9 北荒 玄武の国の魔導師 (7)
「どうします?私たち、先に上がりますから、休んでから上がりますか?」
ニエザがうずくまるリーユエンへ声をかけると、彼は無言でうなずいた。声を出すのも苦しい様子だった。ニエザに目で促されたカリウラは、
「いや、おれは、こいつが上がれるようになるまで付いてるよ」と言った。ニエザは、ふうっとため息をつき「仕方あ・・・」と、 言いかけてやめた。いきなり目の前に、ヨーダムが現れたのだ。
「太師っ」
ニエザは慌てて拝礼した。太師は、鶴のように痩せて背が高く、真っ白な髪が腰のあたりまで伸びたのを、後ろで無造作に束ねていた。顔には、皺ひとつなく、ただ表情は厳しく、年齢がよく分からない顔立ちだった。
現れた太師は、リーユエンを見下ろすと、いきなり腕を伸ばし抱え上げた。
「エッ」
ニエザは仰天して、思わず声を上げた。長年お仕えしてきたニエザですら、太師が人に触れたところを見たことがなかったのに、リーユエンをいきなり抱き上げたので、物凄い衝撃を受けたのだ。
「この子は、わしが先に連れていく。おまえたちは、階段を上がってきさない」
そう言い残し、太師は消えてしまった。
残された二人は、数十分で螺旋階段を登り切った。最上階の部屋は、広々とした天井が高い円筒形で、壁には一丈はありそうな書架がずらりと並び、書物がびっしり詰まり、入りきらない書物は、その近くにいくつも山のように積み上げられていた。
一箇所だけ幅が二丈の広窓があり、外の吹雪が見えていた。
部屋の奥の方で、水音が聞こえた。ニエザは、また、仰天したが、今度は何とか声を殺した。けれど、さっきよりさらに衝撃は大きかった。
部屋の一角は、簡易な仕切りに中に水回りの設備があり、そこに大きな風呂桶が置かれ、湯気がたっていた。その中には、ぐったりしたリーユエンが入っていて、桶の側で太師が水桶から、湯を継ぎ足していたのだ。
それを目にしたニエザは、血相変えて飛んでいき
「太師、そのような雑用、私にお任せください」と、桶を手にとろうとしたが、太師は首を振り断った。
「かまわぬ、おまえは、食事の支度をせよ。リーユエンは冷え切っていたから、風呂へ入れた。これは、皮膚が弱くて、取り扱いが難しい。当分、わしが面倒を見る」
太師は、きっぱり言った。ニエザは口をパクパクさせたけれど、何も言わず、拝礼して下がった。
ニエザとカリウラは顔を見合わせた。
カリウラは、また、厄介な事が起こら無ければいいがと内心では気を揉んでいたが、この塔の主に逆らい、猛吹雪の中を放り出されたら死んでしまうので、何も言えなかった。
太師の言いつけどおり、横の台所で、食事の準備をしながらも、ニエザは時折、入浴の様子を盗み見た。太師は、湯をかけたり、体に触れたりして、何事か熱心に確認している様子だった。リーユエンの火傷の跡は遠目に見てもひどい状態で、左側の顔から肩腕にかけて、ひどく焼け爛れていた。太師は、壊れ物でも扱うような手つきで、リーユエンの肌や髪を洗い濯いだ。
(太師さま、一体どうされてしまったのだろう。あんな痩せっぽちの貧相な子供に、普段は絶対日常使用禁止の魔法まで使いまくって、まるでお気に入りの美姫でも扱うような手つきで、風呂の世話をするなんて、正気の沙汰じゃない)
しばらくすると、太師は服が濡れるのも構わずリーユエンを風呂桶から抱き上げ、タオルで包んだ。リーユエンの右側の頬は、珍しく血色が良くなり、白い地肌がうっすらと桃色に染まった。ニエザは、何だか見てはいけないものを目にしたような気がして、生唾をごくりと飲み込んだ。
カリウラは、ひたすら見て見ぬふりをし続けた。本当に危なくなったら、あの獣が黙っているはずがないと分かっていたからだ。




