30 ユニアナ王女殿下(5)
(まさに前門の虎じゃないのよ、まったく・・・あの助平親父、ちょうどいいわ。納める反物の数を増やしてもらって、仲介手数料を割り増ししてやろう)
明妃は、すっかり商人モードに切り替わり、「分かったわ。上がってもらいなさい」と言った。
ダルディンは、眸を縦に狭めて明妃を睨み、
「私が話をする。あなたは喋るな」と言った。
明妃は肩をすくめ「では、反物の納品数を五割増しして、手数料は三割こちらへ多く払うように交渉してちょうだい」と、頼んだ。
(何だ?仕返しが目的じゃなくて、商談がしたかったのか・・・)
ダルディンは、明妃からの思いがけない指示に、一瞬返事に詰まったが、「分かった、交渉するよ」と、引き受けた。
シュリナに先導されてダーダムが入ってきた。ダーダムが明妃へ近寄ろうとすると、ダルディンの長身が、さっと前に立ちはだかった。
ダーダムは仕方なく、その前で跪拝し、
「明妃殿下へ、黄牙長老ダーダム、ご挨拶申し上げます」と言った。
そこへダルディンが、「殿下は、船酔いで苦しまれたため、体調がお悪いのだ。話は私が聞こう」と言った。
ダーダムは焦り気味に「そのう、明妃殿下とは知らなかったとはいえ、先般リーユエン殿に無礼な振る舞いをしでかしたことについては、ダーダム一生の不覚でござれば、どうか寛大なお心でお許しいただきたく、直に謝罪申し上げなければと、罷りこしました」と述べた。
するとダルディンは、目は凶悪な光を湛え、口元だけは微苦笑を浮かべるという何とも不気味で不穏な表情で、「ああ、その事なら、猊下も私も聞き及んでいる。何でも酒の席で・・・」と、その先を言いかけたところで、後ろの長椅子に腰掛けた明妃が大きな音を立てて扇子を広げ、続く言葉をかき消してしまった。
ダーダムのこめかみに一筋汗が滴り落ちた。
「だが、さきほどは、港で我らの先導役を買ってでてくれた。その事には、感謝している。誰でも、間違いは犯すものだ。明妃殿下は寛大なお方だから、過ぎた事をいつまでも根に持ったりはなさらない」と、ダルディンが続けると、ダーダムの顔に安堵の色が浮かんだ。けれどさらにダルディンは
「ところで、明妃殿下は、そなたらの納める交易品の反物の評判が良いので、納品の五割増をご希望なのだ。それとこちらの仲介手数料を三割増ししていただきたい」と、続けた。それを聞いたダーダムは、前半は喜色を浮かべ、後半は頭を抱えた。
すると、後ろの明妃が「ダーダム」と扇で口元を隠し呼びかけ、目は意味ありげにダーダムを見つめると、七分立てのクリームが流れ落ちるような口調で、「あなたと私の間柄ですもの、当然、受けていただけるわね」と、話しかけた。
ダーダムは真っ赤にのぼせ上がり、「もちろんでございます。殿下のご希望通りにさせていただきます」と、叫んだ。
簡単な書面を作成して取り交わし、ダーダムが帰った。これでやっとゆっくりできると、気を抜いた明妃は、顔を歪めて、胸元を押さえた。
ダルディンが気がつき「どうしたんだ?」と、声をかけた。
けれど、明妃は、胸元を押さえたまま、身を震わせ、うつむいた。
そこへ、アスラが入ってきた。その肩には、アプラクサスがとまっていた。アプラクサスもすぐ明妃の異変に気がつき、彼女のもとへふわっと飛行し、肩の上へとまった。そして、背中の神聖紋のあたりに嘴で触れた。衣の上からでは分からなかったが、玄武紋が強い光を発し、熱を帯びて、その痛みで、彼女は息が詰まりそうになっていた。
アプラクサスは、玄武紋を通じ、遠い玄武の地にいるドルチェンへ念話を送った。「ドルチェン、久しぶりだね。ぼくだよ」
「・・・アプラクサスか」
ドルチェンの低い声がアプラクサスには聞こえた。彼が不機嫌なことが、声の低さで明らかだった。アプラクサスは大玄武を刺激しないよう、わざと能天気な調子で話しかけた。
「そうだよ、リュエを取り戻せたんだね、おめでとう。でも、これはちょっとやりすぎだよ。彼女、もの凄く痛がっているよ、もうやめてあげないと、動けなくなってるよ」
「あの男に、あんな色目を使うなんて、許せない」
(ああやっぱりドルチェンは、九百年前に会ったとおりの玄武だよ)と、アプラクサスはちょっと嬉しく思いながらも、彼の嫉妬の的にされた彼女を、可哀想に思った。
「でも彼女にだって理由があるんだろ?それにアスラに生気をたくさん取られたばかりで、疲れているんだ。勘弁しておやりよ」
「・・・分かった」
ドルチェンの声が途絶えると、明妃の全身が突然金色の光に包まれ、彼女はそのまま気を失った。




