47 離騒(6)
(シュリナの独白)
私は朝が苦手だ。いつまでも寝ていたい方だ。ところが今朝は、ウラナが、聞いたこともないすごい悲鳴を上げたので、寝台から飛び起きた。
「ウギャアァァー」と、ウラナの断末魔みたいな叫びが、響き渡ったから、私は寝室を飛び出し、ウラナのもとへ駆けつけた。
ウラナはリーユエンの寝室にいた。私は
「ウラナ、どうしたっ、リーユエンに何かあったの?」と、呼びかけた。
ウラナは、何か黒い塊を握りしめ、ワナワナと震え、泣き出しそうな顔をしていた。そして、私の方を見て、「リーユエン様が・・・リーユエン様が・・・」としか、言わなかった。部屋が薄暗いので、私は、窓の鎧戸を開けた。朝日の中で、ウラナが握りしめていたのは、黒く長い糸、いや、それは髪の毛の束だった。
「えっ、その髪の毛の束、誰の?・・・まさか」
私も驚いた。寝台を見ると、もぬけの空だった。
ウラナが、「こ、これを、読んで」といい、握りしめていたせいで、ぐしゃぐしゃになった手紙を差し出してきた。私は、それを受け取り、皺を伸ばして、読んだ。驚いた。そして、一晩中リーユエンに付いていてやるべきだったと心底後悔したよ。
手紙には、『ウラナ、今まで本当にお世話になりました。ありがとう。猊下は、私に好きに生きよと仰せなので、しばらく自由に過ごします。猊下は、お待ちになっていらっしゃるそうなので、いずれ玄武の国へもどります。それまで、離宮を管理してください。もちろん、新しい明妃が決まったら、その方に離宮へ住んでもらってください。私は、どうしても見に行きたい場所があるので、旅に出ます。さようなら。あなたには、言葉に尽くせないほど感謝しています。リーユエン』と認めてあった。
ああ、残念だ。ひっついていたら、一緒に旅立てたかもしれなかったのに・・・今からでも合流できないかしら、残念でたまらない。
(ウラナの独白)
ああ、何ということでしょう。あの方が泥酔して帰ってこられた時点で、疑うべきだったのです。あの方は、いくら呑んでも、泥酔なさるような方ではないのです。猊下から、あまりに大量の法力を与えられ続けたために、もうすっかり酔わない体質に変わっておられたのです。それなのに、あの泥酔したお姿に、珍しいこともあるものだと、すっかり騙されておりました。
でも、仕方ございません。あのお方が決断さなった以上、誰もそれを止めることなどできません。
後で聞いたところでは、王太子殿下が途中で気がつき、止めようとなさったそうです。けれど、黄金獅子へ転身してさえ、リーユエン様の張り手一発で伸されたそうでございます。
当然です。ふんっ、リーユエン様は玄武のドルチェン様とだって、闘い合えるほどお強いのです。黄金獅子など何ほどのものでしょう。もう、お髪のお手入れができないのかと思うと悲しくてたまりません。けれど、いつかお戻りになると書き残していらっしゃるので、私は、離宮でお待ちいたします。リーユエン様に二言はありません。きっと帰っていらっしゃるに違いありません。その日を、ウラナはいつまでもお待ち申し上げます。
その朝、王宮にも、リーユエン出奔の報があった。それは影護衛府のザリエル将軍からだった。ゲオルギリー陛下は、難しい顔で黙り込んで、報告を聞くと、将軍へ、「それだけか?」と、尋ねた。
将軍は、陛下を見て、ニヤッと笑った。
「実はね、ヨークがこっそり跡をつけていったんです。どうしても、嬢ちゃんから離れたくないそうです。ただ見つかったら追い返されるから、ずっと影のまんまなんで、ちょっときついお務めになりそうです」と言った。
陛下はため息をつき、「はあぁぁーっ、朕の女にできればよかったのだが、デミトリーには荷が重かったか・・・」と、漏らした。
将軍は、「外苑の爺様は、出て行ってくれてよかったと言ったそうですよ。俺も、爺様の意見に賛成です。嬢ちゃんは、後宮で大人しくしてるような女じゃありませんよ。あんな野生児、今頃、東荒のどこかで大顎鰐でも、嬉々として捕まえているでしょうよ」と、話した。将軍は、離宮で魚を捕まえ、嬉しそうに無邪気に笑ったリーユエンを思い出し、微笑んだ。そして、
「きっと、元気にしてますよ」と、言った。
陛下は、宙を見上げ、(グレナハ、そなたを自由にしてやることは叶わなかったが、そなたの子供は自由にしておる。それで、どうか、満足してくれ)と、昔日の紫眸の女を偲ばれた。
数日後。
デミトリーは、沈んだ顔で、リーユエンがよく使っていた、中庭の東屋の前に佇んでいた。
東屋の中には、青い布張りの長椅子があった。
彼の目には、真珠色の光沢のある衫と、細かい蓮華唐草紋様を銀糸で織り込んだレースを重ねた花群青の裙、濃紫の袍をまとう、長い黒髪の彼女の優雅な姿が、有り有りと見えていた。髪を切り、自分を冷たい目で見つめたリーユエンの姿と、優婉な笑みを浮かべる彼女の姿は、あまりに違いすぎて、せっかく見えた彼女の姿は、涙で溶けて消えてしまった。彼は、長椅子へ近づき蹲ると、その座面に頬をすり寄せ、
「リーユエン」と、ひっそり彼女の名を呼んだ。
座る主のいない長椅子からは、微かに茉莉花の残り香が香るだけだった。
続きを、また新しく始めます。東荒探検編です。リーユエンは、東荒の最果ての地を目指します。
その目的と、その地で出会うもの、よかったら引き続きお読みください。




