33明妃の苦悩(1)
(ウラナの独白)
私が急ぎ駆けつけた時、明妃は虚ろな目からまだ涙を流しておられました。この方にお仕えして、数年になろうとしますが、これほど取り乱したお姿を目にするのは、初めてのことでございます。激しい吐血のうえ、発熱まであって、明妃は寝込んでしまわれました。その後も酷く魘されておいでで、大公殿下が様子を見に来られるたびに少しずつ法力を流しこまれましたが、あまり回復なさったご様子がございませんでした。
明妃は、元来、優雅な外見に似合わない、胆力と決断力に富んだお方で、少々のことで取り乱されるような方ではございません。それが、ここまで酷い状態になるなんて、一体どうしたことなのでしょう。結局、明妃が落ち着かれたのは、明け方近くでした。そして正午近くまで、眠り続けられました。
(間話)
そのような騒ぎの起こった昨夜、サンロージアは、太師へ説明したとおり、ユニアナア王女の寝室へ行き、アーリナと一緒に彼女の様子を静かに見守った。やがて、アーリナも眠そうにし始めたので、寝みなさいと寝室へ下がらせた。よく眠っているユニアナの様子を確かめると、彼女は、懐に忍ばせて持ってきた魔法の手鏡を取り出した。それから窓際へ行き、月明かりを頼りに、紙片を見ながら、魔導士から教えてもらった呪文を唱えた。彼女が手にするのは、半径十丈以内の中でなら、自分が見たいものを念じたら映し出してくれる魔法の手鏡だった。彼女は、魔法の手鏡へ向かって、さきほど出てきた部屋の中の様子を見たいと念じた。ところが、鏡は突如「パリン」と音を立てて細かくひび割れてしまった。
「割れちゃったわ。どうしましょう」
細かくひび割れ何も映らなくなった手鏡に、彼女はがっかりしてつぶやいた。それが何を意味するのか知らない彼女には、何の危機感もなかった。術返しは、魔導士には常識なのだが、術を破られると、術者は、術の反動に襲われるのだ。
サンロージアは、手鏡から、自身の体の中へ、何かの力が通り抜けたのを感じた。次の瞬間、彼女の自慢の金髪が、「ボワッ」と音を立てて、焦げ臭くなった。
「キャッ、何、これ?髪が焦げたの?嘘よね・・・」
彼女は慌てて、髪を触った。金色に輝く巻毛の先端全てが親指一本分の長さ、焦げてしまっていた。ヨーダム太師の作成した魔法陣の威力が強大で、魔法の手鏡を利用するつもりで唱えた呪が、すべて彼女の方に跳ね返ってきたためだった。まさか魔道具のせいで髪を焦がしたなんて、誰にも知られたくなかった。兄に知られたら、大目玉を落とされるに決まっているからだ。仕方ないので、彼女は一晩かかって、自分の髪の焦げた部分を、ひとりでハサミを使って切り落とした。
正午になる直前、明妃は目を覚ました。寝台の上で目を開け、視線を動かすと、黄色の虹彩に黒色の眸のアプラクサスが羽ばたき
「ミン、目が覚めたのか。大丈夫か」と声をかけてきた。その声を聞いたウラナも、寝台の縁から、彼女をのぞき込んだ。
「明妃、お加減はいかがですか」
滅多に感情を面に出さないウラナだが、今は眉尻が下がり、目は涙ぐんでいた。明妃は目を覚ましたけれど、まだ視線が虚ろで、魂が本当に戻ってきているのか、彼女は不安でしかたなかった。明妃は、ウラナの様子に気がつき、微笑もうとしたができなかった。ただ「・・・・・大丈夫だから」と、力の抜けた声で言いながら、彼女はゆっくり体を起こした。しかしそれだけで、目眩に襲われ、目を瞑った。まだ、無意識界で乱気流に呑み込まれた感覚が残り、脳裏には、あの時目にした未来の鏡像、金色の光に包まれる人相もよく分からない男に抱かれる自分の姿が甦った。その男は、ドルチェンではなかった。また、ひどい吐き気が込み上げてきた。口元を手で押さえ、彼女は吐き気をこらえた。
(猊下以外の男に抱かれるなんて、そんな事、あり得ないわ・・・)
前世のリュエも、現世のリーユエンであっても、自分を抱いたのは、ドルチェンただ一人だった。それなのに、呆気なく未知の男に抱かれる自分の姿を目にし、激しい衝撃を受け、自制が失われてしまった。そして今だに、そこから立ち直れないでいた。
「ウラナ・・・水をちょうだい」
声もかすれて、自分の声ではないように聞こえた。
ウラナは、コップに水を入れ、彼女へ手渡した。明妃は、水を少しずつ飲んだ。ウラナは、部屋の外へ出て、太師とダルフィンを呼んだ。
太師とダルフィンが入ってきても、明妃はしばらくうつむいたままだった。
太師が、寝台のそばの椅子に腰掛け
「昨夜、何をご覧になったのだ?」と、尋ねた。ダルフィンも太師の隣の椅子へ腰掛けた。明妃はうつむいたまま
「アプラクサスが、尾羽を失ったのは、神殿の奥深くに保管してあった彼の灰を、アンゼールの使い魔である蜘蛛が一部盗んだためです」と答えた。それから、顔をあげ、真っ青な顔色で師父であるヨーダムへ視線を向け「師父は、彼女の、あの姿をご覧になったのですか」と、尋ねた。ヨーダムが、無言でうなずくと、
「彼女は、灰から力を取り込み、只人の姿を取り戻したのです。そして、恐らくは、大鳳凰の甦りの時期が近づき、その飛魄の力が弱まったために、他の飛魄を手に入れ、姿を保ち続けようとしているのでしょう」と続けた。




