47 離騒(4)
夜明け前の闇の中、リーユエンは目覚めた。そっと起き上がると、髪をさっと梳り、肩の下あたりで一つに束ねると、その束ねた根元の上からはさみで髪を一気に切り落とした。ウラナ宛の簡単な手紙とともに、切り落とした髪の束を寝台の前の脇テーブルにそっと置いた。それから、影護衛服を取り出し着替えると、外へ忍び出た。
月明かりもない新月の夜だった。リーユエンは気配を消して、後宮の庭をつっきり、外苑を目指した。が、しばらく進むと、後をつけて来る者がいるのに気がついた。リーユエンは立ち止まり、振り返ると、
「誰だ」と、静かに問うた。
闇の中から、黄金色の巻毛の若者、王太子が現れた。デミトリーは、闇を見通す目で、髪が短いリーユエンの姿を目撃し、凝然となった。そして、ギクシャクと右手を持ち上げ、彼女を指差し
「か、髪を切ってしまったのか・・・正気なのか?」と、震える声で尋ねた。
リーユエンはうっそりと笑い、「似合うかな?」と、尋ねた。
デミトリーは、非難するように
「髪を切り落とすのは、金杖王国では、最も不名誉な刑罰なんだぞ」と、答えた。
リーユエンは薄笑いを浮かべたまま、デミトリーへ流し目を寄越し、
「そうね。国王陛下と王太子殿下の恩に報いることもせず、出奔するのですから、髪を切り落とした程度で、許されることではないでしょうね」と、言い返した。
デミトリーの目が見開いた。
「出奔?どういうことだっ、王太子妃になってくれるんだろう?」
デミトリーの訴えに、リーユエンは首を振り、
「王太子妃には、金獅子の一族から、誰か相応しい女を選ぶべきよ。私は、王太子妃にはならないわ」と、答えた。
「どうして?俺のことを、愛してくれたじゃないか。あれは嘘だったのかっ、そんなはずないっ」デミトリーは涙声で訴えた。
リーユエンの紫眸が、デミトリーを見つめた。情に潤んだ眸が、星のように煌めいた。
「凡人で愛する人はあなただけよ。あなたを愛している」
デミトリーは側へ近づこうとしたが、リーユエンは素早く距離をとった。
「俺を愛しているのなら、どうして、ここから出ていこうとするんだっ、ずっとここで暮らせばいいじゃないか。父上も母上もロージーも、おまえがいることを歓迎する。玄武国のような居心地悪さはないはずだ」と、訴えた。
リーユエンはうつむき、
「猊下は、私との繋がりを絶ってしまわれた。玄武紋は何の反応も示さなくなった。おそらく、私はもう自由の身なのだと思う」と、ささやいた。
「それなら、なおの事、俺と一緒にここで暮らそう。俺を好きなんだろう?俺も好きなんだから、王太子妃になって、一緒にずっと暮らそう。俺たち、家族になろうよ」と、さらに訴えた。
ところがリーユエンは、デミトリーをしばらく見つめたあと
「猊下は、私のことをいつまでも待つとおっしゃったわ。アプラクサスが、そう伝言してくれた。私は猊下のお心に背くことはできない。猊下のお心が私にある以上、私は猊下のもの、あなたのものには、なれないわ」と、冷たい口調で宣告した。
デミトリーは、体中の血が一瞬凍りついたように感じ、それから、沸騰するほど熱く感じた。
「そんな・・・そんな論理はおかしいだろ。正気じゃない。誰かのものかどうかなんて言うのは間違っている。自分自身で相手を選ぶべきだ。立場は同等だろ?」
しかし、リーユエンは冷笑を浮かべ
「あら、あなただって無意識にそう思っているでしょう?契った途端に、私のことを、おまえ呼ばわりして、王太子妃になるのが当然という態度に変わったじゃないの。あなただって、紋こそいれないけれど、王太子妃という身分で私を縛りつけようとしているのよ。やっていることは、猊下と大して変わりないわ」と言い、続けて「国王陛下にも、あなたにも、陽気を授けていただいて、大きな恩があるから、別にとやかく申しあげませんが、離宮に閉じ込められたり、意地悪な側妃からはひどい暴力を受けたし、巻狩りでは手首を負傷したし、その後は危うく刺し殺されるところだった、そのうえ、陰険な魔導師の先輩からは紋つきの奴隷だと罵られた。私だって辛抱を強いられたのよ。もう、自由にさせてもらうわ」と、言い返した。
デミトリーの心の中は、恐慌状態となった。目の前に立つ女が、本当にリーユエンなのか信じられなくなった。口元に冷笑を浮かべ、嘲る様子は、まるで別人だった。
「リーユエン、リーユエン、一体どうしてしまったんだ。君は、そんな人じゃないだろう?」デミトリーは悲しい声で訴えた。けれどリーユエンは、肩をすくめ
「いや、最初に会った時、あなたが言ったことは、かなり核心をついていた。私は、こういう人間だ。私は、魔導師にもなれない、明妃位も務まらない、どうしようもない奴で、謀をめぐらす邪な魔獣付きだ。私なんかを後宮に置いたら、禍の種にしかならない。さっさと追い出すのが、正解だ」
それは、最初に出会ったとき、法務院で自分を縛し、身動きできない自分へ言い聞かせた老師の口調とそっくりだった。デミトリーの目から涙が溢れ、
「本当の君が、もう、分からなくなった。後宮の東屋で長椅子に腰掛ける君は、あれは本当の君じゃなかったのか?」と、訴えた。けれどリーユエンは、鼻で笑い、
「ふんっ、あんなものは、玄武の惜春楼で仕込んだ、妓女の技さ。国王陛下に聞いてみればいい」と、嘯いた。




