11 隊商は大峡谷へ至る(2)
リーユエンの意識は、北荒玄武国の座主に、囚われた。
座主は、あの夜、リーユエンを抱き、太師へ命じて刺青を完成させ、同時に法術で、玄武の紋を神聖紋の外側に焼き付けた。それは、座主の瑜伽業の相手を勤める明妃である印だった。神聖紋の上下に配置された玄武の甲羅から伸びた蛇身は互いに身をくねらせて交差し、鎖となって、座主の意識とリーユエンの意識をつないでいる。リーユエンの僕であるアスラが、不用意に呼びかけてしまったために、そのつながりが刺激され、座主の強大な法力が、リーユエンの意識を玄武の国まで引き寄せてしまったのだ。
「おや、取り込み中であったのか」
久しぶりに座主の声が聞こえた。
「騎獣に乗っていたら、アスラが失礼なことを・・・お許しください」
座主は鼻先で笑い「フフンッ、気になどしておらん。随分長い間、そなたを見ていなかったのでな、アスラの声が聞こえたので、思い切って引っ張ってしまったのじゃ」
そう言いながら、座主はリーユエンの心の中を余すところなく観察した。明妃と定まった者の心の中を、座主はすべて見通すことができた。
「ずいぶん生気を損なっているな・・・わしの法力で、練り上げるから、静かにしておれ」と、座主は言うや、いきなり法力を流し込んだ。
「ヒッ」
リーユエンの体が、いきなり淡い金色の光を纏ったので、そばにいたオマは腰を抜かしかけた。
「何なんだい、これ?」
荷車の中はものが一杯なので、リーユエンを床に寝かせ、オマがひとり入り口の側で座り込んで見張っていたのだ。
「オマ、どうかしたのか」
カリウラが、外から入り口の垂れ幕を捲り上げて、のぞき込んだ。
「いや、リーユエンの体がいきなり光ったから・・・」
「大丈夫だ。目を覚ますまで、放っておいてやれ」
カリウラにだって、すべて分かっているわけではないが、リーユエンが、玄武の国の座主とは、特別な関係であることを知っていた。ただ、それは機密事項で、オマに教えるわけにはいかなかった。
「分かったよ、放っておけばいいんだね」
微かに身じろぎしたリーユエンを、恐々と横目で見ながら、オマは念押しした。
座主は法力を流し込みながら、
「金杖国の王は、そなたに色目を使っておったなあ」と、つぶやいた。
「色目?王からは、息子の世話を押し付けられたのですが・・・」
「リーユエンよ、我が明妃よ、そなた、人の心の機微に疎すぎるぞ・・・危なっかしくて心配でならぬわ」
座主は、わざとらしく嘆いてみせたが、リーユエンは無反応だった。
「そなたが分からないのなら、それでもよいわ。ところで、そなた、家出少女のユニカについて、情報は掴めたのか?」
座主には何も隠し事はできないのが分かっているので、リーユエンは正直に答えた。
「ワタリガラスに依頼中です。大牙に付いた頃に、何か連絡があるかもしれません」
座主が笑う気配がした。
「南荒 金羽国の王家の第一王女は出来が悪く、素行不良のため、王籍を剥奪され、庶人に落とされ追放されたそうだぞ」
「えっ、それはユニカの事ですか」
リーユエンが珍しく焦った声を出した。座主は思った以上の反応に、機嫌が良くなった。
「ユニアナ王女殿下というお方だ。しかし公式の場に姿を見せたことがないので、王の家族以外、顔を知る者もいないそうだ」
「そんな厄介な者を雇ったのか・・・」
リーユエンは、彼女を、これ以上空中で監視業務をさせていいものやら、悩み始めた。
「明妃よ、ものは考えようだぞ。良い手駒になるやもしれぬ。追放の原因も、わしの方で引き続き調査してやろう」
そう言いながら、座主は、リーユエンが、心の中で、ユニカにどう反応するかを、じっくり観察していたが、彼は、彼女の事を、ただ保護者のように気にかけているのに過ぎないと分かった。座主は、つまらぬと独りごちた。明妃の心の中は、玻璃のように透明で静まっていて、愛執の情も憎悪の情も容易には現れない、心の中に葛藤が生じてこそ、強大な力の源となるのにと残念に思った。




