44 後始末(2)
(内官長の独白)
王太子殿下が行ってしまわれますと、リーユエン様は肘掛け椅子からのろのろと立ち上がられたのですが、動作がぎこちなく、お顔の色も悪くみえました。それで私めは、
「傷の具合は、いかがでございますか」と、尋ねながら、長椅子へお掛けになるのを介助してさしあげました。
「・・・まだ、背中の方に痛みが残っていて」と、リーユエン様は小声でおっしゃいました。さきほど、王太子殿下に抱き上げられた時も、きっと痛みはおありであったでしょうに、我慢なさっていらしたのでしょう。私めは、
「三足鳥を召し上がられますか?」と、お尋ねしましたら、
「いえ、ウラナへ渡しておいてちょうだい、後で粥へ入れてもらうわ」とおっしゃいました。粥にして召し上がると聞いて私めは、
「まだ、お加減がよろしくないのですね」と、思わず言ってしまいました。
リーユエン様は、困ったような微笑みを浮かべ、
「乾陽大公は、ちゃんと治してくれなかったのよ。無茶をするから、ここで養生しなさいといわれたの」と、おっしゃいました。
私めも、大公殿下の意見に賛成でございます。この方なら、元気になられたら、どんな無茶をなさるか、分かったものではございません。
「ひとつお伺いしたいのですが、よろしいですか」
私めは、さきほどから気になっていたことがあり、お尋ねする許しを求めました。
リーユエン様は、また『東荒見聞録』を眺めながら、「どうぞ」とおっしゃいましたので、早速
「先ほど、向こうの植え込みのあたりに、女官が何人か潜んでいるのは、お気づきでいらっしゃったのに、どうして知らぬふりをなさっておいでだったのですか?」と、お尋ねしました。リーユエン様は、私をちらっご覧になると、また本へ目を向け
「私は、後宮にはお客扱いで来ているよそ者ですもの、騒ぎ立てたくはないわ。女官の処遇は、王后殿下がお決めになることですもの」と、おっしゃいました。
「リーユエン様がおっしゃることならば、王后殿下は当然お聞き届けくださるに違いございません。ですから、黙っていらっしゃる必要はございませんよ」と、申し上げました。するとリーユエン様は声をさらに小さくされて、
「女官たちは、飽きたらそのまま立ち去ったでしょうに、王太子殿下やあなたが来られたから、話が大きくなってしまったのよ。あの程度で、いちいち騒ぎ立てて処罰が降りたら可哀想じゃない」と、おっしゃいました。
私は、虚をつかれました。女官を慮っていらっしゃったとは思ってもみませんでした。そして、それでハッと気がつきました。
「あの、もしかして、リーユエン様、離宮でお渡しした呼び子を鳴らさなかったのも、騒ぎ立てたくなかったからですか?」と、お尋ねしました。すると、
「大体離宮って名がつけば、贅を尽くした宮殿か、厄介者を閉じ込める宮殿かのどちらかでしょう?あの建物を見た瞬間に、厄介者の方だなって分かったわ。それを呼び子なんか鳴らして騒いだら、法座主の頼みに応じて引き受けた私に無礼を働いたと、誰にどんな処分がくだるかもわからないのに、呼び子なんて、恐ろしくて吹けなかったわ。それに、実際あそこは、なかなかいい設備があったのよ。体調さえ悪くならなければ、もっと楽しくすごせたのに・・・」と、お答えになられたのです。
私めは、この時、リーユエン様は、お優しい、情け深い方なのだと、あらためて気付かされました。影護衛府のザリエル将軍が、この方をお気に入りでいらっしゃるのも無理のないことです。この方が呼び子を鳴らして、不満を訴えれば、離宮へ案内した内官長の私めと、あの施設の管理を担当する影護衛府には、何らかの処罰が決定されたに違いないからです。
私めがつらつら考え込んでおりますと、リーユエン様からお声がかかりました。
「内官長、お願いしたいことがあるのだけれど・・・」
「何でございましょう」と、お尋ねしますと、
「退屈だから、何か楽器が弾きたくなったの。そうね、琵琶とかあったら、お借りできないかしら」とおっしゃられました。それで「畏まりました。王宮の楽府へ行って借りてまいりましょう」と、お答えし、その場を退出いたしました。
その日の夕方、執務を終えて寛ぐゲオルギリー陛下へ、内官長は昼間のリーユエンとのやり取りを報告した。すると、ゲオルギリー陛下は、琥珀色の目を鋭く光らせ、
「『東荒見聞録』を、読んでおったのか」と、確認した。内官長が
「左様でございます」と、肯定するや、陛下は、
「リーユエンのところへ先触れを出せ、今から行く」と言い出した。内官長は、仰天して、思わず
「陛下、ですが、リーユエン様はもう王太子殿下の・・・」と、言いかけて、慌てて口をつぐんだ。すると陛下は内官長をじろっとひと睨みし、
「馬鹿者、だた、様子を見にいくだけだ。顔が見たくなっただけだ」と言った。




