1.
暗闇に丸い光が浮いているのが見える。
それは暖色で、少しぼやけていて、明かりのようなのに実態が感じられない。
「……ちゃん。ありがとう。」
懐かしくて優しい声が聞こえる。
それに対して返事をしようと思ったが――上手く声が出せない。
何度も喉を震わせようと試みるがどうにもできなかった。
光はいつの間にか遠くへと向かって進んでいく。
(待って!行かないで!)
必死に走って追いかけた。手を伸ばしてみるものの全然届かない。
私の願いは虚しくも叶わなかった。光は見えなくなってしまったのだ。
しかし。
ピカッ――
そんな音が聞こえた瞬間、暗闇が光に照らされた。まるで繭に包まれているような気分だ。
柔らかいのにこの世の中で体験したことがないような感覚。
(聞こえてたんだね……)
「これからは大丈夫だよ。」
そのはっきりとした声では私は目覚めた。
「はっ……!」
まだ暗い早朝、寝ぼけ眼のままベッドから起き上がると目の前に大きな姿見があった。
怖くなって目を逸らそうとしたが何か気になってしまう。
覗いてみると――
そこには世にも美しいラズベリーピンクの髪を持つ女の子が映っていたのだ。
肌は信じられないくらいすべすべしていて子供であるというのに目鼻立ちが完成されている。
(何……!?怖過ぎる。もう一回寝よう。)
見間違いだ、見間違いだと自分に言い聞かせてベッドに潜り込んだ。
足を手繰り寄せて軽く引っ掻く。これは夢だ。
「メルユール様」
誰のことだろう。
「メルユール様?」
ん?
「メルユール様っ!」
そう言ってブランケットを剥がされたと思うと
「朝ですよ。起きてください!」
と若くてお喋りそうなメイドに叩き起こされる。
「え?」
そう問いかけると
「え?じゃないですよ~、今日はお嬢様の6歳の誕生日パーティなんですから。」
だそうだ。
一体どういうことだろうか。
彼女にドレッサーに連れて行かれ、鏡を見る。さっき見たものは夢ではない。
どうやら本当に想像していた通りのことのようだ。
私は小説『冠姫の選択』で主人公キリアを妨害する第一王子の婚約者。
悪役令嬢メルユール・セルヒーに転生したようだ。
そして私は同時に思い出す。彼女の末路は死、ただ一つなのだ。
(もう死にたくないのに……)
正直私はこれ以上頑張りたくなかった。前世だって生きるのに必死だったのだ。
みんなの期待に報いたかったから。しかしこの世界は私を望んですらいないのではないだろうか?
だってメルユールは――
「お嬢様、完成しました。とてもお綺麗ですよ。」
私が考え事をしている間に彼女は私の身だしなみを完全に整えていたようだ。
長い髪はハーフアップにされ、可愛らしいピンクのリボンが付けられている。
メルユールの強いイメージとは正反対に思えたが、成長するにつれて趣味が変わったのだろうか?
「では向かいましょうか。」
と彼女は私の後ろに立った。
できるだけ高貴な身分に見えるように
「ありがとう、素敵ね。」
そう伝えると
「ありがたいお言葉です。」
と笑って受け取る。
(ちょっと待って。悪役令嬢に転生するってもっと使用人に怖がられてたり、雑に扱われてたりするものじゃないの?)
小説でのメルユールは典型的な意地悪お嬢様だった。それ以上詳しく描写されることはなかったので実際のところ分からない部分の方が多い。
「お誕生日おめでとう。」
そう微笑んで言うのはメルユールの兄だ。
彼は私の手を取って
「今日はメルにとっておきのお祝いがあるんだよ!」
と言う。
走り出した瞬間、目の前に見えたのは――第一王子サンドルの姿だった。
どう対応しようか、そう考えた瞬間に今までのメルユールの記憶が流れ込んでくる。
良かった、どうやら彼とは初対面のようだ。
「ほら、メルユール。挨拶して。」
と兄に促された。
「初めまして、サンドル殿下。」
そう挨拶をしてみる。どうやら私の身体は礼儀が身に付いているようだ。
そんな様子を見た彼は
「私のことを知ってるんだね、メルユール嬢。」
と笑う。
6歳とは思えない佇まいと顔貌の凛々しさに慄いてしまう。
しかし……こんな人物であっただろうか?
「君にはお願いがあるんだ。」
と言って無礼に思えるほど突然両手を握られる。
そして彼はこう話すのだ。
「どうかこれから仲良くして欲しい。婚約者という前提で。」
その時の私はとても混乱していたのだ。
頑張りたくもないし、死にたくもないのなら結局のところ――
「申し訳ありません、殿下。王国の未来の臣下としてよろしくお願いします。」
この婚約を潰してしまうのが最適だと思ったのだ。
パーティの次の日――
「ねぇメル、どうして王子の求婚を断ってしまったんだい?」
兄は私の隣に座り、心配そうに顔を覗き込んでいる。
どうやらメルユールは文句もわがままも言わない、絵に描いたような良い子だったようだ。
そんな子が突然パーティで失態を起こしてしまったものだから両親も驚いて首を傾げている。
それでも叱責されたりしないことを思えば、本当に恵まれているだろう。
一体、メルユールをあのような人物にしてしまった理由は何であるのか。
兄だってまだ9歳であるというのに事の大きさを理解しているのか、私を説得しようと試みて
「世界一素敵でかっこいい男性と結婚したいと言ってたじゃないか。」
と言う。
そう、それだ。
中身の私の年齢を考えると苦しいが、これしか手段が思いつかない。
「お、思ったよりかっこよくなかった。」
と言って涙を少しだけ流すと慌てたように兄はハンカチで涙を拭う。
そして
「そうか、そうか。」
と強く抱きしめてくれる。こんなに人の温もりというものは温かかっただろうか?
内心おそらく全員が呆れていたと思うが、結局これ以上家族から婚約を強制されることはなくなった。
――しかし彼は諦めなかった。
セルヒー侯爵の令嬢、高貴な身分の女性として生まれたからには人々にとって様々な思惑に狩られるのが常だ。
そして同時にこちらも得をする選択をしなければいけない。
小説でのセルヒー家はその選択によって最大の利益が得られると踏んだようだったが、私はそうは思わない。
しかし、主人公キリアが現れるまでの第一王子にはセルヒー家以外の選択肢がまだないのだ。
彼は第二王子のヴィクトルと王位継承権争いをしている。これは決して愛などではない。
彼のそれはいつしか執着に変わり、徹底的な演出をし続けた。
誕生日には高価なものを贈り、人々に私への愛を語り続けた。
そして私は人々から王子の愛をわがままで拒絶し続ける極悪令嬢と思われることになったのだ。
「こちらの薔薇の花束はどういたしますか?」
メイドのセラに問いかけられる。
「使用人部屋に飾る?」
と提案すると
「じゃあ喜んでいただきますね。」
そう笑ってセラは薔薇の匂いを楽しんでいる。
「入学祝いね……」
そう、それはサンドルからの入学祝いだった。
私たちは王立学園に入学する。つまり本編の開始だ。
「花に罪はないけど、可哀想。」
それを横目に見ながら屋敷の外へと向かう。
ここで過ごし始めてから既に十年の時が過ぎた。貴族の振る舞いも板について、戸惑うこともなくなった。
そしてやっと彼はキリアに出会うことになるのだ。私は解放されるはず。こんなに嬉しいことはない。
母が見送りにやって来ると
「ちゃんと学んでくるのよ。」
と肩を叩かれる。
前世で学んだこともあやふやになってきているので退屈ということはないだろう。
「お母様、行ってきます。」
そう言って手を振って馬車に乗り込んだ。
学園の門に着いた瞬間、私の姿を見た人々がざわめく。
ある男子グループは私と目を合わせようとせず、ある女子グループはひそひそと話し込んでいた。だいたい言われていることは想像つく。
実際、王子を独占したがっているという嫉妬も含まれており、押し付けられるなら押し付けたいと思っていたところなのだ。
確かにごく稀に参加したパーティでは完全に壁の花になっていたので覚悟はしていたが、これでは友人も作れなさそうだと悲しくなる。
(せっかく楽しい人生を歩めるって思ってたのにな……)
落ち込みながら歩いていると――
ドンッと勢いよく人にぶつかってしまう。
「ごめんなさいっ。」
前方不注意の私が悪い。直角に身体を折りたたんで謝ると
「ちょっと、前方不注意だろう。」
と少しネチネチとした声で注意される。それはそうだけど……と思い身体を上げる。
そこには良く知っている人物がいた。
「ディエラ・ソラネル。」
「何だ?人のことを突然フルネームで呼んで。変な人だな。」
まさに本人だったようだ。
彼は確かに小説の登場人物だ。
しかし『冠姫の選択』ではなく同じレーベルの『あなたを救えたら』という作品に出てくる――悪役令息だ。
どうして彼がここにいるというのだろうか。
(もしかしてこの世界は私の想像通りには進まないということなの?)
「何であなたがここにいるの!?」
私は取り乱して声に出してしまったことに気付く。羞恥でその場から立ち去った。どれもご令嬢がしてはいけない行為だ。
しかし、どうしてもそうしなければいけなかった理由があったのだ。
「……どうしてあんなにかっこいいのよ!」
彼はこの世界で生きてきた中で最も私のタイプだったのだ。そして、もちろん前世の私の推しだ。
真っ赤になった顔を抑えながらどこかに逃げ込むので精一杯だった。
お読みいただきありがとうございます。
自分なりの悪役令嬢ものを書いてみたくて形にしたお話です。
楽しんでいただけたら幸いです。ぜひこれからお付き合いよろしくお願いいたします!




