14 中有の夢 (10)
「私は銀牙と運命を共にします。あなたこそ、どうぞご無事でいらしてください」
リュエは、ドルチェンを見上げささやいた。血液が失われ、体が寒くなってきた。悪夢で見た光景が現実となったが、リュエの心の中は不思議なほど静まっていた。リュエは、ただドルチェンに生きていてほしかった。これで、彼は生き延びることができるだろう。自分の流す血が、彼を生かすに違いないと、確信していた。
「どうして、私を庇ったのだ。リュエ、お願いだ。逝かないでくれ。まだダメだ」
「・・・私の血を呑んで生き延びて・・・私はあなたを愛したけれど、銀牙の者と運命をともにします」
リュエの流す血が、濃厚な香気を醸し出し、その刺激にドルチェンの眸が縦長へ変じた。
「私の血は誘涎香血、あなたに力を与えるでしょう。それでどうかここを切り抜けてちょうだい」
ドルチェンは泣きながら、リュエの血を啜った。そして、リュエの体に己の法力を循環させ、死を引き留めようとした。
「・・・やめて、私を死なせて」
リュエが苦悶の表情を浮かべささやいた。けれどドルチェンは、
「あなたを死なせてなるものか。どれだけ力を使おうとも、あなたを失うものか」と唸るように言った。
「もう、無駄よ、私の命数は尽きたのよ・・・もう、私があなたを愛することはない、今度生まれ変わる時は男に生まれて、自由に生きたいわ」
「リュエ・・・お願いだ、死なないでくれ。私を残して逝かないでくれ」
リュエを抱きしめ、ドルチェンは泣きながら、血を啜り続けた。
「あなたを逝かせてなるものか・・・幻身となして、中有に留め置き、必ずいつの日にか、私のもとへ生まれ変わらせてみせる。この身がどうなろうとも、私は、あなたを取り戻してみせる」
ドルチェンの滑らかな皮膚は、細かな鱗に覆われ、緑色へ変わった。眸は縦に細長くなり、舌が長く伸びた。リュエを逝かせまいと凄まじい法力を循環させるうち、自身の人型が保てなくなっていた。
(ドルチェン・・・バカな真似はやめて・・・私を冥界へ行かせてちょうだい。幻身となし、中有へ縛り付けるなんてやめ・・・て)
リーユエンは夢から目覚めた。千年前の銀牙の女の意識から、現実に還ってきた。そして、あの夢の中のドルチェンが、猊下だと気がついた。のろのろと上半身を起こし、リーユエンは右側の顔を手で触れ、呆然とした。死の間際の感覚が、生々しく蘇り全身が瘧にかかったように震え、右目から涙がとめどなく溢れ出した。
その夢が、自分はリュエの生まれ変わりなのだと、気づかせた。もう二度と関わるまいと思い、別れを告げたドルチェンに、またもや関わり、深い関係を結んでしまった。おそらくドルチェンは気がついていたのだろう。ただ、自分は忘れていたのだ。そして思い出してしまった。
リュエは、ドルチェンを愛し、同時に憎んだ。夫として愛しながら、同族を滅ぼした玄武として、彼を憎んだ。現世とあの世の間である中有に、幻身として囚われていたときの、彼女の激しい葛藤が、リーユエンの意識に流れ込み、彼の精神を変容させた。凪いだ水面のように、平らかな鏡のようであった心の有り様には、もう二度と戻れないほど、激しく波立ち荒れ狂った。
リーユエンは声を殺して泣き続け、爪が食い込み、手のひらに血が滲むほど、手を強く握り締めていた。
翌朝、リーユエンの只事でない様子に、カリウラは困惑した。右側は、明らかに泣き腫らした顔だった。カリウラはリーユエンが泣いたところは何度か見たことがあるが、これほど酷く泣き腫らした顔を見たのは初めてだった。もしかしたら、猊下から連絡がきて、叱責でもされたのか、あるいは罰でも受けたのだろうかと思った。けれど、リーユエンからは何の説明もなかった。それに部屋へ運んだ朝食にも、彼は、全然手をつけなかった。黒い外套にくるまり、フードを被り、椅子に力無く座って、ただじっとうつむいて、心がどこかに行ってしまったような様子だった。アスラが生気を吸い過ぎたのかと思ったが、アスラも今朝は人型でいたが、何だか大人しかった。
カリウラはアスラへ声を潜めて
「リーユエンは一体どうしたんだ?」と、尋ねた。けれどアスラからは
「俺にも分からない。俺にはあいつの心の中まではのぞけないからな」と素っ気ない答えが返ってきただけだった。




