29 上陸本番(3)
彼らは、広場の南側にある常設市場へ行った。そして、何軒か果物を売る店を見てまわり、アプが気に入った店で杏りんごを買った。その店は、老婆がひとりで店番をしていて、自分の庭で栽培した果実を売りに来ていた。
太師もリーユエンも、杏りんごなら、玄武の国でも見たことがあった。それに比べると、色づきが随分悪く、小さくて、値段は十倍もした。太師は思わず、
「随分高いのだな」と、つぶやいた。すると老婆は、しかめっ面になり
「お客さん、要らないなら買わないでいいよ。最近、曇り空ばっかりで、日が当たらないもんだから、杏りんごは赤く色づかないんだよ。でも、うちのは、ちゃんと肥料もやって世話をしているからね、味は、まだ、ましだと思うよ。これが気に入らないのなら、明日来る予定の、大平原からの定期便が運んでくる果物を買うこったね。ただし、値段はうちどころの比じゃない、うちの五倍はするよ」と、言った。
リーユエンは、「おばあさん、その杏りんご二つちょうだい」と、懐からデナリウス銀貨を差し出した。
おばあさんは、「細かいお金はないのかい?釣銭がないよ」と、ぶっきらぼうに言った。すると、リーユエンは、
「おばあさんは、杏りんごに肥料まで施しているんだろう。曇り続きの天候でも、こんなに立派な杏りんごを実らせるのは、大変だったでしょう。もう、お釣りはいいよ。私の使い魔が、今日はどうしても果物が食べたかったんだ。だから、売ってもらったら本当に助かるよ」と、愛想よく話しかけた。
おばあさんは、機嫌がすっかり良くなり、「そうかい、釣りはいらないのかい。じゃあ、おまけで五個売ってあげよう。使い魔にたくさん食べさせておやり」と、杏りんごを五個包んで、リーユエンへ渡してやった。
リーユエンは杏りんごを受け取ると、おばあさんへ「ありがとう、ところで、さっき向こうの四辻の広場で、明日の船のことで、魔導士が演説していたのを知っている?」と、さりげなく訊いた。
するとおばあさんは、素早く左右を見回し、それから声をひそめ
「あんたら、見たところ、鳳凰教の魔導士ではないようだね。あいつら、この頃ますます過激になっているから気をつけるんだよ。術なんてまともに使えないのに、偉そうにして、何かと言うと、これは別料金、これも追加料金って金に汚いのさ。さっき演説していた奴も、たぶんアンゼールとかいう女魔導士の手下だと思うよ。新教皇とつるんでいて、明妃とかいう北荒から来る使節を追い返そうとやっきになっているんだよ」
リーユエンは、アンゼールの名前がいきなり出てきたので、思わず太師を振り返った。けれど、フードを目深に被った太師の反応は分からなかった。
「ありがとう、関わらないように気をつけるよ」
その後、彼らはとまり木亭へ戻った。リーユエンは、アプへ、杏りんごをナイフで切って与えながら、太師へ
「私は、夜になったら、海蛇号へ戻ります」と言った。
太師は慌てて「わしもついて行く」と言ったが、彼女は
「いえ、私ひとりで戻ります。アプちゃんと、港で出迎えてください」と断った。
太師は、「あなたをひとりで行かせて何かあったらどうするのだ」と反対した。
けれど、リーユエンは、
「アンゼールが、背後にいるのなら、用心するべきですよ。アプをひとりにはしておけないし、かといって、陸から離すと見つかる恐れもあります。太師はアプと一緒に明日、港へ迎えに来てください」
「しかし・・・」
「隠形術で、飛んでいきます。もう、近くまで来ているのだから、半時間も飛べば、着くでしょう」と言った。
アプは、嘴を開けて「太師、ミンの言う通りにしたらいい。大丈夫だよ」と言い、「我は果物を食べたから、神通力が少し強まった。何かあっても、南洋海の上なら、我の力で解決してやろう」と続けた。
リーユエンは、右眉をあげ
「果物を食べたら、アプちゃんは、神通力が強まるのか」と尋ねた。
アプは、ちょっと得意げに「そうだ。我の神通力は果物を食べると強まるのだ」と言い、続けて「昔は森や林の中に、果実のなる木がたくさんあって食べ放題だったのに、最近は気候が悪くなって実らなくなってしまった。それに売りものの果物も値段が上がって、我を世話していた僧侶どもは、我に高い果物を与えるのは勿体ないといって食べさせてくれなくなったのだ」と最後は悲しそうに言った。




