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■ 第二話 「引退」

引退します!

事務所の社長室は、やけに広かった。


 窓の向こうに都心の景色が広がる。


「……昨日、なんで出なかった」


 デスク越しに、社長が言う。


 机の上には俺のマネージャーのスマートフォン。

 着信履歴の画面が開いたままだ。


「何十件もかけた。事故かと思った」


 俺はポケットの中の自分のスマートフォンを握る。

 電源は落ちている。


「……すみません」


 形だけの謝罪。


「理由は?」


 逃げ道はいくらでもある。


 体調不良。

 寝落ち。

 通信トラブル。


 だが。


「決めたからです」


「何を」


「芸能界を辞めます」


 静寂。


 外の車の音だけが遠くに聞こえる。


「……昨日の配信か」


 図星だった。


「羨ましかったんです」


 言葉は止まらなかった。


「命懸けで、怖がって、それでも笑ってる。あんな顔、俺はしたことがない」


「だから探索者になる?」


「はい」


 即答だった。


 社長は椅子に深く座り直す。


「探索者はE級からだ。新人は例外なくな」


「分かってます」


「E級ダンジョンの年間死傷率は一割を超える。素人ならもっと上がる。判断を誤れば即死だ」


 初級、と呼ばれるだけで安全ではない。


「テレビと違って、やり直しは効かん」


 そこで社長は一度、言葉を切った。


「いや……テレビだって同じか」


 苦い笑み。


「一度炎上すれば終わりだ。デジタル・タトゥーは消えん。検索すれば一生出てくる」


 マネージャーが目を伏せる。


「だがな」


 社長の視線が俺を射抜く。


「それでも芸能界は安全圏だ。社会的に死んでも、命までは取られない」


 俺は静かに答える。


「……俺は、戻れる場所があるままだと踏み出せないんです」


 借金の話が出る。


「違約金は億単位だ。払えんぞ」


「分かってます」


「借金を背負えば、再起も難しい」


「それでも」


 昨日、電源を落とした。


 あれは逃避じゃない。


 覚悟だった。


「もう戻らないためです」


 沈黙。


 社長が長く息を吐く。


「後悔するぞ」


「するかもしれません」


 でも。


「一度くらい、自分の人生をやってみたい」


 やがて社長は言った。


「……正式発表は一週間後だ。それまでに整理しろ」


「ありがとうございます」


 深く頭を下げる。


 今度は逃げない。


 ちゃんと、顔を上げる。

最後までお読みくださりありがとうございます。

【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくれるとまじで喜びます。

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