9 北荒 玄武の国の魔導師 (3)
「大変だあっ、雪猿が出たぞうっ」
叫び声が上がり、松明がつけられ、天幕から大勢の人が飛びだした。リーユエンも声が気にかかり起き上がろうとしたが、獣に上から押さえつけられた。
「まだ俺は食事中なんだ、動くな」
「でも・・・」
獣は、リーユエンの体にのしかかったまま、鼻先を中空へ向けてヒクつかせた。
「昼間、おまえを襲おうとした馬鹿獅子がいただろう。雪猿に殺られたのは、あいつだ」
「えっ、私の血がついたせいなのか?」
ひっそり漏れた囁きに、獣は鼻を鳴らして笑った。
「フンッ、当然の報いだろう。おれのものへ勝手に手を出そうとして、無事に済むわけがない。雪猿はおまえの血の匂いに惹かれて、やって来たんだ。今、おまえが出ていって襲われでもしてみろ、皆に、血の事が知られるぞ。このまま、明日の朝まで、じっとしていろ」
獣は言いながら、リーユエンからごっそり生気を奪っていった。ひどい悪寒に襲われ、脱力した彼は、そのまま天幕の中で一晩過ごした。
翌日、天幕の布に若者の遺骸を包んで、残った二人の金獅子が穴を掘り埋葬した。雪猿は一匹だけ退治され、まだ屍体が地面に転がっていた。
大きさは一丈ほどで、雪のように真っ白な長毛が体中に生えて、鼻先の潰れた巨大な猿猴だった。
赤狐のハオズィも来ていて、雪猿を恐々と見ながら
「こんなものが、野営地にまで入り込んできたのは初めてだ。だいたい雪猿は用心深くて、人には近づかないはずなんだ。まして、金獅子を攻撃するなんて考えられない」と、首をひねった。
リーユエンは、離れた場所から、彼らの様子を見守っていた。まだ、体がだるくて動くのが辛い。それでも気になるので、天幕から出て確かめずにはいられなかった。そして、やはり自分の血には異常なところがあると、あらためて確信した。東荒を旅する間も、血が流れると、妖怪魔物に襲われた。血に惹かれ、血に酔ったように集まってきた。紅目の獣も、血を啜ったりはしないが、生気を欲しがった。一体、自分の血がどうしてそんなものを惹きつけるのかが、不思議でならなかった。
リーユエンが考えに沈んでいると、カリウラが気がつき、そばへ来た。
「もう気にするな。あれは、たまたま襲われたんだ」
「・・・・・」
リーユエンは、カリウラを見上げた。カリウラは珍しく不安そうな様子の彼を見下ろし、思わず彼の頭をくしゃくしゃと撫でてしまった。
「何が原因かなんて、今考えたってしょうがないだろう。とにかく、玄武の国へ無事到着して、それから考えたらいいだろ?」
「そうだね。玄武の国へ行けば、何か分かるだろうから」
東荒の洞窟で、リーユエンは、玄武の国の魔導師を幻視した。その幻視は、珍しいことに、相手の方も、リーユエンの存在に気がつき、呼びかけてきたのだ。彼は、リーユエンへ「わしは玄武の国の魔道を統べる導師、ヨーダムだ。おまえが、自分自身の事を知りたいのなら、わしの元へ来い」と言った。
幻視で、相手から反応が返ってきたのは初めてのことで、リーユエンは、この時、玄武の国へ行こうと決心したのだ。それに、今運搬中の薬材は、絶対に玄武の国へ届ける必要があった。リーユエンには、今年の冬、あの国で疫病が猛威を振るうのが、見えていたからだ。
ヨーダムと名乗る魔導師は、その後も幻視に現れ、リーユエンに必要な薬材を指示した。ヨーダムの指示通り、薬材を用意したのが、今運搬中の品物だった。これを、皆から白い目で見られようとも、絶対に届けなければならないのだ。
「カリウラ、悪いけど、また力が入らなくなったから、荷車を押してくれる?これはどうしても持っていかないといけないから」
カリウラは肩をすくめて、頷いた。
「ああ、押してやるよ。それに羚羊を一人説得して、荷車を曳きに来てもらおう」




