15 玄武の庇護(6)
インクと血が混じり合ったペン先を見ながら、リーユエンはぼんやり考えた。
猊下は、どこまで堕ちても必ず救い出すと言っていた。それならば、主代えを行っても、救い出せるのだろうか?だが仮に、救い出されなかったところで、もともと大牙の国の中で、生き神として幽閉同然の身であった。その状態に戻るだけのことではないか。
とりとめなく考えたけれど、デミトリーまで人質状態なのを見て、リーユエンは、もう完全に歯向かう心が折れていた。ソライの言うがままに署名し、ドルチェンから主を換えるしかないのだと諦めていた。
ソライから差し出されたペンを、指先の痛みをじっと耐えながら手に取り、誓約書の下欄へ、震える指でペンを動かし自署した。
ソライは満足げな笑みを浮かべ、誓約書を持ち上げ皆へ示した。その瞬間、誓約書は炎を上げ燃え落ちた。どよめきが広がった。
リーユエンは胸元に異様な熱さを感じ顔を歪めた。薄い衣越しに、胸の玄武の模様が脈打ち赤く光るのが見え、そしてドルチェンの声が聞こえた。
「アスラを呼べ、命じろ」
魅入られたように、言われるまま彼はアスラを呼んだ。
「アスラ、来い」
その声を聞いたツォンパがせせら笑い
「あの魔獣は、閉じ込めた。呼んでも無駄・・・」
リーユエンの目の前に、青白い炎を吹き上げ、三つの黄金の目をもつアスラが現れ、牙の者たちへ咆哮を上げた。
「リーユエン、俺に何がしてほしい。望みを言え」
リーユエンは、ソライを指差し、アスラへ
「ソライを殺せ」と、命じた。
ソライは身を仰け反らし、「おまえ、親を殺す気なのか」と叫んだ。
しかし、リーユエンは、もう一度「ソライを殺せ」と、静かに命じた。躊躇いはなかった。主と決めた者以外からの干渉を一切許す気はなかった。
アスラは、ソライへ飛びかかった。
ソライは転身し、巨大な虎へ変じて応戦した。
「リーユエンッ!」
デミトリーが、側へ駆けつけた。
リーユエンは彼を見上げ
「どうして、残ったんだ」と、尋ねた。
デミトリーは、彼を見下ろし
「ひとりで残せるわけなんかないだろう」と言いながら、リーユエンを横抱きに抱え上げた。指先に痛みが走り、リーユエンは顔を歪めた。
デミトリーは、しっかり抱え込むと「痛いがこらえてくれ。すぐ、この城を抜け出そう」と言い、ヨークを従え、大広間から出ようとした。
そこへ、ツォンパが進路を塞ぎ、
「金杖の若獅子と言えども、我が国の生き神を勝手に連れ出してはなりません」と邪魔しようとした。
リーユエンは魔導士を見下ろし、右手を軽く振り上げるや「灰となって滅せよ」と唱えた。
「ギャーッ」
ツォンパの体から青白い炎が吹き上がり、瞬時に骨まで焼き尽くされた。
後ろからは唸り上げながら、激しく戦う音が続いた。
デミトリーへ抱かれたまま、リーユエンは長老たちを見回し、
「誓約書は燃え尽きたので、主代えは不成立だ。私は、玄武のものだ。ソライが死んだら、次の大長老は、あなた達で決めるがいい」と話した。
ソライは魔獣に圧倒され、体中血だらけだった。もう命が尽きるのは時間の問題だろう。それに、魔導士は、彼の腕のひとふりで燃えて消えてしまった。目の前で、その恐ろしい力を見せつけられた長老たちは、誰ひとりとして、行手を阻もうとはしなかった。
「デミトリー、私をカリウラのところへ連れていってくれ」
リーユエンは、彼へささやき、そのまま気を失った。
城の外へ出るや、「デミトリー!」と、シュリナが駆け寄ってきた。
「シュリナッ!」
思いがけない相手に、デミトリーは足を止めた。
「ダーダンを連れてきたから、乗ってちょうだい。リーユエンはどうしたの?指先が血だらけじゃないの・・・」
ヨークが、傷を確かめようとのぞき込むシュリナへ
「傷の手当てはあとにしましょう。とにかく、早く、カリウラたちと合流しなくては」とせかした。




