王子攻略後に体を返されても困ります!!
私の名前はロゼッタ・アーベル、もうすぐ十六歳。栗色の髪の平凡な容姿、可も不可もない中立の伯爵家に生まれた普通の令嬢だ。
今日は王立学園の入学の日。貴族として恥ずかしくない振る舞いをしなければならないと緊張しながらも、どんな出会いが待っているのか、どんな三年間になるのか、期待に胸を膨らませていた。
(もしかして、素敵な人と恋愛なんてしちゃったりして…)
目の前に広がる美しい学び舎と明るい学園生活にときめきながら、そびえ立つ門を見上げ、一歩を踏み出した――その瞬間。
(――あ、れ……?)
視界がぐにゃりと歪み、魂を後ろに引っ張られるような感覚を受け―――私の意識はそこでプツリと途切れた。
◇
――唇に、温かい何かが触れている。随分と久しぶりに感じる五感。
それを手繰り寄せるように、僅かな眩しさを感じながら瞼を開けると…
「――っ!???」
頬に添えられた大きな手、目の前に長いまつ毛、唇に当たる柔らかな感触……これは…
(キスされてるッ!!?)
なんで!?なんで!??相手から漂う良い匂いにも頭の中がパニックになる。
まさか、さっき門で気を失った時にうっかり呼吸が止まってしまってて、人工呼吸というやつを施されてるとか?
ともかく私の呼吸は問題なさそうなので、その事を伝えるべく相手の腕を小さく叩くと、男性は静かに唇を離した。聡明な光を湛える青い瞳と視線が合い、思わず息を呑む。
「……りゅ…リュシアン、王太子殿下…??」
「…今更どうした、ロゼッタ」
見間違えるわけもない。彫刻の様に美しいご尊顔、水色のさらっさらな御髪、見下されたい一部のコアなファンがいるというクールな眼差し!
いや、顔、近っ!!!
かつて見た姿絵よりも少し大人びている気もするけど、実際にお目にかかった事が無い王子様が、目の前に立って何故か私の名前を呼んでいる。
顔を赤くしてあわあわと戸惑う私に、殿下が不思議そうに首を傾げた。
「これはお前の要望だろう」
「こ、これ…って?」
カタコトになりながらも聞き返すと、殿下は青い瞳を細めながら親指で私の唇にそっと触れる。……つまり…。
(さっきの人工呼吸の事ですか!??)
確かに意識は失ったけど、王子様にそんな大それた事をお願いした覚えはない!!
(待って、人命救助の費用請求は勘弁してください!王子様の人工呼吸代っていくらするの!?絶対高額だよね!??
入学に興奮しちゃっただけで、けしてこちらもわざと倒れたわけでは…)
そこまで考えて周囲の様子に気づく。
気を失う前の私は王立学園の門にいたのだけど、なぜだか場所が変わっていた。室内だ。
意識不明者が運び込まれたにしては場違いなきらびやかなホールで、私達が立つ階段の下には着飾ったたくさんの貴族達がいる。
(え…なに、この雰囲気…!?)
人命救助にしては殿下も豪華な衣装をまとっており、よくよく見れば私も水色の輝くドレスを着ていた。なにこのアクセサリー!眩しい!高そう!!
(えぇ…学園は!?制服は!??そもそも立ったまま人工呼吸とかありえる?
なにが、どうなって…!?)
気を失う前後で状況が変わりすぎている。明らかに様子がおかしい。頭が追いつかない。
そんな私の混乱を他所に、割れんばかりの拍手と歓声が会場に響き渡った。
「おめでとうございます、リュシアン殿下!ロゼッタ様!」
「素晴らしい婚約式だ!」
「ロゼッタ様は学園を首席でご卒業されたとか…」
「まぁ、素晴らしいわね」
婚約式…?卒業…?聞こえてきた言葉に私の頬がヒクリと痙攣する。
私と殿下に集まる視線で、誰と誰の婚約式だなんて聞かなくてもわかってしまった。
「――王太子殿下…私、今何歳かご存知ですか…?」
「?十八だろう。来月誕生日だから盛大に祝えと騒いでいただろう」
私の突然の質問に訝しみながらも小声で返してくれる殿下。じゅうはち。『もうすぐ十六歳』じゃなくて『もうすぐ十九歳』。
「――私の、三年間…どこに消えた…!?」
それだけ呟いて、私の意識は再びブラックアウトするのだった。
――楽しみにしていた学園生活は、一秒も経験することなく終了していた。
ロゼッタ・アーベル、十八歳。学園卒業後の春。
彼女は三年間の記憶を丸ごと失った状態で、王太子の婚約者になっていた。
◇
――真っ暗な意識の中で誰かの声が浮かび上がる。私の声なのに、私じゃない。
『え〜うっそ、ヤバっ!異世界憑依じゃん!!これヒロイン?勝ち確〜』
『ろぜった・あーべる?これあのゲームじゃん!え、絶対王子攻略しよ!ゆめりお姫様になれんじゃん、ヤバっ』
『この世界でお姫様になって、ゆめりの事ブスとか言った奴ら見返してやる…!あいつらの方がクソブスだし!死ね死ね死ね死ね!!』
ユメリ…?誰…??
知らない誰かが私の体の中に入って、悪態をついているのが分かった。
『選択肢も覚えてるから余裕って思ったけど、全ステータスMAXとかエグくない?王子攻略やめよっかなぁ…。でもイケメンだし王太子妃とかマウント取り放題だしなぁ』
ユメリは私には理解出来ない単語をよく口にしている。
『テスト勉強面倒だから秀才クンに要点ノート作ってもらっちゃった〜。ロゼッタの顔って地味だけど、あーゆうオタク系に好かれるよねぇ。ウケる。
今後も使えるように、おっぱいでも押し付けといてやろっかなぁ。んー逆に弱み握っちゃう?』
…うん?ちょっと待って??
『逆ハーエンドとかあり?他の攻略対象にも粉かけちゃおっかな〜。でもゆめりお姫様になりたいしぃ、王子狙うならさすがに処女じゃなきゃダメかぁ〜。えーバレなきゃいいかな?』
おい、人の体で何しようとしてる!?
『うわっ、悪役令嬢うっざぁ。お嬢様言葉もキモいんだけど。イングリット様に虐められてる気がしてぇ…きゅる〜んとか被害者ぶって、絶対破滅させてやろっと!』
イングリット様って、公爵家のご令嬢!?悪役令嬢ってなに!?
『ウケる!!ちょっと煽っただけで人前で叩いてきた!悪役令嬢ざっこ!物隠されたとか服破られたとか広めて、もっと追い詰めちゃお〜』
………。
「――っなんだこの女ーーーッ!!!?」
「!気づいたのか…」
「ひゃっ!?リュシアン王太子殿下!??」
ユメリとかいう女のあまりの傍若無人っぷりに、つい叫び声を上げながら飛び起きてしまった。
気を失ってから見知らぬベッドに寝かされていたようで、傍らに先ほどの衣装のままの殿下がいた。
「ここは…?」
「…王城のロゼッタの部屋だろう?どうした、婚約式から様子がおかしいぞ」
どうやら私は王城に自分の部屋まで用意されていたらしい。どうしよう、本当に婚約者っぽい…。
私が複雑な表情をしていると、殿下が心配そうな表情で私の頬に手を当ててきた。
「疲れが溜まっているようだな。…今日はしっかりと休め」
(う……婚約者へ向けるこの心配を受け取る権利は、私には無い…ッ!)
あまりの居たたまれなさに、ベッドから飛び出しひんやりと冷たい床にダイブして、そのまま土下座する。私の突然の行動に殿下が僅かに瞠目した。
「――っごめんなさい!私は王太子殿下が知ってるロゼッタじゃないんです…!!」
「……どういう事だ?お前は…ロゼッタ・アーベルではないと言うのか」
「いえ、生まれた時から正真正銘ロゼッタ・アーベルなのですが、あの、その…なんと言うか……」
言っても良いのだろうか。頭がおかしいと思われないだろうか。精神病院送りになったりしちゃう!?
…いや、でもこのままユメリのフリして婚約者の座に居座るほうが話が拗れそうだな…。困ったことに状況も全く分からないし。
「……実は…」
殿下にソファに座るよう促され、そこでありのままを伝えた。
入学の日の朝から記憶が無い事、次に意識が戻ったのが婚約式だった事、そして先ほど夢で見た『ユメリ』なる人物の事…。
震える両手をギュッと握りしめて話し終えると、殿下は少し考えた後、淡々と口を開いた。
「…つまり、私が知っているロゼッタは、ユメリという女が乗り移った人物だったという事か」
「はい……」
「お前の最後の記憶は三年前。学園の正門をくぐったところまでで、学園生活の記憶は一切ない、と」
「はい……」
「私と出会ったことも?」
「今日が初対面です……」
「なるほど。そうだろうな」
殿下のあまりにも冷静な態度に、私の方が不安になる。
「お、王太子殿下…信じていただけるのですか?」
「信じるしかないだろう。少なくとも、昨日までのお前ならそんな呼び方はしない」
「ユメリはどんな呼び方だったんですか?」
「人前では『リュシアン様』、人目がなければ呼び捨てにしていた。話し方ももっと馴れ馴れしかったな」
ひぃっ!ユメリ的には三年間の交友があっての態度なんだろうけど、なんと恐れ多い!!
「お前もそうするか?」と何気なく言われて、思わず全力で首を横に振ってしまった。
殿下は少し考えるように視線を逸らし、それから続けた。
「では…昨晩、薄着で私の寝室にやってきたのもお前ではないのだな」
……なんだって????
「…………えーと……昨晩、なんと?」
「薄着で私の寝室に」
「ひぃぃぃ…!!ぜぇっったいに、違います…!!」
「だろうな」
(人の体で何してくれてんのユメリぃぃぃっ!!?)
奔放過ぎる憑依者に頭を抱えた瞬間、私の脳裏に甘ったるい声が蘇った。
『――ねぇ、リュシア〜ン。明日には私たち婚約するんだよ?だったら今夜からでもぉ…』
「あああああああ!!」
「どうした」
「いえちょっと記憶が蘇ったようで死にたくなっただけです…!!!」
「そうか」
信じられない。痴女じゃないか!!
なんならピンクのスケスケネグリジェまで思い出してしまい頭が痛い。
「そ、それで…まさか!?」
「部屋に戻した。婚姻前なので当然だろう」
「殿下がまともな人で本当に良かったです……!」
知らぬ間に致して無くて本当に良かった。安心したあまり、思わず殿下を評価するような言葉が出てしまったけれど許してほしい。
だけど、問題は何一つ解決していない。
「――王太子殿下」
「なんだ」
「ユメリと殿下は…その、婚約をしたのですよね?」
「そうだな。今日の婚約式で誓約書にサインをした時点で、正式な婚約として扱われている。
ちょうど口づけの……お前が目覚める直前だ」
もう少し早くに目が覚めていれば、ユメリのサインを阻止出来ていたかもしれないのに。
そして殿下から告げられた『口づけ』というワードに急激に頬が赤くなる。
三年間の学園生活で素敵な恋を、なんて考えた次の瞬間に王子様とキスしてるなんて…!こんなハプニングは求めていない…!!
「えっと…今更、この婚約を無かったことには……」
「出来ない」
即答だった。
殿下は何かを思い出すように、机の上の花瓶へ視線を落とす。
「今日のために諸外国からも使節が来ている。今さら撤回すれば国家間の問題になるだろう」
「そうですよね…」
中身が違ってたのでこの婚約なーし!だなんて発表すれば国内外が混乱するのは当然だろう。
最悪、私は頭がおかしくなった扱いで精神病院か、憑依を信じてもらえたとしても研究所にでも送られるかもしれない…。
私ががっくりと肩を落としていると、殿下はまるで事務的な相談をするように言った。
「だから、選択肢は二つだな」
「二つ、ですか?」
「ああ」
淡々とした声のまま殿下は頷き、指を一本立てた。
「一つ。お前が不慮の事故、もしくは病気で死ぬ」
「死」
待って、一つ目の選択肢からエグい。
カタカタと震える私を気に留めず、殿下は二本目の指を立てる。
「二つ。私と結婚して王太子妃になる。式は一年後だ」
「し……死にたくは、ないです…!!!!」
選択肢が有るようで全く無かった。王太子妃なんてとんでもない重圧だとは言え、それから逃げる為に、体感十六歳にも満たない人生の幕を下ろすなんて早すぎる!
二つ目を選んだと言うより一つ目を拒んだ事で、殿下はその顔に僅かに笑みを浮かべながら立ち上がった。
「私も後者を推奨していた。これまで通り、王太子妃になるために学んでくれ。
父上と母上には事情を説明しておこう」
「ひぃぃぃ…がんばります…」
握手かと思い、出された右手を握り返すと、そのまま手を引かれ私もソファから立ち上がる。そしてふわりと抱きしめられ、頬に唇が…
「わ゙ーーーーーッ!??」
頬にキスされた!!なんでっ!?
思わず叫ぶと殿下も少し驚いた様で、その青い瞳をぱちくりとした後、気まずそうに視線を逸らして口を開いた。
「…すまない。ユメリが離れる時にはこうしろと言っていたのを、つい癖で……」
照れているのだろうか、先ほどまでのクールな様子が鳴りを潜め、年相応に見えるその姿に「うぐっ」と声に詰まる。
というかユメリ、王子様に何を強要してんだっ!!人の体でどんだけラブラブしてたんだお前っ!ユメリを一発殴りたい…!!
「…その、ずっとこんな事を…?」
「この城に来てからだから、ひと月ほどか。
親密アピールにもなるというから続けてはいたが…」
「な、仲が良かったんですね…。では、王太子殿下としてはユメリが消えてしまって……」
『残念ですね』?『淋しいですね』?そんな言葉は上手く出てこなかった。
――だってこの体は元々私の物だ。三年間もの間ユメリに奪われ、自由勝手にされていたという私の認識は変わらない。
そんな人間は消えて当然だと思うし、私が目覚めてしまったと残念がられても…
(正直、困る…。
でも殿下が婚約したのはユメリであって私じゃない。殿下が結婚したいくらい好きだったのは…)
「…私が、ユメリじゃなくて……ごめんなさい…」
ぽつりと口を滑ってしまった謝罪に、少し不思議そうに視線を返された。重い空気にしたくなくて、咄嗟に明るい声で続ける。
「いえ、その、王太子殿下とユメリは相思相愛だったのでしょうし、そこに私が割って入っちゃったなーなんて…」
「…ユメリに恋愛感情を抱いた事実はない」
「殿下的には私が目覚めなければ良か………え??」
「だから、私がユメリを好いていたという事は無い。中立派の伯爵令嬢で成績優秀者、王太子妃として問題が無かったから婚約を結んだだけだ」
「……えーと………そこに、愛は……?」
あるんか??
そんな阿呆みたいな質問をすると、殿下は「愛…?」と初めて聞く単語の様な反応を見せた。あ、もう分かりました。結構です。
わあ、この人すんごい合理主義者だぁ…。
突如脳裏をよぎるユメリの『よっしゃーー婚約者内定ーー!!ついにリュシアン落としてやった!さすがゆめりの魅力!!こっから溺愛の日々よ!』なんていう勘違いした発言よ…。
共感性羞恥心が刺激されるからもう思い出したくない。自分じゃないのに黒歴史とかどういう事。
「ビジネスライクだったんですね……」
「候補者の中で一番都合が良かった。表面上の人間関係は落ち着いていたし、学園を首席で卒業していたしな」
「えっと……私はその婚約者に成り代わらないといけないんですね…??」
「そうだな」
私、学園の授業を一度も受けてないんですが…。無駄にそんな優秀な成績を修めやがって、ユメリを褒めれば良いのか恨めば良いのか最早分からない。自慢のステータスMAXのツケをこんな形で払わされる私の身にもなってほしい。
「安心しろ。信頼の置ける侍女と教師陣を呼んでサポートはする」
そう言い残し、殿下は淡々と部屋を出ていってしまった。残されたのは、三年分の知識と経験がごっそり欠落した十八歳の私だけ。
「ユ〜メ〜リ〜の奴ぅ………!!」
残された部屋で私は震える拳を握りしめ、今は何処かへ消え去ってしまった無責任な憑依者の名前を呟くのだった。
――その後、尻拭いというか、後始末というか、ユメリが王太子殿下を攻略?してしまったせいで、私は王太子妃を目標に毎日を過ごすのだった。
あの日交わした約束通り、私はユメリに代わって王太子妃としての勉強を、そしてユメリに奪われてしまった学園三年分の勉強を一気に詰め込んでいる。
毎日頭がパンクしそうだ。元凶であるユメリに腹を立てて、何本の羽ペンを折ったことやら。五本を超えたあたりから数えるのを止めた。
ただ、ありがたい事にユメリの学びは私の体にも残されていたようで、初めて聞く外国語でも耳が単語を聞き分ける。不思議な語呂合わせが頭に浮かび歴史人物と年号が結びつく。ついでに剣術の授業でも自然と体が動いていた。
(…だからと言って好き勝手やってくれたユメリを許したりはしないけど…!!)
――三年前、私に憑依して最初の長期連休でユメリは、私の家族に会いに行っていたらしい。もちろん私に成りきって。だけど、私の家族はすぐに別人だと気付いてくれた。
そりゃそうだよね、長年一緒に暮らしてきた仲良し家族だもの。
けれど、本当のロゼッタはどこだと詰め寄る彼らに、ユメリは酷いことを言っていたのだ。
『えー、バレてんじゃん。うっざぁ〜。
はいはい、ロゼッタは死にましたぁ。代わりにゆめりがこの身体を王太子妃にしてやるからさぁ、ゲームにも出てこないモブ達は邪・魔・す・ん・な』
思い出すだけで手の中の羽ペンがミシリと悲鳴をあげる。
私が目覚めて家族と再会した時、まだ私の中身がユメリだと思っていた彼らの、あの冷たく硬い表情を今でも忘れられない。もちろん話をしてすぐに本物だと信じて貰えたのだけど、涙を流して喜ぶ家族の姿を思い出すと、ますますユメリの事を嫌いになっていく。
消えてしまったユメリの魂は、ユメリの体に戻ったのか、また別の人に憑依したのか、それとも消失したのか、全く分からないけど…。
(もう二度と私のとこに現れないで欲しい!どっか遠くで罰が当たってますように!!)
そう思ってしまうのは仕方ないだろう。
「――手が止まっているぞ、ロゼッタ」
「ひゃっ、殿下!?」
背後から急に殿下が現れてビックリして羽ペンを落とす。それを静かに拾いながら殿下は、その冷静さを湛える青い瞳を僅かに細めた。
「『殿下』では、ないだろう?」
「………リュシアン様…」
分かってます。ユメリがそう呼んでいたからね!急に私が『王太子殿下』だなんて呼び始めたら、喧嘩でもしたのかと邪推されるからね!!
殿下もユメリへの対応の延長上なのだろう、出会って半年にしては距離感が近い。多分全てユメリのせい。
――半年前、死ぬか学ぶか(要約)を私に突きつけた殿下は、あれから事ある毎に私の様子を見に来てくれる。勉強を見てくれて、無理せぬよう休憩を促して、『頑張っているな』と褒めてくれる。
すごく合理的でクールな人だと思っていたけど、優しいところもあるようだ。あと、少し天然だ。
死ぬか学ぶかの選択肢も、本当に死ぬわけではなかったらしい。『ロゼッタ・アーベル』としての偽りの死。名前を変え、かつての知り合いとも決別し、平民として遠い土地で暮らす事になるだけだったらしい。
その事を告げると『言わなかったか?』と返された。言われてないからこうなってんだ。
(でもまぁ、家族との縁も切るとなると決心がつかなかっただろうなぁ…)
悩みに悩んだ結果、こうして勉強を頑張っているかもしれない。その事を想像して息を吐くように笑った。
そうすると殿下の手が私の頬をそっと撫でた。
「…少し休憩しよう」
「え、まだ大丈夫………いえ、休憩しましょう」
自然に出された手を握り立ち上がる。
そのままエスコートされるように庭園が見渡せるバルコニーへ連れ出されると、ちょうど良い温かさのお茶と甘い焼き菓子が用意されていた。私が疲れたときに甘いものを欲しがるのを、彼はちゃんと把握しているのだ。
最初はユメリのせいで結ばれた婚約だったけれど、私が戸惑い、不満を漏らしつつも必死についていく姿を、彼は一度だって見捨てずに隣で支え続けてくれた。
(……うーん、少し悔しいけど、殿下の優しさが、心の拠り所になっちゃってるのは否定出来ないんだよなぁ…)
向かいの席に着き、テーブルの上で「無理はするな」とそっと重ねられた彼の手。陽の光を浴びて輝く、美しい水色の髪が少しだけ眩しくて目を細める。
(……今は、ちゃんとこの人の隣に胸を張って立ちたいから……頑張ろう)
――どこかの世界のゲームのセオリーでもなく、無責任な憑依者の残骸でもなく。
私は私自身の意思で、重ねられたこの手にそっと力を込め返すのだった。
「そう言えば、イングリットの謹慎が解けて辺境伯子息に嫁ぐことになったそうだ」
「イング……あああ、ユメリの被害者がまだいたぁ!!」
「ふっ…辺境伯子息はイングリットの幼馴染だ。悪い縁談ではない」
◇おわり…?◇
――しばらく学校を休んでいた小林さんが、久しぶりに登校してきた。
以前にも増してどこか異様な雰囲気を纏っており、気味悪がって誰も近づこうとしない。
だけど委員長として声をかけないわけにもいかず、私は意を決して彼女の席へ向かった。
「…小林さん。あの…先週出されてた課題やった?今日が提出締め切りなんだけど…」
「うっさいな!ゆめりはお姫様になるんだから、課題なんてやるわけないじゃん!!」
突如怒鳴り散らし、頭を掻きむしりながらブツブツと呟き始める。
その表情は激しい怒りと混乱で歪んでおり、異様な迫力に思わず息を呑む。
「なんで…なんでよ……せっかくリュシアン攻略したのに夢オチ……!?
あり得ない!クソ運営かよッ!!」
叫びながら急に机を倒し暴れ出す彼女に、教室中が騒然となった。悲鳴が上がり、事態の異常さを察した数人の男子生徒が慌てて押さえつける。
「モブ程度が触んなクソっ!!ゆめりっ、王太子妃なんだから…ッ!!不敬!まじ不敬!!」
「暴れんな!誰か、先生呼べ!!」
「お前らカスと違って、ゆめりは首席で卒業出来るくらいに賢いし、剣術だって出来るんだから!!才能あるんだから!お前らなんて全員ぶっ殺して…っ」
そう言って必死にもがいて抵抗するが、小林さんの体は床に押し付けられたままだ。倒された机の奥で、引きつった顔のクラスメイトたちが遠巻きに見つめていた。
「なんでっ、動かないのよ!!殺す殺す殺す!!
ゆめり、あんなに努力したのに……っ!!あり得ないあり得ない、ああああああ!!」
喚き散らしながら泣き叫ぶ彼女。
そのまま先生たちに引き摺られていく後ろ姿を、私たちはただドン引きしながら見送るしかなかったのだった。
◇おわり◇
勝手に自滅してったユメリ。
短編ラブコメ▷『うちの契約精霊ハムちゃんは天才魔法使い様らしい』
長編溺愛ストーリー▷『オマケ召喚されたモブですが、公爵令息に外堀埋められてました』
も併せてよろしくお願いします!




