7 裸牙ネズミの女王(4)
リリスは、老師の素っ気ない態度を気にする風もなく、ススッツと間近へ近寄り、含羞を含んだ眼差しで彼を見上げ
「老師は、ご年配のお方だと思っておりましたが、存外お若くていらっしゃるのですね」と、話しかけた。リリスに下からフードをのぞき込まれたリーユエンは、一歩下がってフードを脱いで顔をあらわにし、
「日が暮れたら出発します。それまでゆっくりお休みなさい」とだけ言った。
リリスはリーユエンの顔をじっと見つめ
「ご親切なお方、ありがとうございます」と優雅に拝礼すると踵を返し、天幕から出ていった。リリスが去るや、リーユエンの眉間に深い縦皺が寄った。ふだん表情の変わらない彼が、あからさまに不快な表情を見せたことにカリウラは驚いた。
「あの女がどうかしたのか?」
「あれは、人外だ」
「やはり そうなのか・・・」
それを耳にしたデミトリーは顔を真っ赤にし
「あんな高貴なご婦人を人外呼ばわりするのはやめろっ、いい加減なことを言うなっ」と、彼へ食ってかかった。リーユエンは、デミトリーを一瞥すると、無言で頭を振った。デミトリーは自分の味方をしてくれるだろうと思い、ヨークを見たが、彼も無言でリーユエンの様子を見守っていた。
「あれは、裸牙ネズミの雌だ」
リーユエンの言葉にヨークもうなずいた。
「裸牙ネズミ?」
デミトリーはその人外の名を知らなかった。
ヨークは、
「異界の生き物ですから、このような人界にはいないはずなのですが・・・」と、言った。
デミトリーは剣の柄に手をかけ
「本当に人外のものなら、切り捨ててしまえばいいだろう」と、言った。
けれど、リーユエンは首を振り
「裸牙ネズミの雌の下には、百匹余の集団がついている。彼女は、人型を取れるほど妖力が強いのだから、支配する仲間の数も相当なものになるはずだ」と言った。
ヨークも深刻な表情で
「厄介な相手ですね。どこかに仲間がついて来ているはずです。人界に出てきて飢えているかもしれない」と付け加えた。
ふたりの話を聞いたカリウラは
「まさか、ここの超凶暴大砂虫が消えたのは、あいつらネズミの化け物が食い散らかしたからなのか?」と、身震いしながら尋ねた。
「ああ、砂虫は一匹残らず、食べられたのだろう。あれを殺るなら、仲間ともども葬らないと、一匹でも残れば雌化して、また仲間を増やすだろう」と、リーユエンが言った。
赤天幕にもどってきたリリスへ、オマが声をかけた。
「どこへ行っていたんだい?」
リリスはオマを見て、にこっと微笑んだ。
「 いま一度、あらためて御礼を申し上げたくて、総隊長の天幕へうかがいました」
「それはまあ、ご丁寧なことだね。早くお休みなさい」
リリスは頷き、天幕へ入った。
(とうとう、坊やをみつけた。あんなに大きく立派になって、私の坊やを、あの魔獣から取り戻し、異界へ連れて帰らねば)
リリスは、今し方見たリーユエンの姿をうっとり思い出した。異界へ堕ちてきた少年、リリスに血を与え、変身の力を授けてくれた。彼女に奇跡を与えた少年は、火傷を負っていた。赤狐が「老師」と呼ぶ、あの若い男は同じ場所に火傷があり、見間違えようのない、けぶるように輝く紫水晶の眸の持ち主だった。あの者を我が手のうちへ取り戻さなくてはならない。新しい力を得た私に相応しい伴侶こそ、あの男だ。
(どんな事をしてでも、手に入れるのだ)
リリスは配下のものたちに密かに下知した。
明るい月明かりの下、天幕は砂漠のうちに深い陰影となって沈み、皆は眠りについた。夜明け前のもっとも深い闇の中、裸牙ネズミは砂の中から一匹また一匹と現れ、岩山の隙間に身を隠し、女王からの新たな命令を待った。




