4.暖かな日常
「推しから貰ったものは使えないと言いたいところだけど。」
そう自室に戻って包帯を外した。
両親を心配させたくはない、この傷は治療することも、どうすることもできないだろう。
結局彼の目的は私を傷つけること以上にこうやって身体に印を付けて自分を忘れさせないようにしたいだけだ。
キリアには決してこんなことはしなかったことを思うとやるせなくなる。本当のメルユールもこんな目に遭っていたのだろうか。
それにしても走ってきたディエラは素敵だった。
困惑に揺れた藍色の瞳は想像もし得ないほど綺麗で見惚れてしまった。
ただ彼に腕を引かれた瞬間にときめけなかったことに後悔が残る。
私はこれから結婚することが可能なのだろうか?
今、両親が私に縁談を薦めることはない。そのようなことは現在政治的に難しいが、そのうち自由になる日は来るだろう。
それまでにこの傷ついた心を癒やし切らなければいけない。
耐え切れるかどうか分からない中、今日の記憶はきっとこの人生終わりを迎える時まで残っているだろうと思った。
・・・
「失礼なご令嬢にこの私が負けるなんてね。」
入学試験の結果が返されて復習しているところを横からディエラに覗き込まれる。
「見ないでくださる?」
そう言ったものの恥ずかしくて仕方がない。彼は自分から関わらないと一線を引いた癖に何かと私に絡んでくるようになったのだ。
「あぁ、君は将来の王妃様だから。」
それを言われた瞬間に背筋が凍った。考えたくない、存在しないと願いたい未来のことだ。
「あなたがそれをおっしゃるの?」
私は凄んで問いかけたものの
「手を出すんだ。」
それを無視して彼は行動を要求した。
こんな風に頼まれて断ることなどできないだろう。私は素直に机の上に手を出した。
「ちゃんと消毒はした?」
そう顔を覗き込まれるとドキッとしてしまう。
(今は違うでしょ!)
「し、してないわ。」
そう言って私は手を引っ込めた。できるのは清潔に洗うことのみだった。
「……親にも言えないのか。」
とため息を吐く。この世界の彼はどうやら親との軋轢がないようだ。つまりこの性格は生来のものということか。
「どうしてそんなに心配してくれるの?」
その質問は禁忌だった。こんなことを聞いてしまったら彼は二度と私を気にすることはなくなるかもしれないのに聞かずにはいられなかった。
「心配も何もこんなことは間違ってる。」
彼は照れたり否定したりすることなくそう淡々と主張した。
「あれが国の主?バカみたいだろう?」
それを聞いて理解した。
ソラネル家は第二王子ヴィクトル派閥であるのだ、と。
だから第一王子の派閥だと考えられている私との接近は良くない噂を呼ぶはずだ。
それでも彼は私に関わることを辞めない。原作の彼は悪事を働きながらもそれに傷ついていた。心の中の正義感が抗っていたからだ。
彼は過去よりも幸せでありながらも、良いところが何も変化していないと言うのだ。
それが私にとってどれだけ救いになるか、誰にも分からないだろう。
「ありがとう。」
私はそれだけ伝えた。彼はそれ以上何かを言うことはなかった。
しかし――
「この作者はこう思ってるからこう書いたのよ!どうして分からないの?」
「いや、それはおかしい、ここをちゃんと読めばそうはならないだろう?」
授業中に話し合いをする際、私たちは壊滅的に意見が合わなかった。
先生たちはどちらも間違いではありませんが〜と収拾してくださったがそれでもお互い満足はできなかった。
「君は頭が良いのかもしれないが失礼な人には変わりないからな。」
と彼が拗ねたように言うと
「別に事実なのでそれでいいわ。」
そう私は返してしまう。
(こんなはずじゃなかったのに〜!)
でも私はこういうのが好きだった。前世も友人と色々なことを話し合って争いみたいになったことがあったが、最後には面白くなって笑っていたような覚えがある。彼女は今も元気にしているだろうか?
「メルユール様〜!」
前世の友人のことを考えていると今世の唯一の友人から声がかかる。
「私を差し置いて隣の方とばかり仲良くなったら悲しいですよ。」
と私の腕を掴んで振ろうとする。
「この頭の悪そうなご令嬢は誰なんだ?」
そうディエラに問いかけられてつい笑いそうになる。絶対に会うことのない二人が会話しているのだから。
「この失礼な方はどなたなんですか?」
とキリアにも尋ねられるのでお互いのことを紹介すると
「メルユール様がいくら綺麗だからって意地悪して粉かけるのやめてくださいね。子供みたいなんで。」
彼女は私が聞いたことがないほど冷たい口調で言ったが
「それは別の人物に言った方がいいだろうね。」
と彼はあしらっていた。
そんな二人の会話を見ていて思うのは『あなたを救えたら』の登場人物たちのことだ。
もしディエラの恋敵がこの世界に存在するとすれば、未だに同級生として姿を見ていないのはおかしいだろう。
しかし彼が現在自由に暮らしていることを思えばそれを決して邪魔して欲しくはないのだ。どうか現れないで――と願っていると
「むきーっ!剣術なら絶対負けないですから!覚えてなさいです!」
「だからその話し方がバカっぽいと言ってるんだろう?」
まだ二人は喧嘩していた。こうしているとクロスオーバー作品を見ているようで面白い。
そう思った瞬間に私は思い出した。この小説を勧めてくれた友達が言っていたことを。
「ディエラって男版メルユールって感じじゃない?二人が出会ったらどうなるんだろ?やば、クロスオーバーやりたくなってきた。」
(友達が犯人か――!?)
もしそうであるならどうして私はここに存在しているのだろうか。
可能性としては高いが余計に謎は深まってしまい、頭を抱えたくなる。友よ、一体なんて事をしてくれたのだろうか。
次の授業はキリアが予告した通り剣術の授業であった。
基本的に貴族は家庭で剣を握れるところまでは習得するが、それ以上は個人の選択に任されている。
それでも学園で良い成績を獲得するには一定の実力が必要だ。
「なるほど、君の弱点はそこか。」
私の剣捌きを見たディエラはそう言ってほくそ笑んだ。
残念ながら小説のメルユールと変わらず剣は持つことだけで精一杯なのだ。
「じゃああなたもやってみなさいよ!」
と叫ぶ。
「お安いご用さ。」
そう彼は華麗な剣捌きを見せた。細身の剣は宙を舞うような光を放ち、神秘さえ感じられるほど美しかった。
しかし――おかしいのだ。彼は剣術が得意ではない、魔術師という設定のはずだった。この世界に魔法がないせいなのか、設定が変わってしまっている。
「君が頼んだんだから何か言ったらどうなんだ?」
と彼は剣を下ろして近づいてくる
「もしかして見惚れてる、とか?」
私は初めて会った時のように顔が赤くなる兆候を感じて手を使って必死に扇いだ。
(ディエラってこんなことも言うんだ……)
「ちょっと、私のことを忘れないでください!」
そう言って走ってくるのはキリアだった。
「ディエラ様!私と勝負です!」
と彼女は戦いを挑もうとしたものの
「キリアさん!あなたはじっとしててください!」
そう先生から声がかる。彼女はそれを聞いてしゅんと落ち込んでしまう。
おそらく彼女が持っているのは規格外の強さだ。
いくらディエラが強いと言えども怪我は免れないだろう。
「不戦勝だ。」
と彼がわざと彼女を煽るような言葉を言うので二人は喧嘩を続けていた。
相性が良くなさそうと思っていたが、意外と悪くないのではないかと思ってしまう。
「はい、皆さんには剣術で学年主席のキリアさんの剣舞を見てもらいます。お願いできますね?」
そう先生が言うと
「お願いします。」
と彼女は前に出てきた。普段の天真爛漫な姿とは打って変わって清らかな空気が流れているのを感じる。
まるで初めて会ったあの木陰にいるような気分だ。
彼女が足を一歩踏み込んで剣をひと突きする。その瞬間青い薔薇の花が舞い踊った。
それを刻むように右往左往に剣を動かすがその太刀筋は決してブレることはない。
花々は一枚一枚の花弁となり空間に舞い散る。彼女が剣を下ろすとそれは消えた。
これが剣能というものなのか――私は兄以外のものを今日初めて二回も見てしまった。
「ありがとうございました。」
彼女がお辞儀をすると大きな拍手が上がる。
もしかしたら原作通りに人気者になって私と過ごす時間も少なくなるのでは――と思ったが。
「だからやりたくなかったんですっ。」
と彼女は授業の後に私の横に来て拗ねている。
「あれを見せるとみんな私のこと怖がるんです。私がもっと強そうな男の人だったら良かったのに。」
彼らは冷たいわけではない。もちろん心の中では尊敬はしているのかもしれないが、あそこまではっきりとした幻覚を見せるような剣能を持つのは彼女だけなのだ。だからこそ誰もが畏怖する。あのサンドル王子でさえも。
「じゃあもっとクールに話してみたら?君にできるならね。」
とディエラが横から会話に入ってくる。
「それぐらいできますけど楽しくないじゃないですか!本当に意地悪ですね!」
再び彼らは喧嘩し始めていたが、キリアの元気が戻ったようで良かった。




