8 東荒の洞窟(2)
「三日後、川の水が黒く変わって溢れる。村は泥と岩で埋まる。ここにいたら皆んな死ぬよ」と、言い出したのだ。
カリウラはハンモックから飛び降り、彼の肩をつかんだ。
「おまえ、冗談でもそんな事を言うなっ」
けれどリーユエンは、カリウラを見上げ
「嘘じゃない。見えたんだ・・・」と言った。
カリウラには、まだその頃、彼の言う「見える」が理解できていなかった。それで、タチの悪い冗談を言う彼にすっかり腹を立ててしまい、
「出ていけ」と言って、肩を突き飛ばし、ハンモックへ戻った。突き飛ばされたリーユエンは尻餅をつき、しばらくして立ち上がると、
「忘れないで・・・三日後だからね。大雨が降るんだよ」と言い残し、カリウラの小屋から出て行った。
翌日、リーユエンの姿は、村から消えていた。誰も、彼ひとりがいなくなったからといって、心配する様子はなかった。他所の村人が立ち寄り、ふらりと旅立ってしまうことはよくあることだからだ。それよりも、村の入り口に二丈近い大顎鰐が一頭仕留めて置いてあったのが、大騒ぎになった。皆、誰が仕留めたのだろうと不思議がった。カリウラだけは、お礼として、リーユエンが置いていったのだろうと思った。カリウラの胸元にも届かない、痩せっぽちのリーユエンにそんなものが仕留められるはずがないと思う一方で、どうしてだか、カリウラには、彼が仕留めたものに違いないと確信があった。
カリウラは、大顎鰐を解体しようと集まってきた、両親、兄弟、親族たちに
「二日後、このあたりに大雨が降って川が溢れるから、もっと高台へ移動した方がいいと思う」と声をかけた。けれど、大刀をふるって肉を切り分けながら、彼の父親は
「何を寝ぼけたことを言っている。今は乾季だぞ。大雨なんか降るものか。だいたい、雨季の一番よく降る時だって、この村のある高台まで、川の水が迫ってきたことなんか一度もなかったんだ」と、言ってまともに検討する気もなかった。
「でも。水が黒く変わって溢れるって・・・」
言い淀んだカリウラへ、母が
「一体誰からそんな事を聞いたんだい?」と尋ねた。
「リーユエンが、昨日、村を出るっていって、俺に・・・」
母は頭を左右にふり
「あの火傷した子かい?ちょっと変わった子だったから、何か怖い夢でも見たんじゃないのかい?おまえまで、そんな夢の話を間に受けることはないよ」と、取り合おうとはしなかった。
けれど何回も話すうちに、カリウラの中には、リーユエンの言ったことは正しいのだと信じる気持ちが芽生えた。自分自身でも不思議だったけれど、二日後に迫った災厄に備え、荷物をまとめ、出ていく用意をした。
当日、乾季にもかかわらず、空気は湿気を含み、じっとりと重苦しい感じだった。川の上流を見ると、重なる高山の峰のあたりに真っ黒な雲が掛かり、時々雷電が鋭く閃き、遠雷が聞こえてきた。
カリウラはもう一度だけ、両親と村に住む親族全員の家を一軒一軒尋ねて、避難しないかと声をかけたが、皆、不要だと言い、小屋から出てこようともしなかった。
仕方なく、カリウラは村を囲う木の柵につくられた門を出た。川を見下ろすと、リーユエンの言ったとおり、見たこともない黒い水が激流となって下っていき、みるみる水嵩が増してきた。そして、突然、天から、当たると痛いほどの雨粒が、激しく降りかかってきた。カリウラは全速で村を出て、さらに高台を目指した。けれど雨で視界が悪く、足元もみるみるぬかるんで、中々進めなかった。川の方から聞いたこともないゴオーッという大音響が聞こえてきた。その時、何かが、カリウラの首筋の後ろ側をそっと噛んだ。一瞬、殺られると思い、身を竦めたが、気がつくと、激しく降りかかる雨の中、体が宙に浮かんでいた。
「じっとして、動かないで」そばで、リーユエンのくぐもった声がした。
カリウラの体は雨の中、宙に浮いたままゆっくり移動した。そして、彼は視線を下に向け、自分たちの村が氾濫した濁流に呑み込まれていくのを見た。
「父さんっ、母さんっ」
カリウラは腕を下へ伸ばし絶叫した。だが、もう手遅れだった。小屋の草葺き屋根すら見えなくなり、村の入り口にあった門柱が倒れ流されていった。
しばらくして、カリウラは不意に地面へドサッと落とされた。その隣に、真っ白な地に黒い縦縞がうっすら入った獣が降りてきて、転身を解くと、リーユエンが現れた。カリウラは、上半身を起こすと、うつ伏せになったまま荒い呼吸を続けるリーユエンを見下ろした。




