42 逆恨み(5)
ビアロスが何か言う前に、ビアンサがリーユエンへ駆け寄り、「おまえ、この間はよくも私のことをっ」と、言い、平手打ちしようと右手を振り上げた。リーユエンは、その手をぱっとつかみ、彼女の足へ、自分の足を引っ掛け、床へ転がした。
「うるさいっ、私は、おまえの兄貴に用があるんだ。黙ってろっ」と、乱暴な口調で怒鳴りつけた。普段の淑やかな様子からは想像もつかない荒々しい態度に、ビアンサは目を見開き、震え上がった。
床に転がるビアンサをそのままにして、リーユエンは、ビアロスと対峙した。そして、
「王女殿下を人質にするなんて、あんた、正気か?ここは、王后の支配下にある後宮なんだぞ」と、話しかけた。
リーユエンの声に反応して、サンロージアは、意識を取り戻した。数歩離れた場所に立つリーユエンに気がついて、彼女はそちらへ転がろうとしたが、彼女の髪は、ビアロスがつかんでいるため、髪が引っ張られて近づけなかった。リーユエンを見上げると、黒い影護衛服姿で、厳しい表情をしていた。「このバカ獅子をやっつけて」と叫びたかったが、猿轡をかまされていて、何も話しかけることができず、
「うぅぅぅー」と呻き声しかあげられなかった。
ビアロスは、嘲笑い、
「フンッ、俺が事実上の配偶となれば、高慢ちきの王后も、俺を婿として遇するよりほかないだろう」と、うそぶいた。
リーユエンは、軽蔑しきった半眼でビアロスを見て
「既成事実なんて、王后はともかく、あの国王陛下が認めると思うのか?おまえなんか、影護衛に襲わせ、肉塊にまで引き裂いて、王女殿下には、新たな配偶を選び直して、解決するのに決まっているだろう。本当に愚かな奴だな」と、冷淡に宣告した。
王女の巻毛を握りしめる手がぶるぶる震え出し、ビアロスは
「出鱈目をいうな。そんな事になるはずがない」と、叫んだ。
けれどリーユエンは、肩をすくめ
「私にさえ理解できることが、おまえには理解できないのか?本当にどうしようもない愚か者だな。国王陛下だぞ、規則なんか守るものか、あの方は、王女殿下が嫌がるなら、既成事実を作ろうとも、そんなものは排除しにかかる。それができるのだから、やって当然だ。どうして律儀に、おまえのルール破りの後押しをしてくれるなんて思うのだ。大穴熊を王女殿下に嗾けようなどという稚拙な作戦を実行してしまう少将殿は、やはり頭のネジが一本抜けていらっしゃるのかしらねえ」と、リーユエンは嘲った。
ビアロスはとうとう怒りが沸点に達し、王女殿下の髪から手を放すと、リーユエンへ駆け寄り、いきなり顔面を殴りつけた。彼女は腕で顔を庇ったが、衝撃で体は宙へ浮き、床へ叩きつけられた。ビアロスは、倒れた体を上から何度も蹴りつけた。
「やめて・・・悪かったわ・・・お願い、やめて」
リーユエンは、弱々しい声で、ビアロスへ呼びかけた。ビアロスは、彼女の三つ編みになった髪をつかみ、顔をのぞき込み
「俺のこと馬鹿にしやがって、許すものか」と、唸るように言った。
リーユエンは、ビアロスを伏せたまつ毛の下からじっと見つめ、
「だって、あなた、王女殿下のことばかり、おっしゃるのだもの・・・ひどい事だって言いたくなるわ」と、ささやいた。
ビアロスは一瞬ぽかんとし、「えっ」と言ったきり黙りこんだ。
リーユエンは、ビアロスの分厚い胸板に、ほっそりした指先を這わせながら、
「まだ分からないの?あなたが、王女殿下の方ばかり見ているから、私の方をあなたに見てもらいたいのに・・・」と、甘えた口調で言った。リーユエンの頬は、うっすら赤らみ、眸は潤んだような輝きを放ち、ビアロスを見上げた。彼女の指先は、ビアロスの胸板から首筋へゆったりと移っていき、彼の敏感で反応しやすい場所を、触るか触らないか、じらすように撫で上げた。
「お、おまえ、ひょっとして俺のことが・・・」
リーユエンは、ビアロスの目をじっと見つめ、それから恥ずかしそうに視線を逸らした。ビアロスは、彼女を抱え起こした。すると、ぐったりと体重を預けて、その懐へ、しな垂れかかった。そして、ビアロスを見上げ、悩ましげな表情で、
「陛下みたいなおじさんの相手は、本当は好きじゃないのよ。やっぱり、あなたみたいな立派な若獅子が・・・好きっ」と、ささやいた。
床に倒れていたビアンサが、ようやく起き上がり、その言葉を聞くや、人差し指を突きつけ
「おまえ、私の兄を誘惑するなんて、なんて厚かましい女なのっ」と、怒鳴りつけた。すると、リーユエンは、涙目になってビアロスを見上げ、
「私の気持ちを疑うなんてあんまりだわ」と言いながら、ビアロスへ抱きつき、身を震わせながら、懐へ顔を埋ずめた。
ビアロスはもうすっかり本気にして、その背中を「よし、よし、いい子だ」と撫でながら、妹へ
「いい加減にしろ。おまえは部屋から出ていけっ」と、叱りつけた。
ビアンサは立ち上がり、
「兄さん、そんな奴にかまってないで、さっさと王女殿下と契りなさいよ」と、
叫びながら、部屋を出て行った。




