7 裸牙ネズミの女王(6)
騎獣の上からリーユエンは、魔獣へ指先を向け、
「おまえに名をつけてやろう」と言った。
闇に溶け込み輪郭すら定かでない魔獣は、紅い眸を光らせ、彼を見上げた。
リーユエンの紫の眸が強い光を放ち、声が冷え冷えと響いた。
「おまえの名はアスラだ。アスラよ、リリスを滅っせ。私の受けた恥辱を雪ぎ、リリスもろともその一族を消し去れ」
その瞬間、魔獣は強く発光し、青白い炎を吹上げ姿を変えた。体中に神聖紋が現れ、神聖紋に無数の粒子が行き交い、それは純白の波打つ毛並みへと変わり、金色の眸が三つある、巨大な獣が咆哮した。
リリスは、「愚かな事を」と叫び、転身した。転身し始めたリリスを見たデミトリーは「ギャッ」と、叫んでのけぞり、騎獣から落ちかけて、ヨークに支えられた。
まわりを囲む裸牙ネズミの十倍近い巨大な裸牙ネズミが現れた。
転身したリリスは、前足のかぎ爪を振り上げ、アスラへ襲いかかった。けれど、アスラの敵ではなかった。アスラの体から、青白い炎が吹き上がり、それがリリスへ届いた瞬間、焼き尽くされ灰滅した。周りに集まっていたリリスに仕える裸牙ネズミたちにも、炎が一斉に襲いかかり、あたりは真昼の明るさとなり、一瞬で全てが焼き尽くされた。
砂漠は再び深閑とした静けさに戻り、砂が流れる音が微かに聞こえるだけとなった。アスラは転身を解くと、漆黒の長髪が波打つ青年へと姿を変えた。その時、リーユエンが気を失った。アスラは、騎獣から落ちかけた彼を抱き留めると、そのまま鞍へまたがり、供乗りした。そして、ぐったりと脱力したリーユエンの耳元へ口を近づけ
「名付けてくれて、ありがとう」と、囁いた。
ヨークは、その様に恐懼した。
(あれは間違いなく神聖紋だった。異界の魔獣の体になぜ神聖紋が現れたのだ?それにあの名付けは、まるで新たな契約だった。どうして、あのような事ができたのだ?あれは、ただの魔獣ではなかったのか?)
深く考えに沈んだヨークの横では、デミトリーが騎獣の上で、
(あの美しくて淑やかなリリスの正体は、牙とかぎ爪がある巨大な裸ネズミだったのか・・・あんまりだ。あんなに綺麗な女だったのに・・・一瞬で灰になって消えてしまった。どうして、あのリーユエンの奴が絡むと碌でもない事ばかりが起こるんだ。あいつこそ、疫病神じゃないか)
リーユエン絡みで、散々酷い目にあって来たデミトリーは、彼を恨む気持ちで一杯だった。ここが砂漠でなかったら、もう縁切りして、さっさっと金杖国へ帰国したいところだった。
ようやく冷静さを取り戻したヨークは、アスラへ近寄り
「リーユエン殿はどうされたのだ?」と、尋ねた。アスラは、リーユエンをしっかり抱き留めたまま、ヨークを紅目で鋭く一瞥した。
「我が戦っている間、主はずっと生気を送り続けていた。だから、疲労しているだけだ。しばらく休めば回復する」
「体の接触がないのに、生気の受け渡しができるのか?」
ヨークの知る限り魔獣使いは、自身の血を与えたり、生気を与えて魔獣を手なづけるが、それは身体の接触がなければできないはずだった。しかし、リーユエンを抱え直しながら、アスラはにやっと笑った。
「主は、我に名をくれた。我は主の完全な僕となった。だから、どこにいようと主と繋がっている。主の命が尽きるまで、この繋がりが絶えることは決してない」
「・・・・・」
ヨークの知る限り、それは魔獣使いの行う契約ではなかった。そのような繋がりを作り出せるのは、神聖獣を召喚し、誓約を交わした時だけだ。けれど、神聖獣の召喚は、過去千年の間、記録になかった。
(リーユエンは、神聖獣を召喚したのだろうか?しかし、どうして神聖獣が異界にいることがありうるだろうか?神聖獣は、天界に存在する獣のはずなのに・・・)




