼河原の青炎を避けながら御神楽の威力は小さいが確実にダメージを与えていく。そしてその攻撃を喰らいながら鬼河原は笑っていた。まるで面白くて仕方ないといいた風に――いや、実際面白いのだろう、これほどの長期間戦い続けた記憶など日本に連れ戻されてから無かった。鬼河原はどんどん昔の錆ついた勘が取り戻されていく。
「なっ!?」
鬼河原の後ろに回り込んだはずなのだが、急に向きを変えて御神楽と相対する。
「次はねぇぞ」
だが鬼河原は御神楽に攻撃を仕掛けることなく御神楽を見逃した。鬼河原の様子が変わったと感じ取った御神楽は試しにカマイタチを数本飛ばしてみた。
先ほどは体を丸めて防御するのが関の山だったはずだったのだが、驚くことに鬼河原はカマイタチ全てを避けた。
「少し遅くなったんじゃねえのか?」
鬼河原の挑発に御神楽はとぼける。間違いない、鬼河原は戦場の感覚を取り戻し始めている。このままだと時間が経つごとに不利になると判断した御神楽は新たな策を考えだそうとしたが。
「次はねえって言ったろ」
「!!」
御神楽が考え事を止めると同時に青色の炎柱が御神楽を襲った。
「すげえ、さすが鬼河原さんだ」
「ああ、あれほどの炎を生み出せるのは鬼河原さん以外見たことねえ」
野次馬の不良が口々に鬼河原を称える。
「あいつは死んだな」
「しかし、あいつはよくここまで耐えたな」
もうもうと上がる煙の中にいる御神楽についてそう判断する。確かに千五百度前後の炎を喰らって無事に済むわけがない。よくて真皮火傷、最悪死といった風にこれ以上御神楽に戦える力など残っていないというのが皆の見解だった。
「……死ぬかと思ったぞ」
だからこそ煙が晴れて御神楽が現れた時、鬼河原さえも驚愕した。
「お前……」
周りの野次馬はおろか鬼河原さえも呆然とした様子で指をさす。両腕は炭化して欠け、さらに顔も火傷でひどい状態となっている。だが、御神楽の体はすでに再生を始めており、しばらく経つと炎を受ける前の状態へ戻った。
「肉体再生――数ある超能力の一つだ。僕の場合は頭さえ無事なら瞬時とはいかないまでも再生できる」
御神楽は頭をコツコツと叩きながら説明した。御神楽の切り札と言える超能力――オートリバース。その再生力により例え死ぬほどの大けがを負おうが即死でない限り死ぬことはない。御神楽が素人で危機察知能力が未熟だった際にこれよって何度も助けられていた。もしなければとっくの昔に死んでいただろう。
「……肉体再生」
「すげえ始めて見た」
野次馬達が口々に御神楽の超能力について噂する。数ある超能力の一つだが、肉体再生は希少能力といって扱える者はごく少数だった。だが希少能力を持つ能力者に勝つのは難しい、常識が通じない超能力のため普段の攻略法では意味がないのだ。
「クハハハハハハハハハ!」
突然鬼河原が哄笑した。天を仰いで空を眺め額に手を乗せる。
「お前、すげえよ、ぶっとんでるぞ。俺もイカれている部類だがお前はそれ以上だ」
鬼河原の問いに御神楽は簡潔に一言答えた。
「言っただろ。これが『最強』だと」
類希なる信念を持ち、多くの実践レベルの超能力を操りなおかつ希少ともいえる超能力も保持している。これが御神楽圭一だった。
「さて、まだ続けるか」
御神楽は鬼河原に確認する。鬼河原は攻撃を受ければその分動きは低下するに対し、御神楽は普通に動ける。つまり、相討ちが起きると御神楽の方が有利であり、さらにダメージは鬼河原のみ溜まっていく。始めから御神楽にとって有利な戦いなのだ。
「もちろんよ。いいねぇ、いくら殺しても死なないっていうのは!」
そこは戦闘狂である『最狂』鬼河原。慄くどころか嬉しくて仕方ないとばかりに両手の炎を噴き上げる。
「なら、気の済むまで付き合ってやる」
「望むところよ」
再度御神楽と鬼河原が激突する直前甲高い汽笛の音が鳴り響いた。
「そこの二人、なにしてる!」
青い制服に身を包んだ男が怒鳴りながらこちらに向かっているのを確認した。
「やべえ、サツだ」
「ずらかるぞ」
途端周りの不良が塩を引くようにサアーっと散り散りになっていった。
「ちっ、やりすぎたか」
鬼河原は地面に唾を吐く。周りを見渡すと二人を中心に通りは大惨事になっており、コンクリートの溶解や辺りに走った亀裂、燃え尽きた物体などが散乱していた。
「さすがに捕まるとまずい、僕はもう去るぞ」
巻き込まれたとはいえ御神楽は副会長である。喧嘩をしたという醜聞が広がるのは都合が悪い。なので御神楽は警官がいない方へ逃げようとすると。
「御神楽、また会おうぜ」
御神楽の背中に鬼河原がそう投げつけてきた。