皇后候補選定試験3
翠蘭を真っすぐ見つめる雪玲の釣り目がちな瞳からは気の強さがうかがえる。
「適齢期の娘がいる以上、病弱だろうとなんだろうと、試験に参加しなくては李家の面子が潰れます。だから無理やり引っ張り出されたのでしょう。……選ばれる者は最初から決まっているというのに、無駄な努力をしないといけないなんてお可哀想に」
嘲笑うようにして付け加えられた言葉は、翠蘭に対してだけでなく、その場にいる最終試験に残った娘たちにも喧嘩を売るようなものだった。
雪玲とその取り巻きふたりは、選ばれるのは自分たちといった風に勝ち誇った顔をしていて、他の者たちは気を悪くしたように、しかめっ面をしている。
そんな中で、翠蘭だけは心を乱されることなく、雪玲を静かに見つめている。
なぜなら、無理やり引っ張り出されたというのは紛れもない事実であり、彼女の言葉もすでに承知していたことだったからだ。
それは一ヶ月前、李家の主室にて、翠蘭は父の雲頼から女官選定の試験、もとい皇后候補を決めるための候補者選定の儀に、李家の娘として参加しろと命じられたのだ。
それを、翠蘭は拒否した。翠蘭には宮廷占術師になりたいという夢があったからだ。
占術師とは、占いによって民たちを良き方へと導いたり、呪術を用いて悪鬼を祓ったりする者たちのことだ。
中でも、皇帝に直接仕えている者たちを宮廷占術師と呼び、その筆頭が李家である。
翠蘭は子供の頃から、宮廷占術師として活躍する祖母や父の姿に憧れを抱いていた。
いつか自分もそうなりたいと胸を熱くさせるものの、とある障害が目の前に立ちはだかり、翠蘭は夢に向かって進むことができなかった。
けれどここ最近、その障害が解消され、ようやく宮廷占術師になるべく動き出したところだった。
もし仮に、選定試験で皇后候補に選ばれてしまったら、後宮に入って、しばらくの間、妃教育を受けなければいけない。
はやく宮廷占術師になりたいというのに、そのような無駄な時間を費やしてなどいられないというのが翠蘭の本音だ。
しかし、雲頼も譲れない。朝廷内で王宮占術師長は、右大臣や左大臣と肩を並べるほどの力を持っている。
そのため、王宮占術師の長を勤める雲頼の娘が選定の義に参加しないというのは、雪玲の言う通り面目が立たないのだ。
父の立場を理解しているからこそ、最終的には自分が折れるしかないのを翠蘭はわかっているものの、なかなか頷くことができなかった。
そこで、その場に居合わせた祖母の静芳が小さな透明の球体を手のひらの上で遊ばせながら口を開いた。
『選ばれるのは四人。まずは右大臣高家、左大臣金家の娘。残り二人はそれぞれの派閥下にいる朱家と呉家の娘。よって、翠蘭は選ばれることはない。参加さえすればよし』
はっきり断言した静芳へ、翠蘭と雲頼の視線が移動する。
ふたりは時折輝きを放つ透明の球体をじっと見つめながら、静芳の予言ともいえる言葉に耳を傾けた。
『そうは言っても、此度の試験、翠蘭に躍進の兆しがうかがえる。雲頼よ、翠蘭が選考に漏れた時点で、宮廷占術師の試験を受けられるように手配してやったらよかろう』
静芳は雲頼が真剣な面持ちで小さく頷くのを横目で見てから、翠蘭に力強く笑いかけた。
『最終候補に残り、皇子に顔を覚えてもらうのも得策。まずは挨拶程度に邪気を払ってまいれ!』
それに翠蘭は表情を一変させて満面の笑みを浮かべると、『試験を受けさせていただきます!』と興奮気味に声を大きく響かせる。
翠蘭の単純さに雲頼は苦笑いを浮かべ、静芳は穏やかに微笑んだのだった。
そのようなやり取りがあった上での参加であるため、翠蘭に皇后になりたいという気持ちは皆無だ。
(むしろ、あなた方には最後まで失敗することなく試験をやり遂げてもらい、お祖母様の占通りに候補者の座を掴んでいただかないと困ります)
願いを込めて、雪玲とその取り巻きのふたりを見つめていたが、翠蘭はもうひとりの重要人物である高家の娘へと視線を移動させた。
彼女だけは雪玲たちの嫌味など少しも耳に入っていないかのように、柱にも彫られている竜の姿を観察している。
整った顔立ちからは、知性や上品さを併せ持った美しさが感じられた。
(高笙鈴。彼女の描いた水墨画は、素晴らしかったわ。話をしたことがないから人となりはよくわからないけど、現状、皇后に相応しいのは彼女の方だと思わざるを得ないわね)
翠蘭は心の中で呆れながら、「薄気味悪い」と自分の悪口を言い続けている娘ふたりと、笑みを浮かべながら彼女たちの言葉に耳を傾けている雪玲へ視線を戻す。
彼女たちの悪意に反応するように、廊下の暗がりで暗い影がうごめき出したのを感じ取り、翠蘭は鈴を転がすような声で告げた。
「選ばれないのは重々承知しております。私は参加さえすればよいので気楽です」
さぞかし悔しがると思っていたのか、雪玲と取り巻きふたりが呆気にとられた顔をする。
「それにしても、この場所は仄暗いですね。体に障ります」
翠蘭が儚げに微笑み、周囲の娘たちに「薄命の月華」という二つ名を強く意識させたところで、試験官が足早に戻って来た。
「整列」と短く要求され、すぐに娘たちが元の場所に戻っていく。
その場の空気が一気に張りつめると同時に、目の前の大扉の向こう側で銅鑼が鳴り響いた。
音が三回鳴らされたところで、大扉が外側から一気に開け放たれ、差し込んできた陽光に翠蘭は思わず目を細めた。
試験官を先頭に、列が再び動き出す。大扉を通り抜けた先は広々とした中庭となっており、その中心に演壇が設置されている。
演壇を取り囲んでいる多くの観客の視線に出迎えられながら、娘たちは壇上へと進んでいく。
前列と後列に別れて整列したところで再び銅鑼が鳴り響き、翠蘭は拱手した。
「これより最終試験を執り行う」と宣言がなされたあと、下げていた視線をあげて、演壇の前方に座している人々へと目を向ける。
そこには皇帝陛下と皇后、右大臣に左大臣、王宮占術師長の雲頼の姿もあった。
そしてもうひとり、高貴な空気を纏った端正な顔立ちの青年がいた。
(あのお方が、第一皇子の煌月様ね)
すぐに翠蘭はそう判断するが、引っかかりを覚えて、わずかに眉根が寄る。
(……昔、湖に突き落とした男の子に物凄く似ている。ま、まさか、本人じゃないわよね)
嫌な予感と共に動揺が膨らみ、一気に顔が強張っていった。