47 離騒(5)
デミトリーは、膝から崩れ落ち、リーユエンへ向かって両腕を伸ばした。
「どうして、そんな酷いことばかり言うんだ?俺が、考えなしに何でも言ってしまう奴だって、君にはよく分かっているだろう?おまえって呼ぶのが気に入らないのなら、もう二度とおまえなんて呼ばない。だから、そんな事を言うのはやめてくれ」
リーユエンは、デミトリーを見下ろし、
「私とあなたの縁はもう切れたのだ。凡人の中で、愛するのはあなただけだ。これだけは、私の本心だ。けれど、王太子妃にはならないし、金杖王国に留まるつもりはない。私は、本来は男として生まれたのだ。猊下が経絡を触り、女に変えてしまった。私の心の中には、どうしても男に従えない部分がある。それは、たとえ愛する者に対してでも変わらない。あなたが私を愛そうとも、私はあなたの愛に配偶となることで応える気はない」と、淡々と語った。
リーユエンを見上げる琥珀色の虹彩の中で黒い眸が縦長に狭まり、その両腕は地についた。そしてデミトリーは、
「男に従えないというなら、俺の力で従わせる」と低く唸るようにいい、黄金の火焔が逆巻く黄金獅子へと転身した。そして、
「おまえを、絶対ここから出さない。俺の力で閉じ込め、従わせる。おまえは、俺のものだ」と叫んだ。
リーユエンは、後退りすると、
「では、戦うしかないな」といい、突如全身から眩い白金の光を発し、転身した。そして、白金の火焔が霊気となって渦巻く、白虎が現れた。
デミトリーは咆哮を上げ、跳躍し白虎へ襲いかかった。白虎は、牙を剥き出し、辺りに轟く恐ろしい咆哮を上げた。白金の火焔がデミトリーへ生き物のように伸びて襲いかかり、彼を吹き飛ばし、地面へ叩きつけた。
白虎は倒れたデミトリーへのし掛かり、前足の一撃を顔面に喰らわせた。凄まじい衝撃を顔面に受け、デミトリーは気を失った。
転身を解いたリーユエンは、足の小指から抜け落ちた銀針を草むらへ投げ捨てた。そして、気絶したデミトリーを肩へ担ぎ上げ、歩き出した。
「ここは・・・?」
黒光する剥き出しの梁と漆喰塗りの天井が見えた。それで、王太子宮の寝室ではないことに気がついた。窓から差し込む朝日が、目に入って眩しさに手で光を遮り、デミトリーは、上半身を起こした。外から小鳥のさえずりが聞こえてきた。
「目が覚めたのか。朝食を用意したから、食べてから帰りなさい」
それは、王后の父、デミトリーの祖父の声だった。
「お祖父様・・・」
灰色の巻毛ひげの老人が、居間の暖炉の前で鉄鍋をかきまぜていた。
デミトリーは、ここが外苑の番人小屋で、居間の長椅子に寝かされていたことに気がついた。そして、顔の左側がズキズキ痛み出した。
「・・・痛い、俺は、どうしてここに?」
老人は、鍋の中身をじっと見ながら、
「おまえを、リーユエンが背中に担いで運んできたのだ。夜明けに扉をドンドン叩かれて驚いたぞ」と、言った。
デミトリーは、記憶が一気に戻り、飛び起きて、
「リーユエンは、あいつは、どこにいる?」と、叫んだ。
老人は、鍋から顔を開け、
「リーユエンは、出ていった。遠くへ行くそうだ」と答えた。
デミトリーは、目を見開き、老人を見つめ、
「お祖父様、止めなかったのか」と、言った。
老人は、「黄金獅子となったおまえですら、戦って勝てなかった相手だぞ。すでに、黄金獅子の力を失ったわしが戦って勝てるはずないだろう。あの女は、もう人外に等しいほど強大な力を持っている。この国を出ると決めたからには、誰にも止めることなどできない」と、言った。
「そんな・・・どうして・・・リーユエンは俺を愛していると言ったのに、どうして逃げ出してしまったんだ」
デミトリーは、頭を抱え込み呻いた。老人は、
「髪を短く切っておったから、最初は誰かわからなかった。影護衛が運んできたのかと思った。彼女は、王太子妃は、他の者を選んでほしいと言っておった。自分が後宮に入れば、禍根となると・・・」と、伝えた。
デミトリーは、怒り
「そんなの勝手な言い分だ。どうして禍根になる?俺が愛しているのに、父上だって、母上だって、認めているんだ。どうして、そんな事をいうのか訳が分からない。追いかけて連れ戻すよ」と、立ちあがろうとした。
けれど老人は突如厳しい声で、
「ならぬっ、もうやめておけ。あの女のことは捨ておけ、自由にさせろ。黄金獅子の力でも、あの女を御することは無理だ。それこそ、玄武のドルチェンほどの力がなければ無理なのだ。あの女を後宮へ入れて、もし、おまえに悪意を抱くようになったら何が起こると思う?この短期間で、陛下を籠絡し、影護衛を手懐け、近衛左軍大将にまで気に入られた女だぞ。その気になれば、この国だって乗っ取ってしまいかねない。それほど危険な女を、おまえは愛の力だけで、本当に御しきれると思うのか?」と、諭した。
「・・・・・リーユエンは、そんな事はしない。そんな奴じゃない」と、デミトリーは悲しげに言った。けれど老人は首をふり、
「今はそうでも、将来はどうなるかわからない。おまえは、まだ黄金獅子として決闘すらしたことがない身なのだ。おまえは、あの女のくぐってきた修羅場を経験していない。あの女は、必要となれば、非情な決断をくだせるのだ。侮ってはならない。おまえには、あの女は相応しくない。あきらめなさい」と、言い切った。




