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 こちらは、2025年のバレンタイン企画に某所で公開したものの再録で、司書Yの長編小説【真鍮とアイオライト】の番外編です。本編は、ぬるいですがX指定してあります。

 菫が初めてバレンタインにチョコレートを貰ったのは、小学校の2年生の時だ。もちろん、母親以外で。という意味で。当時通っていたスイミングスクールの送迎バスが一緒だった同い年の子が帰りのバスで、ほかの子に見つからないようにこっそりと、手紙と一緒に渡してくれた。

 それまで、行きかえりのバスの中で、ほかの子たちも交えて他愛もない話をして笑い合う楽しい仲間。くらいに思っていたから、菫はとても驚いたのを覚えている。しかも、男女合わせて15人くらいいた中で、チョコレートを貰ったのは菫だけ。今になって思えば体格も小さくて、容姿は普通。どんくさくて、水泳だってようやく泳げるようになったばかり。と、いう菫の何が気に入ってくれていたのかわからない。

 ただ、好きでいてくれることがすごく嬉しかった。


『これからも仲良くしてね』


 と、書かれたメッセージのとおり、その後の関係にほとんど変化はなかったけれど、その可愛らしい記憶は菫にとってもいい思い出だ。


 平凡な菫だが、人並み程度には女性とのお付き合いもあったから、バレンタインデーの思い出がそれだけ。ということはない。毎年大量ゲット!なんてことはないけれど、職場でもらう義理チョコとばあちゃんからのを除いても、いくつか貰える年もある。

 特に、司書を始めてからは、図書館に来る保育園や幼稚園。小中学生の女の子が小さなチョコを持ってきて、内緒で渡してくれることがあって、ほっこり。と、してしまう日だった。


 何はともあれ、菫はあまりバレンタインデーに苦い思い出はない。『一度も貰ったことがない!』とか、『バレンタイン爆発しろ!』なんていう男性諸氏が少年および青年漫画の主人公として王道を行く中、平凡な菫らしくなんとも面白みがないことこの上ないバレンタインを過ごしてきたのであった。


 ただ、今年の菫は、違っている。



 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




 菫の勤務するS市立図書館は水曜日が休館日だから、毎週水曜日は休み。しかし、それ以外の休日は不定期。そして、早番。中番。遅番のシフト制だ。

 バレンタインデーの2月14日は出勤日。早番だった。

 本当なら、今年、その日は休みにしたかった。気合を入れて手作りのアレを作るためだ。もちろん、鈴のために。平凡な菫だったけれど、料理はそこそこ自信があったし、付き合い始めてから初めてのバレンタインデーなのだ。気合が入らないわけがない。

 にもかかわらず。だ。その日と、その前日は担当している利用促進チームのイベント(2月14日にイベントを入れるあたりに悪意を感じるが)準備・リハーサルとその当日で、希望休を出せなかった。休んではいけないわけではないけれど、市立図書館というのはとかく人手が足りないもので、ほかのメンバーの負担を考えると休むとは言えない。

 だから、菫は泣く泣く出勤していた。


 午前中のイベントを終了すると、参加していた常連さんが『皆さんでどうぞ』と、袋詰めチョコレートをくれた。

 昼休みには同僚の司書たちがそれぞれにチョコレートをくれた。もちろん、小柏さんも。だ。『ホワイトデーは三倍返しね』という笑顔が怖い。

 午後に児童コーナーのカウンターにいると、保育園児の女の子と、黒羽の社の時の小学生と、転落事故から回復した男の子と、ラノベ好きの女の子と、バンドをしている女子高生と、常連のおばあちゃんがそれぞれにチョコをくれた。男の子からもらったのは驚いたけれど、今時は男の子も友達にチョコを配るらしい。

 今年は大量だ。

 中には手作りのものもあった。

 頬を染めて、『好きです!』っていうタイプのヤツではない。ないからこそ、純粋に嬉しい。

 

 嬉しいのだけれど、イベントの写真の処理や、メールでのお礼やら、雑務をしながら紙袋に入ったチョコレートを横目に見て、菫はため息をついた。時刻は16時45分。終業15分前だ。


「おやおや。そんなに貰っておいてため息とは。富を独占する富豪のくせに強欲なことだ」


 腕組みをしてにやにや。と、笑いながら、声をかけてきたのは小柏さんだ。いつものことだけれど、言い方がいやらしい。


「もう、ホワイトデーのお返しのことを考えて気が重くなっているのかい?」


 ホワイトデーには大抵、菫は手作りのお菓子を作って持ってくる。チョコをくれた人、くれなかった人にかかわらず職場の全員の分だ。それは毎年恒例だし、今年もホワイトデー前日は希望休を出してあるので、準備はそれほど大変なわけでもない。


「小柏さんの分だけ山盛りにしておきます」


 パソコンの画面に視線を戻して、菫は答えた。わざわざ彼女との棘だらけの会話に付き合って血だるまにされる必要はない。と、言っても、小柏さんは本気で菫を傷つけるようなことは言わない。ただ、お気に入りのおもちゃで遊びたいだけで、お気に入りだけに壊してしまいたくはないだろう。


「期待しているよ」


 そっけない菫の態度に、気を悪くするでもなく、彼女は言った。


「ところで。池井君はちゃーんと用意したのかな?」


『なにを』の部分を省いて、彼女は続ける。


「『あのこ』はモテるからねえ。池井君の10倍くらいは貰うんじゃないのかい?」


 小柏さんの意地の悪い言葉に、菫は手を止めた。


「なんのことですか?」


 あからさまに作り笑顔を顔に張り付けて振り返る。振り返った時点ですでに負け確なのだが、つい反応を返してしまった。そういうところが、小柏さんのおもちゃに適任なのだろう。


「おや? 『なんのこと』なのか、ここではっきりと言ってほしいと? ならば、遠慮はしないが?」


 我が意を得たり。と、小柏さんは嗤う。


「池井君は、きた……」


「ああああ!」


 菫がいきなり大声を出すものだから、一瞬事務室は静まり返った。同僚たちの視線が集中する。


「……あ。す……すみません。ちょっと。……その。妖精さんが通って……はは。冗談……です」


 誤魔化そうとして、余計に珍しいものを見るような目で見られてしまい、菫は結局笑って誤魔化した。『妖精さんってなんだよ!』と、心の中でセルフツッコみを入れる。そのバカ丸出しの言い訳で納得したわけでもないだろうけれど、同僚たちはそれぞれの仕事に戻っていく。菫と小柏さんの漫才はS市立図書館では日常茶飯事なのだ。


「妖精さんが見えるとは。君の『目』は本当に特別製だな。私だってめったに見られないよ?」


 くすくす。と、笑いながら小柏さんは言った。


「それとも、『誰か』さんのことばかり考えているから、頭がお花畑なのかな?」


「違います」


 と、言ってから、菫は考え込んだ。『私だってめったに見られない』って、どういう意味だろう。考えると怖くなって、菫はその疑問を心の奥の鍵のかかる引き出しにそっとしまった。

 そして、そそくさと仕事に戻る。とにかく、終業までにこのメールだけは送ってしまわないといけないのだ。否定はしたけれど、本当は鈴のことばかり考えている。今日は鈴はバイトが入っているから、緑風堂で待ち合わせしている。17時になったらすぐに上がって、すぐに会いに行きたい。

 会いに行きたいのだけれど。と、菫は思う。けれど。と、打消しをつけるのには訳があるのだ。


「まあ、『誰か』さんは池井君からもらえるものは全部宝物。っていう感じだから? 気合い入れる必要はないか」


 急に少し優しい声色になって小柏さんが言うから、また、ダメだと分かっていながら、菫は振り返ってしまった。


「君は好きな子からもらったのなら、何でも嬉しくはないかい? 私には池井君も『誰か』さんがくれたらなんでも宝物。っていう感じに見えるけど?」


 何でもお見通し。という顔で小柏さんは笑っていた。


「……料理。わりとやるんですけど……」


 菫の言葉に小柏さんは頷いた。『知ってるよ』と、いう表情だ。


「夕べ。慌てて作ろうとして……失敗して」


 今年は気合が入っていた。だから、ちゃんと手作りするために準備もしていた。昨日も早番だったから、仕事が終わって、家族の食事を作っている最中に、祖母の具合が悪くなり、病院に連れて行ったらインフルエンザだと発覚。予防注射もしていたから、幸い重症化の危険はないと、部屋で休ませて、鈴へのチョコレートを作り始めたのは11時過ぎだった。そんな時間から作り始めた結果。焦って失敗。材料の関係で二つ目は作れずに残っていたチョコレートを溶かして固めたくらいの小学生並みの手作りになってしまった。

 とはいっても、今朝。ため息をつきながら『今日は早く帰る』と、椿に言ったのは、こんなありきたりなチョコが恥ずかしくて顔を合わせられないと思ったからではない。そんな思いが皆無だったわけではないけれど、どちらかというと、祖母の体調が心配だったからだ。けれど、椿が『今日くらいは遅くなってもいい』なんて、驚くようなことを言い出したのだ。だから、菫はその言葉に素直に従うことにした。ただ、『本当は……本当は行かせたくないが、兄ちゃんは菫の幸せが一番大切だ』と、血涙を流す勢いで言われてドン引きしたのは言うまでもない。


「……なんていうか……。俺って肝心なところでダメダメですね」


 はは。と、力なく笑って菫は言った。


「ん。そうだね。ま、池井君はどっちかっていうと、大体肝心なところでダメダメだね」


 別に『そんなことないよ』待ちしていたわけではない。大体、小柏さんはそんな分かりやすい慰めを期待しているのに気づいたら、傷を抉ってくるタイプだ。だから、そんなふうに返されても、菫は苦笑いで答える。


「でも、北島君はそんなの知ってるでしょ」


 はっきり。と、『北島君』と、言われてしまったけれど、最早そこにツッコむ気はなかった。小柏さんが気付いていることくらいはさすがに菫も分かっている。そんなことよりも、彼女の言っていることはその通りだと思った。鈴は菫のどうしようもないところも知っている。隠せていないからだ。


「だから、いいんじゃない?」


 そして、思う。もしかしたら、これは、彼女なりの慰め? 励まし? なのかもしれない。少しわかり分かり辛過ぎるのが彼女らしくて、少し笑えた。


「……まあそれはいいとして」


 しかし、彼女は突然話題を変える。それから、ちらり。と、わざとらしい仕草で時計を見る。つられて菫も時計を見る。


「君がダメダメなのは仕方ないとして、時間にルーズなのは嫌われるかもね」


 彼女は本日一番のいい笑顔で笑った。

 時刻は17時5分だった。

 ご愛読ありがとうございます。


 この作品は、フィクションであり、実在するいかなる個人・団体とも関係はありません。

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