3 幻水楼の歌姫(4)
妙月は柔らかな笑みを浮かべ
「幻水楼へいらっしゃいまし、ご招待いたしましょう」と、先頭に立ち案内した。
大門からまっすぐ続く街路の突き当たり、まるで通商行路を分断する砦であるかのように、五階建ての巨大な楼閣が聳え立つ。妙月は彼らをそこへ案内した。三階まで吹き抜けとなった正面玄関には、色とりどりの布を捻り合わせ、花を飾りつけた綱によって、高い天井から吊り下げられたブランコに少女が乗り、花びらを撒き散らしながら歌を歌っていた。辺りは芳しい花の香に満ちて、リーユエン以外の者はその香に陶然となった。けれどリーユエンは
(ヘドロ臭しかしない、まさかヘドロの中に埋まってしまったのか?)
と、魔獣へ話しかけた。すると魔獣は
(いや、大丈夫だろ。壁も柱も、ヘドロで作ったみたいだが、ちゃんと実体化しているからな。臭いは我慢するしかないだろう、それより、ここは食べがいのある奴がウヨウヨうしているな)と、ご馳走を前に、上機嫌で応えた。
彼らは昇降機に乗せられ、最上階へ案内された。絹織の絨緞が敷き詰められ、玉や宝石が壁面を飾る、豪奢な一室だった。中央の丸テーブルへ、高髷に琅玕翡翠の玉簪を刺した女たちが、山海のご馳走と、紅い葡萄酒の入った玻璃の扁壺を配膳した。デミトリーは、思わず生唾を飲み込んだけれど、リーユエンからの注意を思い出し、ぐっとこらえた。
席についたリーユエンが、自身の手のひらを広げ、手綱を引き締めたときにできた擦り傷を眺めた。すると、横に座った妙月が、蛾眉を下げて心配そうに
「まあ、血が滲んでいらっしゃいますね。お手当いたしましょう」と、立ち上がりかけたが、その袂をそっとつまみ、リーユエンは右側の顔に笑みを浮かべ、
「こんな擦り傷、舐めれば治りますよ」と、低く囁いた。その言葉に、妙月は魅入られたように動きをとめ、
「舐めれば・・・舐めれば、治る」と、囁き返した。リーユエンは笑みを深め、
「せっかく来たのだから、何か一曲歌ってください」と、頼んだ。
妙月はうなずき、立ち上がると壁に立てかけてある琵琶を取りにいった。
カリウラがリーユエンへ、
「おまえ、あれはちょっとヤバすぎるだろう」と、焦った調子で言った。リーユエンは、手のひらを握ったり開いたりしながら、彼へ
「妙月も血の匂いに敏感なようだ。もう少し嗅がせて焦らせてやろう」と、言った。 カリウラはブルブルッと身を震わせ
「生き餌か・・・危ないぞ、それ」と言い「あいつは、動きそうなのか」と低い声で尋ねた。リーユエンはにやっと笑い
「大丈夫、食う気満々で待っている」と言った。
先ほどからのやりとりは、デミトリーには、まったく訳が分からなかった。妙月がリーユエンにばかり関心を払うのがおもしろくなかった。金を持っているように見えるのだろうかとも考えたが、継ぎのあたったマントを纏い、下の衣服も黒ずくめの至って地味な平民の格好だ。どうして、自分を差し置いて、彼女がリーユエンにばかり関心を持つのかが納得いかなかった。
「ヨーク、どうして、妙月は、リーユエンにばかり構うんだ?」デミトリーの不満げな口調にヨークは
「状況が急変するやもしれません。ご用心なさってください」と、だけ答えた。ヨークは先ほどのやり取りを聞いて、(まさか、リーユエン殿は誘涎香血なのか)と疑っていた。「誘涎香血」は、魔物を惹きつける血液で、その血を持つ者を生贄に捧げれば、どれほど強力な魔物であろうとも必ず呼び出せ、その血を代価にいかなる望みも叶えられるという伝説の血液だった。影護衛として教育を受けたヨークは邪術にも詳しく、この血液の伝説も聞き知っていた。しかし、まだ確証は持てないでいた。




