14.
あの後正式にキリアとヴィクトル殿下は交際を始めたようだった。
周りから見ているとものすごい早さでの展開に思えるが、癖の強い彼と等身大のままで付き合っていけるのはどう考えても彼女しかいないはずだ。
そんなことを考えながらあまり使わない別校舎の方へと向かっていた。キリアが幸せなのは嬉しいが私と過ごす時間が少なくなってしまったのだ。教室にいると寂しいわけではないが、何だか居心地が良い感じもしない。サンドル殿下と出くわさないためにも人気の少ない場所を絶賛探索中なのだ。
しかし私が見つけたのは思いもよらなかった景色だった。
「ど、どうして……」
思わず小さな声を漏らしてしまう。
目の前にはキリアと同じくらいに眩い美少女がいる。彼女は整備された花壇の前に跪いて雑草を抜いていた。手際良く作業していくと、次に大きなジョウロで水をあげている。令嬢らしくない行動であると言うのにどうしてこんなにも可憐に見えるのだろうか。
その理由を私はよく知っていた。
彼女は――小説『あなたを救えたら』 のヒロイン、セフィラ・ニュレル。原作のディエラ・ソラネルの最愛の女性だ。
彼に付随して彼の家族がこの世界にいることは理解できたが、どうして彼女までこの世界に存在するのだろうか。そうするとメインヒーローもこの世界にいないとおかしいことになってしまうが、彼のことを今の今まで認識する機会がないなんてやはり絶対にあり得ない。ただでさえ原作の流れが変わってしまうことを恐れていたと言うのに彼女が現れたことによって恐れを感じてしまう。しかしそれは果たしてみんなのためなのだろうか――私はディエラの加護を失うことを恐れているのではないだろうか。
(それにしても本当に綺麗……)
自然にカールしたペールピンクの髪が動きによって揺れている。その一本一本が光に照らされて煌いていた。彼女を見つめていると、道具を片付け始めてこちらの方に向かってこようとするので咄嗟に見つからないように隠れてしまう。
キリアが生命力に満ち溢れているとすれば、彼女は守りたくなるような柔らかな空気を纏っているように見えた。それもそのはずだ。彼女は小説の中で二人の男性の人生を救うのだ。メインヒーローである王太子とディエラの二人を。しかし彼女は圧倒的な能力で未来を切り開くキリアとは違い、清らかなその心と魔法によって二人の凍ってしまった心を溶かすようなものだった。普通の人間にできるものではない。もちろん私にも。
ここまで思い出したものの新たな疑問が湧き出てくる。ディエラに心の闇がない今、もし王太子がこの世界に存在しなかったら彼女はどのような役割を持って生きているのだろうか。……もし彼と結ばれる運命なら私は決して邪魔などしたくないのだ。悪役令嬢になんてなりたくない。それでもこの不自由な身にできることがあまりにも少なすぎる。
(ディエラに迷惑かけずにこの状況を変える方法を考えなくちゃ。)
そんなことを考えながら教室の方に戻ると
「おや、メルユール嬢。」
突然慣れない声に呼び止められる。振り返るとそこにはヴィクトル殿下が立っていた。
「キリアはどこにいるか知ってるかい?」
尋ねられたものの今まで外出していた私には分からなかったので
「いえ、存じておりません。鍛錬場には居なかったんですよね?」
と問いかけると
「そうなんだよ、どこに行ったのかな。」
そんなことで二人で考え込んでいると前方からディエラがやって来て
「殿下とメルユール嬢でどうされたんですか。」
そう話しかけてくる。
しかしそこで殿下がした反応は思わぬものだった。少し意地悪な顔をして
「まさか謹慎中の兄上をほったらかして彼を捕まえるなんてメルユール嬢はやっぱりやるね。」
と笑い出すのだ。私は驚いた。陛下には伝えているはずだが彼も知っているのは意外だった。
そんな私の表情から考えを読み取ったのか
「心配しないでくれ。兄上はおそらくまだ知らないだろうね。」
まだ彼は笑い続けている。ディエラは何とも言えない表情を浮かべて
「公式に発表していないことですので少し声を小さくしていただけると……」
気を遣いながら話すものの彼は気にしない。どうにかしてくれと思うもののそれができるのは今のところ唯一人だ。
しかし思っていた以上に事態は悪化してしまう。
「ヴィクトル殿下、お二人と何の話をされてるんですか?」
彼を止められるであろう人物、キリアが登場したものの今は望ましくないタイミングだった。
ディエラが慌てたように
「殿下、お探しのキリア嬢ですよ。」
と言うものの
「いや、絶対に今じゃないと困るってわけではないんだ。じゃあ僕はこれで失礼するよ。」
そう焦って逃げるように去って行ってしまった。
絶対に都合が悪いからだ。そう心の中で毒付きながらも私も焦っていた。キリアが自分にとって大事な時期だと言うのに自分の婚約についてあまり考えて欲しくないと思っていたのだ。結局そのまま伝えることが先延ばしになったままであった。彼女は怒るだろうか、それとも寂しく思うだろうか。
そっと彼女の顔を見つめると
「私が今の話を聞いて考えるに――メルユール様はご婚約されたんですか?」
尋ねてくる顔は少し悲しそうに見えた。
「そうよ。」
小さく答えて目を伏せると
「何で言ってくれないんですか!そんな重要なこと!」
彼女は腕を引っ張って私の身体を左右に揺らす。
「だってあなたがあんなに悩んでる時期だったから。」
その態度に戸惑いながらも話すと
「それでも重要なことじゃないですか!私だって知りたいですよ!」
突然彼女の動きは止まった。
「……そうですね。私に言っちゃうと隠せないですもんね。」
どうやら納得したようだがすごく嫌な予感がする。気のせいだろうか?
次の瞬間、彼女は半分笑ったような顔で
「ね、ディエラ様もすごく驚きましたよね。いつの間になんだろうって感じで。」
彼にそう語りかける。予想通りだ。
どうやら彼女は相手のことについては聞こえていなかったようだ。それにしてもこの状況が妙に面白くて笑いたくなるが我慢しなければならない。それでもここまで来たらちゃんと言わなきゃいけないだろう。……一体どうやって?
「あのね、キリアさん――」
続きを話そうとした時には授業が始まるまでに話を終わらせることは難しそうだった。
「後でちゃんと話しましょう。」
彼女にはそう伝えてみる。思っていたより大きな反応ではなかったが、自分であったら嫌かもしれない。
その時ふと久しぶりに前世のことを思い出した。友達が新しいジャンルにハマったのに恥ずかしがって言ってくれなかったことがあったのだ。私も同時期にハマっていたのでもっと前から話すことができたはずなのにと苦言を呈したが、彼女は何て言っていたのだっただろうか。そうだ
「人がどんな反応するかなんて想像通りじゃないからちょっとしたことでも言うのが怖いんだよね。」
だったはずだ。
当時の私は些細なことに対してもオタクはそんな感じかもしれないと思ったが、これは人間全般に言えることではないだろうか。
現実はいつだって予想を裏切るものだ。
次の時間は神学と歴史の授業だった。他の勉学は前世の知識を駆使することができたが、こればっかりは全然知らないことばかりで、定期試験でも苦労してばかりなのだ。しかも貴族たちの中では既によく知っている共通認識のような話が土台としてあって授業が進んでいくので、入学したばかりの時は家にある本を必死に読んで覚え直したのだ。なぜか元のメルユールの記憶ではこれらの知識が非常に曖昧だったようだ。小説では言及されていなかったが、彼女は意外と勉強が好きではなかったり、得意ではなかったのだろう。そんな自分でも知ることができない基礎設定が存在しているので自然と原作通りに行動できていことは多いに違いないと思ってしまう。
「この世界の神は人間を創造し、愛しました。そして現在も私たちを見守り、愛し続けているのです。」
本当に神が存在するとすれば、私のことをどう思っているのだろうか。私の正体も何もかも見抜いているのだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。
「神の愛し子という話を皆さんご存知ですよね?」
先生は突然問いかけてくる。私は知らなかった。どうしてこんなにも彼女は何も知らないと言うのだろうか。
「そうです。神に特別愛された子供が願いを叶えてもらえるという話です。」
こんな時にこの世界は前世よりも現実らしくないと感じる。
「しかしそれは人間たちに危機が訪れた時に人々を導くのがその愛し子だと言われています。そして現在の王室の方々がその系譜を継いでいるとされていますよね。」
彼らはそんなに神話的な存在だと言うのか。この不思議な違和感の原因をやっと理解する。原作の小説にはこのような神話は一切登場しない。サンドル殿下やヴィクトル殿下は確かに他の人々より優れた力と容姿を持っているが、それは記号化されたキャラクター性に過ぎないのだ。
「もう少しちゃんと知っておく必要があるのかも。」
最近はあまりにもメルユールとして守りを意識して生き過ぎていたようだ。この世界がどのように進んでいくかは私次第なのだ。しっかりしないとと思い目を見開くと、隣から薄らとした視線を感じる。
(ダメダメ、私はメルユール・セルヒー。私はもうどの世界にも存在しないんだから。)
心の中で蠢いているこの気持ちも過去の遺物に過ぎないのだ。




