7 裸牙ネズミの女王(1)
燻製肉の匂いに反応したリーユエンは、右目を見開き起き上がった。カリウラは、左手につかんだもも肉の塊を宙で揺らし、片目をつぶって
「食うか?」と戯けてみせた。リーユエンは、こくこく、とうなずいた。
もも肉へ齧りつくリーユエンの横で、カリウラも自分の分に齧りつきながら
「胃袋の調子は良くなったのか?」と、尋ねた。すると、リーユエンは
「魔獣が、昨日の晩に治してくれた」と、答えた。
もも肉が骨だけになると、リーユエンは、カリウラへ
「この先は砂漠地帯だな」と、話しかけた。カリウラは大きな肩をすくめ
「そうだ、大砂虫のいる砂漠だ」と応え「偵察がいるな」と付け加えた。
「私が行ってくるよ。ユニカを飛ばすのは、まだ無理だろう。羽を痛めているから」と言い、立ち上がった。
カリウラも立ち上がり
「朝は、フラフラだったろう。空に上がれるのか?」と、心配そうに尋ねると
「三千丈くらい先までなら、見てこられると思う。すり鉢上の穴が空いている場所を見てくるよ」と答えた。それから、白虎へ転身すると空へ駆け上がった。
中央大平原の南や北にも砂漠地帯があり、そこにも砂虫は生息する。その大きさはせいぜい一丈から二丈ほどで、性質も大人しい。ところが、西荒への途中、ゲル砂漠に生息する大砂虫は、全長が六、七丈に達するものもいて、気性も荒かった。砂地にすり鉢状の巣穴をつくって籠り、近づく生き物の振動を感知するや、巨大な顎を突き出し襲いかかり、巣穴へ引きずり込んでしまうのだ。砂虫には手足が見当たらない。何十個とある体節を伸縮させて移動する。眼球も退化してなくなっていて、ほぼ百八十度に開閉する巨大な口に、伸縮する巨大な顎が特徴だった。幸い、動きはそれほど素早くないので、巣穴を予め避けて十丈以上離れて通れば、襲われる可能性は低かった。
黄金鷲のユニカほど遠目の効かないリーユエンは、かなり高度を下げて砂漠の上を走ったが、砂虫の所在を示すすり鉢状の穴は、ひとつも見当たらなかった。不思議に思い、さらに地上へ近づいたが、ただ風紋が刻まれた砂丘と、あとは石ころ混じりの荒地が茫漠と広がるだけだった。その時、彼は奇妙な幻視に襲われた。体毛のない皺だらけの皮膚の、醜い生き物が何百匹と集まり、大砂虫を食い尽くす様だった。
(この生き物は・・・)
日が傾き始めたので、リーユエンは偵察を終わらせ、カリウラたちの待つ場所へ戻った。
リーユエンの報告を聞いたカリウラは首をひねった。
「すり鉢状の穴がひとつもなかった・・・?」
そんな事があるだろうか。過去何十年、いや何百年もの間、ゲル砂漠を行き交う旅人を悩ませてきた、あの災厄の生き物がいなくなるとは、にわかには信じ難い。
「変な生き物が見えたんだ」リーユエンがひっそりと言ったのを、カリウラは聞き逃さなかった。
「見えたって、例の頭の中で見える・・・あれか?」
カリウラが自身の禿頭を指差し尋ねるのへ、リーユエンは黙ってうなずき返した。
「見えたって、どんなやつだ」
「口から長い牙がはみ出ていた。鼻先が尖って、体に毛がない。薄桃色でしわくちゃで、前足にも長い爪がある。目はほとんどなくなっている。尻尾も短い」と、淡々と説明したが、彼自身はその生き物を以前に見たことがあった。その生き物を見たのは、彼が異界へ堕ちたとき、墜落して動けない彼のもとへ無数の生き物が寄ってきて、その中に何百匹もいたのが、それと同じ生き物だった。
彼の中の魔獣が
「おまえが幻視したのは、異界の裸牙ネズミだろう」と言った。
どうして異界の生き物が、ゲル砂漠にいるのか、不可解だった。異界に堕ちたリーユエンの体に噛みつき、真っ先に血を啜り出したのが、あの裸牙ネズミたちだった。それを思い出すと、体温が下がって目の前が真っ暗になった。それは、実に不快な記憶だった。




