10.許容する勇気
目の前を見ると天井が見えた。どうやら私は保健室まで連れてってもらってしまったようだ。
起きあがろうとすると
「急に起きようとしない方がいい、めまいがするぞ。」
そう隣から声が聞こえる。
「ディエラさん……」
(あぁ本当に彼が助けてくれたんだ。)
嬉しい事実だったがそれ以上に申し訳なさの方が勝ってしまう。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい。大変だったで――」
「もうこんなことは絶対にしないと約束してくれないか?」
彼は私の言葉を遮ってそう強く言った。
「キリア嬢には疲れだと説明したが……もし本当のことを知ったら取り乱して大事になるに決まってるだろう?君は本当にそれを望んでいるのか?」
並べられる正論が私の心に重く響く。
(それでも私は……)
「キリアさんは本来関係ない人物だからよ。こんなことは許されるはずないわ。誰も対処しないなら私がすべき、それだけ。」
そう、私が未来を変えてしまうなら苦しむ人たちの負担を請け負うのは私であるべきだ。
「だから君がそこまで責任を負わなくたって!」
「だって……!誰が助けてくれるの!?」
奥から出てきた本音が喉を苦しめる。
「誰も助けてはくれないの。今までずっとそうだった。その辛さをわかるのは私だけよ、彼女には私と同じようになって欲しくない。」
私にとってのキリア・ベリタスは可憐で強い主人公だけではない。
木陰で出会っただけの人物に笑いかけて、友達になろうと言ってくれた。
いつも真摯で、あの明るい笑顔を見る度にどれだけ孤独だった私が救われたことか。
(こんな風に怒りたくないのに。)
「分かった。じゃあ私がどうにかしよう。」
そう言ったディエラの顔は怒ってはいなかったが、何か少し頭に血が上っているような、冷静ではないような表情だった。
「どうするって言うのよ。」
(どうか、どうか危険なことだけはしないで。)
「メルユール・セルヒー、私と婚約しよう。」
それはまるで夢のようで、甘い毒のような提案だった。
(ちょっと待って何が起きてるか全然理解できない。)
こっそり腕を摘んでみるも特に夢という感じもしない。これが本当に現実だと言うのだろうか?
「ごめんなさい幻聴が聞こえるみたいだからもう少しゆっくり休むことにするわ。」
そうブランケットを引き上げて目を閉じようとすると
「私は何度でも言うが、君はそうして欲しいのか?」
と片方の口角だけを引き上げて意地悪そうに微笑む。
(何それ、何それ、何なの!?)
「無理にとは言わない。もちろん殿下のことが解決すればこちらの都合で解消しても構わないだろうし……」
「それって全然あなた、というかソラネル家の得にならないわよね。」
どう考えてもあり得ない。彼がそこまでする理由が見つからないのだ。
「得って……セルヒー家を派閥に取り込むことができるかもしれないし。」
聞いて納得する。しかしそれだけでは終わらなかった。
「君は貴族女性として完璧だろう?人望以外はね。」
と笑う。不必要な一言以外はあまりにもロマンチックに聞こえてしまう。
(これって承諾してもいいのかな。ああ!主観的にしか考えられない。)
私の顔を覗き込むことによって耳の横から垂れた髪が神秘的に彼の輪郭を隠している。綺麗だ。
彼が不幸でない運命に生まれたことがあまりにもありがたくて、これからもそれがずっと、永遠に続いて欲しいと願っている。
それなのに自分の欲でそれを破壊することになってしまったら――私は私を恨むことになるだろう。
深呼吸するとあまりにも側にあることが馴染み過ぎたルバーブの香りがする。
それなのに一生ここにいることができなくても一番近くで見てみたいと思うのは過ぎた願いだろうか。
(この世界に終わりはあるのかな?)
彼は考え込む私の顔を見て
「まあよく考えてみてくれ。ただ、するのであれば……できるだけ早い方が良いだろう?」
と笑った。
「じゃあ、お大事に。」
せっかく彼がそう言ってくれたと言うのにちゃんと顔を見ることができなかったのが悔しかった。
次の日、その次の日、数日経ってもサンドル殿下は教室に来ることはなかった。
「一体どうしたのかしら?」
そう私が尋ねると
「メルユール様が倒れられてから妙な噂が流れるようになったんです。」
とキリアが説明してくれる。
「ざまあみろですよ。」
そう笑っていたが少し顔が引き攣っていた。
「でも……もう無理しないでくださいね。」
よっぽどあの事が堪えたようだ。守ることは大事だが、必死になって無茶しても仕方がないことを理解した。
私には彼女のような力は持っていないのだから。
「そんなことより〜!」
彼女は明るく話題を変えて違う話を始める。
「夏休みですよ、夏休み!」
「随分と楽しそうね?」
と尋ねると
「おそらく勉強しなくて良いからだろう?」
そうディエラが横槍を入れる。
「違います〜!勉強はしなきゃいけないじゃないですか、課題がたっぷりと……」
そう自分で言って落ち込んでいる。どうやら勉強が嫌なのは本当のようだ。
「でも補習には呼ばれていないんだろう?」
と彼に問いかけられると
「当たり前じゃないですか!」
そう大声で主張する。
(原作では勉強できるかどうかなんて書かれてなかったんだよね……)
そんなことを考えながら面白く会話を聞いていると
「メルユール様は何かご予定はありますか?」
と尋ねられる。
「特にないわ。」
そう、基本的に貴族たち、特に高位貴族たちにとっては避暑地に旅行するのがステータスのようなものであったが――
(特にやることがないんだよな……)
刺激に慣れた現代人にとっては日常の方がイレギュラーで観光地を巡るだったり、静かな場所で読書をするといったことはあまり新鮮ではなかった。
「じゃあ、じゃあ……ベリタス領に来ませんか?」
それは意外なお誘いだった。
「あら、それは行ってみようかしら。」
私は即その提案を承諾した。
(原作にない展開なんて絶対に見逃せないもんね!)
何をするか話し合いをしていたところ――
「女子会なんで残念ですがディエラ様はお留守番ってことで。」
とキリアがわざとらしく話しかけるので
「誰も行きたいとは言ってないだろう?」
そう彼も反抗する。しかし私はふと疑問に思ったのだ。
「ディエラさんって友達いるの?」
「君には聞かれたくないね。」
と言って彼は下を向く。
(や、やってしまったっ!前世でも今世でも私だってあまり聞かれたくないことなのに、
あまりにも心配になって……人様が首を突っ込むことじゃないでしょ。)
そう私が焦っていると――
「キリアさん!ちょっと来てくれる?」
と彼女が他の人に呼ばれて行ってしまった。
(何かちゃんと言わないと……)
「あの、私も同じだから。友達少ないし。」
と話したものの何か間違ってる気がする。
「そうやって励まそうとするのも失礼だと思わないかい?」
そう指摘されたが、その通りだと思う。
彼は席を立ち、教室の外に向かおうとした。このままではあまりにも申し訳ないので
「ちょ、ちょっと待って。」
引き留めながら彼に着いて行くと――
「引っかかった。」
と教室の外の誰もいない場所に腕を引きずられる。
何が起きているのか分からず混乱していると
「すまない。騙したみたいで。」
そう謝られる。
「でも君はあれから答えを聞かせてくれないどころか二人になるのを避けようとするだろう?」
と尋ねられる。図星だった。
「確かに今、殿下の動きは静かだけどいつまたやって来るか分からない。だから返事はできるだけ早く欲しいと思ってる。」
その言葉はあまりにも誠実だった。
「親御さんは?」
と問いかける。どうしても気になってしまうのだ。本当に私と婚約できるのかと。
「実家に帰った時にお願いしようと思っている。もし君がその前に返事をくれるなら願わくば着いて来て欲しいとも。」
どうしてこんなに私のために動いてくれるのだろうか。
「もちろん君の家にもお願いの挨拶に行くつもりだ、説明だって十分できるだろうし――」
「私をどれだけ大切に思ってるかってこと?」
自分でもバカバカしいがそんな風に揶揄わずにいられなかった。それはあまりにも……私に不相応なものであるから。
「ち、違うだろう。」
彼は混乱して目線を左右に逸らす。当たり前だ。
「じゃあ例えば?」
「ヴィクトル殿下の即位を推進する理由を……」
納得した。彼には十分、政治的な目的がある。
「……君は両親にサンドル殿下の話をしたくないだろう?」
彼は本当に優しい。
実のところ私はよく分からなくなってしまったのだ。
今更言っても過去のことはどうにもならないだろうし、未来の問題だって解決できるとは限らない。
ただ心配させてしまうだけであるならこの傷が癒えるまで自分の心の中に仕舞っておくべきだと思っていた。
それでも――
「もう私、殿下の横暴から逃げたくないわ。ちゃんと伝えてみる。」
その言葉を聞いて彼はすっきりしたような顔をして微笑んだ。
「それを聞いて安心した。じゃ、伝えたいことがあればまた――」
「ねえ、ディエラ・ソラネル。」
彼の袖を引っ張って引き留めた。
「本当に私と婚約してくれる?」
その言葉を聞いて彼は笑う。
「あぁ、もちろん。」
欲張りだと罵られても後ろ指を指されても良かった。ただ、もう孤独ではないと思いたかったのだ。




