44 後始末(4)
香車は、将棋の駒にもございます。「名人に香車を引く」なんて話もございますが、
こちらの香車は、妓楼の遣り手婆のことでございます。
妓女を取り仕切る、怖いお方でございます。
殿舎の方から、もの哀しい琵琶の音が聞こえてきた。嫋々とした琵琶の音は、まるで思い人を偲ぶ者の啜り泣きのようにも聞こえ、心を揺さぶる響きだった。
王后は、四傑を従え、足音を忍ばせ、そっと明かりが漏れる窓の下まで近寄った。すると、ちょうど曲の終わりとなり、琵琶の音が止んだ。
ゲオルギリーは、上機嫌で拍手し、
「手遊びどころか、昔聞いたことのある、玄武国の妓楼の芸妓なみの巧みさではないか。実に懐かしい曲を聞かせてもらった。しかし、一体、その曲をどこで習ったのだ?朕も、玄武の国でしか、聞いたことがないのだが・・・」
ゲオルギリー陛下の問いかけに、弾き終えた琵琶を長椅子の背にそっと立てかけながら、リーユエンは、
「さようでございますね。この曲は、昔、玄武一の芸妓といわれた惜春楼のナイナイの十八番でございます。陛下がお聞きになったのは、ナイナイの演奏ではございませんか?」と、応えた。ナイナイという名を耳にした瞬間、ゲオルギリー陛下の目が、宙を泳いだ。
リーユエンは、ゲオルギリーの動揺を横目にチラッと見ながら、
「私が、明妃位を授かると、私の下に、侍女頭としてウラナが参りまして、明妃には必要なことだからと、作法や所作、言葉遣いなど色々指導を受けました。けれど、私には、ウラナの言っていることがまったく意味不明で、困り果てておりました。私は、その頃、魔導士学院へも通っておりましたので、ウラナのいう事を理解するのは、魔導空間幾何学の問題を解くより難しいと思っておりました。
そんなある日、学院の帰りに、同窓の者に誘われてついて行った先が、妓楼だったのです。ものを知らない私は、建物の中へ入っても、妓楼が何のための施設なのか全然分かっておりませんでした。同窓の者たちの行動で、ようやく気がついたものの、妓楼遊びなんてするわけには参りませんから、手洗いに立つふりをして、隠れてやり過ごそうとしたのです。それを、香車に見つかってしまって、ふざけているのかと怒られたのです。仕方ないので、皆が私を男だと思って妓楼へ誘ってくれたけれど、何をするところか知らないでついて来ただけなので、帰らしてほしいと話しました。香車はものすごくおもしろがってゲラゲラ笑ったのです。そして、別室へ案内してくれて、色々話すうちに、私の悩みを知った香車は、金を出す気なら、おまえが知りたいことは全部教えてあげようと言ってくれたのです」
ゲオルギリー陛下は、ますます落ち着きがなくなってきた。リーユエンは淡々と話し続けた。
「いつか役に立つだろうからと、芸妓の扱う琵琶や箜篌の奏法をみっちりご指導してくださいましたし、それに、玄武や凡人に対する時の所作や、寝屋事のあれこれも詳しく教えてくださいました。それに踊りや舞も教わりました。そのために私は、香車に金貨百枚を支払いました。それでも習うだけの値打ちはあったと思います。陛下も、ご満足いただけましたでしょうか?」と、にこやかに問いかけた。
ゲオルギリー陛下は、うなずいた。
「ああ、十分すぎるほど、あなたには楽しませてもらったが、その香車というのは、まさか・・・」
途中で、言葉が途切れてしまった、図太い陛下でさえ、その名は、恐ろしくて口にすることができなかった。けれどリーユエンは、にっこり微笑んで、
「ええ、陛下もよくご存知でいらっしゃる、ナイナイでございます。それから、ナイナイからは、陛下に、もしお会いする機会があれば、惜春楼と、彼女への付けとなっている、出世払いのお約束である、六万デナリウスを早くお支払いくださいとお伝えするように頼まれおります」
陛下は、思わず椅子から立ち上がり、
「六万デナリウスだとっ、そんなに踏み倒してはおらんはずだ」と、抗議した。けれど、リーユエンは無邪気な表情で、
「ですが陛下、もう随分月日が過ぎておりますから、当然利子がついております。金杖王国の国王陛下にまで、ご出世あそばされたのですから、そろそろナイナイへお支払いになってくださいませ」と、話した。
ゲオルギリー陛下は、もの凄い衝撃を受けた。
(何ということだ・・・リーユエンの寝屋でのあんな事もこんな事も、すべてナイナイの教えだったというのか?朕は、またしても、あの魔性の芸妓、ナイナイの手のひらの上を転がされていたというのかっ・・・)
魔導士学院にいた頃、放蕩の限りを尽くした思い出が甦り、魔性の芸妓ナイナイに振り回されたあれやこれやが、走馬灯のように脳裏を過った。ゲオルギリー陛下は、今夜は、息子と結ばれたとはいえ、成り行きによっては、こんな事もあんな事もありかもと期待したのだが、今やもう完全にそんな意欲が失せてしまった。それよりも一刻も早く、魔性の芸妓ナイナイとの記憶を頭から追い出したかった。それで、その日は、蹌踉として王宮へ戻った。
(内官長の独白)
本当に、リーユエン様には驚かされます。
琵琶の演奏をお聞きになって、その後、リーユエン様とお話しになった陛下は、何と、何と、真っ青なお顔で、足元をよろめかせて、お部屋から出てこられたのです。黄金獅子である陛下の足元が、よろめくなんて、深酒をなさっても有り得ない光景でございます。それが、リーユエン様と、ただお話しをなさっただけで、すっかり別人のようになってしまわれたのです。そして、虚な目を宙へ向け、
「もう、ダメだ、リーユエンと同衾なんて二度としない。あんな恐ろしい奴は知らない」とつぶやいていらっしゃったのです。陛下の煩悩をすっぱり断ち切ってしまわれたお手並みには、ただもう感服するばかりでございます。




