3 幻水楼の歌姫(5)
妙月は、彼らのテーブルから少し離れた場所に設えた席で、琵琶を爪弾きながら歌を歌い始めた。
「月影の下、寥々風が吹き渡り、竹林のざわめきは、心によぎる寂しさにも似て・・・」と、歌い出した。リーユエンは、まだ手のひらを動かしていて、そこには、薄っすらと血が滲み出ていた。
ふいに、彼の脳裏に、天井が崩落し、ヘドロと化した壁がドロドロになって崩れおちていく光景が現れた。リーユエンはカリウラへ顔を寄せ、耳元で
「ここの天井が崩落する。転身してすぐ逃げ出せ。騎獣はあきらめろ。ユニカは転身して空へ飛ばして、宿営地へ直帰させろ」と指示した。カリウラはうなずき、
「デミトリーとヨークは?」と尋ねた。
「指示は同じだ」と、リーユエンは答えた。
リーユエンは立ち上がると、
「妙月、実に見事な歌だ。素晴らしい」と拍手しながら近づいた。その両方の手のひらは、血で赤く染まり、燭台の光りを受けて、怪しく光って見えた。
「ああ、もう我慢ならない。何とういう芳醇な香りだ」
部屋全体から声が地響きとなって響き渡り、妙月の姿がドロドロと崩れ落ち、床から巨大な蛙が真っ赤な口を開けて現れた。
天井が崩れはじめ、壁がゆがみヘドロへ変わっていった。
リーユエンの面覆いが突然黒霧となって広がり、中から黒い獣が現れ
「これは、俺のものだ。食わすかっ、おまえを食い殺してやる」と、床の大蛙へ襲いかかった。
「みんな、転身して上から脱出しろっ」と、リーユエンが叫んだ。
「ユニカ、転身してそのまま宿営地へ直帰しろ」と、カリウラが叫んだ。
ユニカは、黄金鷲へ転身し、天井に開いた大穴から上へ飛び出し、次に金獅子へ転身したデミトリーとその影護衛に化したヨークが飛び出し、カリウラはジャガーとなって飛び出した。最後にリーユエンが、白銀の霊気をまとう白虎となって、楼閣を飛び出した。
デミトリーとカリウラは崩れ始めた楼閣伝いに走りくだり、今にも沼沢地へ戻りそうな不安定な大通りを全力疾走で駆け抜けた。リーユエンは、霊気の力で宙に浮かび黒い魔獣が沼地の怪物を食い殺すさまを見届けた。
楼閣を作り出したのは、巨大な蛙の怪物だった。魔獣は大口を開け、蛙を一呑みし噛み砕いた。楼閣の中を逃げ惑う、他の妖も次々捉え食べ尽くした。
(ははっ、沼地の瘴気と人肉を食らって育った蛙妖の肉は最高だよ。いくらでも食べられる)と、魔獣は歓声を上げた。
リーユエンは魔獣へ
「先に帰るからな」と言い、街の外へ降りていった。
リーユエンが大門の外側に着陸すると、転身を解いたデミトリーが駆け寄り、
「おまえは魔獣使いだったのかっ」と、怒鳴った。リーユエンも転身を解いて立ち上がり「それが何か?」と、尋ね返した。
デミトリーは、震える人差し指をリーユエンへ向けた。
「俺だって知っているぞ。魔獣使いは、魔獣と契約し、自身を差し出すかわりに、魔獣を使役する穢らわしい奴らだ。いつか魔獣に生気を食い尽くされて、自分自身も異形の姿へなり変わってしまう。呪われた奴らなんだ。どうして、そんな契約をしたんだっ」
「・・・・・・」
問い詰めるデミトリーを無視して、リーユエンはフードを被り直し、剥き出しになった左側の火傷の跡を隠した。そして、近づいて来た、まだ転身したままのカリウラへ跨り、
「宿営地へ戻ってくれ」と指示した。カリウラは、走り出した。けれどしばらく走ったところで、突然リーユエンが、彼の背中を叩き、
「止まってくれ」と頼むので、停止した。リーユエンは転がるように降りると、地面へ胃の中のものを激しく嘔吐した。転身を解いたカリウラは、慌ててリーユエンへ駆け寄った。
「大丈夫かっ」




