17 侍女になります(3)
「『最後に、使者として使わしましたシュリナにつきましては、明妃へ献上いたします。煮るなと焼くなと好きになさってください。父の私としましては、そちらで行儀見習いさせていただけたら、幸いでございます』ですって、そんなの聞いてないわよっ」
親書を持つシュリナの手がワナワナと震えた。
「何も聞いてなかったんだね」と、気の毒そうに声をかけたリーユエンへ、シュリナは
「ええ、聞いてなかったわ。でも、あなたの方で構わないのなら、私をここで侍女として雇ってほしいわ。大牙に帰っても、黄牙かそれ以外の碌でもない牙野郎と結婚させられるだけだもの。あなたといる方が、おもしろそうだわ」と、返した。
「侍女?君が侍女をするのか?侍女なんてできるの?」
シュリナは、ニカッと笑った。
「大丈夫よ。私、仕事を覚えるのは早いのよ。それに、あなたが男の格好をしていようが、そんな格好していようが、私なら見失ったりしないし、それに私は大牙の者よ、護衛だって十分務まるわよ。だから、私を雇うのは、結構お得だと思うわ」と、シュリナは自分自身を熱心に売り込んだ。これには、ウラナが感心し
「なるほど、明妃がお忍びで外出されている時の護衛が、あなたなら務まるわね。わかりました。あなたを雇うことにいたしましょう」と、即決した。
「では、それで決まりだね」と、言いながら、リーユエンは親書を奉書紙へ戻して畳みかけたが、親書がいきなり宙へ浮き上がり、入り口の方へ飛んでいった。はっとして顔をあげると、入り口にドルチェンが立ち、引き寄せた親書に目を通していた。
それから、静かに、まっすぐ、明妃の側までやって来た。
ドルチェンの薄緑色の眸が彼を見下ろし、平板な口調で、「この親書にある『甘やかな唇』とは、一体何のことだ」と、尋ねた。
リーユエンは彼を見上げ、「それは・・・」と、口ごもった。
ドルチェンは立ち上がると、リーユエンにのしかかるように近寄り、その胸にある玄武の紋へ手のひらを当てた。玄武が、赤く輝いた。
「あっ・・・・」
リーユエンの顔が歪んだ。
ドルチェンがいきなり心の中に入ってきて、あの夜の記憶を一気に探り始めた。
新しい事態が起きるたび、記憶が積み重なり、それは古い記憶となりつつあったのに、また、生々しい不快感や屈辱が甦った。ところが、ドルチェンの捜査は、そこで止まらなかった。その後のデミトリーとの口論を、しらみ潰しにしつこく何度も調べ始めた。リーユエンは、心の中を勝手に探られる不快感を必死で耐えた。ドルチェンを刺激するのが恐ろしかった。ただ、ひたすら、じっと終わるのを待ち続けた。デミトリーとその夜交わした会話も、その後のこともすべて、何十回もドルチェンは再生した。聞きたくもない会話を、無理やり一緒に聞かされ続けたリーユエンは、次第に気分が悪くなってきた。とうとう胃から喉元へ何かが迫り上がってきて、「ウエッ」と吐き戻した。
ウラナが「猊下、もうおやめになってください。明妃が血を吐かれましたっ」と叫ぶ声が聞こえ、彼は意識を失った。
「リーユエンに何をしたんだっ」と、デミトリーが座主へ詰め寄った。けれど、座主はそれを無視し、「皆、部屋から出て行け」と命じた。
座主のただならぬ様子に、ウラナはすぐさま「さあ、みなさま、明妃のお体に触りますので、お部屋からご退出ください」と、慇懃かつ断固として、座主を残して追い立てた。
皆が出ていくと、扉が閉まる前にもうひとり外へ追い出された。
「ひどいっ、カメ野郎、俺は今日リーユエンから餌をもらう日なのに俺まで追い出すなんて」と、アスラが立ち上がり、閉まった扉越しに抗議した。けれど、中からなんの物音もしなかった。
『デミトリー、君は暖かいね。気持ちいい』
それがリーユエンの言った言葉だった。
その夜に、何もなかった事が分かっていても、ドルチェンは、その言葉に、魚の骨が刺さって取れないような不快感を覚えた。




